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一体、これはどういうことなのだろう?
沢木日和(さわき ひより)は、目の前の光景を眉を顰めて見つめてしまった。いや、それよりも先に今の状態がわからなくて混乱
しているといってもいい。
「どうした、日和」
「ど、どうしたって・・・・・」
「可愛いだろう?これが本物の舞妓だ」
「・・・・・っ」
意地悪く笑っているくせに、やはり男は見惚れるほどに格好が良く、そんな男に見惚れているのはどうやら自分だけではないよう
だった。
向かいに座っている男の両隣にいる鮮やかな振り袖を着た少女達も、客に向けるのとは違った意味の熱い眼差しを男に向け
ていて、何だかそれを見ているだけで胸がモヤモヤしてしまった日和は、出されていた刺身を口にした。
(うっ・・・・・ワサビつけ過ぎた・・・・・)
4月、日和はめでたく大学に進学した。
高校生の頃はまだどこか頼りない風貌だったが、新しい世界へと踏み出したせいか、目の光も強くなり、多少は物言いもはっきり
とした調子になってきた。
ただ、内面の変化とは裏腹に、外見的にはそれ程の成長は見られず、相変わらず筋肉はつかないままだし、優しげな面差し
にも変化は見られないままだった。
単身で京都に舞妓修行に行っていた双子の姉の舞(まい)も、今では一人前の舞妓として座敷に出ていて、昔、ヤクザが怖く
て日和に身代わりを頼んできたような気弱さは見当たらない。
人気も上々のようで、贔屓の客も多くなってきたと嬉しそうに電話で報告されるたび、自分よりも先に独り立ちしてしまった姉を
寂しく思うというよりは羨ましく思うようになっていた。
そんな日和には、一応・・・・・と、いうか、恋人らしき存在がいる。
舞と入れ替わって座敷に出た時に出会った男だ。実際に会った(相手が一方的にだが)のはそれ以前だったらしいが、日和は最
初男同士なのに積極的に自分とかかわろうとする男が怖くて。
実際に、その男がヤクザだと知った時は逃げ出すことしか考えられなかったが、そんな自分の身体を絡めとり、何時の間にか心
も鷲掴みにした男は、ちゃっかりと恋人という位置に居座ってしまった。
男の名前は、秋月甲斐(あきづき かい)。
一見エリートサラリーマンか弁護士のような知的な印象の男の職業はヤクザで、男は弐織組系東京紅陣会若頭という立場だ。
普通の学生である日和にはヤクザの階級などは全く分からないが、それなりの地位にいる秋月は何時も忙しいようで、一ヶ月
の内の三分の一は関西に出掛けていて、そもそも日和のことを知ったのも、その時街で泣いている日和を偶然見かけて一目惚
れをした・・・・・と、聞いた。
忙しい秋月と、日和も秋から春に掛けて受験や高校卒業など、様々なイベントで猛烈に忙しくて、会う時間も一ヶ月に数度
という具合だった。
秋月は何時も電話で会いたいと言い、日和もそう思ったものの、大学受験はやはり人生の大切な岐路なので軽視は出来ず
に、会う時間は限られて・・・・・。
3月、無事に大学に合格し、ようやくゆっくりとした時間が取れるようになった日和とは反対に、秋月の方が仕事に忙殺されてし
まい、4月入ってようやく顔を合わせたのは実に半月ぶりだった。
「元気そうだな」
「秋月さんは・・・・・ちょっと、疲れてる?」
少し、頬の辺りがシャープになった様子を見て言うと、太るよりはいいだろうと笑われた。
別に秋月の容姿だけを好きなわけではないのだが、健康のためにもあまり太り過ぎるのも問題かと思い、日和は曖昧な笑みを
浮かべてみせる。
すると、しばらくそんな日和を見ていた秋月は、今日はいい所に連れて行ってやると言い出した。
「いいとこって・・・・・どこ?」
「どこだと思う?」
「・・・・・分からない」
付き合ってはいるものの、生活環境も性格もまるで違う自分達に共通するものはほとんど無い。
秋月の言葉に真剣に首を傾げて考え込んでいると、なぜか楽しそうに笑われてしまい、
「神楽坂」
と、だけ言われた。
「神楽坂?」
(遊ぶ所、何があったっけ?)
