LOVE TRAP











                                                                                    
『』の中はイタリア語です。





 アレッシオはドアを叩く音に、パソコンからは顔を上げずに言った。
 『入れ』
入室を許可すると、一礼して入ってきたのはこの屋敷の中でアレッシオの世話係をしている香田夏也(こうだ なつや)、名前から
も分かるように日本人だ。
 『日本へ行かれるのですか?』
 『用件は』
 この屋敷の中では、民族意識の強い屋敷の総責任者である執事ジュリオよりもアレッシオが信頼している男だが、だからといっ
て砕けた友人付き合いをするというわけではない。あくまでもアレッシオは香田の主人であり、彼からの不要な質問に答える義務
など全く無かった。
 『明日、クラウディア様がお越しになるそうです』
 その名前に、アレッシオはようやく香田に視線を向ける。
 『聞いていないが』
 『私も、先程ジュリオ様にお聞きしました。どうやら、ルイージ様からのお申し入れのようですが』
厄介な名前に、アレッシオの秀麗な眉はきつく寄せられた。





 イタリアでも有数の資産家であり、裏の顔はイタリアマフィアの首領でもある、アレッシオ・ケイ・カッサーノ。
家柄だけでなく、財力も権力も併せ持つ若い支配者は、その上、類まれな端正な容貌の持ち主だった。日本人の母親の血も
引いているせいか、純粋なイタリア人とは少し違うが、それでも貴公子風なその容貌には少しも遜色が無い。

 生まれながらに支配者の地位を約束されていたアレッシオだったが、異国の血が流れているせいでかなりの侮蔑的な経験もし
ていた。
だからこそ、ではないだろうが、彼が相手をするセックスの相手は自国の人間は少なく、どちらかといえば東洋的な雰囲気を持つ
美女達ばかりで、人を信じることも出来ないせいか、結婚もせずに独身を貫いていた。

 そんなアレッシオが見初めたのは、日本人の大学生、それも男である高塚友春(たかつか ともはる)だ。
苦労してきた母の為に手に入れようとした日本の華道という家柄。そこの門下生の写真で見知った友春を気に入り、強引に犯
してイタリアまで連れ去った。
 誤算だったのは、アレッシオが友春を心から愛してしまったことだ。
アレッシオの金にも、地位にも、容姿にも目もくれない、全く慣れようとしない彼を自分の方へと振り向かせようとすればするほど、
自分の方がのめりこみ、とうとう自分の腕の中から解放してしまうほどに溺れてしまった。

 今、アレッシオは、今度こそ友春の心も手に入れる為に、頻繁に日本を訪れていた。初めは恐れだけを抱いていた友春も、今
では多少心を開いてくれている気がする。
自分としては驚くほど時間を掛け、ようやくここまで来たというのに・・・・・やっかいな問題が再び起こったようだった。





 ルイージとは、ベッリーニ家の未亡人だ。
もう60を過ぎた女であるが、夫を亡くしてから20年間、イタリアマフィアの一角であるベッリーニ家を支え続けた猛女として有名な
女だった。
 クラウディアはその孫娘で、以前からルイージはアレッシオにその孫娘との縁談を申し入れてきていたが、アレッシオはにべも無く
断り続けていた。美しい女だが、傲慢な性格がどうにも気に入らなかったからだ。
 アレッシオの気持ちが無いことを知っている上で、クラウディアは事あるごとにこの屋敷にも訪れていたが、どうやらジュリオは懐柔
されてしまったのだろう。
(シチリア人至上主義のジュリオが気に入りそうな女だが・・・・・)
 以前友春がこの屋敷で暮らしていた時は、ジュリオは日本人を忌み嫌うように慇懃無礼に接していた。
父の代からこの屋敷に勤め、他のマフィアのファミリーにも詳しいからと不快な行動にもある程度目を瞑ってきたが、そろそろあの男
は切って捨てた方がいいだろう。
もちろん、見捨てられたことを恨んで復讐しようと思うことも出来ないほど徹底的に。
 『予定に変更は無い』
 『はい』
 『今回はついでに所用も済ませてくる。予定は一週間。その間に、ナツ、お前はこの屋敷の全てを頭に叩き込んでおけ』
 『・・・・・』
 香田は顔を上げたが、どうしてと問い返すことはしない。
頭のいいこの男のこんなところをアレッシオは気に入っていた。
 『クラウディアは何時に来る予定だ』
 『明日の午後6時だそうです。夕食をご一緒にと』
 『では、私は午後5時にこの屋敷を出よう。空港まで頼む』
 ギリギリまで屋敷にいたのに間に合わなかったと悔しがらせるのも面白い。
向こうが文句を言ってくれば、何も聞いていなかったと本当のことを言えば済む。責任は全てジュリオ・・・・・そういうことだ。
 『分かりました』
 深く頭を下げた香田はそのまま部屋を出て行く。
それっきり、アレッシオの頭の中からはクラウディアのことは消えてしまった。








