正しい犬の飼い方
「ライバル犬・後」編
宗岡はコクッと唾を飲み込んだ。
こうして立っているだけでも、男達が発するオーラは強烈で、今にも後ずさってしまいそうになる。
それを拳を握り締めて我慢すると、宗岡は小田切だけを真っ直ぐに見つめて頭を下げた。
「ごめんなさい!」
「・・・・・」
「せっかく、裕さんが食事に誘ってくれたのにドタキャンして・・・・・」
「何、こいつ、裕さんの誘いをドタキャンしたわけ?信じられないな」
宗岡の後ろから部屋の中に戻ってきた白瀬が呆れたように呟いた。
「俺ならどんな撮影があっても、裕さんとの約束を優先するけど」
「・・・・・っ」
多分、それは事実なのだろう。宗岡も、何とかなるものだったらどんなことをしても小田切との約束を破りたくはなかった。
しかし、警察官としての自分に誇りを持っている宗岡は、最愛の小田切との時間を削ってでも仕事に向かった。その判断に今も
後悔はしていない。
ただ、小田切がそのことをどう思っているのかが分からないので、宗岡の気持ちはこんなにも不安なままなのだ。
「・・・・・裕さん」
「裕さん、彼は警察の犬だって聞きましたが」
そんな宗岡の言葉を遮るように、小田切の隣に座った男が言った。
どこかで見たことがあるような男の顔に眉を顰めていると、その視線に気付いていた小田切が笑いながら言った。
「仙道会の野口だ、知らないか?」
「・・・・・あ」
(三榮会系の・・・・・幹部だ)
武闘派と名高い三榮会系仙道会の要注意人物として顔写真も見たことがある野口洋介(のぐち ようすけ)。まだ30代前半
の若さでこの地位はかなりのエリートだと上司が皮肉気に言っていたのを思い出した。
(こいつも、裕さんと・・・・・)
ヤクザと警察官という水と油のような立場の自分達とは違い、同じ世界にいる相手。立場的には自分が不利だと、宗岡は唇を
噛み締めた。
それだけではない。
落ち着いて見れば、そこにいるのは思わず目を疑ってしまうほどに豪華な顔ぶれなのだ。
ヤクザの幹部、野口と、有名俳優の白瀬。
そして野口とは反対側の小田切の隣に座っているのは、最近知事から衆議院議員へと華麗な転身を遂げた若手政治家であ
る二宮英志(にのみや えいじ)。
もう1人は、大手家電メーカーの3代目で、最近婚約を発表したばかりの、高須倫明(たかす みちあき)。
最後の1人は・・・・・。
「天羽警視監・・・・・」
「君がテツオ君か。写真で見たよりも立派な体付きだな。これなら裕が気に入っても仕方がない」
去年、新しく就任した警視監、天羽義巳(あもう よしみ)は、まだ45歳での就任だったのでかなり話題に上ったものだった。
(こ、こんな人達が、裕さんの・・・・・犬、なんだ?)
今まで、小田切の言葉の中に時折犬という言葉が出てきたが、それはまだ歳若い身体だけの付き合いの人間を指しているのだ
と思っていた。
しかし、こうしてずらりと並んでいるのを見ても、それぞれがそれぞれの世界で頭角を表している者達ばかりで、宗岡はただの警官
である自分が恥ずかしくなった。
居心地が悪いまま、それでも帰ることなんて出来ずに、宗岡は離れたソファに浅く腰を下ろした。
「・・・・・」
「私達が君を見たいと言ったんだよ」
最初に声を発したのは天羽だった。
ゆったりとした口調ながら、鋭い目線を向けてくる。
同じ警察関係者だが、下っ端の自分と、警視総監の次に力のある警視監の天羽では、立場的に全く違うだろう。
ヤクザと関係があると分かればもちろん拙いのは天羽の方だが、そんな宗岡の気持ちを簡単に見透かしたかのように天羽は笑み
を浮かべた。
「私は裕との関係を解消しようと思った事は一度もないよ。彼は大切で可愛い、私のご主人様だ」
「口が上手いな、義巳は」
「・・・・・」
(裕さん・・・・・可愛い)
自分といる時は何時も艶やかで傲慢な小田切も、年上の天羽の前では少し甘えたような可愛らしい顔をする。
