「ちょっと、何時までそんな顔をしてるんですか?」
 「・・・・・」
 「会長、聞こえていますか、私の声」
 ブスッと苦い顔をしたまま書類を見下ろしている上杉を見て、小田切はあからさまに大きな溜め息を付いてみせた。
 「全く、仕事をする気はあるんですか?そんなに腑抜けていると、ゼロを見落としますよ」
 「・・・・・俺は傷心なんだ」
 「たかが送り迎えはいらないと言われただけでしょう?何をそんなに落ち込むことがあるんですか、くだらない」
 「・・・・・何とでも言え」
羽生会というヤクザの組の会長である上杉のあまりに情けない姿に、小田切ももう何も言う事は無かった。



 『俺、1人で行けるから。ジローさんは仕事しててよ、休みじゃないんだろ?』

 日向楓の家へのお泊り会の話を聞いたのは、つい昨日の夜の電話でのことだった。
携帯は持っていくけど電源は切るからと、前もって所在地を教えてくれようとした太朗だったが、上杉としては余りに唐突に出て
きた話だったので多少は慌てて口を挟んだ。
 「何、俺に黙って決めてるんだ?せっかくの連休だし、2人きりで・・・・・」
 『やだ。どーせ、マンションでエッチなことずーーーっとするつもりなんだろ?それなら俺、楓んちに行ってみたいんだ。なんか純日
本風の家なんだって』
 「タロ・・・・・」
 確かに、太朗の言っているように、連休中は普段泊まることなど出来ない太朗をずっと拘束し、思う存分可愛がってやろうと
思っていたのだ(もちろん、大人の可愛がり方を、だ)。
その先手を打たれた形で、上杉は一瞬頭の回転が止まってしまった。
 「あ〜、いや、でも、向こうも正月早々迷惑だろ」
 『そんなことないって。真琴さんも一緒だし、俺凄く楽しみにしてるんだ』
 「あの子もか?」
電話口からも太朗の弾んだ声でその気配は十分分かり、上杉は眉を顰めてしまった。
 「・・・・・とにかく、明日会おう。日向に行くんなら送ってやるから」
 『いいよ、子供じゃないんだから1人で行ける。あ、俺、明日早いからもう寝るね、お休み!』
 「お、おいっ、タロ!」
電話は全く恋人らしい会話も無く、呆気なく太朗の方から切られてしまった。



 仕事は溜まっている。
それは、12月の様々なイベントに太朗をかり出したせいで溜まってしまった、いわば本当に自業自得の結果だった。
しかし、上杉にしてみれば、この溜まった仕事を片付けた後に太朗とゆっくり・・・・・そう計画をしていたのに、全くそれが崩れてし
まったのだ、やる気も起きない。
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 無駄に時間だけが過ぎると時計を見上げた小田切は、仕方ないと口を開いた。
 「あちらに、夕方お邪魔すると伝えます」
 「・・・・・タロが怒る」
 「太朗君にではなく、日向組の新組長との親睦を温めに行くんです」
 「・・・・・あ、そうか」
 「納得されたら、早くそれに目を通して下さい。株は1分1秒が勝負なんですよ」
 「おう」
数分前とはまるで別人になったかのように、現金にも張り切った上杉は書類に目を通し始めた。
しかし、その頬は隠すまでもなく緩んでいて、頭の中では既に太朗をどう驚かせてやるかと子供のようなたくらみを始めているのだ
ろう。
(・・・・・大丈夫ですかね)
確認作業が大変だと、小田切は呆れたように溜め息をついた。



