屋烏の愛 おくうのあい
Special day
海藤が大東組の理事になってから一ヶ月ほど経った。
それまでの開成会の仕事と、フロント会社の仕事に加え、大東組関係の様々な雑事が増えてその忙しさは以前の1.5倍ほ
どにもなっていた。
ただし、大東組関係の仕事については、本部から1人出向してきた者がほとんど処理をしてくれているので、倉橋はそれまで
の業務以上のものを抱え込むことは少なかった。
トントン
ノックの音に顔を上げた倉橋が入室の許可を与えると、手に書類を持った男が現れた。
「松宮(まつみや)さん」
「少し、いい?」
「はい」
大東組から出向して来た松宮七生(まつみや ななお)は、綾辻と同い年の男だ。
外見は染めてない黒髪に黒縁の眼鏡、地味なスーツと、一見野暮ったい印象に見える中、骨ばった指にしている指輪だけは
妙にデザイン性の高いものだった。
人の容姿の美醜をあまり気にしない倉橋は、実はよく見るとその顔が整っていることに気がついたのは最近だったが、敏い綾
辻は松宮がやってきた当初からそれに気付いていたらしく、あまり近付くなと煩いくらいに言っていた。
(いったい、何を疑っているんだか)
松宮とはあくまでも仕事面でしか顔を合わせることはないし、綾辻も傍にいたら分かるだろうが自分達は無駄話も交わさない
のだ。
「来週の水曜日ですか」
「そっちのスケジュールと被っているだろう?どうかなと思って」
「・・・・・ああ、それでしたらこちらを翌日にずらします」
「大丈夫?」
「ええ。初めから向こうのゴリ押しで決まった面会ですから」
倉橋がスケジュール帳に変更を書き込みながら言うと、それを見ながら松宮は別の日にちを指差してくる。
「ここも、空けといて。理事には俺が付いていくから」
「え?」
松宮が指差したのは海藤が社長を務めている会社の会合だ。夕食をとりながらのそれに倉橋は当然同行する予定にしていた
が、大東組の仕事でもないのにどうして松宮がそう言い出したのか分からなかった。
「これは、理事の仕事とは関係ないものですが?」
「ああ、分かってるよ」
「では・・・・・」
「綾辻から、その日の夜は絶対に空けておいてくれって厳命された」
少し笑みを含んだ声で言う松宮の言葉の意味が本当に分からず、倉橋はもう一度その日にちに視線を落とす。そして、
「あ・・・・・っ」
ようやくその意味に気がついた時、色白の肌は瞬時に赤くなってしまった。
綾辻は1階の事務所で無駄話をしていた。
大東組が余計な人材を送ってきて倉橋との甘い時間が減らされると当初は嘆いていたが、人材・・・・・松宮は意外に使える
男で、見た目の生真面目さからは少し想像出来ないほどに・・・・・綾辻にとっては良い意味で・・・・・少し崩れた男だった。
一見、地味な男だが、綾辻は自身と同じ匂いを感じ取り、相手もそんな綾辻に笑みを向けてきた。
だからかもしれない、開成会の人間ではないのに綾辻は自分と倉橋の関係を伝えた。驚くことも無く、単に事実として受け止
めたかのように分かったと言ったが・・・・・。
(本当に侮れない男だな)
「綾辻幹部〜、ここでサボってていいんですか?」
若手の組員が恐る恐る声を掛けてくるのに、綾辻はふふっと笑って言った。
「だいじょおぶ。有能な人が来てくれたしね〜」
「でも、そんなことを言っていたら倉橋幹部に・・・・・」
その言葉が言い終わらないうちに、荒々しくドアが開けられた。
そこに立っていたのは倉橋で、普段はノックをして声を掛けてから入室してくる彼には珍しい行動に、綾辻はその心中を推し量
るように見つめながら声を掛けた。
「どうしたの?克己。私に会いに来てくれた?」
「・・・・・少し、良いですか」
「何?デートのお誘い」
「綾辻さん」
「は〜い」
どうやら、冗談に一言も返すことが出来ないほど怒っているようだ。