見たこともないその顔に、宗岡の胸はチクンと痛んだ。
「私も会いたかったな。どんな家でも望むまま用意すると言った私の言葉はあっさりと却下したのに、普通のマンションで犬を買
い始めたと聞いて直ぐに見に行きたかったよ、止められたがな」
「英志は選挙中だったろ。どこでどんな目があるか分かったものじゃない」
「私は知られても良かったけど」
「可愛い妻子がいるだろう?」
「彼女達は政治家の私にとっては大切で必要な存在だけどね、裕がハッパを掛けてくれないと私は一歩も進めない」
「甘えるな」
まるで同級生のような気軽な言い合いを二宮とする小田切の顔は楽しそうだ。
「僕だって、本当は家を出て裕さんと暮らしたかったのに、裕さんが結婚した方がいいって言うから!」
「倫明はサラブレッドだから。良い血は残していった方がいい」
「僕は裕さんがいればいいんだけど」
「可愛いことを言うな、お前は」
「倫明、そうやって裕さんに甘えるなよっ。俺だって今日はまだ手しか握ってないのに!」
「りょーう、文句を言うくらいなら、ここにお座り」
「わん!」
世間では抱かれたい男のトップ3に常に名前が挙がる様な白瀬が、嬉々として小田切の前に跪く。
そんな白瀬の整った頬を軽く一撫でして、小田切は笑みを浮かべたままの唇をゆっくりと下ろしていった。
綺麗な顔の小田切と、整った容貌の白瀬のキスシーンは綺麗だった。
いや、白瀬だけではなく、他の4人も容姿は整っていて、小田切がある意味とても面食いなのだろうというのは直ぐに分かる。
そんな小田切がなぜ自分に抱かれてくれたのか、宗岡は分からなくなってしまった。
(俺なんか・・・・・裕さんにとって何のメリットもないのに・・・・・)
政界、財界、芸能界、ヤクザから警察まで、全てが小田切の血肉となるほどの地位の人間ばかりだ。
「・・・・・っ」
いたたまれなくなった宗岡は思わず立ち上がった。
「逃げるのか」
すると、今まで黙っていた野口が、重低音の声で言った。
「ここでお前が逃げれば、裕さんは二度とお前を見ないぞ」
「お、俺は・・・・・」
「裕さんが俺達で無く、なぜお前を選んだのか・・・・・少し考えろ、筋肉馬鹿が」
「・・・・・っ」
(そ、そっちだって、身体が売り物のくせに!)
もしかしたら自分よりも鍛えた身体をしているのではないかと思うほどに厚い胸板をした野口を睨み付けた宗岡は、ふとその横顔
に視線を感じて顔を向けた。
「・・・・・」
小田切が、じっと自分を見ていた。
口元には何時もと変わらない笑みを浮かべていたが、その眼差しは何時も以上に冷ややかだ。
きっと、野口の言葉に嘘はない。このまま自分がこの5人の前から立ち去れば、小田切はあっさりと宗岡を切ってしまうだろう。
あれほどに可愛く自分の身体の下で啼いていたことなどすっぱりと忘れて、忠実な自分の犬達の中へと戻っていく・・・・・。
「駄目だ!」
そんなことを許せるはずが無かった。
小田切のことを諦めるには、既に宗岡の頭から足先まで、全て小田切の毒に染まりきっていた。
「駄目です!」
「・・・・・おい」
「そんなの、駄目だ!」
「お前、俺達と違って捻くれてないだろう?今なら女と普通にやり直せるだろう」
「今更っ!裕さん以外抱けない!」
ついそう叫んでしまった宗岡は、自分を見つめる10の瞳が更に剣呑なものになったのを感じて背筋を振るわせた。
「・・・・・お前、何回も裕さん抱いてるわけ?」
人気俳優らしくない眼差しに、宗岡は気おされたように頷く。
すると、バッと反射的に立ち上がってしまったらしい野口を、二宮が腕を掴んで座らせた。
「仕方ないだろう、それが裕の意思なんだ」
「・・・・・っ」
「そうだな、誰に抱かれるのも、裕の思い次第だ」
仕方なさそうに呟いた天羽が、小田切の肩を抱き寄せてそのこめかみに唇を寄せた。
「それに、裕は気紛れだからな」
「ああ、そうですね」
「いつこの犬に飽きてもおかしくない」
「その可能性の方が高いか」