 『朝早くにすまないな』
 全く、感情をこめていない言葉に、目の前の男は軽く頭を下げて言った。
 『いいえ、既に起きている時間ですのでお気になさらず』

 自家用ジェットを飛ばしたとはいえ、中途半端な時間の出立は、午前9時に成田着という結果になってしまった。
直ぐに友春の顔を見たかったが今回の来日は他の目的もあり、どうせならばそちらから先に片付けてしまおうと、アレッシオが連絡
を取ったのは日本での協力者、大東組の幹部だった。
 日本のマフィアの中ではかなり規模が大きいらしいが、イタリアマフィア、カッサーノ家との釣り合いを考えてここと手を結んだことは
アレッシオにとっても思い掛けなく拾い物だった。
それは、大東組には使える人間が多いからだ。
 『ホテルを取ってあります。食事もどうですか』
 『頼む』
 今自分を世話する為にいる男、江坂凌二(えさか りょうじ)はその筆頭だろう。日本では、この男の歳にしてはかなり早い出世
をしているようだが、その能力を見れば昇進も当然だ。
出来れば引き抜きたいほどで、以前も冗談交じりにイタリアに来ないかと告げたが、

 『大切なものが日本にありますので』

と、きっぱりと断られた。
曖昧に言葉を濁さず、きっぱりと言い切ったことが気に入って、アレッシオはますます江坂が欲しいと思っているが、今はとても無理
だろう。
江坂が大切だというものが何か、アレッシオも知ったからだ。
 『ご予定は前もってお聞きしていた通りで変更はありませんね?』
 『ああ』
 『では、こちらに』
 全てを説明していなくても話が済むのは香田に通じるものがあり、煩わしくないのも心地良い。
この国には友春もおり、アレッシオにとってはイタリア以上に寛げる場所になりつつあった。





 【門の前で待っている】

 友春は急いで門に向かっていた。
午後2時。そろそろ次の講義に向かおうとしていた時に、突然鳴った携帯電話。友人が少ないというわけではないが、誰かと遊
びに行くことは余り無い友春の携帯が鳴ることは頻繁ではない。
友春は家で何かあったのかと思い、慌てて鞄から携帯を取り出した。
 「・・・・あ」
(ケイ・・・・・?)
 液晶に出ている番号は、アレッシオのものだった。

 友春にすれば、怖くて怖くて・・・・・本当なら、もう二度と会いたくは無いはずの相手。
望まないままに身体を奪われ、イタリアにまで連れ去られて。何度も何度もアレッシオに日本に帰ることを訴え、それでも認めても
らえなかった時は、友春は自分自身の心が壊れてしまいそうだと思ってしまったくらいだ。
 ようやく、日本に帰国して、解放されたと思っていたが、なぜか彼は友春をそのまま解放してくれなかった。
そして、以前の傲慢さが嘘のように、彼はこちらが戸惑ってくるほど真摯に、情熱的に、一直線に友春に愛情をぶつけてくる。
 絡めとられて、溺れて。
今、友春は自分の心が分からない。
自分がアレッシオのことをどう思っているのか・・・・・嫌いなのか、好きなのか、直ぐには結論が出ないのに、アレッシオはゆっくりと追
い詰めてくるのだ。
 もう、時間が無いのかもしれない。
友春はアレッシオが日本に来て会うたび、考える時間が少なくなってきていることを感じていた。

