後 編






 【午後2時 研究室】

 愛想も何も無いメールを見下ろした溝部は、緩む口元を引き締めるのが大変だった。元々人好きのする顔だという自覚はあっ
たが、今日は特別に顔がニヤける。
(いったい、どんな反応を示すだろうな)
 大学の准教授という地位にいながらかなり世間からずれている年下の友人。そんな彼が恋人とのセックスの悩みを口にした
時、溝部の中には複雑な感情が湧きおこった。
 何も知らないままでもいい。だが、彼の幸せそうな顔は見てみたい。
だから、実際に行動するかどうかは別にして、少しだけ新しい知識を養う場所を教えたのだが・・・・・。

 「杉崎〜、少しはこっちの都合も考えろよ?いきなりメールで連絡してきたって・・・・・」
 何時ものようにのんびりとした口調で言いながら杉崎の研究室のドアを開けた溝部は、こちらを見ていた端正な顔の表情にあ
〜あと内心溜め息をついた。
 「私が何を言いたいのか分かりますか」
淡々とした声は、怒っているのかどうかは分からない。それでも、自分がしたことを考えれば簡単に予想がついた。
 「文句は5分間だけ受け付けるよ」
 「文句ではありません。きちんと礼を言っておきたかったので」
 「・・・・・礼?」
 思い掛けない言葉に、さすがの溝部の顔が真顔になってしまった。
 「杉崎、お前・・・・・」
 「確かに、前もって何の専門店であるのか言わなかったことについては思うこともありますが、私がこれから培う知識とはまった
く別の分野の開拓をする手助けをして頂いたことには感謝します」
 「・・・・・」
まったくもって、何時もの回りくどい言い方をされたが、どうやらあの店を紹介したのは正解だったらしい。
そうなると、一体杉崎がどうしたのか、まさかなにがしかの道具を買ったのかと気になって、溝部は思わず身を乗り出した。
 「で?いったい何を買ったんだよ」
 「それは、ごくプライベートなことですのでお答えしかねます。ですが、それを田中に聞くことも止めて下さい。彼は真面目で素直
な性格をしていますから、あなたのような老獪な人物の攻撃をかわすことなど出来ません」
 老獪と言われ、さすがにそこまで性格は悪くないぞと呟いたが、杉崎はもう話は終わりましたからと立ち上がった。
まさか、たったこれだけの話で呼び出されたのかと呆れる思いだが、元々杉崎は率先して無駄話をするような男ではない。
たとえ、語彙の多さで会話が長引いたとしても、杉崎にとっては必要最低限の話をしている感覚で、彼が終わりだと思えばそこ
で終わりなのだ。
(・・・・・まったく)
 これから杉崎と三郎の間でどんな行為が行われるのか興味深いが、それを今聞いても絶対に口をわらないことはわかっている。
後は、数日後に上手く誘導して聞き出してやろうと立ち上がった溝部は、ふと気付いて杉崎に言った。
 「礼を言うつもりなら、お前がこっちに来いよな〜」




 昨日は本当に奥深い世界を知った。
所々理解不能な道具や使用方法もあったが、大部分はちゃんと理解出来たと思う。
思い出せば、宇佐美たちとネットを見た時、似たようなものを目にした。
(私には到底縁がないものだと思っていたが・・・・・)
 自身の技巧に自信があるかどうか、今まで考えたことも無かった。三郎はそういった行為自体が初めてのようだったし、杉崎も
男を相手にするのは初めてで、お互いが手探りの状態だった。
 それでも、自分の愛撫で普段とはまったく別の顔を見せる三郎は感じているのだと思いこんでいたが・・・・・実際にはまだ何か
物足りなかったのかもしれない。
それを補うものを売っているのがあの店なのだと理解した杉崎は、店員が、

 「も、もうこれ以上は知らないんですっ」

と、言いだすくらいに、その性能をこと細かにチェックした。
 途中、何人かの客も訪れたようだが、店員を相手に堂々と道具を手に持ち、使い方をレクチャーされている杉崎の姿を見て慌
てたように立ち去っていた。
店員は自分に掛かりきりだったが商品を選ぶことは十二分に出来たと思うのに、世の中にはずいぶんと人見知りな人間が多い
ものだと思った。
 「・・・・・」
 杉崎は時計を見る。時刻はそろそろ午後4時。もう、三郎がやってくる。
昨日は寄り道をしなければならなかったので三郎とは会えなかったが、今日はたっぷりと時間がある。
 「知識とは、活用してこそ己の血肉になる」
それを三郎にぶつけるまで、後5分ほどだ。