「こいつ、ペニスはでかそうだけど、力任せのセックスしかしない感じだし」
「テクニックなら負けないよ、裕さん」
それぞれが口々に好き勝手なことを言っているが、宗岡の視線はただ1人にしか向けられていない。
その相手・・・・・愛しい人は、一同の声が収まった頃に優雅に立ち上がった。
「帰るぞ、テツオ」
「い、いいのかな」
あまりにあっさりと小田切が立ち上がったので、宗岡はかえってどうしようかと思ってしまった。
これだけの面々を揃えるのはかなり大変だろうに、彼らをこのまま置いていっても良いのかと思ったのだ。
そんな宗岡の気持ちを知ってか知らずか、小田切は先ずは身を屈めてソファに座ったままの天羽の唇にキスした。
「また面白い話を聞かせてくださいね」
「ああ、連絡を待っているよ」
次に、反対側に座っている二宮と鼻を突き合わせるように目線を合わすと、くすっと笑ってキスをする。
「またな」
「俺を忘れるなよ、裕」
次は、高須が待ちかねたように小田切の身体を抱きしめ、濃厚な口付けを交わす。
「少しは僕も構ってよ、裕さん」
「お利口にしていればな」
「倫明よりものーこーなのを一発」
遊び慣れた白瀬はピチャッと舌が絡まるようなキスをして、最後にちゅっと軽く唇に触れた。
「いつでも呼んで、直ぐに来るから」
「ああ」
目を細めて頷いた小田切は、最後に今だ硬い表情をしている野口の頬にそっと手を触れた。
「そんな顔をしていると女が寄ってこないぞ」
「・・・・・俺には裕さんがいるから」
「可愛いことを言う」
そう言うと、小田切は手を伸ばして野口の首を抱きしめると、今日一番濃厚な口付けを野口に与えた。
ホテルのエレベーターに乗り込んだ宗岡は複雑な心境だった。
あんなに豪華な男達の誰よりも自分を選んでこうして一緒に帰ってくれるのは嬉しいが、自分以外の男達と楽しそうにキスを交わ
す姿を見るのは面白くなかった。
(でも・・・・・あれくらいで終わって良かったと思った方がいいの・・・・・か?)
一人、頭の中で苦悩していると、背中を向けていた小田切が振り返った。
「お前は本当に気が利かない男だな」
「え?」
(な、なに?)
本当に何のことか分からなくてオロオロとした宗岡だったが、小田切が軽く自分の唇に指を触れさせたのを見てあっと気付いた。
そのまま直ぐに小田切を抱きしめると、綺麗なその顔を見下ろしながら真摯に言う。
「俺、たとえ裕さんに何匹も犬がいたとしても、絶対に室内犬の位置は譲らないから!」
「室内犬・・・・・ふっ、面白いことを言うな」
小田切が、本当に楽しそうに笑ってくれたので、宗岡は嬉しくなってそのままキスをしようとしたが・・・・・。
「まだお前に会いたいという犬達がいるんだ。今度どこかで貸切パーティーをしようか」
「えっ?」
そんなに・・・・・という宗岡の言葉は、重なってきた小田切の唇の中に消えてしまった。
(可愛い光景だったな)
自分よりもどんなに年上の男も、そして生意気な年下の男も、小田切にとっては可愛い犬だった。
最近、自分のことよりも仕事を優先する宗岡に少しばかり意地悪をしようかと思っただけなのだが、久しぶりに放し飼いの犬達を
見て小田切の気持ちも高揚した。
(本当に今度パーティーをしてみるか。皆でテツオを苛めるのも楽しそうだ)
自分達の飼い主が唯一一緒に住むことを許した犬のことを、他の犬達はあまり良くは思っていないらしい。
そんな犬達の中に宗岡を放り込めばきっと苛められるだろうが、情けなく泣き出す寸前の顔というのも可愛いのではないか。
(早速、誰かに準備させるか)
あくまでも自分は楽しむ立場で、それまでのお膳立ては誰かがするものだと思っている小田切は、きつく自分を抱きしめてくる宗
岡の背中をくすくす笑いながら・・・・・思いがけず柔らかな表情で抱きしめ返した。
end
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