中編





(結局、またこんな格好・・・・・)
 日和は車の窓ガラスに映る自分の姿に溜め息をつきそうになった。
なぜならば、再び自分は女物の着物を着ているからだ。



 大人っぽい黒と赤が際立つ着物は舞妓仕様ではないが、長い袖がヒラヒラと揺れる振袖だった。
心の中では男の自分がこんなものを着ても気持ち悪いだけだとは思うのだが(舞妓の時は化粧も厚いので多少見れたかも知れ
ないが)、秋月も、店の人間も、皆着物を着た日和に満足をしていた。
 「よくお似合いです」
 穏やかに告げる店の主人に、秋月は日和から視線を外さないまま言った。
 「これ、貰えるか」
 「はい」
 「いいのか?」
意外にも即答した主人に、秋月の方が聞き返した。
 「展示会に出すんじゃなかったのか?」」
 「確かにその予定でしたが、こんなにも似合う方に先に着られてしまうと、他の方に着せるのが勿体無く思いまして」
 「・・・・・悪かったな」
 「いいえ。今後もよろしければぜひお連れ様とご一緒に来店して下さいませ」
 その言葉に、秋月は内心苦笑してしまった。
自己満足の為だけに日和に着物を着せていたつもりが、その姿は目の肥えた主人のお眼鏡にも適ってしまったらしい。
男が女装をしているとはとても思えない嵌まりっぷりは、確かに見ていても感心するものだったが。
(商売上手といえばそうだが、その術中にまんまと嵌まりそうだな)



 「どうした。気に入らないか?」
 日和の表情に気付いた秋月が声を掛けてくれるが、そこで頷けるほど日和は気が強くは無い。
いや、そもそも、この着物を着ることも無かっただろう。
 「日和」
 「あ、あの、これ、何時まで・・・・・ちょっと、苦しくて」
着物を着慣れない日和にとっては、胸を締め付けるこの着物は息苦しい。
・・・・・正直に言えば、着物を着せ慣れているプロの人間が着付けてくれたので、言葉で言うほどに苦しいわけではなかったが、
何時までも人前で女装しているのが恥ずかしくて仕方が無かったのだ。
 「飯も食えないか?」
 「い、いいえ、そんな事はないですけど」
 それでも、恐い相手にも気遣わしそうに下手に出られてしまったら、最後の詰めが甘くなってしまうのは・・・・・もう性格だから仕
方が無いだろう。
 「じゃあ、もう少しいいな?」
 「・・・・・」
 「日和」
 「は、はい」
 「一時間くらいで着くからな、寝ててもいいぞ」
 「・・・・・」
(なんか、優しいのが・・・・・困るんだけど・・・・・)
もちろん、脅されたいわけではないが、こんな風に優しくされてしまうと、どう抵抗していいのかさえも分からなくなってしまう。
見掛けも厳ついというより、日和がカッコいいと思えるような大人の男なので尚更だ。
(もう・・・・・どうしよ)
日和は溜め息をついた。



 黙ってしまった日和の横顔を見詰めながら、秋月は口元を僅かに緩めた。
もう何度か会っているので、秋月なりに日和の性格は把握しているつもりだ。
気が弱く、臆病で、それでいて・・・・・優しい。
本当に秋月の事を疎ましく、恐怖に思っているとしたら、日和は周りの大人に相談してもおかしくは無い。いや、大人に言えない
のならば、双子の姉くらいには相談をしているはずだ。
調べさせた姉の性格は、日和とは正反対に気が強くて社交的だ。日和が言わないでと言っても、しかるべきところに秋月の事を
相談するだろう。
 しかし、今もって自分の周りにはそんな気配は無く、多分日和は秋月の事を誰にも言ってはいない。それがどういう意味か、秋
月は勝手に自分の良いように解釈をした。

 日和は、自分を恐れていない。

基本的に、ヤクザである秋月を恐れるのも当たり前だが、最終的な手段を取るほどには秋月の事を悪いようには思っていないは
ずだ。
それが秋月のかなり偏った思い込みでも、今の自分にはそれぐらいの気持ちが必要だった。
(とにかく・・・・・今日、どうにかしないとな)
 日和の気持ちが最悪ではないと思うのも、秋月は今日こそ日和を自分のものにするという決意があるからだ。
来週から、秋月は香港に行くことになっている。自分の組の仕事だからだが、それが一週間か、それとも一ヶ月か、それ以上掛
かるか、実ははっきりしなかった。
相手方の出方次第だが、秋月の仕事はかなり重要なもので、その為にも多分予想よりは長い滞在期間になるだろう。
 その間、当然日和には会えない。
身も心もしっかりと秋月のものならば心配は要らないのだが、今はようやく秋月の存在に慣れ始めたばかりで、まだ手を離して安
心だという状況ではない。
いや、むしろ会わない時間を挟んでしまえば、日和の心境に余計な雑音が入りかねない。
(今更、初めから始めるなんて真っ平だしな)
 だからこそ、秋月は今日、日和に自分という存在を強烈に植えつけるつもりだ。
もしもそれで日和が壊れてしまったとしても、その方が秋月にとっては都合がいいくらいだった。



