LOVE TRAP











                                                                                    
『』の中はイタリア語です。





 腕の中に馴染む柔らかく華奢な身体。
前回から約1カ月ぶりの再会に、アレッシオはもっと友春の身体を堪能したかった。
 「ミスター」
 しかし、さすがにここで押し倒すわけにもいかないことは分かっているので抱擁を解くが、腰には腕を回したまま、アレッシオは佇む
江坂に言った。
 『お前は無粋だな』
 『彼の艶っぽい姿を見せたくないのなら、早々にここを辞した方が得策だと思いますが』
さすがにその言葉はもっともなので、アレッシオはそのまま身を屈め、友春の頬に唇を寄せるようにして囁く。
 「久し振りの再会だ。お前を堪能させてくれ」
 「・・・・・っ」
息をのんで目を見開く友春に、アレッシオは友春以外の者には見せないような笑みを浮かべた。



 ここにアレッシオがいることも、そして、江坂がいることも。
友春にとっては全てが理由がつけられることではなく、どうしたらいいのかとただアレッシオに引きづられるまま歩くだけだ。
 多分、今頃キャンパスの中では友春と派手な外国の男とのラブシーンが噂になっているだろうが、今引き返してそれを否定する
ことも出来なかった。
 「どうぞ」
 少し離れていた所に停まっていた車は高級外車だ。
外で立って待っていた男が後部座席のドアを開け、アレッシオは当然のように先に友春を促して次に自分が乗り込む。
ドアはそこで閉められてしまい、江坂はどうするのかと思ったが、そのまま助手席に乗り込んでくると、車は静かに走り出した。
 「あ、あの、ケイ、どうして・・・・・」
 「知らせない方が驚くだろう?」
 「それは・・・・・そうです、けど」
(心臓に悪いし・・・・・)
 これまでにも、何度も日本にやってきたアレッシオ。
身軽ではない地位にいる彼は何時もかなりの付き添いの人間がいて、予めの日程や飛行機(自家用ジェットだが)の時間を知
らせてきていた。
 そのたびに、友春は迫る時間にドキドキと・・・・・不安と、恐れと・・・・・飢えが、ないまぜになったような思いでアレッシオとの再会
を待つことになっていたのだが、今回はそれが全く無かったので構える覚悟も出来なかった。
 「あの・・・・・お仕事、ですか?」
 「トモに会いに来た」
 「え?」
 「仕事はついでだ」
 「・・・・・」
 「本当ならもっと早く日本に来たかったが、煩いハエを追い払うのに忙しかった」
 そう言いながらもアレッシオの口調は楽しそうで、反対に友春はどうしようかという焦りばかりが大きくなってしまう。
(このまま、外泊って・・・・・こと、か・・・・・)
授業に出れないのは仕方が無いが、このまま家に帰れないのは困る。
何時もなら、友人の家に泊まりに行くといって誤魔化すのだが、急な外泊はとても無理だった。
 「あ、あの、ケイ、僕・・・・・」
 「一週間滞在の予定だ。その間、思う存分お前と愛し合うことが出来そうだ」
 「・・・・・」
(ど、どうしよう・・・・・)
友春はアレッシオに片手を握り締められたままで、連絡を取る為に鞄の中に押し込んだ携帯さえ取り出せなかった。