 「センセ」
 ほぼ時間通りにやってきた三郎を、杉崎は歓待した。表面上は何時もと変わらなかったと思うが、自分のことをよく見てくれて
いる三郎は僅かな変化に気づいてくれたらしい。
 「何かいいことでもあったんですか?」
 「ああ、あった」
 隠すことでもないので即座に応えると、三郎は興味深そうな眼差しを向けてきた。
 「どんなことですか?」
 「田中」
名前を呼ぶと、何の疑いも持たない三郎がゆっくりと側に近付いてくる。そして、何時もの定位置、杉崎のデスクの隣にある椅子
に腰かけた。
直ぐ傍に三郎がいる。そのことに杉崎は満足して目元を緩めた。
 「田中、私にもまだ知らないことがたくさんある」
 「・・・・・はあ」
 「それは、私が生きていく上で必要でないこともあるが、愛する者と豊かな人生を過ごすためには必要になることもあるかもしれ
ない」
 随分杉崎の意図をくみ取ることを覚えた三郎だが、どうやら今の言葉の意味は良く分からなかったらしい。
愛らしい顔で首を傾げている様は微笑ましかったが、このことは杉崎だけでなく三郎にとっても重要なことなので、今度はもう少し
分かりやすい言葉で説明をした。
 「娯楽というものは無くても困らないが、あれば豊かな気持ちを育むことが出来る。今までそんなものは私には必要なかったが、
田中、お前と出会って私はそういった学問に関係の無いものも欲しいと思うようになった」
 「あ、あの、センセ、俺、よく意味が分かんないんですけど・・・・・」
 「そうだな。話をするよりも現物を見た方が早いか」
 杉崎は下に置いていた紙袋を持ち上げるとそれをデスクの上に置き、中から昨日購入した物を取り出した。
 「ネックレス、ですか?」
 「アナルパールだ」
 「ア、アナ・・・・・っ?」
 「そのパールを尻の蕾に入れて拡張したり、内壁を刺激したりするらしい。それは初心者用で、田中の小さな蕾も傷付けない
はずだ。ああ、もちろん性行為専用のローションも購入した」
紙袋の中からボトルのローションを取り出し、アナルパールの隣に置いた。
杉崎はこういった行為専用のものがあるとは思いもしなかったが、昨日色んな話を聞いてなんと便利な物があると思ったものだ。
これがあれば挿入もずっとスムーズだし、もしかしたら三郎にもっとこういった行為がしたいと思うほどの快感を与えることが出来
るかもしれないとさえ考えた。
 「今夜、これを試してみよう」
 せっかく手に入れたものだ。その性能も含めて、店員が言っていたようにお互いの快感を高め合うことが出来るかもしれないと、
杉崎は自信満々で三郎を見つめた。