「まあ、行ってのお楽しみだな」
何を楽しみにと言ったのか、日和はじわじわとその意味が分かってきた。
ある料亭に連れて行かれ、間もなくそこに現れた舞妓と芸妓。多分、まだ10代後半であるだろう舞妓達は、座敷にいる秋月の
容姿に明らかにテンションが上がった気がする。
(・・・・・俺に見せ付けたいってこと・・・・・?)
会う時間が少なかった間、もちろん日和は秋月の趣味・・・・・舞妓になることもしていなかった。
元々、女装癖の無い日和は、秋月に強引に言われたから舞妓の姿になっていただけで、その要求が無ければ装う必要もない。
それを当たり前だと思っていた日和だったが、実際に秋月の側に本物の舞妓がくっ付いているのを見ると、何だか複雑な気分に
なってしまった。
「・・・・・」
「お気分、大丈夫ですか?」
「え?」
突然声を掛けられ、日和はハッとして視線を向けた。
秋月の両隣には舞妓が陣取っていたが、自分の隣にも彼女達より少し年上の芸妓が座っている。綺麗な目に真っ直ぐに見つめ
られ、日和は無意識のうちに赤くなってしまう顔を隠すことも忘れてしまった。
「だ、大丈夫ですっ」
焦る日和の様子を笑みを浮かべて見た芸妓は、その視線を向かいにやって苦笑に変化させる。
「こんなにもステキなお客様に呼んでいただいて、あの子達も少しはしゃいでしまっているんです、申し訳ありません」
「いいえっ、そんなっ」
自分になどに謝られる必要は全く無いのだと日和が頭を振ると、芸妓はコップと杯を交互に見て、何を飲まれますかと話を変えて
訊ねてくれる。
「お酒はまだ、無理でしょう?」
「はい、あの、ジュースで」
「はい」
たかがジュースでも、芸妓が注いでくれるそれは違うなと思いながら一口飲むと、顔に強い視線を感じてしまった。
何だろうと顔を上げれば、それは秋月のもので・・・・・。
(自分がその子達呼んだのに、どうして俺に怒るんだよ?)
秋月の視線の意味が分からなくて、日和は思わず頬を膨らませて睨み返した。
舞妓が座敷の中に現れた時、日和が驚きと共に確かな嫉妬の炎を瞳に宿したのが見えた。
(俺を蔑ろにするからだぞ)
秋月の好きなのはもちろん日和本人だが、日和の舞妓姿もとても可愛いと思っている。座敷に出ろとまでは言わないが(他の男
には見せたくない)、自分の前では積極的に着物を着てくれてもいいと思うのだが・・・・・恋愛に対して淡白なのか、それとも自分
達が付き合っているということをちゃんと認識していないのか、日和は秋月の方からアクションを取らなければ電話もしてこない。
受験で大変だということは理解していたが、それにしても恋人と過ごす時間があまりにも少ないのではないか。
そして、年が空け、正月とバレンタイン、ホワイトデーというイベントには一応会えたが、それ以外は電話さえもままならなく、秋月
は何度目かの焦燥感に見舞われ・・・・・。
ようやく、受験が終わり、合格もしたという連絡があって、秋月はそれまで散々焦らされ、待たされたお返しをしてやりたいと思っ
てしまった。
何が、日和には一番効くだろうか。
苛めてやりたいが、泣かせたいわけではない。
あの暢気な子供に、自分への愛情を自覚させるために一番良い方法を考えて、秋月はふと思いついてしまったのだ。
秋月は舞妓が好きなわけではない。
着物も、好きだが盲目的にというわけでもない。
舞妓の姿をした日和が、とても可愛くて色っぽくて・・・・・女の代わりなどではなく、日和本人を欲しているのだが、それを日和は
自覚しているのかどうか。
(ふふ、睨んでるな)
無意識なのだろう、日和は自分に必要以上に引っ付いている舞妓達を睨んでいる。
「どうぞ、お一つ」
「ああ」
