前編





 『ねえ、日和(ひより)、あんた大丈夫なんでしょうね?』
 「え?何のことだよ?」
 『私の代わりに座敷に上がってもらったヤクザよ!あんた、まさか付きまとわれたりしていないでしょうね?』
 「そ、そんなの、あるわけないじゃん!」
 思わず声が裏返ってしまった日和は、何とか電話だったらばれないかとも思ったようだが、双子の姉である舞(まい)はその声に
疑問を抱いたらしい。
 『ちょっと〜、変なことになってるんじゃないの?』
 「な、なってない!」
とにかく、舞が何を言ってもそう繰り返した日和は、まだ何か喚いている舞におなざりに相槌だけ打つと、
 「あ、風呂に入らないといけないから!」
そう言って携帯の電源を一方的に切ってしまった。



 舞が言っていたヤクザ・・・・・それは、東京紅陣会若頭、秋月甲斐(あきづき かい)のことだ。
去年の夏、京都に舞妓修行をしに行っている舞に会いに行った日和を見初めたらしい。
なぜかそれを舞妓をしている双子の舞だと思ったらしい秋月は自分の座敷に舞を呼んだが、ヤクザが相手だということで怖がった
(単に面倒だったと思うが)舞が、丁度京都に遊びに来ていた日和に(強引に)身代わりを頼んだのだ。

 ・・・・・まあ、結局秋月が一目惚れしたのは日和の方だったらしく(それはそれで問題だが)、強引に日和に言い寄ってこられて
しまい・・・・・それは東京に戻っても続けられてしまった。
 自分よりはるかに大人で、しかもヤクザとはいえ誰もが惚れ惚れと見惚れるようないい男の秋月が、子供の自分に本気だとは
日和はとても思えなかった。
それでも、徐々に、ゆっくりと・・・・・自分のテリトリーの中に入ってくる秋月を最後のところまで拒みきれず、結局日和は週末毎
に、まるで攫われるように秋月と時間を共にしていた。



 今日は金曜日。
明日は学校が休みで、友人達は遊ぶ予定やクラブ活動の事を楽しそうに話しているのに、日和だけは溜め息が漏れてしまう。

 「来週は美味い店に連れて行ってやろう」

先週の別れ際、強引なドライブの帰りにそう言われたことが耳から離れなかった。
(絶対・・・・・来るよね・・・・・)
きっぱりと断われば話が早いのだろうが、どうしても怖さの方が先にたつ日和はつい頷いてしまう。
多分、日和に対しては優しい言葉遣いをしてくれているのだろうが、一度食事をした帰り(自分には分不相応な鉄板焼き屋の
店だった)、日和はお手洗いに行って少し遅れて店から出たのだが、その時既に店から出ていた秋月が携帯で話している姿を偶
然見てしまった。

 「今更詫び入れて来たって許すわけねえだろ。ん?てめえの指なんか貰ったって食えもしねえ。話をしたけりゃ先ず1本用意し
てきな」

 指とか、1本とか・・・・・それを聞いた日和は泣きそうになってしまった。
京都から帰って来て、次こそはもう絶対に秋月とは会わないと心に決めた決心が、脆くも崩れていくのが分かる。
(俺・・・・・どうなっちゃうのかな)
 「日和、明日時間あるか?」
 突然声を掛けられた日和は、溜め息をつきかけた顔に慌てて笑みを浮かべた。
 「ご、ごめん、家の用事がちょっと」
 「なんだよ、最近ずっとそうだよな」
別の友人が会話に入ってくる。
 「う、うん、ホントにごめん。姉さんのこととか、ちょっと」
日和の姉が単身で京都に舞妓修行に行っていることはもうばれているので、姉のことといえば友人達は大抵素直に引き下がっ
てくれる。
 「そっか。来週こそ遊ぼうぜ」
 「うん、ありがとう」
男子校であるこの学校では、やはり線が細く女顔で、その上大人しい日和はかなり人気がある。あまり考えたくないが、自分が
女の子のように見られていることも・・・・・感じている。
それでも、今まで強引に迫ってくる人間はいなかったのだが、最近頻繁に上級生達に声を掛けられてしまうのは、秋月と付き合
うようになってから(あくまでも、健全な意味でと思いたいが)で、自分でも分からないうちに雰囲気が変わってきているのかもしれ
ない。
(な、なんか、やだな)
平凡で、静かな生活を好む日和にとって、今の状態はかなりストレスを感じるものだった。



 「よお、日和。今日も可愛いな」
 「・・・・・こ、こんにちは」
 翌日の昼過ぎ。
秋月は何時ものように自分で車を運転して、待ち合わせである日和の家から一番近いバス停の前に止まった。
家の前まで迎えに行くと言った秋月を、何とか説得してこの場所を指定した。ごく普通のサラリーマン家庭の息子である日和が
見るからに高級外車と分かる車に、大人の男と乗るところなど近所の人に見られたくは無い。
 その上、両親にだって、秋月の事を話していないのだ。
(ヤクザさんと知り合いになってるなんて言ったら、2人共倒れそうだし・・・・・)
穏やかな父と、優しい母も、日和と同じ様に平凡を好む人間だ。
家族の中で唯一変わっているのは、単身舞妓修行をしている舞くらいだろう。
 「日和」
 「あ、ありがとうございます」
 わざわざ運転席から出てきて(左ハンドルの車には今だ慣れないが)、助手席のドアを開けて日和を促す秋月に反射的に礼
を言うと、日和はオズオズと車に乗り込んだ。
 「夕飯までには時間があるな。どこ行きたい?」
 「ど、どこって・・・・・」
 「・・・・・」
 「あ、あの、俺は・・・・・」
 「ん?」
笑いながら相槌を打つ秋月に、まさかやっぱり帰りたいですとはとても言えない日和は、強張った頬に思わず愛想笑いを浮かべ
てしまった。
 「ど、どこでもいいです」
 「そうか?」
 「・・・・・」
(何時、飽きてくれるんだろ・・・・・)
 夏休みが終わり、もう直ぐ10月になろうとしている今、日和はそろそろ両手では数え切れなくなりそうなほど秋月と会っていた。
初めは男のくせに舞妓姿になった自分を単に面白がっているだけかとも思ったが、秋月の会うペースは少しも変わらない。
それよりも、出掛けるにつれ、行く店のグレードが徐々に上がってきているような気もしていて、日和は自分が完全に逃げ出すタ
イミングを見失ってしまったことに薄々ながら気付き始めていた。