怒られる要因はあり過ぎてどれだか確定は出来ないが、周りの組員達はサボったことを怒っているのだろうと思っているようで、
自分達も戦々恐々としている。
「じゃあ、お仕事ちゃんとするのよ?」
自分が言うことではないかと内心で突っ込みながら倉橋の後を付いて行くと、どうやら役員フロアがある上にいくようでエレベー
ターに乗り込んだ。
扉が閉まり、降りる階を押すまで倉橋は黙っていたが、エレベーターが動き始めて直ぐ、我慢出来なくなったのかいきなり振り向
いて綾辻のネクタイを掴んで言った。
「何を言いました?」
「?」
突然の倉橋の行動にどう反応して良いのか全く分からないまま、綾辻は思わず聞き返してしまう。
「何のこと?」
「・・・・・松宮さんにです」
「あ〜・・・・・」
松宮の名前に、綾辻はようやく倉橋が怒っているわけがわかった。
(私が言っちゃったこと、バレちゃったってことか)
「あ〜」
何か納得したようにそう言った綾辻に、倉橋はさらに強い眼差しを向ける。どうやら本人にはちゃんと自覚があったようだ。
「本部の人にどうして私達のことを・・・・・」
「だからよ」
「え?」
聞き返そうとした時にエレベーターは止まった。すると、綾辻は倉橋の腕を掴み、そのまま自身のオフィスへと入っていく。
彼のテリトリーに行く気はなかったのに、足を踏ん張って抵抗することも出来ずに部屋に入ると、ドアが閉まった瞬間にトンとそれ
に背をつけられ、綾辻が真っ直ぐに顔を覗き込んできた。
身長差がないので視線を逸らすことも出来ず、倉橋は辛うじて目線を下に落とすことで綾辻への反発の意を示す。
「あいつ、結構遊び人」
「はあ?どこを見てそう言っているんですか。あの人はとても真面目な人で・・・・・」
「克己」
「・・・・・っ」
不意に、綾辻の声が低くなった。自分の反論に不機嫌になってしまったのかと、倉橋はおずおずと視線を上げたが、綾辻の目
は怒りではなく、どこか不安そうに揺れていた。
「これ以上、お前を取られたくないんだ」
「あ、綾辻さ・・・・・」
「分かれよ、克己」
自分のことを欲しいと思う人間など、綾辻くらいしかいない。
海藤も必要としてくれているが、その中に恋愛感情など全くないことは綾辻だって知っているはずだった。
(松宮さんを気にするなんて・・・・・)
確かに捉えどころが無いと感じる時もあるが、彼は有能な秘書として海藤の役にたってくれている。海藤にとって必要な人間
ならば、倉橋も受け入れざるを得ないのだ。
「綾辻さん・・・・・」
第三者の松宮に自分達の関係を匂わすようなことを言ったのはやはり許せないが、綾辻に不安を感じさせるような態度を自
分がとったとしたならば謝らなければならない。
倉橋は少しだけ拘束の緩んだ手を、そのまま綾辻の背中に回した。
「す・・・・・み、ません」
「克己」
「私の態度に不満を持ったのならば謝ります。でも、私達のことをそんなに言いふらさないで下さい」
「・・・・・恥ずかしいから?」
「違います」
自嘲するような綾辻の言葉の響きに、倉橋は即座に否定した。
綾辻のような男に求められ、愛されているということに恥ずかしさなど感じるはずが無い。
「・・・・・引き離されたくないからです」
それは、自分の我が儘な思いだった。ようやく手に入れた大切な存在と、どうしようもない理由で引き離されたくないからだ。
(あなただけが・・・・・傍にいてくれたらいい)
そうしたら、自分は生きている価値があるのだと思える。
思い掛けない倉橋の告白を受け、綾辻は深い息をついてからその首筋に顔を埋めた。
(・・・・・やられた)
意図しない口説き言葉に簡単に堕とされる自分もかなり情けないと思うが、倉橋限定ならば構わないだろう。
(それにしてもあいつ・・・・・克己にバラすようなことを・・・・・)