わざと見せ付けるように、腰を抱き寄せるようにして酌を受けた。
舞妓は顔を赤くし、瞳も潤んでいるようだが、普通ならば子供過ぎて秋月の食指は動かない。ただ、日和を妬かせるためだけに
している行動なのだが、なぜか日和は年上の芸妓相手に顔を赤くしていた。
(なんだ、それは)
日和に座敷遊びをさせるつもりは全く無い。
秋月は杯を下ろした。
「おい」
「・・・・・」
「こっちにも酌をしてもらおうか」
「えぇ?」
疑問符を一杯にした舞妓と、戸惑ったような芸妓の眼差しが自分に向かってくる。
「・・・・・はい」
しかし、客の要求をむげに断ることも出来ない芸妓は、すみませんと日和に一言謝罪した後、立ち上がって自分の側へとやって
きた。
さすがに舞妓達よりも、所作も眼差しも艶っぽい女に、それでも秋月の心は揺り動かされない。単に日和の側から離すことだけ
が目的だったので、愛想笑いの一つもしないまま杯を差し出した。
「どうぞ」
「・・・・・」
日和は話し相手だった芸妓を取られ、どうしたらいいのかと頼りない眼差しで視線を揺らしている。
まだ高校を卒業したばかりの日和には、この座敷はあまりにも敷居が高いのだろう。居心地が悪いという様子が明らかに分かった
が、それでも秋月は簡単には助け舟を出さなかった。
そんな意地悪をしたいくらい、自分も日和に焦らされ、待たされた。
このくらいの意趣返しは可愛いもののはずだ。
(嫌なら、文句を言って来い)
浮気をするなと、叫べばいい。
それならば秋月は直ぐにこの場から立ち上がり、そのまま日和の身体を抱きしめて濃厚なキスをしてみせるのだが・・・・・頑固なの
か、それとも本当に自分の気持ちが分からないのか、日和は文句を言ってくることは無く、それどころか、
「お、俺ちょっと、お手洗いっ」
そう言うと、いきなり立ち上がって座敷から出て行ってしまった。
「・・・・・っ」
自然と舌を打ってしまった秋月に、側にいた芸妓が笑む気配がする。それでも、ここで怒鳴ったりすれば狭量な人間だと笑われ
るだけだと思い直し、女の手から徳利を取ると手酌でそれを注いで一気にあおった。
あんな場所から、トイレに行くなどといって逃げ出した自分があまりにも子供っぽいという自覚はあったものの、それでも秋月の隣
に座る美しい芸妓や舞妓を見続けていることは出来なかった。
「・・・・・絶対、あれ、意地悪だ」
(俺を苛めるためにしてるんだ、きっと)
多分、そうだとは思うものの、それでも綺麗な女相手に本気で鼻を伸ばしている可能性もある。出来れば自分の目が届かない
所でして欲しいと思ったが、分からない所でされていると思えばさらに気になってしまうかもしれない。
「う~」
(俺に、どうしろって言うんだろ)
どう言えば、あんな意地悪をしないでいてくれるのだろうか。
せっかく久し振りに会えたというのに、このままではあまりにも寂し過ぎて、会わない間に交わした電話での会話の方が秋月をもっ
と近くに感じられたような気がした。
「・・・・・」
どちらにせよ、あの場所には戻らなければならない。
嫌だなと思いながら手を洗い、長い廊下を重い足取りで歩いていた日和は、
「日和、か?」
「え?」
俯いた視界の中に入ってきた男の足にパッと顔を上げた。
「あ」
「どうしてこんな所にいるんだ?今日は舞妓姿じゃないが・・・・・座敷があるわけじゃないのか?」
「え、えっと・・・・・」
「ん?」
(あ、秋月さん~っ)
思い掛けない場所で会った人物に、日和はとっさに何と答えていいのか分からなくて、ついさっきまで文句を言っていた秋月に内
心で助けを求めていた。
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