竜の王様
第一章 沈黙の王座
プロローグ
※ここでの『』の言葉は日本語です
「兄様っ、王の翡翠が盗まれたとっ?」
「碧香(あおか)」
ひんやりと冷たい王宮の中、振り返った次期竜王候補の紅蓮(ぐれん)は沈痛な顔で立っていた。
「まさか、にこのような愚かな者がいたとはな」
「行方は、あのっ」
「蒼玉(そうぎょく)はこの竜人界に。そして・・・・・紅玉(こうぎょく)は人間界に持ち去られてしまった」
「人間界にっ?」
竜人界−
一見した姿形は、人間界のそれとは変わらない。しかし、先人は竜の化身だったといわれる名残か、中には竜に変化出来る者達が
いた。
多くは王族の、純粋な血統の者達ばかりだが、中には突然にその力を備わった者もいる。
竜に変化すれば、嵐を呼び、形あるものを破壊する・・・・・という伝説はあるが、実際の竜は豊かな恵みの雨を降らせ、外界からの
侵略を防いでくれる、強い力の象徴だった。
その竜の王が崩御して1年。
新しい王が決定すると光輝くという王の翡翠が輝いたのは3日程前の事。
先王の長子である紅蓮が王の間に入った瞬間の出来事だった。
竜に変化することが出来、様々な力も操ることが出来る紅蓮。
彼はまさに王に相応しい男だった。
腰まで長い豊かな髪は銀に近い金髪で、その瞳は燃えるような紅い色。長身の身体はしなやかながらに鍛えてあり、その容貌も眉
目秀麗に整っていた。
ただ、昔からいずれ王となるように育てられてきた紅蓮は威圧的で傲慢で、弟の碧香以外には微笑みさえも向けたことがないほど
の冷徹な男だった。
弟の碧香は、まだ少年と言ってもいい年頃だった。
こちらは金に近い銀髪で、その目は深い碧色をしている。
兄である紅蓮の肩ほどにしかない身長と、その体の半分しかないほどの薄い身体。
元々身体の弱かった母親は、碧香を産んで直ぐに亡くなってしまい、母親が死んだのは自分のせいだと碧香はずっと自分を責め
ていた。
そのせいか、肉親に対する愛情は深く、父王が亡くなってからは兄紅蓮に献身的な愛情を向けている。
碧香も竜に変化することが出来るが、1回の変化での体力、精神力の消耗は激しく、今までに数度しかしたことはない。
碧香はそんな自分が王族の中では出来損ないだと思っているので、さらに兄への思慕や尊敬は大きく膨らんでいた。
竜人界の王は、代々その力の証ともいえる翡翠の玉(ぎょく)を守ってきた。
力の象徴でもある紅玉と、精神の象徴でもある蒼玉。この2つが融合して翡翠の玉になっていたのだが、紅蓮が次期王と決定した
直後、何者かの手によって玉は2つの力に分かたれて、それぞれ竜人界と人間界に隠されてしまった。
これが揃っていないと、紅蓮は次期王として認められないのだ。
「碧香、私は人間界に行って紅玉を取り戻してくる。そなたはこのまま私の帰りを待っているがいい」
「だ、駄目!」
「碧香?」
「兄様が人間界に行ったら、この竜人界はどうするのですかっ?治めるものがいなければ、暴走する者もきっと現われて・・・・・」
「ならばどうしろと!」
前例のないことに、さすがの紅蓮も苛立っていた。
王の長子で、変化も出来る。本来なら自分がすんなりと竜王になっているはずなのに、一部の心無い者の為になぜ王と認めてもら
えないのか。
そんな紅蓮に、碧香がきっぱりと言った。
「僕が参ります」
「・・・・・そなたが?」
「兄様はこの国から離れることは出来ない。時空の扉を開くのは王族しか出来ない。ならば、私が行くしかないでしょう」
「馬鹿なことをっ。そなたが人間界で玉を見付けられる事など出来るか!」
王族のみ、時空の扉を開けて竜人界と人間界を行き来出来る為、今までにも何人かの竜人が人間界に向かった。
しかし、なぜかその多くは二度と再び竜人界の地に戻ることはなかった。
紅蓮さえも話でしか聞いたことがない人間界。どれ程に危険な場所か分からないその地に、大事な弟を1人で向かわせるわけには
行かなかった。
「これしかないのです」
紅蓮の迷いを感じても、碧香の気持ちは変わらないようだった。
真っ直ぐに兄の目を見返し、必死で訴えた。
「兄様の即位のお手伝いを僕にもさせてください!」
「碧香」
「お願い致します!」
それから数日後、碧香の姿は王宮の地下神殿の奥にある時空の扉の前にあった。
すっきりと決意のこもった碧香の表情とは裏腹に、紅蓮は今だ納得がいっていないかのように眉間に皴を寄せている。
「碧香・・・・・」
「行って参ります、兄様」
「・・・・・」
「僕と入れ替わりにこちらの世界に来る人間を、どうか助けてあげてくださいね?僕達の勝手な都合で、その人をこちらの世界に引
き寄せてしまうのですから」
「・・・・・分かった」
竜人界から人間界に1人行くと、それと入れ替わるように人間が竜人界に交換でやってくることになる。
歪みを無くす為の手段らしいが、こちらに来る人間は何のわけも分からないままなのだ。
「僕との相性がよければ、その人とは精神の交感が出来るはずです。そうなれば互いの世界の様子も分かる」
「碧香、そなた本当に・・・・・」
「一度決められたことを覆すことは出来ません。兄上」
「・・・・・頼むぞ」
「はい」
人間界に行ったらどうなるか・・・・・生きて戻ってきた者がいないので紅蓮も碧香も分からない。扉を開くのさえ、2人にとっては初めて
だった。
それでも碧香は躊躇う気持ちは無かった。
(必ず紅玉を持ち帰る・・・・・!)
細く、小さな碧香の指が、銀色に鈍く光る扉に触れる。
すると、見るからに重そうな扉がまるで軽い布のように開いた。
「・・・・・っ」
中にあったのは深い碧色の小さな滝壺。
「これに入るのか?」
「・・・・・多分」
「碧香」
「大丈夫ですよ、こんなところで躊躇ってはいられません」
底の見えない水の中に身を投じるのはさすがに勇気がいった。
いざとなれば竜に変化すれば深い水中でも息は出来るが、碧香は体力が持つかどうかが問題だろう。
(それでも・・・・・)
碧香は滝壺の直ぐ脇に立つと、もう一度兄を振り返って小さく笑った。
「それでは兄様」
「・・・・・必ず戻って参れ」
「はい」
そう返事をすると同時に、碧香は時空が繋がっているはずの滝壺に躊躇いなく身を投げた。
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