(・・・・・相変わらずだな)
 アレッシオの友春への執心ぶりは以前から見知っていたので今更驚くことも無いが、江坂はこの先車をどこへ向けて走らせるか
と考えた。
 午前中、簡単な仕事は済ませてきた。
カッサーノ家が日本に所有しようとしている土地と建物の売買の件で、おおまかなやり取りはメールで済ませていたせいか、話し
合いは案外スムーズに進んだ。
(いや、相手が良かったんだな)
 相手側の弁護士はかなりやり手のようで、相手がイタリアマフィアとはいえ全てを譲歩することは無く、自分の依頼人の利益も
きちんと主張していた。アレッシオもそんな男の口振りを気に入ったらしく法外な要求もせず、結果、意外にも意見がまとまるの
が早まったのだ。
 正式な契約は後日であるし、この機会に大東組の組長とも顔合わせをする予定だが、それは今日しなければならないという
ものではない。
 「ミスター」
 2人の会話に入り込むという無粋なことはしたくなかったが、確認は早く取っていた方がいいと思った。
 「ホテルに向かってよろしいのですか?」
 「ああ」
 「ま、待ってくださいっ」
 「トモ?」
 「待ってください、あの、僕、家に何も言っていないし・・・・・」
 「ああ、急だったからな。・・・・・エサカ、トモの家に向かってくれ。いい機会だ、挨拶をして、次からはトモを自由に連れ出せるよ
うにしておこう」
 「えっ?」
 「・・・・・」
(まあ、驚くだろうな)
 他人の江坂が聞いても急な話の展開だ。まだ大学生の、それも普通の家に育っている友春の家族に、いきなり外国人の男が
挨拶に行けばかなり驚かれるだろう。
 その点、江坂と静の関係は、静の家族も知っている。半ば、人身御供として江坂のもとに寄越された静だが、もちろん江坂は
人質としてではなく大切な、生涯の伴侶として大切に扱っているが。
(避けては通れないことだろう)



 これはいい機会かもしれない。
名前を隠し、身分を隠して、日本人を間に入れて、古くなっていた友春の実家の呉服店の改装をしてやった。
もちろん、友春が卑しくねだったわけではない。身辺調査の時に資料として目を通した店の写真を見て、アレッシオが勝手に言い
出したのだ。
 控えめな友春の両親らしく、直ぐにその援助に飛びついては来なかったが、断ることが出来ない関係の者も引き合いにして承諾
させた。
 「トモ、両親は今いるな?」
 ビクッと、友春の肩が震えるのが分かったが、アレッシオは言葉を翻さなかった。
 「会いに行くぞ」
 「あの・・・・・」
 「どうした」
 「・・・・・会うんですか?」
 「会いたい、お前の両親だ」
 「・・・・・」
 友春の顔が微妙に歪んだ。
嫌がっているのは十分分かったが、アレッシオもここで簡単に引くつもりはなかった。本人の戸惑いが消えることが無いのならば、そ
の分周りを固めていけばいい。両親を懐柔すれば、友春も少しは早く諦めるかもしれない。
(私から逃げられないこと・・・・・私を愛するしかないということが・・・・・)
 「安心しなさい。幾ら私でも、直ぐに2人の関係を言ったりはしない」
 「ケイ・・・・・」
 「私にも嗜みというものがある」
 そう、自分達の関係は最後の切り札だ。自分の息子が男に、それもイタリアのマフィアに抱かれているなど、世間に知られるの
は恐怖だろう。大切な友春の両親を脅すつもりは無いが、もしも自分達の関係に反意を示せば、アレッシオは容赦なく追い詰
めるつもりでいた。
 「せっかくお前に会いに来たんだ、トモ、一分でも一秒でも長くお前と共にいたい」
 アレッシオは友春の肩を抱き寄せて、そのまま頬に唇を寄せる。
可愛い友春がぎこちなく自分の服を掴んでくるのが分かって、アレッシオは笑みを深めた。