 車は、一見普通の家にしか見えない門前で停まった。
もちろん、普通といっても、かなりの敷地がある旧家という感じだったが、表にも周りにも、店だという表記は無かった。
 「着いた」
 「こ、ここですか?」
 「ああ。1日3組限定だ。ああ、今日は俺が貸切にした」
 「は、はあ」
(そ、そんなに凄い所・・・・・いったい幾らなんだろ・・・・・)
 秋月が連れて行ってくれる所はどこもいかにも高級な場所ばかりだったが、今日はそれの更に上を行きそうな感じだった。
もちろん、秋月が日和に支払いをさせるわけは無く、その支払った金額さえも日和は分からなかったが、今回の貸切は・・・・・多
分10万・・・・・いや、20万は下らないような気がする。
(・・・・・もっと上かも・・・・・)
 途惑う日和の背を軽く押し、秋月は慣れた足取りで中に入っていく。
子供の日和から見ても立派な日本庭園に、重厚な家の造りと、日和の緊張は歩くたびに大きくなっていった。
 「料理は全部任せたが、何か食べたいものはあるか?」
 「い、いいえ、それでいいです」
 「遠慮するなよ?」
 「・・・・・してません」
(それより、俺、こんな格好のままで・・・・・)
これから会う店の人間が自分のことをどう思うか、日和はその方が心配だった。



 「美味しかった!」
 「そうか」
 その笑顔に全く嘘は見当たらず、秋月も思わず笑みを浮かべた。
食事は一時間弱を掛けてゆっくりと進んだ。
初めは緊張していたらしい日和も次々と出てくる料理に気持ちを奪われたのか、その目の中には緊張よりも興味の色が濃くなっ
て、時折秋月に、
 「これ、何ですか?」
と、聞いてくることもあった。
出てくる料理は家庭料理のようなものが多く、日和にとっても食べやすいものだったのだろうが、その材料がとんでもなく高価なも
のだということを知ったら、いったい日和はどんな顔をしただろうか。
 「ご馳走さまでした」
 「俺こそ」
 「え?」
 「お前の美味そうに食べる顔を見て、俺ももっと美味く感じたからな」
 「・・・・・」
 その秋月の言葉に、日和は少し困ったような顔をした。
どういった返答をすればいいのか困っているのがよく分かり、駆け引きに慣れた女とは全く違う反応が新鮮で、秋月は満足げに
笑った。
その笑みに、日和はますます困惑したように俯く。
 「まだ、いいな?」
 「あ、あの、でも、もうすぐ7時半も過ぎるし」
 「送るついでだ、少し車を走らせるぞ」
 「は、はい」
 日和は頷くしかないだろう。
第一、今着ている着物をどこかで着替えなければならない。まさかこの格好で家に帰る事はとても出来ないだろう。
(悪いな、日和)
聞こえるはずも無いが、今から自分がしようとすることを考えて、秋月は少しだけ日和を可哀想だと思って言った。
(でも、もう決めたんだ)



 それからしばらく車を走らせて、秋月が日和を案内したのは高級そうなマンションの一室だった。
もちろん、日和は簡単に連れてこられたわけではなく、車の中でも盛んに帰りたいと訴えたが、その格好で家に帰れるのかと言わ
れれば結局は頷くしかなかった。
 危険を感じる方がおかしいのだと、日和は何とか自分自身に言い聞かせる。
幾ら秋月が自分を手に入れるというようなことを言っていても、実際に男同士でどうなるのか、日和の知識の中では全く想像も
出来なかった。
たとえば、キスはされた。
しかし、唇を合わせるという行為は、男同士だけではなく、親子間でも、罰ゲームなら友人とすることだってあるはずだ。
それに付属する意味はとにかく考えず、日和は先ずはこの着物を脱ぐ為に、秋月が開いたドアの中に恐々足を踏み入れた。
 「ここ・・・・・」
 「俺の部屋だ」
 「・・・・・」
(なんか、イメージと少し・・・・・違う?)
 日和がイメージする秋月の部屋は、どちらかといえばモノトーンで無機質な感じなのだが、今足を踏み入れている秋月の部屋
はグリーンが基調の柔らかい雰囲気だった。
もちろん、家庭の匂いなどないものの、生活をしているという雰囲気はある。
日和は意外だなと思った。
そして、少しホッともした。
(ちゃんと、世話をしてくれてる人がいるんだろうな)
 そうでなくても、秋月が男の自分に本気などとは思えず、日和は何者かの気配がする部屋の、広いリビングのソファにちんまりと
腰を下ろした。
 「何か飲むか?」
 「い、いいえ」
 「どうした?珍しい物でもあるか?」
 「い、いえ、き、綺麗にしてるなって思って」
 「こう見えて、家事は嫌いじゃないんだ。他人に部屋に入られるのも嫌だし、結構自分でしてるんだが・・・・・褒めてもらえるのは
嬉しいな」
 「え・・・・・じゃ、じゃあ、掃除とか、全部秋月さんが?」
 「結婚相手にはいいだろう?」
笑いながら言う秋月に何と言ったらいいのか・・・・・日和は急に息苦しくなったような気がして思わず胸元を押さえてしまう。
しかし、その仕草が女のように思えて、慌てて手を膝の上で握り締めてしまった。
(な、なんか、気まずいんだけど・・・・・)
 早く着替えさせて欲しい・・・・・そう思った時、日和の隣に秋月が腰を下ろした。
直ぐ隣に感じる人の気配に、日和の緊張感が高まる。
 「日和」
先程までとは全く違う秋月の声音に、日和の肩が震えた。
 「お前、全部・・・・・俺のものになるな?」
 「え・・・・・?」
既に決定事項として言う秋月に、日和は一瞬言葉に詰まってしまった。