くーちゃんママシリーズ





第四章  子育て編   10







 闇の中に浮かぶローソクの炎。
優希が目を丸くしてそれを見つめている姿に綾辻は笑う。
 「ほら、ゆうちゃん」

綾辻が優希の腰を持ってケーキの前に立たせていると、その光景を真琴がしっかりとビデオで取っていた。
こういったイベントを記録に残すタイプの真琴がいてくれるおかげで、今までの優希の成長を振り返ることも出来る。
 「はい、ふーは」
 「ふー?」
 「そう、ふーって、こう」
 息を吹きかけるという行為がよく分からないらしい優希は、綾辻の真似をしてふーふーと声を出してしまった。
これをどう説明していいのかさすがの綾辻も困ってしまったが、子供は子供同士というか、早くケーキを食べたいらしい貴央がとこ
とこと優希の傍にやってくると、
 「ゆーちゃん、ふーっ」
そう言いながら、口を尖らせて優希の頬に吹きかける。
 「ふー」
 すると、それを真似た優希が何度か息を吹きかけて、無事、ケーキの上のロウソクの火が消えた。
 「おめでとー、ゆうちゃん!」
真琴の声に続き、海藤も貴央も祝いの言葉をくれ、綾辻は彼らの方へ優希の顔を向けてコクンと頭を下げさせる。こうやって、わ
けが分からないにしても、嬉しいという気持ちを覚えさせておけば、自然と周りに感謝の気持ちを抱くようになると思う。
それは綾辻自身の経験からの考えだが。
 「さあ、ケーキを切り分けましょうか」
 倉橋が電気をつけ、子供2人のためにケーキを切り分ける。
歓声を上げる貴央を真似するように優希も声を出して笑い、綾辻はゆっくりと優希を椅子に座らせてやった。



 「今日はわざわざありがとうございました」
 倉橋はそう言いながら海藤のグラスにビールを注いだ。アルコールに強い海藤にとってビールは水のようなものだと思うが、真琴
と貴央が同行している時、基本的に海藤は強い酒を飲まない。
それで失敗することはないのだが、それでも何時でも2人のために身体を動かせる状態でいるためだと・・・・・倉橋は知っていた。
 「いや、こちらこそ招待してもらって、2人共喜んでいる」
 「・・・・・」
 「2歳か」
 「はい。何だか、あっという間でした」
 妊娠が分かってから、産むことを決意し、実際に出産してと・・・・・その期間は倉橋にとっては本当に目まぐるしく、あっという間
だったが、それから2歳になる今日までも、本当に時間の流れは速かった。
 だが、無事にここまでこれたのは、綾辻の協力ももちろんだが、海藤の力強い後押しが大きかった。海藤が何時でも大丈夫だ
からと後ろで支えてくれていたからこそ、自分はここまでこれたのだ。
 「本当に・・・・・ありがとうございました」
 「倉橋」
 「本当に・・・・・」
 「礼は、優希に言ってやれ」
 「・・・・・え?」
 顔を上げた倉橋に、海藤は笑みを向ける。その意味が分からないと思ったのか、海藤は言葉を続けた。
 「お前の変化は優希がもたらしたものだろう?そんな存在を手に出来たことを喜んだらいい」
 「社長・・・・・」
 「ああ、綾辻のことも忘れてやるなよ」
その言葉に反射的に振り向けば、クリームで口もとを汚した優希と貴央の顔を交互にタオルで拭いている綾辻と、その姿を笑い
ながらビデオに収めている真琴の姿が映った。
 「俺も、真琴と貴央に感謝している。こんな俺に、家族と、誰かを思いやる感情をくれた2人を」
 「・・・・・」
 「お前にとっての綾辻も、そんな存在だろう?」
 「・・・・・はい」
 普段は気恥ずかしくてなかなか言葉に出せないものの、倉橋は綾辻の存在を頼りにしているし、大切だと思っている。
それが、家族としての感情と同時に、愛する伴侶に対する感情だともちゃんと分かっていて・・・・・倉橋はそんな自分の感情を確
認するように何度も頷いた。