 アレッシオは2人の関係を話さないとは言ったが、何時、どんな切っ掛けでそんな話が出てくるかも分からない。
友春はどうしたらそれを避けられるのかと考え続けたが、無情にも車は自分の家の直ぐ近くまでやってきた。
 「改装した様子は写真で見たが、トモの家を実際に見るのは初めてだ」
 「あ、あの、改装の・・・・・」
 「礼は無用だ。パートナーの実家の援助をするのは当然だろう」
 「・・・・・」
 当然というにしては、この改装にいったいどれ程の金額が掛かったのかは分からない。職人は何も聞いていないからと言っていた
し、請求書のせのじも耳に入ってこなかった(それは両親も同じらしい)。
なんだか、自分がお金で買われたような気がして、友春は綺麗な店を見るたびに複雑な思いがしている。もちろん、これ程のお金
が自分の価値だとは思わないが、それでもアレッシオに対して引け目を感じてしまうのだ。
 「ケイ」
 「行こうか」
 「ミスター、同行を」
 「いい。ここで待っていてくれ」
 アレッシオは自分以外の人間は連れてこないらしい。それには少しだけ安心して(ぞろぞろと部下を引き連れていたらそれこそ両
親が驚いてしまう)友春はゆっくりと車から降りた。
 すぐさま、アレッシオがその腰を抱き寄せる。この姿を見た両親はなんと言うだろうか・・・・・友春が何とかその手を引き離そうとし
た時だった。
 『ミスター!!』
 江坂の叫び声がした。
(え?な・・・・・)
 「トモッ」
その声に振り向こうとした友春の身体は強引に引き寄せられ、その瞬間に大きな急ブレーキの音がした。
友春はそうなって初めて、自分達の直ぐ傍に車が突っ込んできたことに気付いた。



 「そのまま」
 アレッシオは友春の顔を自分の胸に押し当てたまま、胸元から素早く銃を取り出した。
いや、アレッシオだけではなく、江坂も、そして運転手も、他にも数台、護衛で付いてきたアレッシオと江坂の部下全てが、銃を手
にして不審な車を狙っていた。
 『随分な歓迎だこと。何時から日本人も銃を持てるようになったのかしら』
 傲慢で、軽やかな声がした。
その瞬間、アレッシオは眉を顰める。この声の主に十分心当たりがあるからだ。
 『銃をしまえ』
 『ミスター』
 『カッサーノ様っ』
 『抗争になりたくなかったら早くしまえ』
 アレッシオの命令にそれぞれが銃を下ろす。
すると、それを見計らったように男が助手席から姿を現した。大柄な、明らかに日本人ではない男・・・・・この男の顔をアレッシオ
は知っている。そして、その瞬間自分の想像に間違えがないと分かった。
 男はそのまま後部座席へと回り、ドアを開ける。
中から現れたのは豊かな黒髪を肩で緩く巻いた、ネービーブルーの瞳を輝かせた若い女。
イタリア製のブランドスーツと宝石、時計を煌びやかに身につけ、それでも嫌味がなくまとまっているのはそれなりの家柄のせいだろ
うか。
どちらにせよ、その外側も中身も、アレッシオにとっては全く興味のないものだ。
 『アレッシオ』
 『何時、日本に?』
 『あなたが出発したと聞いて直ぐよ。ディナーに誘おうと思ったんだけれど、こんな遠くまで来ることになったなんて』
 『クラウディア、私はあなたと約束をした覚えは無いが』
 『サプライズよ。驚いたでしょう?』
 女・・・・・クラウディアは、赤い唇をゆっくりと笑みの形に動かした。
その眼差しの先には自分と共に、腕の中にいる友春の姿も当然映っているだろうが、クラウディアの口からそれは誰かという言葉
も出てこない。
(ベッリーニ家が調べていないはずは無いか)

 カッサーノ家の首領は、日本人の男に骨抜きになっている。

その噂は、もちろん表立ってはいないだろうが、ベッリーニ家の未亡人ルイージならば、しっかりと調べをつけていたはずだ。
 『日本まで来ることは無いだろうに』
 『あなたが頻繁に日本を訪れる訳を、この目で確かめたかったから』
 『・・・・・』
 『いずれ、私はカッサーノ家の女主人になるんですもの、当然でしょう』
 馬鹿な女だとしか思えなかった。
わざわざ日本にまで来て、自分が愛されない存在だと思い知ることも無いだろう。
 「ケ、ケイ」
 「・・・・・」
 いや・・・・・。
 「こ、この人・・・・・」
 「・・・・・彼女は、私の婚約者」
 「こ、婚約者?」
 「の、候補の1人だ」
もしかしたら、この馬鹿な女も利用出来るかもしれない・・・・・アレッシオは不安に揺れる友春の声を聞きながら、素早く思考を
巡らしていた。