異国の癒す存在
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『』は中国語です。
古河は少し戸惑ったような眼差しを真琴に向けた。
「俺達にまで気を遣わなくったっていいんだぞ?マコ。特に何かしたっていうわけじゃないんだし」
「そんなことないですっ。古河さんや森脇さんにも迷惑掛けちゃったし、心配もさせたし、本当に遠慮してもらうほど凄い
ものはご馳走出来ないんですけど・・・・・」
バイトが早番の古河と森脇が午後7時過ぎに控え室へと戻った時、古河は自分の携帯に真琴からメールが来ていた
ことに気付いた。
バイトを休んだ真琴の身辺がどうなったのか気にはなったものの、自分から連絡を入れるのも躊躇いがあってそのままにし
ていた古河は、連絡を欲しいというメールに直ぐに真琴の携帯に電話を掛けた。
・・・・・そして今、なぜか森脇と2人、私服に着替えた姿で店の裏口で真琴と向かい合っている。
今回は迷惑を掛けたからと、ぜひ奢らせて欲しいという真琴の気持ちは嬉しい。どちらかといえば、年上の古河の方が食
事をご馳走して、色々とその後を聞きたいと思ったくらいだが・・・・・。
「・・・・・せっかく、あの人がいるんだから、2人で食事に行った方がいいんじゃないか?」
「海藤さんにも話したら、ぜひ古河さんと森脇さんも呼んだらいいって言ってもらったんですよ」
「・・・・・」
「一緒にいる人達も気を遣わなくてもいい優しい人達ですから、絶対仲良くなれますよ?」
「仲良くって・・・・・」
(小学生じゃないんだから・・・・・)
そう、古河が頷くのを躊躇うのは、視線の先に停まっている車の前に立つ男のせいだ。
店では魔王と呼ばれ、古河はその名前も、真琴の恋人であるということも知っている男・・・・・海藤が同行するとなると、
緊張しなくてもいいと言われても緊張してしまう。
「森脇」
どうすると振り返った悪友は、困惑している古河とは裏腹に楽しそうな表情をしていた。
「いいじゃん、せっかくのマコの好意だし」
「おい」
「ああいう人達と、何の心配もなく飯を食うっていう経験はこの先無いかもしれないしな」
「・・・・・」
常識に囚われた自分とは違い、面白いことが好きな森脇の言いそうなことだ。
お前はという森脇の視線と、お願いしますという真琴の視線に見つめられ、古河は結局負けてしまうだろう自分に深い溜
め息を付いてしまった。
6人乗りのベンツの一番後ろに並んで座った古河と森脇。
古河は落ち着かない様子だったが、森脇は初めて乗るなと楽しそうだった。
「今日は、古河さん達のお祝いも一緒にと思って」
「お祝い?」
「就職先、決まったんですよね?他のバイトの先輩達が、決まった奴は気楽だよなあって言ってたの聞いたんで・・・・・
違いますか?」
「あー、まあ、一応」
「寂しいけど、仕方ないですよね」
初めて東京に来てからずっと世話になっているバイト。真琴にとっては大学と同様、いい人生勉強の場にもなっている。
その中でも、本当の兄のように可愛がり、心配してくれた古河には、本当はもっとずっと一緒に働きたいと思っているのだ
が、大学4年生の彼らに留年しろとは言えなかった。
「寂しいなあ〜2人がバイト辞めちゃったら・・・・・」
「来年も出来る限りは顔を出すって」
「ねえ、就職先ってどこなの?給料が良くないんなら、良かったらうちに来ない?そっちの君なんか、結構鍛えると面白
そうなんだけど」
真琴達の会話に割り込んできたのは、助手席に座っていた綾辻だった。身体ごと後ろを振り向き、本気か冗談か分か
らないような口調で言ってくる。
綾辻に眼差しで指された森脇は、残念ですがと笑いながら言った。
「俺、弁護士になる予定なんで」
「森脇さん、弁護士になるんですかっ?え、じゃあ、試験勉強・・・・・」
「あ、司法試験にはもう今年合格した」
「ええっ!」
真琴はさらに驚いたように声を上げた。
バイトにいる限りだが、とても熱心に勉強するタイプには見えなかったし、そもそも、弁護士になろうと思っているともとても
見えなかった。変な話だが、森脇ならこのままフリーターにでもなりそうな感じさえしたのだが。
「ま、司法試験に合格したからって、直ぐに弁護士になれるわけじゃないしな。この先もまだ勉強しないといけないのかと
思うと頭が痛いけど、一応やれるとこまで頑張ろうかなと」
「どうして弁護士に?」
そう聞いたのは、運転をしている倉橋だ。そういえば、彼が昔検事だったということを、真琴は漠然と思い出した。
「こいつが何か困った時に助けられるかと思って。お人よしだから、変なことに巻き込まれかねないんですよ」
「俺?」
森脇の進路の原因が自分だと言われたことに古河は複雑そうな表情になったが、森脇にとってその基準はごく当然のも