 昼間の大学は人が多い。
特に4月は真面目に講義に出る1年生が多く、キャンパスの中も見知らぬ顔がたくさんで、人見知りをする性質の友春は俯き加
減に早足に歩いていた。
 隣に友人の小早川静(こばやかわ しずか)がいれば、彼の目立つ容姿のせいで注目を浴びることが多いが、友春1人きりだと
ほとんど視線を向けられることもない。
 「あ」
 そんな友春が出来るだけ急いで門まで行くと、そこに人だかりが見えた。
視線の先に何があるのかと思ってしまったが、どちらにせよその側を通り抜けなければ外に出られないので、友春は騒ぎに巻き込
まれないように大回りに外に出ようとした。

 「トモ」

 その背に、不意に声が掛けられた。
聞き慣れた、それでも聞くたびに心臓が震えてしまう誘惑の声。
友春は反射的に足を止めたが、直ぐに振り向くことが出来なかった。
 「トモ」
 再び、名前が呼ばれる。
周りのざわめきが大きくなって、友春は振り向かなければならない状況を感じてしまった。
 「・・・・・」
 ゆっくり振り向くと、左右に分かれた人だかりの向こうに、背の高い男が立っている。
まるでモデルのように高い身長に長い足、日本人よりは彫りが深いが、それでも濃過ぎない美丈夫。オーダーメイドのイタリアスー
ツを見事に着こなしたその男は、友春の視線が自分に向けられたことに目を細めて笑った。
 「トモ」
 「・・・・・ケイ」
 『ここにお前がいて良かった』
 「・・・・・」
 『このまま、私に付き合ってくれるな?』
 周りにいるギャラリーに会話を聞かせない為か、アレッシオはイタリア語で話しかけてきた。
数ヶ月、イタリアに住んでいた友春は、読み書きはほとんど出来ないものの、簡単な会話くらいならば出来る。
(こんな所で待っていなくても・・・・・)
多くの視線を向けられて居たたまれない思いがするが、もうこれだけ注目されてしまったのだ、今更他人のふりは出来なかった。
 『一緒、行く。早く、行く』
 『・・・・・』
 心許ない友春のイタリア語はどうにか通じたようで、アレッシオの頬にさらに深い笑みが浮かぶ。
そして、次に彼は思い掛けない行動に出た。
 「あっ」

 ザワ

いきなり友春に歩み寄ったアレッシオは友春の腰を抱き寄せると、呆然と見上げてくる細い顎を掴んでそのまま唇を重ねてきた。
 「んーっ」
 ただの挨拶にしては情熱的過ぎる口づけ。
息を飲む周りを一切無視したアレッシオは、友春の舌が痺れてしまうほどに長く濃厚な口づけを続け、やがてくたっと力が抜けて
しまった友春の身体をしっかりと抱きしめた。
 『会いたかった、トモ』
 「ケ、ケイ」
 顔が、上げられない。
周りがどんな目で自分を見ているのか怖くなってしまった友春の耳に、今度は違う、それでも響きのよい日本語が聞こえてきた。
 「場所を移した方がよろしいのでは」
 「!・・・・・あ、え、江坂さん?」
 「こんにちは、高塚君」
眼鏡の奥の涼やかな眼差しを、友春はアレッシオの腕の中から見つめ返した。






                                            







アレッシオ&友春、日本編第2弾です。
アレッシオの情熱的な求愛に戸惑い続け、迷い続けている友春。
表題の「愛の罠」。罠に掛けるのは、そして罠に落ちるのは誰でしょうか。