 自分も真面目だとよく周りに言われるが、それに輪をかけるほど倉橋は真面目だと思う。
だから、肝心なことになかなか足を踏み出すことが出来ないのだろうと、海藤は以前から聞いていた綾辻の愚痴を少しだけ倉橋
に伝えた。
 「綾辻、お前が籍に入ってくれないと言っていたぞ」
 「・・・・・っ、そんなことを社長に言っているんですかっ?」
 「お前が妊娠したって分かった時、組の人間の前で結婚するって言ってただろう?それがずっと頭にあったらしくて、直ぐにでもお
前を籍に入れるつもりだったらしいが」
 「・・・・・」
 倉橋は目元を赤くして俯いている。
その時のことはもちろん覚えているだろうし、綾辻のことだ、海藤に愚痴を零す以前に本人に直接そのことは問い詰めているはず
だろう。
(それでも、まだ拒む理由があるのか?)
 「・・・・・あの人の気持ちは、とても・・・・・嬉しいのですが・・・・・」
 「・・・・・」
 「私が、まだ未練があるんでしょうね、倉橋という名前に」
 「名前、か」
 「どんなに両親の愛情が無く育ってきたとしても、一生背負うだろうと思った名前を捨てるのには覚悟が要ります。それに・・・・・
私が籍に入ってしまえば、今後あの人がもし普通の結婚をしたいと思った時、戸籍を汚してしまう存在になってしまいますし」
 倉橋らしい理由だが、多分綾辻はこの話を聞いたら悲しむだろう。
名前が大切なことは分かるが、綾辻の心変わりまで心配するのは少し考え過ぎだ。あれほどの男がここまで惚れこんでいるのだ、
倉橋の方こそ今後離してもらえないということを覚悟していた方が良い。
 「倉橋、俺の所も籍を入っていないだろう?」
 「え、あ、はい」
 「真琴が俺の籍になかなか入ってくれないのは、自信が無いからだそうだ。良い意味でも悪い意味でも、子供という繋がりが出
来て特に、離れても子供がいるからという逃げ場が出来てしまったしな」
 「・・・・・」
 黙っているのは、倉橋も真琴のその思いが分かるのか。
 「だから、今度は俺はその逃げ場を奪うことにしたんだ。このままじゃ、貴央はどっちつかずの存在になってしまう、あいつにきちん
とした両親を作ってやりたいとな」
もう、待ちたくなかった海藤は、貴央が幼稚園に通う段階になって改めて真琴に伝えたのだ。
今のまま籍を入れなくても、3人で暮らすことに変わりはないのではないかと思っていたらしい真琴だが、それからまたよく考えてく
れたらしい。
 「ようやく、覚悟を決めてくれた」
 「え・・・・・じゃあ」
 「今度の俺の誕生日に籍を入れる」
 海藤としては1日も早くと思ったのだが、真琴は海藤の誕生日にさらに記念日を増やしたいと言ってくれた。
真琴と出会うまで、自身の誕生日など全く海藤の意識には無かったが、真琴が祝ってくれるようになってから、それは一年のうち
で特別な日になり、今度は家族が増えた記念日ともなるのだ。
 「倉橋、お前も考えてやれ。ああ、でも、急がなくてもいいんだぞ」



(何を話しているのかしら)
 海藤にビールを注ぎに行ってから、ずっと何か話している2人の様子に、綾辻は気になって仕方が無いものの近付くことが出来
なかった。あの2人にはどうしても独特な空気があって、それは自分や真琴も踏み込めない世界だと思う。
 「綾辻さん、どうしたんですか?」
 「・・・・・自分が妬きもちやきだなって思っていたの」
 「え・・・・・あ」
 そこで、ようやく真琴も2人の様子に気がついたらしく、苦笑しながら行ったらいいのにと言った。
 「多分、綾辻さんのこと話してますよ」
 「どうして分かるの?」
 「だって、俺と話している時の綾辻さん、何時も倉橋さんのこと話しているでしょ?だから、倉橋さんもきっと、そうなんじゃないか
なって思うんですけど」
 「ふふっ、マコちゃんったら」
(そんな風に素直に言われると、本当にそうじゃないかなって思うじゃない)
 行こうか、それともこうして黙って見つめて、向こうが気づいてくれるのを待とうか。
そうこうしているうちに、不意に倉橋がこちらの方を見た。
 「あ・・・・・」
 まさか、綾辻と視線が合うとは思っていなかったらしく、少し驚いた表情をしているのが可愛い。
倉橋の視線に気付いた海藤もこちらを向いて、なにやら笑っているのは気になるが、この2人の様子を見ていても、先ほどの真琴
の言葉はどうやら正しいような気がしてきた。

