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車の窓から外の風景を見つめている真琴の頬は先程からずっと緩んでいて、その楽しそうな顔を見ながら海藤は苦笑を零し
て言った。
「そんなに楽しいか?」
「え?」
「ずっと笑ってる」
「・・・・・っ」
自覚が無かったのか、真琴はパッと慌てたように自分の頬に手を当てた。
「へ、変な顔でした?」
「いや、可愛かったが」
ごくあっさりと言い切る海藤に、惚気ているという自覚は無いのだろう。
真っ赤になる真琴と、助手席で苦笑を零す倉橋と・・・・・それぞれの反応に海藤は不思議そうに聞いてみる。
「どうした?」
「い、いえ、なんでもないです」
(海藤さん、普通の顔で言うんだもん・・・・・こっちが照れちゃうよ)
『明後日からの連休、予定ありますかっ?』
先日の新年会で知り合ったばかりの年下の友人、苑江太朗から電話があったのは2日前だった。
まだ知り合って10日にも満たないのに、既に何回かメールや電話をするようになって、真琴はこの無邪気で明るい少年がとて
も好きになっていた。
その太朗が、もう1人の年下の友人、日向楓の家へのお泊り会を提案してきたのだ。
『あの時、ちらっと話に出たでしょう?俺、この間楓に電話した時、つい社交辞令だよなって言っちゃったんです。そしたら楓に、
俺は口先だけの約束はしないって怒られちゃって』
怒られたというわりには太朗の口調は楽しそうで、聞いている真琴の唇にも自然と笑みが浮かんでしまった。
『でも、俺1人じゃ煩いから駄目だって。真琴さんが一緒ならいいって言ってくれたんですよ』
先日会っている間は口喧嘩ばかりしていたイメージだが、馬が合ったというのだろうか・・・・・。あれから2人はきちんと連絡を取
り合っていたのだと分かり、真琴は嬉しくなった。
「海藤さん」
電話に向かって少し待ってと言った真琴は、今日は珍しく早く帰ってきてリビングで新聞を読んでいた海藤に声を掛けた。
「今度の連休、楓君の所に泊まりに行ってもいいですか?」
「・・・・・日向の家に?」
「今、太朗君から電話なんですけど、楓君が俺が一緒だったら泊まりに来てもいいって言ってるらしくって。俺も、ちょっと行って
みたいんですけど・・・・・駄目ですか?」
真琴にとって楓は普通の(とても美人であるが)少し我儘だが素直な友人であるが、海藤との関係で言えば楓は日向組の人
間で、その家に簡単に泊まると言っても直ぐには頷けないことなのかもしれない。
真琴は不安になってきたが、返ってきた海藤の口調は何時もと全く変わらなかった。
「あちらがいいなら構わないぞ」
「え・・・・・本当にっ?」
「ただし、条件はあるが」
お泊り会の許しは得たものの、真琴の隣には変わらず海藤がいる。
そう、条件というのは《海藤も同行する》ということだった。
開成会と日向組は敵対しているわけではなく、むしろ楓の兄である新組長は海藤を崇拝しているところもあるくらいだ。
保護者同伴・・・・・そんな思いが真琴の頭の中を過ぎったのは確かだったが、海藤にしてみれば真琴を他の組に預けるのは
心配だし、この機会に日向組の組長とゆっくり話しでも出来ればと考えたのだ。
多分、日向組の中は大わらわだっただろう。
楓の友人が泊まりにくる・・・・・ただそれだけのことが、開成会の会長の来訪となったのだ。
(気を遣わせちゃったかもしれないけど、俺は海藤さんが一緒だったらやっぱり嬉しいし)
「着きました」
真琴の思考を遮るかのように、倉橋の声が聞こえてきた。
慌てて窓の外を覗いた真琴は、ポカンと口をあけてしまう。
「・・・・・すごい、お屋敷みたい」
立派な日本家屋のその玄間先には、ずらりと厳つい男達が整列をしており、その中心に見慣れた美しい面影があった。
昨日から、楓は慌しく部屋の中を片付けていた。
1人部屋にしては狭いとはいえない10畳ほどの部屋だが、ここに3人も寝れるのだろうかとずっと悩んでいるのだ。
「マコさんにベットに寝てもらって、俺とあいつは畳で・・・・・でも、寝相悪そうだし」
それでも、お泊り会の醍醐味はやはり一緒の部屋で寝ることなので、楓は我慢するしかないかと溜め息をついた。
「入りますよ」
そんな時、軽くドアがノックされて伊崎が入ってきた。
「そろそろお着きになる時間ですよ」
「あ、もう?」
「組長はもう玄関先におられます」
「兄さんはあの人とゆっくり話せるってはしゃいじゃってるからなあ」
(俺にとっては余計な人なんだけど)
『なあ、本当に泊まりに行ってもいいのか?あれって社交辞令だったりして』
新年会の席で知り合った太朗とは、自分でも予想外だったが頻繁に連絡を取っていた。
お互いにメールは苦手なのか、用件はごくシンプルな文字だけで、
今日、ジローさんとケンカした。むこうが悪い!!スケベオヤジだ!