ののようで、複雑な顔をしている古河を笑って見ながら肘で小突いた。
「それよりもこいつの就職先聞いてみたら?らしくて笑えるから」
「笑えるって・・・・・古河さんはサラリーマンじゃないんですか?」
「おいおい、俺ってそんな風に見えるのか?・・・・・まあ、分からないでもないけど・・・・・俺って凡人だから・・・・・」
「拗ねるなって。マコ、こいつ、図書館司書」
「図書館・・・・・ししょ?」
あまり聞かない職業に、真琴は古河の顔を見る。その視線に、古河は笑い掛けた。
「一応、小学校の教諭と迷ったんだけどな、学校の教諭は見る範囲が決まっちゃってるかなって思って。本を読むってい
うのも好きだし、子供も好きだし、お年寄りだって大事にしなくちゃって思うし・・・・・」
「基本的に世話好きなんだよな、お前は。マコ、こいつが勤める予定の図書館の横には児童館も併設されていて、多
分休憩時間になっても子供の世話で時間を潰すぞ」
「・・・・・ちゃんと、考えてるんですね」
今の真琴にとっては、仕事というものはまだまだ先のことのように思えるが、自分が古河や森脇のようにはっきりとした目
的を持っていないということを改めて突きつけられると、これでいいのだろうかと思ってしまう。
「・・・・・」
黙ってしまった真琴は、不意に頭をポンッと叩かれて顔を上げた。
「慌てなくていいだろう」
「海藤さん・・・・・」
「お前にはまだ時間がある」
「・・・・・そう、ですね」
本来なら、来年大学3年生になる真琴もそろそろ未来について考えなければならない頃だが、海藤は自分のペースを崩
さなくてもいいと言ってくれる。
自分が慌てて、足元も見れなくなることのないように、手を差し伸べて引っ張ってくれる愛しい存在がいるのは心強くて嬉
しかった。海藤の側でなら、真琴はきっと自分がしたいこと見付けることが出来るような気がする。
「なあ、マコ、飯って何奢ってくれるんだ?」
「森脇、お前本当にマコに奢らせるつもりか?普通割勘だろっ」
再び賑やかに言い合いを始めてしまった後部座席の2人(何時の間にか緊張感は消えたようだ)を振り返った真琴は、
笑いながら言った。
「回転寿司です」
「回転・・・・・」
「寿司?」
さすがに思い付かなかった答えだったのか、古河は固まり、森脇も思わず笑みを止めてしまっている。
「この間、テレビでやってたんですよ、ネタが大きくって、新鮮で、リーズナブルなお店!さっき電話してちゃんと6人分の
席予約しましたから!」
「・・・・・回転寿司で予約・・・・・」
「バンバン食べて下さいね?さっきコンビニでお金も下ろしたし、軍資金はバッチリです!」
本当はもっとちゃんとした店に連れて行きたかったが、自分の見分不相応な場所に連れて行くと皆に気を遣わせてしま
うのは分かりきっている。それならば、気を遣わない場所で、思う存分(胸を張るほどに高額ではないが)食べてもらった方
が嬉しい気がした。
先程、自分だけは前もって真琴から聞かされていたので驚くことは無かったが、他の4人はそれぞれ複雑な心境なのか
もしれない。
綾辻や森脇という男は、直ぐにプッとふきだして楽しんでいる様子は分かったし、古河は海藤達がそこでもいいのかと既に
心配げに眉を顰めている。
倉橋などは、自分がどこか店を決めて仕切りたいと思っているだろう。
「あの、いいんですか?」
心配が最高潮に達したのか、古河が少しだけ身を乗り出して海藤に話し掛けてきた。
「いいんじゃないか、真琴が楽しそうだ」
「・・・・・そんな問題?」
「それが重要だろう?」
自分の外見がそう見せているのかもしれないが、海藤は美食家ではない。もちろん、美味しい物が嫌いなわけではない
し、自分が作るのは好きだし、何より、それを食べさせて真琴が満面の笑顔になるのを見るのが楽しいが。
「真琴が食べたいと思ってチェックした店だ、きっと美味いんだろう」
「・・・・・あなたのイメージ、変わりそうです」
「・・・・・これからも、こいつを頼む」
真琴を守るのは自分だけ・・・・・頑なにそう思っていた以前とは違い、今の海藤は人の手を借りるということの大切さも
感じている。現に、今回は古河や綾辻、そして倉橋の支えもあって、真琴はこうして今でも自分の側にいるのだ。
ジュウのことはまだその存在が大きく影を落としているが、それでも次は完全に引いてもらうという気持ちにぶれはないし、
きっとそう出来ると信じている。
海藤は綾辻にお勧めのネタは何だと聞かれて、張り切って答えている真琴の横顔を見つめながら、自分の心を癒す存
在を手放すことが無かった幸福を感じ、穏やかな笑みを頬に浮かべていた。
end
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