苦い恋と甘い愛











 オーブンが壊れた・・・・・。



 バイト先のピザ屋のオーブンが急に壊れ、午後9時過ぎに臨時休業になってしまったので、真琴は急に暇になってしまっ
た。



 西原真琴は今年大学に入学したばかりの18歳の青年だ。
少し痩せ気味の普通の青年に見えるが、その容貌は案外と整っており、目元のホクロが妙に色っぽく、同性から想いを寄
せられることも多かった。
そんな真琴が大学に入学してから1ヶ月ほど過ぎた頃、バイト先の客として知り合ったのが大東組系開成会会長、海藤
貴士・・・・・いわゆる暴力団の組長だった。
 全く違う環境にいながら、海藤に気に入られてしまった真琴は紆余曲折あったものの、今では海藤所有のマンションで同
居(同棲)生活を送っている。


 「どうしよ・・・・・海老原さん呼ぶっていうのも・・・・・」
 海老原は海藤が真琴に付けた運転手兼ボディーガードだ。
学校の行き帰りやバイトの送り迎えなど、何時も海老原に頼んで来てもらっているし、それが海藤の命令でもあった。
真琴が海藤の愛人だとこの世界でも知られてきているので、用心の為にも絶対に1人で出歩くなと言われている。
 しかし、今日のことは突然のアクシデントで、本来ならバイト終了時間の午後11時に海老原は来てくれるはずだった。
 「・・・・・たまには歩いて帰ろうかな、まだ早いし」
午後9時過ぎならば、まだ学生もサラリーマンも大勢行き交っている。
真琴は気軽に最寄の地下鉄の駅に向かって歩き始めた。
 「へ〜・・・・・やっぱり人多いなあ〜」
 深夜に近いバイトをしているとはいえ、真琴は内勤で外には出ないし、行き帰りは車なので、こうしてゆっくりと繁華街を
歩くことは滅多になかった。
いかにもな水商売の女達、派手なホストと腕を組んで歩いている少女、酔ったサラリーマンに、塾帰りの学生達。
色んな人間がいるなと思いながら歩いていると、
 「ねえ」
 「え?」
 不意に腕を掴まれた真琴は驚いて振り返った。
真琴の腕を掴んでいたのは、派手な背広姿の若い男。茶色に染めた長い髪と、袖口から見える高そうな時計。
いかにもホストという感じの男に、真琴は戸惑ったように言った。
 「俺、男ですよ?」
 「見れば分かるって」
 「じゃあ、あの、手を・・・・・」
 「ちょっと遊んでいかない?ダイジョーブ。若い女が座って2、3杯酒飲んで、後から恐い親父が出てくるってことはないから
さ。男でも結構来てるんだぜ、ホストクラブ」
 「でも、俺、お酒飲めないし」
じっと男の顔を見上げて言う真琴を、しみじみ見つめた男はやっぱりなあと呟いた。
 「遠目で見た時から雰囲気ある子だなって思ってたけど、やぱりいいわ。な、ちょっとでいいから俺の席に座ってよ」
 「いえ、俺は・・・・・」
 「酒なんか飲まなくても、男同士でワイワイやるのって楽しいって」
 なかなか離してくれない男に真琴は困った。嫌だと言っているのにどうして分かってくれないのかと悩んでしまう。
 「ケイ、何サボってんだよ」
 突然、拘束した手に別の手が重なると、新しい手の主は軽々と真琴をしつこく誘っていた男から引き離してくれた。
 「ショウさんっ。いや、この子に同伴してもらおうと・・・・・」
 「好みの男引っ掛ける前に、女の2、3人捕まえて来い」
 「は〜い」
 渋々頷いた男は、またねと真琴に言って立ち去った。
その時になってようやく助けてもらったと気付いた真琴は、礼を言おうと改めて助けてくれた人物を振り返る。
(わ・・・・・この人もホスト?)
 高い身長に染めた髪、派手なスーツと高価な時計・・・・・大まかに見れば先程の男と変わりないのに、目の前の男の方
はずっとおしゃれで・・・・・。
 「・・・・・マコ?」
 「え?」
 突然名前を呼ばれ、真琴はじっと男を見つめる。
その顔に、記憶にある面影が重なった。
 「祥(しょう)ちゃん?」
 「やっぱりマコか!お前、全っ然変わってないな〜」
 「な、何だよ!祥ちゃんが変わり過ぎ!」
 目の前で笑っている顔は、先程までよりもずっと昔の面影を残している。
佐伯祥也(さえき しょうや)は真琴より1歳年上で、真琴が中学2年生まで近所に住んでいた幼馴染だった。



 中学卒業と同時に引っ越してしまい、全く連絡を取らなくなって5年・・・・・けして短くはない時間だ。
佐伯は自分より低い真琴をじっと見つめた。
(変わっていない・・・・・いや・・・・・?)
 幼い頃から可愛らしくて穏やかで、どこかボケていた真琴は人気者だった。
誰もが一緒にいたいと思っていた可愛い幼馴染を1人占めしたくて、佐伯はよく真琴だけを連れて遠くまで遊びに行ったり、
真琴と遊ぶ約束をしていた子とわざと約束を交わし、真琴を1人きりにしたりと、今思えば本当にガキくさいことをしていたが、
佐伯にとってはあの頃が一番楽しく輝いた時間だった。
(こんな姿でマコと会うとは・・・・・な)
 高校を卒業して直ぐ、ある事情でホストになった。言いたくないお世辞や愛想笑いにも慣れ、何とか店で1、2を争う立
場になったが、それでも時折思い出していたのが・・・・・。
 「お前なんでこんなとこに?」
 「大学進学で出てきたんだよ。今はバイトの帰り。祥ちゃんは?」
 「お前意外と頭良かったよな。俺は見ての通りホストになったさ」
 「ホスト?」
 「ああ」
真琴が何と言うか、一瞬身構えた佐伯だったが、真琴は真琴のままだった。
 「祥ちゃん、昔からカッコよくって人気者だったもんね〜」
 「・・・・・」
 急に、嬉しくなった。幼いあの頃と真琴は全く変わっていない。
溢れかえる人ごみの中でこうして会えたのも必然のような気がして、佐伯はこのまま真琴を帰したくはなかった。
 「なあ、マコ、これからちょっと・・・・・」
 その肩を抱き寄せようとした時、佐伯はゾクッとするほど冷たい気配を横顔に感じた。
それと同時に、あれ程騒がしかった周囲の喧騒が止み、張り詰めた雰囲気がその場を支配する。
(何だ・・・・・?)
振り向いた佐伯の顔が強張った。
 「・・・・・会長」
 ケバケバしいネオンの中に立っていながら闇を背負った男。その長身がゆっくりと近付いてくる。
それが誰だが、この街の人間で知らぬものはいないだろう。
思わずコクリと唾を飲み込んだ佐伯だったが、
 「あ、海藤さん?」
暢気にその名を呼ぶ者がいた。
 「・・・・・マコ、お前会長を知ってるのか?」
 「うん」
素直に頷いた真琴がそのまま嬉しそうに男の傍に駆け寄るのを、佐伯はただ呆然と見ているしか出来なかった。