啼く籠の鳥
後編
3月1日当日。
西園寺は目の前に立つ制服姿の響をじっと見つめた。
「・・・・・」
「久佳さん・・・・・」
「おめでとう」
「・・・・・ありがとうございます」
お互い、それ以上何を言おうとしても言葉が出なかった。
小篠に言われて話し合いに戻ってきた西園寺は、それからはきちんと家に帰ってくるようになった。
態度も以前と同じ穏やかで優しいものになったが、あの日以降西園寺が響の身体に触れることは無くなった。
ほんの少し、背を押してくれたり、モノを取ってくれて渡される時に指先が触れるというようなことはあったが、それ以外の、セ
クシャルな意味での触れ合いは全く無くなったのだ。
響が好きだった優しいキスも、力強く攫ってくれる腕も、全てがぱたっと無くなってしまった事に寂しさを感じるが、そうさせて
しまったのが自分だと思えば何も出来ない。
(このまま卒業なんて・・・・・)
響はもう着ることも無いだろう制服を見下ろした。
(僕は・・・・・)
「久佳さん」
もう一度、自分の気持ちをちゃんと伝えようと視線を向けた響。
しかし、最初に目を逸らしたのは西園寺の方だった。
「遅れるぞ」
「あのっ」
「今日は小篠も来てくれるらしい。晴れ姿を見せてやれ」
何かを言い掛けて口を開いた響に、西園寺はわざと話を逸らした。
このまま言葉を続ければ、また響を引き止めようとする言葉しか出てこない気がしたのだ。
やっと・・・・・いや、本当はまだ納得していないが、表面上は響を送り出してやると言葉に出来た。もう、これ以上響に余
計な負担は掛けさせたくない。
「お、用意出来てるか?」
「・・・・・」
「何だよ、仏頂面して」
父兄として参加する西園寺に、自分も絶対に行くと言い張った小篠が車で迎えに来た。
勝手に部屋に上がってきた小篠は、憮然とした表情の西園寺を見て苦笑し、その耳元で小さく囁く。
「その顔、どうにかしろよ」
「・・・・・」
「響ちゃんのめでたい日だぞ」
「分かっている」
小篠に言われるまでもなく、西園寺も今日という日に何も言おうとも思わない。
それでも、今日を限りに響とは別の道を歩むということを考えると、笑って見送ってやることなどとても出来なかった。
響の学校では、高校卒業して働く人間はたった3人ほどだった。
ほとんどの生徒が大学進学か専門学校に行く者達ばかりで、他の2人も家業を継ぐ為の就職だった。
成績も優秀で、大人しく優しい性格の響はクラスメイト達からも慕われ、皆就職して一足先に社会に出ることになった響と
の別れを惜しんでくれた。
友人達との別れは寂しいが、響は胸を張って学校を卒業しようと思っている。
ただ一つ・・・・・。
(久佳さん・・・・・ちゃんと見に来てくれてるかな・・・・・)
後ろを振り向いて確かめたい。
でも・・・・・それ以上に確かめるのが怖かった。
「早いなあ」
「・・・・・」
「今でも華奢だけど、3年前はもっと子供だったのにな」
父兄席の一角を占めているのは、保護者にしては随分若く、容姿も秀でた男達だった。
しかし、注目を浴びることに慣れている2人は全くそれらの視線には構わず、卒業生達が座っている方へと視線を向けてい
る。
「・・・・・」
小篠の言う通り、響は周りの同級生達と比べて一回りは華奢で、その容姿も男臭さとは程遠いような涼やかなものだった。
あの眼差しは、確かに怖いほど真っ直ぐ自分に向けられていた。
白く華奢な身体も、確かに全て自分のものだった。
「・・・・・目」
「・・・・・」
「そんな目で見るなよ」
小篠が言う目とはどういったものなのか、西園寺は自分では全く分からない。
ただ、今にも爆発しそうになる感情を抑えているしかない。
「響ちゃん、何時出て行くんだ?」
「・・・・・知らない」
「知らない?お前、今日卒業だぞ?何も聞いていないのか?」
「聞きたくないことをなぜ聞かなくちゃいけない」
出て行く日にちなど聞いてしまったら、それこそ頭の中でカウントダウンが始まってしまう。
その日を目前にしたら、響を家の中に閉じ込めて・・・・・あの細い足首に鎖を繋げてでも引き止めてしまいたくなるだろう。
(俺がいないうちに出て行ってもらった方がいい・・・・・)
「おい」
「何時出て行くかなど、俺が知る必要は無い」
「・・・・・」
「勝手に俺の元から逃げ出す鳥を、わざわざ探してやるつもりはない」
滞りなく式は終わった。
温かい日が続いたからなのか、校庭の桜の木も数本がチラホラと花を咲かせていた。
クラスメイト達になかなか離してもらえなかった響は、式が終わってかなり経ってから慌てて校舎から飛び出した。
(帰っちゃった・・・・・っ?)
式場から教室まで直接向かって、西園寺と話す時間も無かった。
朝も何の約束もしていなかったし、最近の様子からすればもしかしたらもう帰っているかも知れないが・・・・・。
「・・・・・!」
校庭には、まだ卒業生や父兄達も多く残っている。
その中に・・・・・一際目を惹く背の高い男の姿があった。
(いてくれた!)
