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「あんた、何考えてるのよ、日和。私がこっちに帰って来れるのなんて滅多にないのよ?その大事なお姉さまがアイスを食べたい
時、あんたはあんなイケ面の家でのんびり寛いでいたってわけっ?」
リビングのソファではなく、その下の床に正座をさせられている日和は、もう10分以上双子の姉の舞の説教を聞いていた。
「・・・・・うん、ごめん」
(お姉さんが、お姉さまになってる・・・・・)
内心そう突っ込んでしまうが、もちろんそれを口に出して言えるはずがない。
「大体、街中で貧血で倒れるなんて、どれだけひ弱なのよ!私なんてあんな重い鬘や着物を着て、あんな高い履物で歩いて
るのよっ?柔道とか空手とか習って身体鍛えなさい!」
「・・・・・急には無理だよ・・・・・」
多分、舞の頭の中で考えた強い男のイメージでそう言っているのだろうが、自分と同じ顔が柔道着を着ているところを想像して
もらいたい。
(絶対、似合うはずないじゃないか・・・・・)
「とにかく、今からアイス買ってきて。もちろんあんたの奢りよ」
「舞〜」
「つべこべ言わないの!あんたは弟なんだからねっ!」
「・・・・・は〜い」
(双子なんだけど・・・・・)
結局は、最後はそれで締めくくられてしまう。
双子といえども、一応姉と弟という括りがある限り、日和は舞に勝てる気はしなかった。
秋月に散々貪られ、翻弄された日和は、その夜は当然家に帰ることが出来なかった。
春休みだったので学校は休みだったが、初めての無断外泊(それまで、友達の家にも泊まりに行ったことがなかった)に、翌朝、日
和は秋月の腕の中で目覚めて顔を青くしてしまった。
両親はもちろん、姉の舞に何と言って誤魔化したらいいのだろうか・・・・・そんなことをグルグルと考えていた日和に、秋月は自分
が一緒に行って説明してやると言い出した。
もちろん、嫌だと言った。
歳が違い過ぎ、立場的にも全く係わり合いがなさそうに見える秋月とどこで知り合ったのか、どんな関係なのか。
追求されたら何と言って誤魔化していいのか分からないし、何より、出来れば家族と秋月を合わせたくはなかった。
昨夜は結局流されるままに、これから先も秋月と付き合うことになってしまったが(秋月は言葉で承諾を取ったと言うが、日和自
身は全く覚えていない)、それとこれとは別だと思った。
だが、やはりというか・・・・・前の夜の激しいセックスのせいでバスで揺られて帰るのはもちろん、歩くのさえゆっくりしか出来なかっ
た(それ程セックスしたとは思いたくないが)日和を強引に攫うように、秋月は勝手に自宅まで来てしまった。
「初めまして、秋月甲斐と申します」
本名を名乗って秋月が差し出した名刺に書かれていた肩書きは、ファイナンシャルプランナー。
日和だけではなく、父も母も、そして、もうぼうっと惚けた様に秋月の容貌を見ていた舞も首を傾げた。
「あの、ファイナンシャルプランナー、とは?」
「個人的な資産運用・金融に関する総合的なアドバイスをする者です。後は、不動産業と証券も少々取り扱っておりますが」
上品なブランドスーツを着こなした、一見エリートサラリーマンか弁護士のような知的な印象の男。
まさかこの男がヤクザだとは、本性を知っているはずの日和も騙されてしまいそうになる。
「でも、社長さんなんですね」
株式会社クリムゾン 代表取締役社長。
その肩書きだけでも、父は秋月をすっかり信用してしまったようだった。
そして、日和との関係は。
去年、日和が京都に行った時に、秋月の会社の社員が、電話ボックスに忘れていた会社の重要書類を日和が見付け、連絡を
取ったことから始まって。
それはかなり重要な書類で、ぜひ秋月が礼をしたいと、東京に戻った日和を呼び出して食事に誘った・・・・・らしい。
「私には離れて暮らす歳の離れた弟がおりまして、日和君を見ているとなんだか弟といる気分になるんです」
「まあ」
「高校生の彼には、こんなおじさんに付き合ってもらって申し訳ないんですが、時々食事に付き合ってもらっていました。夕べも、
食事が済めばご自宅まで送るつもりだったんですが」
