苦い恋と甘い愛











 退屈な接待の帰り、海藤は気分直しに真琴の姿を見ようと車を真琴のバイト先に向けて走らせたが、既にシャッターが
下りた店を見て直ぐ海老原に連絡を取った。
そして、まだ連絡がないという返事に、海藤は直ぐに真琴の姿を捜し、そして見つけたのだ、男に両肩を抱かれている真琴
の姿を・・・・・。
 「誰だ」
 「あれは・・・・・『KING』のショウですね。確か、先月No.1になったはずですよ」
 偶然今日の接待に同席した綾辻は夜の世界にも詳しく、男の顔を見て直ぐに答えることが出来た。
 「ホストか」
 確かにその服装は軽薄そうなものだったが、対する真琴は少しも嫌な顔はしていない。
海藤は車を止めさせて外に出た。
 「社長」
護衛が満足に付いていない中、こんな人込みを歩くのはあまり好ましくなく、倉橋は思わず呼び止めた。
 「私が行きます」
 「いや」
 真琴のことはどんな些細なことでも人任せにしたくない海藤はそのまま歩き始めた。
 「お、おい」
 「会長?」
 「海藤会長よっ」
 この辺りを取り仕切っている開成会の会長の顔を知らぬ者はいなかった。
圧倒的な権力と類まれな容貌はたちまち夜の街の住人達の目に留まり、そこここで感嘆の声や恐れる視線が飛び交うが、
海藤はそれらを全く無視して真琴の傍に歩み寄った。
 最初に気付いたのは一緒にいた男で、さすがに突然現れた海藤を驚いたような目で見る。
そして、その視線につられる様に振り向いた真琴が、その瞬間嬉しそうに顔を綻ばせたのが分かった。
 「海藤さん!」
 周りでこの状況を見ていたものは思わず息をのむ。この街で敬称無しで海藤を呼ぶなど自殺行為だからだ。
しかし、もちろん海藤にとって真琴は、その辺にいる人間とは別格の存在だ。
 「真琴」
 呼ぶ声がどんなに甘いか、海藤は自分でも自覚していた。



 目の前の光景を、佐伯は信じられないような目で見つめていた。
この街の最高権力者海藤に、幼馴染の真琴が子犬のように駆け寄っていく。
全く接点のないはずの2人がどうして・・・・・そんな疑問ばかりが頭の中で渦巻いていた。
 「どうしたんですか?すっごい偶然!」
 「たまたま通り掛ってお前を見掛けたからな。バイトはどうした?」
 「オーブンが壊れちゃって、早く閉めたんです。それで、時間も早かったし、地下鉄とバスで帰ろうかなって思って・・・・・」
 「そういう時は連絡してこい。何かあったら心配だろう」
 「あ・・・・・ごめんなさい」
 「謝ることはない」
 そう言って、真琴に笑みを向ける海藤を見て、周りは更にざわついた。
この街で海藤の笑みを見た者など、今まで皆無だったからだ。
海藤にこんな表情をさせるのは誰だと、真琴に向ける好奇や嫉妬の視線は激しくなったが、当の真琴は全く気付く様子も
なく、更に海藤がまるで守るようにその身体を抱き寄せた。
(まさか、マコは・・・・・)
 「マコ、お前・・・・・」
 「真琴、こいつは」
 佐伯の言葉にかぶせる様に海藤が聞くと、真琴は嬉しそうに言った。
 「幼馴染なんです。偶然ここで会って、久しぶりだから嬉しくって!」
 「・・・・・なるほど」
 「あの、俺もう少し話していってもいいですか?」
 「あいつは仕事中だろ」
 「あ、そっか・・・・・。じゃあ、祥ちゃん、連絡先教えて?今度ゆっくり会おうよ!」
 「・・・・・ああ」
 横顔に感じる海藤の冷たい視線が、更に厳しいものになったのを感じた。
真琴の言葉を止めようとはしないものの、海藤が自分を好ましく思っていないことは明白だった。
 しかし、このあまりの偶然は、佐伯にとっては最後の幸運にも思えた。
 「必ず連絡してね?」
幼い頃、とても同性とは思えなかった可愛い真琴に、今となっては笑えるぐらい幼稚な思いを向けていた。その思い出は、
本来なら大切にしまっておかなければならないもののはずだった。
 しかし、様々なことを経験し、苦渋を舐めてきた今の佐伯は、真琴の知っている自分とは全く違うずるく、卑屈な人間に
なっているのだ。
 「ああ、必ず」
(ごめん、マコ・・・・・)



 「女か」
 「はい。どうもその筋の女とデキたらしいですね」
 海藤は綾辻の報告を聞きながら眉を顰めた。
あれからマンションに戻った海藤は、真琴から佐伯との関係を詳しく聞きだした。
しかし、真琴の知っている佐伯は中学生の頃の憧れの幼馴染の話ばかりで、今の佐伯がどんな男か全く分からなかった。
(あの目・・・・・)
 あからさまな牽制をしたにもかかわらず、佐伯は堂々と真琴と連絡先を交換し合っていた。
自分のあの視線の意味に全く鈍感な男には見えなかったし、何より一瞬目の中に浮かんだ暗い光が気になって、海藤は
夜の街に詳しい綾辻に調べさせたのだ。
 案の定、典型的な転落の道を歩んできたらしい佐伯は、今は女と住んでいるらしく、その女は5歳年上のヤクザの情婦
らしかった。
関係がバレた時、そろそろその女に飽きていたヤクザはすんなりと別れたが、その条件としてかなりの慰謝料を佐伯に要求
したらしい。
それは、今の不景気の中では、月数百万もの稼ぎがある売れっ子ホストの佐伯でも、簡単には払えきれない金額のよう
だ。
女を捨てて逃げないだけ立派かも知れないが、ただの馬鹿正直な男だとも言える。
 「多分、金ヅルとして、このままずっとしゃぶられますよ」
 綾辻の見解は多分正しいだろう。
どんな理由であれ、一度金を払ってしまえばとことんしゃぶりつくすのがこの世界には少なからずいる。
 「どうしますか?」
 「放っておきたいんだがな」
 「多分、マコちゃんに連絡とってきますよ」
 「・・・・・真琴にどう言うか・・・・・」
 「随分慕ってたみたいですからね」
 あの時一緒にいた綾辻も、佐伯に対する真琴の思慕は感じられた。
それが幼馴染に対するものとは分かっていても、海藤にとっては面白くないだろうとも理解している。
海藤は珍しく溜め息を付いた。