Lovely Voice



                                                                   
前編





 「ヒカルッ、僕のこと好きだって言ってくれたの、嘘だって言うのっ?」
 「嘘じゃない。ただ・・・・・ツバサのことも好きになったんだよっ」
 「嘘つき!僕だけだって言ったのに!ツバサは弟だからそんな気は起きないって言ったのに!」
 「落ち着けって、ユウ!」
 「いいよ、もう!ツバサに本当のこと全部言ってやる!」
 「ユウ!」


 「−−−は〜い、カット!お疲れ〜」


 監督の声が響き、ユウ・・・・・こと、坂井郁(さかい かおる)はふう〜と溜め息をついた。
 「お疲れさん」
ついさっきまで喧嘩をしていたヒカルこと、日高征司(ひだか せいじ)がポンと肩を叩いて労ってくれる。
郁は慌ててマイクから離れるとペコッと頭を下げた。
 「お疲れ様でしたっ」
 「初めてにしては良かったんじゃないか?喘ぎ声もバッチリ色っぽかったし」
 「そ、そうですか?」
 「またお相手頼むな」
 「こ、こちらこそ、お願いします」



 坂井郁・・・・・名前を言っても知らない者の方が多いだろうが、2年前、爆発的ヒットを飛ばしたあのアニメの悲劇の主人公
の声優・・・・・そんな説明の仕方をすればかなりの確率で、「ああ、あの声の」と分かってもらえるほどには認知度がある若手声
優だ。
代表といえるような作品を持てるのは運がいいのだが、郁の場合声だけでなく、その主人公を連想させるような線の細い可憐
な容貌も相まってあまりにもそのイメージが鮮烈過ぎたので、次に繋がる仕事がなかなか決まらず、最近まで単発の仕事しかし
てこなかった。
 そんな時、声優の中でもトップクラスの人気と実力を持つ日高が、郁を名指しで指名して相手役として選ばれたこの作品。
(まさか・・・・・ボーイズラブとななあ・・・・・)
そういうジャンルがあることは知っていたし、かなりのセールスがあるというのも知っていたが、まさか自分がそれに出演することになる
とは思わなかった。
(しかも、俺の方が女役・・・・・あ、受けって言うんだったっけ)
 原作付きなので、事務所の女性スタッフに頼んでその本と、同じ作者の本を数冊買って来て貰ったが、挿絵を見た段階でま
ず固まってしまった。
(あんなの、女の子は平気で読むんだよなあ〜)
同性だからか、中の描写は到底信じられない出来事の羅列だったが、女性スタッフは、
 「これはファンタジーなんですよ!郁さんはお姫様です!素敵!」
と、わけが分からないまま勢いに押され、今日の収録となった。
感想は・・・・・。

 ・・・・・・・・・・

 疲れたの一言だ。
喘ぎとか、吐息とか、卑猥な言葉の羅列とか・・・・・。
日高の演じるヒカルに向かって「俺のお尻にぶち込んで!掻き回して!」・・・・・そう叫んだ時、郁はもう怖いものはないと思った
ほどだった。