申し訳ありませんときっちりと頭を下げる秋月に、母と姉の女2人はすっかり騙されてしまった。
「貧血気味だったのに、気遣うことも出来なくて」
「いいえ!ぼんやりとしてワインなんか飲んでしまったこの子が悪いんですから!」
「そうですよ!日和なんか、ビール1口でも酔っちゃうくせに!」
「自宅の電話番号を教え忘れているなんて、本当にこの子ったら」
秋月に罪悪感を抱かせないようにする為か、何時の間にか日和の失敗談の暴露になり始める。
「何時もぽうっとしていて、お使いもよく間違えるんですよ、昆布を頼んだのに、輪ゴムを買ってきたり」
昆布とゴム、間違えます?3箱もあって困るんですよと母が言えば。
「だから、よく携帯の番号を一桁忘れて打ち込んじゃったりするんです」
連絡が取れないって半泣きになってと姉に言われる。
どれも、何時もする失敗ではないのだが、本当にあったことなので日和も言い返すことがなかなか出来なかった。
「・・・・・日和君らしいですね」
秋月はそんな話を穏やかに笑いながら聞き、優しい眼差しを日和に向けてくる。こんな秋月の表情には慣れなくて、日和はな
んだかモゾモゾと落ち着かなかった。
「携帯を見ればご自宅の番号も分かったかもしれませんが、人のものを盗み見るのは気が進みませんし、そもそも、酔った日和
君をそのままお返しするわけにはいきませんから」
・・・・・すっかり、悪者は日和になってしまった。
幾ら女顔といっても日和は男で、普通に考えれば秋月と怪しい関係になっているとは思わないだろう。
父も母も、どちらかといえば大人しく人のいい方だし、用心深いはずの舞も秋月の容貌に目が眩んでいた。
何時こんな粗筋をたてたのかと日和が呆気に取られている間に秋月はどんどん話を進め、最終的に日和との友人(?)関係を
親にまで納得させてしまったのだった。
「あ」
まだ舞の小言が続きそうだなとうんざりとした時、ポケットに入れている携帯がメールの着信を知らせた。さすがに今時の高校生
らしく、舞は日和が携帯を取り出すのは当然だと思って黙って見ている。
携帯の液晶を見た日和は、思わずあっと声を出してしまった。
「誰?」
「・・・・・えっと、秋月さん」
「えっ?ちょっと、なんて言ってきたのっ?」
「・・・・・近くに来たから、ご飯でもって」
「私も行く!」
「そ、そんなの、駄目に決まってるよ!」
日和は慌てて立ち上がると急いで二階に駆け上がり、上着だけを取って再び降りた。
「日和!私も連れて行きなさいよ!」
「舞は今日合コン行くって言ってたじゃないか!母さんっ、秋月さんとご飯食べてくるから!」
「え?迷惑掛けないのよ?」
「日和!!」
母と姉の声を背中に聞きながら、日和は慌てて玄関から外に飛び出した。
家から少し離れた道路に、見慣れない車が止まっている。
しかし、その外に立っているのはあまりにも見慣れた人物で、いったいどうしたのだろうと日和は駆け寄りながら考えた。
「早かったな」
「舞に捕まる前に逃げてきたんですけど・・・・・この車?」
「何時ものじゃ、とても堅気に見えないだろう?これからはお前の家の前にも車をつけることがあるだろうし、少し普通っぽいもの
を用意させた」
「普通・・・・・」
(・・・・・サラリーマンじゃ、とても買えないような気がするんだけど・・・・・)
さすがに、日和もこの車の車種は知っている。新車であれば、軽く1000万を超えそうな・・・・・。
(や、止めとこう。考えると怖いし)
「あ、運転手さん、いないんですね」
「俺も一応免許は持っているからな」
そう言いながら、秋月は助手席のドアを開けて日和をエスコートしてくれる。
(な、なんだか・・・・・慣れない)
あの日から、三日経った。
濃厚なセックスをした翌朝の秋月は戸惑うほどに優しくて、日和は着替えも食事も、秋月の手でしてもらった。
身体がきつかったのは70・・・・・いや、99パーセントは秋月のせいだとは思うが、それでも一般庶民の日和は世話をされるという
ことに慣れなくて、秋月の指先が肌に触れるたびに過敏に反応してしまった。
(でも、首筋とか背中に唇が触れたのって・・・・・わざと、だよな?)
