peril point












 「いってらっしゃい、気をつけてくださいね」
 人形のような整った頬に浮かぶ綺麗な笑顔。
知り合った当初よりもかなり表情は豊かになったが、こんな笑顔を向ける相手は限られている。それが自分だけでないことは面白
くないが、誰よりも綺麗な笑みは自分しか見ていない・・・・・そう、自負もしていた。
 「静(しずか)さんも。今日は外食をする予定ですから、帰れる時間になったら電話を下さい。大学からですよ」
 「お店を言ってくれたら行けるんですけど・・・・・」
 彼がどうしてそんなことを言うのかは分かっている。
父親は大企業の役員という裕福な家庭で育った割にはかなり常識的な価値観の彼は、自分を迎えに来る為にわざわざ仕事を
中断させたり、車を出させたりするのが心苦しいのだろう。
共に生活をするようになってかなり時間は経つが、何時までも馴れ合わない静がもどかしくて、可愛らしいと思った。
 「私が、少しでも早くあなたに会いたいから。いいですね?」
 そんな想いが目に浮かんだまま、江坂凌二(えさか りょうじ)は、自分を知っている者が見れば思わず別人かと思うほどの優し
い眼差しで静を見つめた。



 江坂は、関東随一、そして、日本でも有数の広域指定暴力団、大東組の理事の1人だ。37歳という若さでのこの地位は、
江坂がかなり期待されているということの表れだった。
 組織内では理事という立場の江坂も、世に出れば会社の社長という立場もあった。
最近組織内でも資金源の多くを占めてきている株の売買。東大で経済を学んだことも考慮され、本部である大東組の中では
江坂がほとんどその担当としての責任者になっていた。

 そんな江坂が、数年という時間を掛けて手に入れたのが、大手ゼネコンの役員を父に持つ小早川静(こばやかわ しずか)だ。
幼い頃から、まるで日本人形のように整った容貌と透明な雰囲気を持つ静に一目で魅せられた江坂は、じわりじわりと静の父
親を追い詰め、父親の会社の筆頭株主となり、多額の援助をちらつかせて、まるで人質というように静を手に入れた。

 当初は、自分がなぜ江坂の元に行かなければならなかったのか、静は理解出来ていなかった。
父親の会社の筆頭株主で、多額の援助をしてくれて、自分を引き取って金銭面だけではなく全ての事柄に対して手を差し伸
べてくる男。
潰れかけた会社を、何千人という社員を助けてくれる人。
 多分、警戒はしていたはずだ。
江坂もそれを十分承知した上で、ゆっくりと静の心を絡めとっていき、彼の、『いい人』だという感情を強引に好意へとすり替えて
いった。

 今、静は自分の意思で江坂の側にいてくれる。
親や兄弟は、時折江坂の目を盗んで帰ってくるようにと説得しているようだが(当然江坂の耳には届いている)、静はその説得に
首を縦には振らない。
 身も心も許しあった恋人の、江坂の側にいたいと思ってくれている。
江坂の裏の顔・・・・・ヤクザだということも承知して、そう、決意してくれているのだ。
 だからこそ、江坂も静を放すつもりは無かった。静を自分に縛り付けておく為だったら、どんな嘘も平然とつくし、目障りなものは
排除する。
自分の手の中には、静さえ残っていれば良かった。





 マンションを出た江坂は、地下駐車場に用意されている車に乗り込んだ。
ドアを閉めた瞬間から一切甘い表情を消している江坂は、この歳で大組織の中枢を担っているだけの自信と高慢さと冷徹さし
か見せない。
この世界で生きている限り、何時足元をすくわれるか分からないのだ、甘い顔など見せる必要は全く無かった。
 「予定の変更は」
 「こちらはありません」
 「午後2時から来るという相手先の予定が30分ほどずれたそうです」
2人付いている秘書のような役割の部下が、それぞれの予定を言う。
 「・・・・・じゃあ、その相手は富山(とみやま)理事に譲ろう」
 「よろしいのですか?」
 「元々面白味の無い相手だ。向こうが強引にアポを取ってきたくせに、時間をずらすようならその程度ということだろう。私は人に
合わせてやるほど暇ではない」

