磨く牙



13






 翌朝早く、楓は身支度を整える伊崎をベットに横になったまま見つめていた。
今回は絶対に、目が覚めた時1人という状態になりたくなかったので、伊崎の身体にしがみつく様にして眠り、その身体が
僅かに身じろぎした瞬間に目を覚ました。
 「・・・・・」
 昨夜あれ程激しく確かめ合った想いも、夜が明けてしまえばたちまちの内に消えてしまった気がする。
溜め息を付いた楓に気付き、伊崎はネクタイを結び終えてから振り返った。
 「痛みますか?」
恋人の甘い声ではなく、世話係の心配そうな声でもなく、ただ事務的にも思える平坦な声に、楓は内心深く落胆しながら
も表情は変えることなく言った。
 「洸和会の件、俺の気持ちは変わってないから」
 「楓さんっ?」
 昨夜のセックスで誤魔化したと思っていたのか、楓の言葉に伊崎は焦った表情になる。
それで少しは気の済んだ楓は、傷む身体に眉を顰めながら身体を起こした。
 「女じゃないんだ、たとえ手を出されたとしても孕む心配はないし、傷物にされたとも思わない」
 「待ってくださいっ」
 「第一、俺を一番最初に傷物にしたのはお前だろう?」
 「!」
 「父さんと兄さんに言っといて」
後はもう何も言わず、楓はシャワーを浴びに部屋から出て行った。



 「何やってんだ!」
 「申し訳ありません」
 昨夜は会合で夜遅くの帰宅になった雅行は、今朝方伊崎からの報告を受けて思わず手が出た。
重い雅行の拳を頬に受け、歯で切ってしまった唇の端から血を滲ませながらも、伊崎は深々と頭を下げて雅行の怒りを
受け止めた。
 甘いかもしれないが、この組の組長の雅治も、次期組長である代行の雅行も、楓が可愛くて仕方がなかった。
裏の世界の汚れた部分を出来るだけ見せないようにし、楓にだけは危害が及ばないように手を打ってきたし、それは組員
の全員の思いでもあった。
幼い頃から知っている天使のように可愛らしい楓を、みんなが愛していたのだ。
 そんな中での今回の洸和会の申し出は日向組にとっては青天の霹靂で、一番楓にとってのいい方法を考えた。
それが今回の代替わりだ。
今現在洸和会と対立している形の組長である雅治を引退させ、開成会と親交のある雅行が組長になり、弱い経済面
を伊崎と共に強めていく・・・・・血を流さず、もちろん楓も傷付かない方法はこれしかないように思えた。
 「・・・・・すまん」
 激情が収まると、実直な雅行は自分より年長である伊崎に頭を下げた。
 「いいえ、全て私の責任です」
 「あいつの性格を過小評価してたな・・・・・」
天使の容貌とは正反対の、負けず嫌いで意地っ張り。そのギャップが愛らしいのだが、今回に限っては恨めしく思った。
 「あの勢いでは、1人でも向こうに行きかねません」
 「付いてるのは津山だけか?」
 「いいえ、今日はあと3人付けました」
 「しかし・・・・・伊崎の言葉も聞かないとはな」
 「申し訳ありません」
 生涯その身体を抱けるとは思わなかった・・・・・。一度味わった禁断の果実は、今まで抱いてきた女達の影を一瞬で消
し去るほど甘く、伊崎はもう知らなかった頃に戻ることなど到底出来なかった。
身体で言うことをきかせると言う大義名分で、初めて抱いてから日を置かずに再び抱いたのは、自分の欲望に負けたから
だ。
(楓さんが何でも俺の言葉に納得してくれるなんて・・・・・ただの驕りだ・・・・・)
 「とにかく、俺がもう一度向こうに掛け合おう」
 「若が?」
 「身内とはいえ、楓は未成年の素人だ。そんな子供にコナ掛けたとあっちゃ、向こうも大口はたたけないだろう」
 「私もお供します」
 「ああ」
 雅行は頷き、はあと溜め息を付いた。
 「親父が随分落ち込んでる。楓に嫌われたってな」
 「・・・・・組長、楓さんをまだ小学生のように思ってらっしゃるんでしょう。反抗されるなんて、思ってもみられなかったと思い
ます」
 「まあ、楓に甘いのは親父だけじゃないからな。お袋も俺もそうだし、他の組員も・・・・・。お前は、楓に付きたいと言って、
この世界に入ったようなもんだしな」
 「・・・・・はい」
 まだほんの幼い子供に自分の全てを賭けたいと思った衝撃は、伊崎はいまだに忘れることはない。
(何時の間にか・・・・・欲にまみれてしまったが・・・・・)
誰の手にも渡したくないと・・・・・抱きたいと思い始めたのは何時からかは覚えていない。しかし、その時期はかなり早かった
と思う。
女を抱きながら、楓の名前を洩らすのは珍しくなく、詰られてもなんとも思わなかった。伊崎にとって一番は常に楓で、女達
はその身代わりに過ぎなかったからだ。
 やっと抱けたあの素晴らしい身体を、伊崎は他の誰にも渡す気は・・・・・もうない。
かりに雅治と雅行に知れて糾弾されたとしたら、楓を腕に抱いて逃げるつもりだ。
 だが、それは最終手段で、家族も組員も大切に思っている楓を泣かすことはしたくない。
 「伊崎、頼むぞ」
 「はい」
 今はとにかく洸和会の問題を解決することが最優先だ。
伊崎は口の端に滲んだ血を親指で拭った。