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顔を洗って、着替えて、遅めの朝食を食べると、時刻は既に昼に近かった。
あまり長居をしてはとそろそろ帰ろうかという事になったが、1人不満そうな顔をしているのが楓だった。
「マコさんと太朗はまだいてもいいのに」
楓としては余計なオマケ達は帰っても全然構わないのだが、真琴達とは全然話足りなかったのだ。
「帰るの遅くなると、その分別れる時が淋しくなるよ」
「・・・・・」
(それは、分かるけど・・・・・)
楓は上目遣いに真琴を見つめた。
「寝巻きだって持って帰って欲しいのに・・・・・。2人のイメージに合わせてあつらえたんだから、置いていかれたって誰も着る事出
来ないよ」
「ありがと。でも、それは今度来る時まで預かってて。また絶対遊びに来るから、ね、太朗君」
「家じゃ着れないもん。また来るからさ」
「・・・・・」
「全く、電話をしてくるからと言って席を立ったあなたが、まさか寝込みを襲っていたとは思いませんでした」
呆れて苦笑しか零せないといった感じの海藤に、上杉は事も無げに笑って言った。
「心配すんなって、お前のもんは目に入れてないって。俺はタロを起こしに行っただけだからさ」
「・・・・・まあ、その言葉は一応信じますが、今後は許せないと思いますよ」
「心狭いこと言うんじゃねえよ、海藤」
上杉は朝から上機嫌だった。
楓には色んなものを投げつけられたがそれらは全て痛くも無いものだったし、可愛い太朗の寝起きもじっくりと見ることが出来た。
それに、海藤にはああいったが、目の保養といった理由で真琴と楓の寝姿も見た。
眠っていても楓は綺麗だったし、真琴も思わず笑みを誘われるほど安らかな顔をしていた。
もちろん、今の上杉にとっては太朗以外に欲情することは無かったが、それでも眼福と思ったのは・・・・・海藤と伊崎には内緒だ。
「今回は世話掛けたな」
「こちらこそ、世話になりました」
「また飲むか」
「程々に」
「その答え方が真面目なんだよなあ」
上杉がそう言って笑った時、雅行が2人に歩み寄ってきて深く頭を下げた。
「今回はご苦労様でした」
「おいおい、仕事じゃないんだ」
「弟が朝からご迷惑を・・・・・」
「あれも、目が覚めるにはいい運動だ。怒らないでやってくれよ」
自分と海藤が酒が強いのは分かっていたが、雅行も相当の酒豪のようだった。これからが楽しみだと、上杉はポンと雅行の肩を
叩いて言った。
「これからも宜しく頼むわ」
「こちらこそ、お願いしますっ」
学生のようにバッと頭を下げる雅行に、上杉は更に大声で笑った。
倉橋の顔色は青白いものだった。
昨夜のことはある程度覚えてはいるが、ある時を境にして記憶が途切れていた。
今朝目が覚めた時、そこは見知らぬ部屋の一室で、倉橋はベットではなく床に敷かれた布団に寝ていた。
そして・・・・・。
「大丈夫か?克己」
「!!」
驚くほど間近に、整った綾辻の顔があった。
思わずその身体を押しのけた倉橋は、自分が浴衣に着替えさせられていることを知った。
「こ、これは、あなたが?」
「俺以外誰がお前に触れるんだ?」
「わ、私は・・・・・」
「小田切さんが少し酒を勧め過ぎたようだ。気分はどうだ?」
一瞬で倉橋は無くなったはずの記憶が蘇ってしまった。
居たたまれなくなった倉橋は直ぐにその部屋から飛び出し、通り掛かった組員に聞いて洗面所に急いだ。
「・・・・・」
大きな鏡の前で浴衣の胸をはだけてみると、嫌になるほど青白い肌には何の痕跡も無い。ただ・・・・・その頬は何時もよりは赤み
があって、嫌になるほど無防備な顔をしていた。
「・・・・・私は何をしてるんだ・・・・・」
それから、倉橋は出来るだけ何時もと変わらない表情をしていたが、どうしても綾辻の存在を意識してしまう。