 語学が堪能で、経済や株の情報に精通している江坂は、大東組の中でも唯一分刻みで動いているほど忙しいといっても過
言ではない。
今の時代、ヤクザでも経済的に自立しなければ生き残ってはいけないという現組長の方針もあるが、国内外の政財界のトップ
と堂々と渡り合えるほどの者は江坂くらいしかいないのだ。
 最近では、下部組織の開成会の海藤貴士(かいどう たかし)や、羽生会の上杉滋郎(うえすぎ じろう)といった者達も台頭
してきて、江坂もかなり楽にはなってきている。
出来れば無能な、ただ歳を食っているというだけの理事達よりもあの男達を上にした方が遥かにいいと思うが、どうやら堅苦しい
地位は居心地が悪いようだった。

 「分かりました、富山理事に連絡を取ります」
 「夜は空けているな?」
 「はい」
 「銀座の店は?」
 「予約以外は入れないようにと言ってあります。江坂理事以外の予約の人間の中には怪しい者はいません」
 「・・・・・」
 一々指図をしなくても、江坂が自らの目で選んだ部下達のやることには漏れは無い。
命を落とすことは怖いとは思わないが、静が巻き込まれて怪我をするようなことがあってはならないし、江坂自身ようやく手に入れ
た愛しい存在をずっと腕に抱いている為にも、無駄に死のうとは思わなかった。





 「・・・・・」
 静は後ろを向いた。
もうこれで何度目になるか分からないが、どうしても気になってしまうのだ。
(誰か・・・・・見てる?)
 静は、自分の容姿がどんなものかはあまり興味が無い。人からは人形のようだとよく言われるが、そんなに表情が出ないかなあ
と思うくらいだった。
 幼い頃からそんな感じで、人からジロジロと見られるということにも慣れていたのだが・・・・・最近横顔によく感じる粘着質な視線
は、何だか今までのものとは種類が違うような気がする。
 「静!」
 その時、別方向から声が掛かった。
聞き覚えのある声に無意識にホッと息をつくと、同時に今まで感じていた視線が消えたような感じがする。
(気のせいだったのかな)
 「どうしたんだよ?」
 駆け寄ってきたのは、同じ講義を取っている永江基紀(ながえ もとき)だ。
飛び抜けて頭がいいわけでも無いし、容姿端麗でももちろん無い。ただ、猪突猛進といってもいいくらい、思い込んだらとことん突
き進む意思の強さ(?)はあった。
 静よりも少し背が低い、辛うじて170にやっと届いた基紀。高校も性格も違う彼と友人になったのは、入学式の時、いきなり、

 「お前、生きてる?」

と、正面きって静に話し掛けてきたつわ者だからだ。
それまで、静の冷たくとりすましたような美貌に目を奪われながら、声を掛ける勇気も無かった周りは、

 「うん、生きてるけど」

と、返事をした静にどよめいた。それ以来、彼は大学構内外でよく一緒にいる友人の1人となった。
ただ、彼は入学当初からある人物を追い掛け回していて、常に静と一緒にいるというわけではなかったが。
 「ん〜、なんか、変な感じがしたから」
 「変な感じ?」
 「言葉で説明しにくいんだけど・・・・・うん、変な感じっていうのが一番合うかも」
 「何だよ、また変なの付いてるんじゃないか?」
 自分の後を付いてきて、声を掛けることも無くじっと見つめてくる。それがストーカーだということは、静自身ではなく周りが気付い
て教えてくれた。
高校までは父や兄が守ってくれたし、今は江坂が気をつけてくれるので、本当に怖い目に遭ったことは今までに無いが、ただ粘着
質に見つめられているというのも何だか気味が悪かった。
 「何時から?」
 「え?」
 「だから、視線に気付いたの!」
 「ん〜・・・・・昨日?・・・・・いや、もうちょっと前かな?」
 「おい、それも分かんないのか?」
 「だって、あんまり気にしてなかったし。あ、基紀がお姉さんの結婚式だって一週間くらい学校に来なかったろ?その頃からかもし
れないなあ」
 「そんなに前?あ、友春(ともはる)は知ってる?」
 「さあ。ここのところ会ってないから」