帰らずに、待っていてくれたことが嬉しくて、響は慌てて西園寺の傍に駆け寄る。
響が気付く前にその存在に気付いていたらしい西園寺は、真っ直ぐにこちらを向いて立っていた。
「遅くなってごめんなさい!」
「・・・・・挨拶は済んだか?」
「はい」
「そうか」
西園寺は頷き、じっと響を見つめている。
何も言わないままの沈黙がしばらく続いた後・・・・・。
「何時出て行く?」
「・・・・・え?」
「仕事先の寮に住むんだろう。人手がいるなら頼んで・・・・・」
「ま、待って、ちゃんと説明させてくださいっ」
「説明?何の説明があるんだ?お前が大学に進学しないで就職し、俺の元から出て行くのはもう決まっていることだろう?
それ以上何がある?」
「あ・・・・・」
そこで、響は初めて自分の言葉が足らなかったことに気付いた。
大学進学ではなく就職するということを伝えることに一生懸命で、それ以外のことは頭の中からすっぽり消え去っていたのだ。
(ぼ、僕、肝心なこと何も言ってなくて・・・・・っ!)
「久佳さん!」
思い掛けず大きくなった響の声に、西園寺だけではなく周りにいた者も振り返る。
しかし、響はそれには構わず、西園寺の目を真っ直ぐに見つめながら言った。
「ぼ、僕のものになってください!」
「・・・・・響?」
「僕は、研修で1年間関西に行くことになってます。でも、1年後はこっちに帰って、家からも一番近い職場に勤務出来る
ようにしてもらいました」
「・・・・・」
「通勤には2時間近く掛かるけど、ちゃんと家から通うつもりです。僕、僕、久佳さんの傍から働きに出ます」
響の言葉に、普段は冷静沈着な西園寺も目を見張って混乱していた。
就職をすれば響は自分の元から去っていく・・・・・そう、頭の中で思い込んでいたことが、今の響の言葉では1年間だけの別
離を我慢すれば、再び一緒に暮らせるという。
(・・・・・ほんと、に?)
「1年間、僕、頑張ってきます。もっともっと、ちゃんとした人間になれるように頑張って、久佳さんのところに帰ってきます。そ
の時は、久佳さんを全部・・・・・僕に下さい!」
「・・・・・」
「そ、それとも・・・・・1年間も離れてたら・・・・・駄目ですか?」
「・・・・・っ」
衝動的に、西園寺は響を抱きしめた。
いきなり始まった男同士のラブシーンに周りがざわめいても、西園寺の耳には少しも入ってこない。
「響っ」
「ぼ、僕、久佳さんの腕の中から飛び出す気なんて・・・・・全然、ないよ?・・・・・。ここが・・・・・ここだけが、僕が帰る、帰
れる場所だから・・・・・」
「・・・・・!」
西園寺は叫び出したかった。
それは嘆きではなく、張り裂けそうなほどの大きな歓喜の為だ。
(俺は・・・・・なんて小さい・・・・・)
響が飛び立つことを、ただ2人の別れだと考えていた西園寺とは違い、響は2人の未来に目を向けていた。
子供だと思っていた響の方が、自分よりもはるかに大人で・・・・・男だった。
「愛してる・・・・・っ、響!」
「ぼ・・・・・くも、大好き!」
離れようとしているわけではなく、一緒に生きて行こうとする努力をする、後退するのではなく前進しようとする響が愛おしい。
「ま、待ってて、くれますか?」
「もちろんだ。俺が生涯共に生きていこうと思うのはお前しかいない」
「・・・・・っ」
「1年後、戻ってくるお前と会うのを楽しみにしていよう。響、お前の帰る場所は俺の傍だけだ」
「・・・・・うんっ」
ここが響の学校だということは考えなかった。
いや、今日でもう卒業していく場所だ、何の遠慮をすることがあるかと思う。
「ん・・・・・っ」
西園寺は響の細い身体を抱きしめ、そのまま深く唇を重ねる。
西園寺の目には、響の姿しか映っていなかった。
−−−−−
「忙しくなるな」
重なり合う2人のシルエットを遠目で見つめながら、小篠が呆れたような溜め息をついた。
とにかく、どうやら2人は離れることは無いらしく、このまま共に生きていくようだ。
響の仕事を正式に認めたとすれば、西園寺はきっと響が勤める会社に融資をするか、株を集めて筆頭株主になるか、どち
らにしても響に知られないように援助と監視を込んだ手筈を整えるだろう。
多分、それは自分の仕事になるだろうが。
「可愛い声で啼いてやれよ、響ちゃん」
何度籠の中から飛び出しても、きっと自ら籠の中に舞い戻ってくるだろう愚かな鳥。
しかし、きっとその籠の中が、鳥にとっては一番の安住の地なのだろう。
end
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「啼く籠の鳥」の後編です。
冷静沈着な西園寺も、響が絡むと熱い男になるようです。
きっと、必死で成長しようとする響を、これからは大人の余裕で西園寺は見守るでしょう。
でも、響の成長は早いです。西園寺も置いていかれないように頑張らないと。
これにて、「幸せな籠の鳥」は完結です。