 「あ・・・・・真琴さん、楓〜」
 太朗の到着を聞いた真琴と楓が玄関先に迎えに出ると、そこには情けなく眉を下げた太朗が立っていた。
 「・・・・・何、そのくたびれた顔」
 「俺、自転車に乗って来たんだけど、途中で道に迷ってさあ〜。もう、このまま遭難するかと焦ったよ〜」
この都会で遭難するはずが無い・・・・・楓はそう思ったが、その前に聞いた太朗の言葉にふと引っ掛かった。
 「・・・・・今、自転車って言った?」
 「ん?言ったよ?」
 「お前・・・・・馬鹿だなあ」
 「なんだよ!バカって!バカって言う方がバカなんだぞ!」
 「・・・・・はいはい」
楓は心底呆れてしまった。
太朗の家の住所は聞いていたので、そこからここまでいったいどれ程掛かったか・・・・・。馬鹿だとは思っても、それ以上に何を考
えているのかと不思議にさえ思った。
 「楓、そちらがもう1人の友達か?」
 そこへ、楓の兄の雅行がやってきた。
いきなり現われた厳つい大男に、一瞬目を丸くした太朗は、直ぐにぱあっと顔を輝かせた。
 「父ちゃんに似てる!!」
 「「「え?」」」
そこにいた3人の言葉は一様に疑問符だったが、太朗はじいっと雅行の顔を見つめてニコニコと笑いながら言葉を続けた。
 「父ちゃんの若い頃の写真にそっくり!カッコイイな〜」
 「タロ・・・・・本気?」
 「えっと、楓のうちの人?」
 「俺の兄さん」
 「え!兄ちゃんっ?うわ!全然似てない!」
 先程真琴は遠慮して言わなかったことを、太朗は大きな声で叫んだ。
しかし、その裏表の無い正直な態度は雅行のお気に召したらしく、顔には苦笑を浮かべながらも雅行は太朗に向かって頭を
下げた。
 「楓が世話になってるね」
 「い、いえ、こちらこそ!あ、ちょ、ちょっと待ってください」
太朗は背負っていたリュックを下ろすと、中から菓子折りを取り出して差し出しながら深々と頭を下げた。
 「今日はお世話になります。これ、母ちゃ、母からです」
 「これは・・・・・ご丁寧に」
 雅行が笑いながら受け取ってくれたのを見て安心したのか、太朗は直ぐに楓を振り返った。
 「楓〜、何か食べさせて〜」
 「・・・・・」
まるで嵐のようにやってきて、一帯を席巻する太朗。
その余りのマイペースぶりに、楓はとうとう声を出して笑ってしまった。



 「・・・・・ふぁ、こんふぃふぃふぁ」
 既に昼を片付けた後らしく、太朗は恐縮しながらも用意してもらったカツ丼を(どんぶりを見た時、太朗は歓喜の声を上げて
料理番の組員に礼を言った)頬張っていると、そこへ再び雅行と、そして太朗にしてみれば意外な人物が姿を現せた。
(海藤さん、来てたんだ)
チラッと真琴に視線を向けると、真琴は恥ずかしそうに笑っている。
 「保護者同伴なんだ」
 「ふぁあは・・・・・」
何時もの隙の無いスーツ姿の海藤は、前にも思ったがとてもヤクザには見えない。どう見てもエリート弁護士か、大会社の役員
か・・・・・とにかく、風格と気品があるのだ(上杉と違って)。
(相変わらず、カッコイイ人だよなあ・・・・・でも、ジローさんも負けてないけどさ)
そう考えると、太朗の思考はどんどん上杉の姿を追っていく。
(じゃあ・・・・・ジローさんも呼んであげたら良かったかなあ)
 会えばエッチなことばかりしてくる上杉への意趣返しに、今回のお泊り会には断固来るのを拒否したが、こうして真琴と海藤、
そして楓と伊崎と、それぞれがまるで一対のように一緒にいると、自分の隣が妙に寂しく感じてしまった。
しかし、ここは楓の家なので、気軽に上杉を呼び出すことは無理だろう。
 「自転車で来たとはご苦労だな」
 その言葉はけして馬鹿にした響きはなかったので、太朗は素直に頷いた。
 「今聞いたが、上杉さんも来るそうだな」
 「ふぇ!!」
 太朗は慌てて口の中の物を飲み込んだ。
 「それっ、本当ですかっ?」
海藤に代わって答えたのは雅行だ。
 「今連絡をもらったんだ。夕食までには行かせてもらうと」
 「そっかあ・・・・・ジローさん、来るんだ」
嬉しそうに呟く太朗の頭の中には、既に上杉への子供っぽい報復は完全に忘れ去られていた。