(な、なんで、こんな・・・・・)
 三郎はデスクの上のものからぎこちなく視線を逸らした。
具体的な使い方を聞かなくても、その名称からある程度の予想は出来てしまう。ジワジワと顔ばかりか体中が羞恥で赤く、熱く
なってくるのが分かるが、そんな自分とは違い杉崎はこの道具に対してそんな感情は抱いていないようだ。
 「・・・・・」
(い、違和感、ありまくり・・・・・)
 杉崎と、エッチな道具。
清廉潔白なイメージの杉崎が持っていると、もしかしたらこれは高級な装飾品ではないかとさえ思える。
だが、そんな錯覚をしてはならない。これは明らかに、いわゆる世間で言う《大人のオモチャ》だ。
 「どうした、田中」
 「・・・・・」
 杉崎と付き合うようになり、身体も合わせて、男同士でも最後までセックスが出来ることを身を持って体験した。
それでも、あそこに杉崎のものを受け入れているのだから大丈夫だろうとはとても思えない。だいたい、あんな所にこんな異物を入
れるなんて考えるのも嫌だ。
 このまま何も言わなければ、意外に好奇心旺盛な杉崎は絶対にこれを使うはずだ。
そうでなくても、抱かれるという行為にいまだ恥ずかしさを感じている三郎にとって、どうしても避けたいことだった。
 「・・・・・センセ」
 じっと見つめた杉崎の顔は、何時もの無表情とあまり変わらない。ただ、瞳は何だか楽しそうに輝いている気がした。
 「遠慮させて下さい」
 「・・・・・遠慮?」
それまでの上機嫌さが一気に変わり、杉崎の声も心もち低くなる。
 「田中は私とセックスがしたくないのか?」
 「い、いえ、その、そんなことじゃなくって・・・・・」
 「では、どういう理由がある?」
 「・・・・・」
生理的に駄目だなどと、感覚で物を言っても杉崎は納得をしてくれないだろう。なんだか口に出して言うのも恥ずかしくてたまらな
いが、説明しなければこのまま解放してもらえないことも分かるので、三郎は何とか自分の思いを口にしてみた。
 「・・・・・あんなとこに何かを入れるなんて・・・・・怖いし」
 「私のペニスを受け入れてくれたではないか」
 「だから、それは生身のセンセでしょ?」
生々しい言い方になってしまうが、杉崎にはキチンと説明しなければ分かってもらえない。
 男の身で、身体の中にあんなにも大きなものを受け入れる勇気が持てたのは、それが杉崎のものだったからだ。はっきり言えば、
杉崎のモノ以外を受け入れるなんて考えも出来なかった。
(分かってください・・・・・)
 「そういう、なんか、無機質みたいなもの・・・・・身体の中に入れるのはやっぱり嫌です。センセは、俺がその、そういったものを
身体に入れても何とも思わないんですか?」
 ここで頷かれてしまったら話はすべて終わってしまう。
三郎は杉崎が常識を持ってくれているよう祈るしかなかった。




 「そういう、なんか、無機質みたいなもの・・・・・身体の中に入れるのはやっぱり嫌です。センセは、俺がその、そういったものを
身体に入れても何とも思わないんですか?」

 まさか、そんなことを言われるとは思ってもみなかった杉崎は内心狼狽した。
店を訪れていた時はこれで自分たちの性生活がより豊かになると信じて疑わなかったが、今三郎に指摘されて再び道具に視線
をやると・・・・・。
(これを、田中の身体の中に?)
 「・・・・・どうしてそんなことをしなければならない」
 「・・・・・センセ?」
 「私が抱けないのに、このような無機質なものが田中の中に入るなどとは言語道断」
 そうでなくても、三郎を抱く時間は限られているのに、その貴重な時間を自分ではないものに奪われるなど我慢出来なかった。
杉崎はすぐに買った道具を紙袋に入れ、無言のまま足元へと放りやる。
すると、三郎が困ったような顔で笑いながら言った。
 「センセ、そんなとこに置いて、誰かに見られたらどうするんです?」
 「正直に言うだけだ。田中との性生活の活性化に役立つと思って購入したが、かえってそれが2人の時間を奪うということに気が
ついた・・・・・違うか?」
 「ち、違わなくは無いですけど・・・・・」
 「なんだ?言いたいことがあるのならきちんと伝えなさい」
 赤の他人ならばともかく、恋人という間柄ならば言葉や態度で互いに理解し合わなければならない。それを怠れば次第に気持
ちが離れてしまう・・・・・三郎相手にそれは絶対に避けたかった。
 「えっと・・・・・」
 そんな杉崎の気持ちが伝わったのか、三郎は少し言いよどんだ後、心もち顔を赤くしながら告げてきた。
 「出来れば、人には言わないで欲しいです」
 「なぜだ」
 「そ、そういったプライベートなことは、その、人に言うことじゃないし・・・・・」
 「・・・・・なるほど」
(恋人同士の間だけの蜜事、か)
杉崎の口元が自然に弧を描く。こんな些細なことでも、自分と三郎が特別な関係なのだと感じて嬉しくなった。
 「分かった。田中の言う通り、このことは誰にも言わないようにしよう」
 「はい」
明らかにホッとしたような三郎の表情に、杉崎は自分の下した判断が正しいと分かって鷹揚に頷いた。