時折意味深に自分を見て笑う小田切の視線も気に掛かる。
(・・・・・本気で禁酒を考えた方かいいかもしれない)
倉橋は深い溜め息をついた。
「ちょっと、小田切さん、あんまり克己をからかわないでくださいよ」
倉橋のそんな心の葛藤が手に取るように分かる綾辻は、先程からそれとなく倉橋を見ている小田切に釘を刺した。
多分、自分よりもかなり性質が悪いであろう小田切が、妙に倉橋を気に入っているのは分かっていたが、そのからかい方はあまり
品の良いものではない。
綾辻自身はそんな小田切を面白いと思う余裕があるが、真面目な倉橋には軽く許容量オーバーだろう。
「あの綺麗な顔が歪む姿が楽しくて」
「小田切さん〜」
「大丈夫ですよ。引き際は心得てますから」
「そうは見えないのよね〜」
「綾辻さん」
「はい?」
「私の前では素を見せていただいていいんですよ?」
「・・・・・」
「あなた、そんなに柔らかな人じゃないでしょう?」
昼の日差しの下で見るにはあまりにも妖しい小田切の笑みに、さすがの綾辻も一瞬言葉に詰まってしまった。
(何ていうか・・・・・底が知れない人間だな)
この小田切を、上杉はよく御しているなと感心した。
一見大雑把で、ガサツで、単純な人間に見える上杉だが、実は底知れないほど懐が大きな人間なのかもしれない。
(ワンコも気の毒に)
この、悪魔のような恋人を持つ男に(小田切は恋人と思っていないかも知れないが)綾辻は深く同情した。
「お世話になりました!」
「今度、またゆっくり遊びにおいで」
楓の父には玄関先で別れたが、門の外までわざわざ見送りに出てきてくれた楓の兄、雅行に、太朗は満面の笑顔を向けて挨
拶をした。
楓や真琴に会えたのは嬉しかったし、こんなに大きな楓の家に泊まれたのも楽しかった。
そして、それと同じように、楓の兄の雅行に会えたのも嬉しかった。
父親によく似た雰囲気の雅行と話すのは安心出来るし、傍にいるのは心地良い。
それは上杉といる時とはまた違った感覚だった。
「俺、また絶対遊びに来ますから!」
「ああ、待ってるよ」
「へへ」
顔を見合わせて笑い合う2人には少しも変な雰囲気はない。
無いのに・・・・・強引に割り込んできた男はグイッと太朗の腰を引き寄せた。
「太朗が世話になる時は俺も同行するからな」
「ジ、ジローさん!」
「上杉会長」
「絶対に1人は駄目だ」
「え〜〜!」
「禁止」
「横暴だよ、それ!」
上杉が雅行を牽制しているとは少しも分からない太朗は横暴な言葉に抗議するが、上杉はどこ吹く風と聞き流してしまう。
いや、キャンキャン騒ぐ太朗を楽しそうに見ているといってもいい。
「ジローさんってば!」
「却下」
傍から見れはどう見てもじゃれあいにしか見えないそれを、雅行も苦笑しながら見ているしかなかった。
「じゃあね!」
迎えに来てくれた車に乗り込んだ真琴は窓を大きく開けて叫んだ。
「また、絶対に遊びに来るから!」
コクンと頷くだけの楓を確認したかのように、車は静かに走り出す。
その姿が見えなくなるまで後ろを向いていた真琴は、やがてはあ〜と溜め息をつくとシートに深く座り込んだ。
「・・・・・楽しかったあ」
「そうか」
不思議と、淋しいとは思わなかった。また会えるという確信を持てたからかも知れない。
「海藤さんは?どうでした?」
「いい息抜きになった。お前のおかげだな」
真琴はどうしても海藤に触れたくなってしまった。ただ、ここは車の中で、自分達以外にも人がいる。
それでも真琴はそっと手を伸ばして海藤の指に触れると、海藤は触れるだけだった指をしっかりと握り締めてくれた。その手の温か
さや強さが嬉しかった。
「お前と出会ってから、俺は笑ってばかりだ」
「海藤さん」
「これからも、きっとそうだな」
「・・・・・うん」
大勢でワイワイ騒ぐのはとても楽しかったし、また集まりたいなと自然に思う。