恭祐はユーズー効かない。つまらない。ガンコおやじ。
そう、お互いの彼氏の悪口を言い合っていた。
ただ、電話では2人共饒舌で、短い時間ながらかなりお互いのことを知るようになった。その上での太朗の《お泊り会》発言だっ
たのだ。
「俺は口先だけの約束なんてしないぞ!」
『じゃあ、行ってもいい?』
「あ、い、いや、でも、お前だけじゃ煩いし・・・・・あ!マコさん!マコさんが一緒だったらいい」
『真琴さんも?』
それから話はとんとん拍子に進んだが、真琴と共に海藤も来ることが分かると、日向組の中は騒然となった。
なにしろ海藤は若いながら開成会会長で、本家大東組でも近々役に就くだろうと言われている。
それ程の大物がいっかいの小さな組に来るというのは異例のことで、特別なことはしないようにとの言葉を受けてもなお、もてな
しの準備は着実に進んでいた。
「本当に、あの人も来るんだな」
「大事にされてるみたいですから」
「・・・・・お前は?」
「はい?」
「お前は、俺を大事にしてる?」
普段の態度があまりにも主従に徹しているので、楓は時々伊崎の気持ちを確かめる。
そんな時、伊崎は決まって楓の身体を抱きしめて囁いてくれるのだ。
「私にとって、楓さんはただ1人の最愛の恋人ですよ」
車が止まるのを待ちかねたように、真琴は自分でドアを開けて外に出た。
「こんにちは!楓君!」
「こんにちは」
照れ臭そうに笑う楓は可愛くて、真琴は思わずその手を握り締めていた。
「ごめんね、大勢で押し掛けることになっちゃって」
「マコさんとタロは俺のお客だけど、他のは兄さ、兄が面倒見てくれるから」
「そっか」
真琴は笑うと、改めて立派な門に視線を向けた。
「凄い家だねえ。日本の家って感じ」
「古いだけですよ。隙間風はあるし、ガタガタいうし。でも、大勢で家族みたいに暮らしているのは楽しいけど」
「へえ」
(他の組員さんも一緒に住んでるんだ)
真琴のヤクザの定義は海藤なので、大家族のような昔ながらの組の話はまるで昔見た映画のように聞こえる。
「ようこそ、いらっしゃいました」
そんな真琴に向かって、楓の隣にいた厳つい顔の、初老の男が頭を下げた。その隣には良く似た面影の、しかしより立派な
体躯をした男も立っていて、同時に頭を下げて言った。
「弟が何時も世話になっています」
「マコさん、俺の父さんと兄さん」
「楓君の?」
(・・・・・似て無い)
「楓の父の雅治です」
「兄の雅行です。今日はゆっくりして下さい」
あらかじめ、今日のメインは真琴と太朗だということを言われているのかどうかは分からないが、組の組長としてではなく楓の家
族として挨拶をしてくれた雅行に、真琴もにっこり笑って頭を下げた。
「西原真琴です。急にお邪魔をしますが、宜しくお願いします」
「ゆっくりして下さい」
楓とは全く似ていない精悍な顔付きの雅行は笑いながらそう言うと、視線を車の方に移して深々と頭を下げる。
丁度、海藤が車を降りたところだった。
「今日は世話になる」
「ごゆっくりなさってください」
2人の挨拶を背中に効きながら、真琴はキョロキョロと視線を動かして聞いた。
「太朗君は?」
「それが、まだなんです。昼過ぎには行くって言ってたんだけど」
「どうやって来るんだろ?バスかな?」
庶民的な思考の真琴に、さすがはお坊ちゃまの楓は、