 腹が落ち着いた太朗は、早速楓の部屋が見たいと言った。
 「お前、俺の部屋はきっと汚いはずだって言ってたろ?それだったら自分はどれだけ綺麗なのか、見せてもらえるよな」
 「いーよ」
 「うわ、楽しみだね」
まだ真琴も応接間しか見ていないらしく、この日本家屋の中を歩くのをとても楽しそうにしている。
太朗も、これほど立派な日本家屋は初めて見る。どこかに抜け道やからくりがありそうだなと内心ドキドキしながら、2人はまる
でアヒルの子供のように楓の後ろをついて歩いた。
 「廊下広いね〜」
 「あ、中庭もある!」
 「障子も窓も大きいんだ」
 「なあなあ、犬か猫、飼ってないのか?」
 真琴と競うように楓に声を掛けると、面倒臭そうな口調とは反対に顔は綻んだままの楓が、わざわざ1つ1つに答えてくれた。
 「廊下は、母さんが車椅子で帰ってきた時でも不自由ないようにって」
 「中庭はおじいちゃんの趣味。父さんは釣が好きだから」
 「障子は今風に変えたんですよ」
 「犬も猫も飼ってない。俺は飼いたいけど、兄さん、犬恐怖症だから」
 「・・・・・」
(律儀な奴だなあ、楓って)
見掛けはツンとした冷たい美人といった感じだし、口を開けば驚くほどに言葉が悪い。それでも、電話やメールで少しずつ距離
を縮めていくと、楓は素直で可愛い素顔を晒してくれた。
だからなのか、太朗よりも1歳上だが、ほとんど同級生のノリになってしまう。
 「ここ」
 そんな風にワイワイ話しながら歩いていると、楓は1つのドアの前で立ち止まった。
 「どうぞ」
 「・・・・・うわ、俺の部屋より広い・・・・・」
 「綺麗にしてるね。シンプルなのが楓君らしい」



 自分の部屋に友人を入れるのは初めてで、楓はどこか裸を見られるような気恥ずかしさを感じていた。
家が特殊な環境なのでなかなか親しい友人というものは出来ず、出来たとしても家にまでは連れて来れなかった。
自分のせいで誰かが傷付くのは嫌だったし、楓にとっては家族同然の組員達を蔑みの目で見られるのも嫌だったからだ。
 ただ、この2人は違うということは分かる。
それぞれの恋人がヤクザという事もあるだろうが、例えそうでなかったとしても、2人が自分に背を向けるということは考えることも
しなかった。
 「これ、楓君?可愛い」
 「あ」
 机の上に置かれてあったシンプルな写真立て。
その中に納まっているのは、満面の笑顔の幼い楓と、今よりは若い伊崎の姿だった。
 「小学生?」
 「2年の時。いつも苛めてきた奴らを撃退した記念」
 「・・・・・ああ、だからバンソウコウ付けてるんだ」
笑いながら言う真琴の言葉の通り、笑顔の楓の額や頬には幾つかのバンソウコウがはられている。
隣にいる伊崎の困ったような笑みは、その怪我を心配するゆえだったと・・・・・あの頃の懐かしい思いが蘇った。
 「でも、ここは洋風なんだ」
 「あ、そういえばそうか」
 「畳の部屋は他に腐るほどあるし、俺、ベットに寝てみたくって」
 「ベット、楽だもんね」
 「今日はここに泊まらせてもらえるのか?それとも、客間みたいなとこ?」
 「ああ、俺達3人はここ。海藤さんと・・・・・上杉さんが来たとしたら、2人は奥の客間を用意すると思う」
 「楽しそ〜!」
 「ほんと」
 「・・・・・」
(俺も、楽しみ、だな)
どんなに楽しい夜になるのか、楓の心も弾んでいた。





                                  




ジローさんに意外なライバル登場(笑)。
太朗はファザコンですね、絶対。