 「俺と話している時の綾辻さん、何時も倉橋さんのこと話しているでしょ?だから、倉橋さんもきっと、そうなんじゃないかなって思
うんですけど」

(私のことなら、本人に言ってくれたらいいんだけど)
 不満や不安があったとしたら、絶対にそれを解消してみせるのに。
そんな風に思いながら、綾辻はポンポンと真琴の肩を叩いて立ち上がった。



 「私を除け者にして内緒話するなんてずるいわよ、克己」
 「別に、そんなつもりでは・・・・・」
 キッチンに立ち、後片付けをしている倉橋は、チラッとリビングへ視線を向けた。
腹が膨れた2人のお子様達は、今は食事よりも遊ぶことに夢中で、海藤と真琴が相手をしてくれている。まだ、ようやく立ち上が
ることが出来るくらいの優希は、駆け回る貴央の後を追いかけて行きたいらしいが、足を踏み出そうとすると大きく身体が揺れて
尻餅をついていた。
(まだ、歩けないのか・・・・・)
 普通の2歳児はもう歩いていてもおかしくないはずなのだが、やはり優希は成長が遅い。誕生日という祝いの日に思うことではな
いが、どこか自分の育て方が間違っていたのではないかと倉橋は思った。
 「ゆうちゃんはあのペースでいいのよ」
 「え・・・・・?」
 「人に合わせることをしなくってもいいんじゃない?」
 「・・・・・それは、分かっているつもりです」
 ただ、一つ一つのことが気になってしまうのは自分の性分だ。
(この不安がある限り、もう一歩踏み出せないのかもしれない・・・・・)
綾辻が望んでくれる籍のことも、自身が頷けば話は簡単に進むのだろうが、子育てへの自信が未だ無いことと、僅かに残る世間
体への恐怖が、どうしても綾辻の腕の中に飛び込むことを阻止してしまう。
 「・・・・・」
 実家には、一度だけ手紙を書いた。
自分の身体のことと、出産のこと、優希の写真を1枚同封したそれに携帯電話の番号を書いて送る時、本当に思い切ったのだ
が・・・・・未だ向こうからの連絡は無い。
 肉親に厭われて、血の繋がりの無い周りに大切にされて。そのどちらが幸せなのかは分からないが・・・・・やはり、どうしてもまだ
時間が欲しい。
 「あの、綾辻さん」
 「あっ」
 倉橋が思い切って自分の中の不安を話そうとした時真琴が声をあげ、自然と倉橋の視線はそちらを向いてしまった。
そこでは、フラフラと揺れながら優希が立っていて・・・・・。
 「ゆうちゃん、たかちゃんにちゅーして」
 「ゆーちゃん、ちゅー」
 少し離れた所に立っていた貴央が手を伸ばしてそう言うと、
 「あ・・・・・っ」
ゆっくりと足を踏み出した優希は、半分倒れこむようにしながらも数歩歩くと貴央に抱きつき、嬉しそうに笑いながらその頬に口を
押し当てていた。



 「凄い!歩けたねっ、ゆうちゃん!」
 真琴の歓声と、拍手が部屋の中に響く。
 「・・・・・克己、見た?」
 「え、え」
 直前まで何を話していたのか一瞬忘れてしまうほどに衝撃的な光景に、綾辻は思わず詰めていた息を吐いた。
何時歩くだろうと日々楽しみにしていたが、誕生日の今日に歩くなど、我が子ながらサプライズを呼び寄せる。
 「・・・・・成長してる・・・・・」
 「ええ。本当に、親の力なんて必要ないくらいね」
 「・・・・・綾辻さん、今夜・・・・・話を聞いてくれますか?」
 「克己?」
 視線は優希に向けたまま、倉橋は少し震える声でそう言った。優希が歩いたことで、倉橋の中の何かが変化したのかもしれな
いと思うと、綾辻は嬉しくなってもちろんと返事を返す。
 「少し、長くなりますが・・・・・」
 「全然構わないわ。一緒に暮らしているんだもの、時間はたっぷりあるでしょう?それに、克己の話ならば何でも聞きたい。私へ
の文句でもね」
そう言うと、倉橋は視線を綾辻に向けて・・・・・しばらくして俯き、
 「・・・・・ありがとう、ございます」
そんな小さな声と共に、泡だらけの手がそっと自分の手に触れてきた。





 大切な我が子の、大切な記念日。
どうやら、自分達2人にとっても大切な日になりそうだなと思い、綾辻は深い笑みを頬に浮かべた。




                                                           第四章 子育て編 完




                                   





四章完結です。
子育てはまだまだ続きますがここで一区切り。
ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。