偶然にしては怪し過ぎた。
ただ、それでも困ったとは思っても、嫌だと思わなかった自分には更に困惑するしかなかったが。
「やっぱり、挨拶をしておいて良かったな」
「え?」
「お前を家から連れ出すのが簡単になった」
「で、でも、なんか、顔が真っ直ぐ見れないですよ」
「どうして」
「ど、どうしてって、だって・・・・・」
「俺達がセックスする仲だからか?」
「・・・・・っ」
(そーいう風によくはっきり言えるよな。俺なんか、内心父さん達に謝ってるのに・・・・・っ)
初対面の挨拶で、純粋に秋月をいい人だと思っているらしい両親にはもちろん、京都では散々、ヤクザの座敷(それが秋月だ
が)に出た日和を心配してくれていた舞まで騙しているのが心苦しい。
それに、秋月が似合っているからと、どう考えても視力がおかしいと思うことを言う自分の舞妓姿も、舞は仕事として一生懸命
しているのだ。
(なんだか、それだけでも申し訳ない気がしちゃうよ)
「秋月さん」
「ん?」
「秋月さんは、あの・・・・・舞妓姿の俺が、気に入ってるんですよ、ね?」
「ああ。よく似合ってるからな」
ふっと笑みを漏らした秋月は、多分日和の舞妓姿を思い浮かべているのだろう。
だが、それならと、日和は頭の中のどこかで思っていたことを口にしてみた。
「じゃあ、舞のこと・・・・・好きになったりしないんですか?」
「どうしてそう思うんだ?」
「だ、だって、俺と舞はほとんど同じ顔してるし、舞はちゃんと仕事として舞妓をしてるし。秋月さんが望むもの、全部持ってるん
じゃないんですか?」
自分と同じ顔で、着物も似合っていて、何より正真正銘の女だ。男の自分の身体を抱くよりも、絶対普通だと思う。
(舞が、秋月さんと・・・・・)
あの逞しい腕に、自分ではなく舞が抱かれているところを一瞬想像してしまった日和は、眉を下げて思わず俯いてしまった。そう
言いながら、日和は自分の顔が醜く歪んでいるのではないかと心配になったのだ。
(なんか、嫌だ)
秋月は丁度赤信号で止まった時に日和の横顔を見た。
(馬鹿だな)
自分で言った言葉に自分が傷付いている日和は本当に愚かな子供だが、そんな子供が欲しいと思っているのだから自分の方
がもっと馬鹿で愚かなのかもしれない。
幾ら顔が似ていても、着物が似合っていても、女でも。
それが日和でなくては意味が無いのだ。
「日和、お前は分かってないな」
「え?」
「俺がお前のどこを気に入っているのか・・・・・本当にそんな見せ掛けだけでと思っているのか?」
「え、だ、だって・・・・・えっと・・・・・」
どうやら、本当に分かっていないらしい。
高校生と、いや、日和のように男心の分からない子供と付き合うということは、言葉を惜しんではいられないようだ。
(しかたない、それがいいんだからな)
長い信号はまだ青に変わらないようだ。秋月はそのまま言葉を続けた。
「俺は、お前がいいんだよ」
「あ、秋月さん?」
「お前とお前の兄弟がどんなに似ていたとしても、お前の性格や心までは一緒じゃないだろう?着物も、お前が着るから可愛い
し、お前の身体だから、出なくなるまでしつこくセックスもする」
「ちょ、ちょっとっ」
こんな所で何を言うのだと日和は慌てているが、裏腹のように頬は赤くなっている。
あれだけ濃厚なセックスをしたのに今だに初心な顔をみせるから、秋月は言葉や行動でからかいたくなってしまうのだ。日和が困る
ほどに暴走しているとすれば、そうさせてしまう自分が悪いのだと日和には諦めてもらおう。
「日和」
「あ、秋月さんって、意外とは、恥ずかしい人なんですね」
「お前の前だけな」
「・・・・・っ」
頬に笑みを浮かべたまま、秋月は片手を伸ばして日和の頭を抱き寄せるとそのまま唇を重ねた。まだ陽が高く、その上ここは公
道だ。対向車も、歩行者もいるが、別に見られて困る事は自分には全くない。
ププーーー!!
既に信号は青に変わって、後ろの車が早く動けとクラクションを鳴らしていた。
「んっ」
しかし、秋月は構わずに日和の口腔内を貪る。煩い一般人は、こっそりと付いて来ている組員が何とかするだろう。それよりも今
は、この察しの悪い子供を攻略する方が先だった。
身体はもう、自分のものだ。
心も、自覚はしていないだろうが、絆されている。
(時間はまだ、たっぷりあるぞ)
早く、早く、自分の腕の中に落ちて来い。
秋月は、唇を離した途端、無意識に物足りなさそうな表情になった日和の顔を見て・・・・・悪い大人の顔で笑った。
end
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