 「今日はこれからヒマ?」
 「あ、はい」
 「じゃあ、飯でもどう?郁君とはあまり仕事が一緒じゃないし、この機会に色々話してみたいんだけど」
 「はい、ありがとうございます、喜んでっ」
 郁の快諾に、日高は目を細めて笑う。そんな表情は同性でもドキッとするほど色っぽい。
(気さくないい人なんだけど・・・・・)
 「よし、行くか」
その言葉に、郁は強張った笑みを向ける。
日高征司は郁より7歳年上の29歳だ。声優のキャリアとしては大学在学中を合わせても十年ほどだが、演技力の評価は高く、
またその声が素晴らしくいいので、この年齢としては異例なほど早くトップの座についていた。
日高の声は低く甘く、キャラクターに応じてナイーブな青年だったり、高潔な王子だったり、冷酷な殺し屋だったりと様々に変化
し、そのどれもが魅力的なキャラクターに生まれ変わった。
また、そのルックスも俳優ばりに整っていて、イベントなどでは日高目当ての女性客が殺到するほどなのだ。
 「酒行く?」
 「え・・・・・と、お酒はあんまり」
 「じゃあ、肉?魚?」
 「に、肉がいいです」
 「肉ね。いい肉出す店に連れて行ってやるよ、ヒカル」
 「あ、ありがとうございます」
(み、耳元でしゃべらないで欲しいんだけど・・・・・)
 今日、こんな撮りをしたせいかもしれないが、日高の声は無駄にエロティックに感じる。
普段の声もいい声だと思っていたが、意識的にこういう色っぽい声を出されると腰くだけになりそうだ。
(大体、何で日高さんがこーいうのに出てんだよ〜)
 ボーイズラブという、言わば特殊なジャンルに、日高ほど人気も実力もある声優が出る訳が分からない郁だが、意外とこういう
ベテラン達が面白がって出ているらしい。
特に日高は攻めの(言葉の通り攻める役を言うらしいが)代表格として、もうかなりの作品に出ているらしいのだ。
(俺はもう、カンベンだよ・・・・・)
ぐったりとした郁は、ノロノロと鞄を手に取り、入口でわざわざ待ってくれている日高に愛想笑いを向けた。



 日高が連れて行ってくれたのは、個室のある焼肉店だった。
久しぶりの高級な外食に舞い上がりかけた郁の気持ちは、個室の中に日高と2人きりだという予想外の展開にたちまち警戒の
サイレンが頭の中で回り始めた。
 「あ、あの、後から誰が来るんですか?」
 「ん?誰も来ないよ」
 「え?・・・・・じゃ、じゃあ、俺と日高さんと・・・・・」
 「俺がメシに誘ったのは、郁だけ」
 「・・・・・」
(何時の間にか名前呼び捨て・・・・・)
 今日、あんなに濃厚な絡みのある収録をしたからか、郁はどうしても日高に対して構えてしまう。
(あ、あんなの、現実にはないって分かってるけど・・・・・)
 「郁?」
 「あ、はい、あの・・・・・名前・・・・・」
 「ああ、郁って可愛い名前だと思って。ん?呼んじゃいけなかった?」
 「そ、そんなことないですよ!どんどん呼んで下さい!」
自分よりも実力も人気も数段上の日高に嫌だと言えるはずもなく、郁が強張った笑みで言った言葉に、日高は唇の端に笑み
を浮かべて笑った。
整った顔に浮かぶその笑みは妙に艶っぽい。
サングラスを外す姿も、煙草に火をつける姿も、気障なのだが嫌味がない。
自分とは違う大人の男だなと思った。
 「ほら、座れ」
 「は、はい」
(と、とにかく食べて、早く帰ろう)
 日高と違った意味で目を惹く容姿をしている郁だったが、自分自身はあまり派手で目立つのは好きではなく(だから声優を選
んだということもある)、公私とも派手な噂のある日高とはあまり接点を持ちたくは無かった。
(・・・・・あれ?そういえばどうして日高さん・・・・・俺を指名したんだろ?)
 仕事ではほとんど一緒になったことのない日高がどうしてわざわざ自分を指名したのか、郁は急に気になってしまって思わず聞
いてみた。
 「あの、日高さん」
 「ん?」
水割りのグラスを片手に聞き返す日高は、まるでドラマに出ている俳優のようだ。
郁は微妙に視線を逸らして言った。
 「あの、今回俺を指名してくれたのはどうしてですか?」
 「・・・・・知りたい?」
 「え、あ、やっぱりいいです!」
 「そんなこと言うなよ」
 立ち上がった日高がゆっくりと近付いてくる。
郁は無意識のうちに後ろにずり下がるが、何時の間にか壁際に追い込まれてしまって、郁は上から見下ろしてくる日高の目を呆
然と見返してしまった。
 「お前がさっき、誘ったろ?」
 「さ、さそ・・・・・った?」
繰り返す郁の耳元に、日高は唇を寄せる。
 「俺のでお尻を掻き回して・・・・・って」
 「!」
(うそ〜!!)
思わず力が抜けてしまうエロティックな声。
その上ペロッと耳たぶを舐められ、郁は声にならない悲鳴を上げた。