 「えーっと・・・・・何か飲みますか?」
 三郎は話が一段落したと思ったらしく、鞄を肩から外してたちあがろうとする。
だが、杉崎にとって今回の話はまだまだ終わりではなかった。
 「田中」
 「は、はい」
 腕を引いて引き止めたわけではないが、三郎はちゃんと立ち止り・・・・・ぎこちなく首を向けてきた。
 「今回の件に関しては私の先走った考えから不快な思いにさせたかもしれない。それは申し訳なかった」
 「い、いいえ」
 「だが、なぜ私がそう考えたのかを一度考えて欲しい。田中、お前は私とセックスをするのが嫌なのか?」
 「!」
三郎の目が見開かれる。杉崎は手を伸ばし、三郎の右手を掴んだ。少しだけカサついた手のひらが、三郎の人柄を表している
ような気がする。どんなに手入れされた手よりも、杉崎にとっては魅力のある、愛おしい手だ。
 「私はお前の身体だけが欲しいわけじゃない」
 「セ、センセ」
 「何よりも一番に、その心が欲しいと思っている。・・・・・ただ、お前のことを知って、私は愛する者と身体を合わせることの素晴
らしさも知った。脳に刻まれた快感を忘れることは出来ない」
 《 sex dependence 》でもあるまいし、四六時中そんなことを考えているわけではない。ただ、好きな相手と肌を合わせたいと
思うのは人間らしい感情ではないだろうか。
 「田中」
 答えを求めるために愛しい名前を呼ぶと、三郎は目元を赤くしたまま珍しく視線を泳がせていた。
大らかで、どんな感情も柔らかく受け止める三郎にしては珍しい反応だが、らしくない反応を引き出せるのが自分だけだと思うと
嬉しい。
 「センセ」
 「・・・・・」
 「あの・・・・・」
 「・・・・・」
 「・・・・・家に寄って、夕飯の支度だけしてもいいですか?」
 辛抱強く待っていると、三郎は少しだけ早口でそう言った。
 「田中」
 「でもっ、その道具だけは絶対に使わないでくださいねっ?」
どうやら、今日は泊ってくれるらしい。もちろん道具を使うつもりは無いし、田中家での三郎の役割を知っているのでそのことにつ
いても許容出来る。
 どちらにせよ、三郎が今夜自分と過ごしてくれるということに気持ちが湧きたち、杉崎は直ぐに立ち上がった。
 「そうと決まれば直ぐに田中家に向かおう。良ければ私も手伝うぞ」
 「い、いえ、センセにそこまで・・・・・」
 「馬鹿者。少しでも共に過ごす時間を長くするためだろう」
呆れて少し眉を顰めれば、三郎はそうですかと言いながらまた動揺している。可愛いなとほくそ笑んだ杉崎の視界の中に、あの
紙袋が映った。杉崎の視線に気づいたらしい三郎もあっと口を開ける。
 「あれは溝部先生に責任を取ってもらおう」
 「み、溝部先生?」
 なぜ突然溝部の名前が出たのか分からないらしかった三郎だが、今の言葉と杉崎の視線の先にある紙袋を見てなんとなく事
実を悟ったらしい。
 「資源ゴミに出すか、プラスチックのゴミに出すのか、私には分からないからな」
 「そ、そうなんですか・・・・・」
 三郎に使わないのなら必要のないものだ。未練は無かったが、机の上にあるローションの方は今夜活用させてもらおうと思う。
これがあれば三郎に挿入の痛みを感じさせることなく、直ぐに2人で楽しめると聞いたからだ。
 「さあ、行くぞ」
杉崎はそれを手にとって鞄にしまうと、軽やかな足取りで歩き始める。
結果的に、杉崎の希望は叶った。
今夜は存分に三郎の身体を味わおう。






(・・・・・なんか、結局センセの思う方向になっちゃった気がするけど・・・・・)
 上機嫌な杉崎の後ろ姿を見ながら、三郎はホッと溜め息をつく。それでも、三郎自身も杉崎と過ごす時間が楽しいのだ。
 「センセ、スーパー寄ってもらえますか?」
弟たちの明日のお弁当のおかずも作っておいてやらないとなと思いながら、三郎は立ち止って自分を待ってくれている杉崎のもと
に駆け寄った。




                                                                      end





                                                






杉崎&サブ。

相変わらずの2人。杉崎センセの脳内暴走は健在です。