(相変わらず、ビクついてるな)
 秋月は身体を硬くしたまま窓の外を見つめている日和の横顔を苦笑しながら見つめた。
まだ高校生の日和が、ヤクザである自分との付き合いに途惑っているのは良く分かるが、それでも秋月は自分の気持ちを誤魔
化すことは出来なかった。
(仕方ねえだろ、欲しいって思っちまったんだからな)

 出先の京都で、偶然見掛けた光景。
女が泣いている場面など見飽きるほど見てきた秋月だが、あんなにも綺麗な泣き顔というのは初めて見た。
ボロボロと涙を流しているわけではなく、ただ、ポロッと・・・・・零れ落ちるという表現が一番合いそうな光景。
まだ幼いながら綺麗に整った容貌を曇らせるその姿に、年甲斐も無く見惚れてしまったことに気付いた時、秋月はなんとしてもこ
の少女が欲しいと思った。
 とにかく手を尽くして捜して、どうやら舞妓をしているらしいという報告書と写真を見た時は、なぜか違うという違和感を感じてし
まった。
それは舞妓の化粧のせいかとも思い、とにかく実物に会おうと座敷を入れて、訪れた舞妓はやはり秋月が見惚れたあの少女に
間違いは無かった。

 まさかそれが、舞妓である少女の兄弟で、しかも男だと分かった時はさすがに驚いてしまったが、それでも動き出してしまった気
持ちを今更止めることは出来なかったし、する気もサラサラ無かった。
男同士でもセックスは出来るし、何より自分が欲しいと初めて思った相手だ。
高校生だろうとも。
少年であろうとも。
秋月は捕まえた手を離すつもりは無かった。



 「こ、ここですか?」
 「ああ、どこでもいいんだろ?」
 「は、はい」
(そう言ったけど・・・・なんで呉服店?)
 秋月が車を止めたのは呉服店だった。
しかも、値札など一切ついてなさそうな、一目で高級だろうと分かる店。
日和は戸惑いながらも背を押されて中に入った。
 「これは、秋月様」
 直ぐに出迎えてくれたのは、日和の父よりも更に年上の和装の男。上品そうな物腰の男は秋月と日和に一礼し、その後じっ
と不躾にならない程度に日和を見つめた。
 「この方がお話頂いた方ですね?」
 「ああ。この間の着物はこいつに良く似合っていた。また幾つか作ってもらおうと思ってな」
 「それは、ありがとうございます」
 「あ、秋月さん?それって・・・・・」
(この間のって・・・・・)
 先日、突然連れて行かれた茶会に行った時に着た舞妓の着物。もしかしてあのことだろうかと確かめようとすると、秋月は事も
無げに肯定した。
 「お前の写真とイメージを話して選ばせた」
 「え・・・・・?」
 「本当に秋月様のおっしゃっていた通りの方ですね。とても清楚で可愛らしい」
 「そうだろ」
 お世辞だろう店の人間の言葉に秋月は上機嫌に笑っていたが、日和はとても笑えない気分だった。
自分の知らない所で、勝手に自分の顔が知られていく怖さを秋月に訴えたとしても、ヤクザの彼はそんな些細な感情を分かって
はくれないだろう。
どんどん秋月の手の中に堕ちていくような感じがして、日和はくしゃっと泣きそうに顔が歪んでしまった。



 「・・・・・」
 そんな日和をちらっと見下ろした秋月は、黙って控えている店主に聞いた。
 「直ぐ着れる物はあるか?」
 「・・・・・」
日和の変化を見ていた店主はいいのかと問うような視線を秋月に向けてくるが、もちろん秋月は構わなかった。
これでも自分としてはかなりゆっくりとしたペースで日和に対しているのだ、少しくらい相手が困惑するのは想定済みだった。
 「頼む」
 「・・・・・来週の展示会に出す物がありますが、そちらの方に似合いのものは・・・・・どうでしょうか、少しお時間頂けますか?」
 「ああ、構わない」
 「では、どうぞ奥に」
 「日和」
 「あ、秋月さん、俺・・・・・」
 「しばらくお前の着物姿を見てない。お前は嫌かもしれないが、結構似合ってるんだぞ?俺を楽しませてくれ」
 「・・・・・」
 なんと言っていいのか分からない、日和はそんな表情で秋月を見上げていた。
まだ高校2年、成長途中の身体は細く華奢で、身長も秋月には遠く及ばない。
それでも女よりは目線が上で、媚た視線も向けてこないつれない日和が可愛かった。
(結構、男だしな)
 自分では弱々しいと思っているかもしれないが、日和は結構きっぱりと秋月に対して自分の意思を告げている方だ。
イエスマンばかりとは言わないが、秋月ぐらいの地位になると周りもなかなか視線を合わせようとはせずに、言葉もかなり選んだも
のを返してくるが、日和は途惑い、強張りながらも、ストレートな気持ちを吐露してくれる。
(それがたとえ拒絶の言葉でも嬉しいなんて・・・・・俺も変わったよな)