しかし、やはり海藤といる時の時間が一番好きだなと、真琴は握り締める指にキュッと力を込めた。
「またな!楓!また絶対来るから!」
「今度はそのヘンタイを置いて来いよ!」
「了解!」
窓から大きく身を乗り出して手を振っていた太朗は、角を曲がって楓達の姿が見えなくなってもまだ外を見ていた。
「タロ」
「・・・・・さびしーよー」
上杉は太朗を中に引き入れると、半分ベソをかいた顔を見てプッとふき出した。
「なんだ、その顔は」
「う、煩いっ」
「もう二度と会えないわけじゃないだろうが。ちょくちょく連れて来てやるよ」
「・・・・・楓は、ジローさん、置いて来いって言った」
「あれは照れ隠しだな」
堂々と言い切った上杉は、もちろん太朗を1人であの家にやることは考えていなかった。間違いがあるとは思わないが、自分の知
らない所で、太朗が自分以外の男に懐くのは単に面白くないからだ。
太朗の父親の存在さえ引っ掛かるのに(辛うじて血が繋がっているので見逃すが)、赤の他人の男ならは問答無用に排除するの
は当然だった。
「・・・・・そうなのかな」
「お前だって、俺が行った方が良かったろ?」
「・・・・・うん」
素直に頷く太朗が可愛くて、上杉は車内の人間の存在をいっさい無視して抱きしめようとしたが・・・・・、
「ああーーーーー!!」
突然、太朗はその身体を押し返し、運転手に向かって(仕切りがされているのでバンバンと叩いて)叫んだ。
「引き返してください!お願い!」
「おい、タロ、どうした」
「自転車忘れちゃったんだよ!置いて帰ったら母ちゃんに叱られる!!」
「・・・・・あー」
上杉は空を仰いだ。
太朗相手にはなかなか色っぽい雰囲気にはならないようだ。
なぜか引き返してきた太朗の忘れ物である自転車を車に積んだりして、楓の淋しいという気持ちは慌しさの中で少し薄らいで
しまった。
「全く、太朗は最後まで世話が焼けるんだからっ」
口調の割には楓の頬が柔らかく笑んでいるのを見て、伊崎も自然と口元を緩めた。
あの2人は、楓にとってはとてもいい影響を与えてくれたようだ。
(一般人の子供だが、あの人達についているんだからな)
真琴は海藤と、太朗は上杉と、実際にこの目で見て、それぞれが本当に思い合っていることが分かった。世間からすれば色々問
題がある組み合わせかもしれないが、伊崎に口を挟む権利はないだろう。
「楓さん、そろそろ中に。外はまだ冷えますよ」
「うん」
楓は頷いて門をくぐる。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、また何時もの日常が戻るのだ。
「私はこの後事務所に顔を出すので」
「恭祐」
「はい?」
「今朝の約束、忘れてないな?」
意識して色っぽい眼差しを向けてくる楓に、伊崎は素早く頬に唇を寄せた。
楓の部屋以外で今までこんな大胆なことをしなかった伊崎の突然の行動に、楓の切れ長の目は大きく見開かれる。
しかし、伊崎はこの表情の方が、よほど可愛らしく鮮やかにみえた。
「必ず、伺います」
「きょ・・・・・」
「早く、家の中に入ってくださいね」
伊崎は呆然と立ち尽くす楓を置いて、事務所に向かう。
既に帰ってしまった彼らに自分もあてられてしまったかと思いながらも、伊崎は今夜の約束を守る為に早々に仕事を片付けてしま
おうと自然に足を早めていた。
end
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終わりましたよ〜。意外に長い話になってしまいました・・・・・。
これからこの3人のお子様はことある毎に集まるんだな〜とか、その時は絶対ダンナ様付きなんだろうな〜とか、その時は絶
対小田切さんもお邪魔するんだろうなとか・・・・・色々想像を巡らして楽しいです。
また、彼らの話を書きたいな。