 静のもう1人の友人である高塚友春(たかつか ともはる)。歳は1つ上だが、事情があって留年した彼とは同級生だ。
自分と同じように特殊な職業の恋人(友春は違うと言っているが)を持っているせいか、それとも大人しくて控えめな友春の側が
居心地良いせいか、今では親友といってもいい仲だ。
 他にも、違う大学や高校生の、江坂繋がりで出来た友人達は他にもたくさんいる。
高校や大学の友人達はもちろん大切だが、彼らとの繋がりはもっと濃密で、深いものだった。

 「おいって、俺の話聞いてる?」
 「あ、ごめん。だから、友春とは最近会ってないんだ。もう3日かな?休んでるって聞いた」
 友春が休む前の日、友春の携帯に電話が掛かってきた時に静はたまたま側にいた。

 「ケイッ?」

焦ったように友春が口にしたその名が誰なのか、静も知っている。
電話で話していた時も何だか慌てていたようだが、それから友春はごめんと言って直ぐに帰っていった。
 その夜、江坂の口からケイ・・・・・アレッシオ・ケイ・カッサーノという、イタリア人の友春の恋人が、日本にやってきていることを聞
いた。
友春が認めているかどうかは関係なく、彼が来日しているアレッシオと共にいることは確かだろう。そう思って、静も連絡を取ってい
なかった。
 「彼氏には言った?」
 「・・・・・江坂さんには言ってない。気のせいかなとも思ってるし」
 「鈍い静が気付くくらいなんだから気のせいじゃないって!言った方がいいよ!」
 「そうかな」
 「もうっ、どうしてそんなにのんびりしてるのかなあ!」
 基紀はぷうっと頬を膨らませた。
そんな表情をすると童顔な顔がますます子供っぽく見えて、静は思わずぷっとふき出した。
(いつでも一生懸命なんだなあ)
基紀を見ていると、高校生の元気な友人の顔を思い出す。もしかしたら、彼と基紀は気が合う友人になれるかもしれない。
(でも、2人だと暴走しそうだし・・・・・楓君が妬きもちやくかも)
 「何笑ってるわけ?」
 「ん〜・・・・・基紀は何時でも元気だなって思って」
 「はあ?」
 「吾妻(あがつま)も大変だな」
 「・・・・・どういう意味だよ」
 「たいした意味は無いよ。心配してくれてありがとう、基紀。どうしても気になるようだったら、今日にでも江坂さんに相談してみる
から」
 「うん、そうした方がいいよ」
 カッコいい大人の彼氏なんだしと基紀は笑った。
学校まで迎えに来てくれたことがある江坂を基紀は見たことがある。その時基紀は、

 「凄くカッコいい!」

と、褒めてくれた。
江坂は、静の自慢の恋人だ。整った容姿に掛けているフレームスの眼鏡が知的さを際立てていて、誰が見ても出来る大人の男
で、本来なら自分には勿体無い人なのだが・・・・・江坂は自分を好きだと、愛していると言ってくれる。
 「・・・・・やっぱり、言おうかな」
 江坂のことを考えると心配はさせたくないが、もしかしてこれが自分ではなく江坂のことに関係があるとしたら・・・・・後であの時に
と後悔はしたくない。
人には言えない仕事をしている江坂には、彼が知らないうちに何かの恨みをかっている場合があるかもしれないし、一言だけでも
伝えていた方がいいかもしれないと思った。
 「ありがと、基紀」
 気のせいだと思いながら、心のどこかでずっと気になっていた視線のことを江坂に言う切っ掛けを作ってくれた基紀に、静は綺麗
な笑顔を浮かべながら礼を言った。






                                            







江坂&静の新しい話、よく書いている気がしていたんですが、これで2本目だったんですね(汗)。
今回は静を見つめる視線の話から物語は始まります。