「きっと、タクシーですよ。中で待ってましょう」
「うん。でも、本当に凄いお屋敷だね〜」
真琴はワクワクしながら、案内してくれる楓の後に続いて門をくぐった。
残された男達は、互いに顔を見合わせて苦笑を零した。
「海藤会長、今日は楓の我儘につき合わせるようなことになってしまって・・・・・」
「いや、真琴も楽しみにしていたしな」
既に真琴のことを知っていた伊崎とは違い、雅行達は真琴と会うのは初めてだった。
この世界ではかなり有名な海藤が、最近気に入って囲っているという噂の愛人が本当に男だったのかと内心驚いたが、実際に
会った真琴の度胸の良さにも驚いた。
今ここにいる中で唯一一般人の真琴。
この街の人間ならば日向組がどんな組かはよく知られているので友好的ではあるが、普通の人間だったら毛嫌いするか怯える
かしてもおかしくは無いはずだった。
しかし、真琴はこれ程大勢の怪しい男達に囲まれてもごく普通で、それが虚勢ではないと感じ取れるだけに雅行もその度胸
の良さに感心していた。
さすがは海藤が選んだ相手だと、それが男か女かは関係ないと思えるほどに。
「今日はゆっくり話をさせて頂きますか?」
「真琴達の邪魔は出来ないしな」
「はは、それはそれは」
雅行は思わず声を上げて笑った。
「それでは、中にどうぞ」
「邪魔をする」
後ろに倉橋を従えた海藤は、ゆったりとした足取りで中に入っていった。
それから20分後−
「・・・・・ここ?」
太朗は自転車から降りると、呆然と門を見上げて呟いた。
「・・・・・遠山の金さんちみたい・・・・・」
住所を聞いて、案外近いかもと思った太朗は、最近父に買ってもらった自転車で遠乗りするいい機会だと、なんと家からここま
で自転車に乗ってきたのだ。
少し遠回りしてサイクリングと思ったのがそもそもの間違いで、なんとこの門の前に立つまで5時間も経ってしまった。母親の作っ
てくれたお握りもとうに消化してしまい、太朗の腹は先程から煩いくらいにグーグー鳴っている。
「あ〜・・・・・腹減ったあ〜。罰として小遣い無しだし、買い食いも出来ないなんて・・・・・俺って小学生以下?」
取りあえずは、ヘトヘトになりながらもここまでやってきたのだ。
太朗は早く中に入って休ませてもらおうと、ドンドンと木の門を手で叩いて叫んだ。
「たのも〜〜〜!!」
何度もドンドン叩いていると、門の横の小さな木戸が開いて、強面の若い男が顔を出した。
「ドンドン叩くんじゃね〜よ!お前、どこのもんだっ?」
「どこのもんって、俺、苑江っていいますけど、楓はいますか?」
男を怖いと思う前に、太朗は早く何か食べさせてもらいたくて焦ったように言う。
しかし、それ以上に焦ったのは門番の若い組員だった。
「そ、苑江って、苑江太朗様ですかっ?失礼しました!どうぞお入り下さい!!」
いきなり男の態度が変わったが、太朗はそれには少しも頓着せずに、自転車を押しながらいそいそと門をくぐっていった。
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500,000hit記念の、新年会のその後です。
また3人の楽しい話を書けることになりました。
タロの小遣いが無しというのは・・・・・本編での理由の通りです(笑)、かわいそ、タロ。
でも、チャリでお出掛けとは、根性ありますね(無謀だけど)。