綾辻が倉橋との関係を伝えた時に言った言葉。
「俺も、どっちもイケルから。気にしなくていいよ」
あの言葉は同性同士でも偏見の目で見ないということをそれとなく伝えてくれたのだと思っていたが、もしかしたら自分も倉橋の
隣に立つ権利があると言おうとしたのではないか。
(・・・・・させるかっ)
ようやく手に入れたものを、易々と他人にくれたりしない。海藤にさえ、ようやく分け与えているのだ。もう、欠片もやるつもりは
ない。
「・・・・・それで、どうして分かったの?」
松宮の性格から、倉橋には直接的な言葉を言うとは思えなかったが。
「・・・・・来週」
「来週?」
「6月1日、スケジュールを入れるなって言ったんでしょう」
顔を赤らめながらもそう言う倉橋に、綾辻はクッと笑みを浮かべた。その吐息がくすぐったかったのか、倉橋の肩が揺れる。
「じゃあ、克己はその日にスケジュールを入れていたのね?」
「そ、それはっ」
「2人の誕生日を一緒に祝おうって約束したのに」
5月20日の倉橋の誕生日を祝おうとした時、先手を打って倉橋に却下をされてしまった。理事になったばかりで忙しく、その
日も1日本部に詰めなければならない用があったことは確かだった。
それでごねた綾辻に、倉橋が仕方なさそうに言ったのだ。
「あなたの誕生日に2人分祝えばいいでしょう」
まるで結婚記念日みたいと言えば頭を殴られたが、倉橋が自分の誕生日を覚えてくれていたことが嬉しくてたまらなかった。
だからこそ、せっかくの倉橋の誕生日も我慢して、6月1日をずっと待っていたのだ。
「克己」
「・・・・・その日は、松宮さんが代わってくれるそうです」
「あら、案外いい奴じゃない」
変わり過ぎですという倉橋の声は聞かなかったことにする。
綾辻の誕生日を忘れていたわけではなかった。これでも懸命にプレゼントのことを考えていたし、当日の食事のことも色々と想
像していたのだが・・・・・。
「悪い子の克己をどうしちゃおうかしら」
「綾辻さん・・・・・」
ついさっきは真剣な声で自分に訴えてきたくせに、もう何時ものペースを取り戻している。
「ふふ」
チュク
「!何をするんですかっ」
いきなり首筋に吸い付かれ、甘噛みをされてしまった。職場でなんてことをするんだと直ぐに胸を突き飛ばしたが、綾辻は逆ら
わずに離れ、なぜか上機嫌に笑っている。
「場所を考えてくださいっ」
「・・・・・それ以外はないの?」
「・・・・・またわけの分からないことを・・・・・」
どんな言い訳をされようとも、海藤もいるこの場所で変な真似をされても困る。そもそもまだ仕事が残っており、プライベートな
話をする時間ではなかった。
「とにかく、来週のことはまた話しましょう」
お互いにとって大切な日だ。自分1人で考えるのも良いが、2人で考えた方が余計に楽しいのではないかと思ったが、それを今
綾辻に言うつもりはなかった。
ドアの向こうに消える倉橋の後ろ姿を見送った綾辻の口元には、うっすらとした人の悪い笑みが浮かんでいる。
「ホント、可愛い」
きっと、今夜バスルームで鏡を見るまで、首筋につけられたキスマークに気づくことはないだろう。そんな天然な倉橋のことを考え
れば考えるほど楽しくなってしまう。
愛しい、愛しい男。どれほど深く愛しても、綾辻自身が物足りない。
「・・・・・」
この痕を目敏く見つけるだろう海藤や松宮、そして組員達も、倉橋本人に教える者はいないはずだ。
(そうだな・・・・・)
どうしてこんなものを付けたのかと怒られる前に、もっと多くの痕を付けたらバレないだろう。
今夜、倉橋がどんな言い逃れをしようともマンションに連れ帰ってやると思いながら、綾辻は近付く2人の特別な日に思いを馳
せていた。
end
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