竜の王様
第一章 沈黙の王座
1
※ここでの『』の言葉は竜人語です
「ふあ〜」
試験期間ということで、部活もなく帰路につく2人の少年。
大きな欠伸をしながら眠そうに歩く小柄な少年を、長身の青年がからかうようにして頭を小突きながら言った。
「おい、しっかり歩かないと溝に嵌まるぞ」
「なら、トーエンがちゃんと支えててくれよ〜。俺、寝たの今日の4時過ぎなんだからさ〜」
「なんだ、ちゃんと勉強してるのか」
「違う〜。なんか、変な夢見ちゃって、なかなか眠れなくって。長いにょろっとしたものに追い掛けられてさ〜」
「子供か、お前は」
あからさまに大きな溜め息を付きながらも、青年はフラフラ歩く少年の腕をしっかりと掴んで歩いてくれた。
私立霧島高校。
男子校であるこの学校の、今年無事2年生に進級出来た行徳昂也(ぎょうとく こうや)と、龍巳東苑(たつみ とうえん)。
幼馴染の2人は、龍巳の実家である神社の境内で昔からよく遊んでいた。
裏山の奥には小さな滝壺もあり、冒険と称してはやんちゃな昂也が大人しい龍巳を引っ張りまわしていた。
ガキ大将で、勉強はあまり出来ないものの、近所のヒーローだった昂也。
しかし、歳を経るにつれ、大人しく小柄だった龍巳がめきめきと成長していくのを横目で見ながら、昂也の方は縦も横も自分が想像
していたのよりは全然成長しなかった。
高校2年生の今、180センチはゆうに越す龍巳がバスケット部のレギュラーで活躍し、精悍に整った容貌で近隣の女生徒達から
圧倒的な人気をはくしている反面、昂也は今だ170センチには遠く及ばない身長で、足の速さを買われて陸上部にいた。
女には見えないが、まだ頬には丸みがある顔はどう見ても子供で、龍巳と一緒にいるとどうしても弟だと思われるのが悔しかった。
それでも、2人はまるで血が繋がっている兄弟のように仲が良く、どんなに外見が変わってもガキ大将の昂也と子分の龍巳という図
式は変わることがなかった。
「俺んちに寄っていくか?お前が来るかもしれないって、母さんがケーキ焼くって言ってたぞ」
「うん、トーエンちのおばちゃんのチーズケーキ美味しいし」
街の中だというのに、そこだけまるで空気が違う龍巳の家の神社。
それほど山は大きくはないものの、神聖な雰囲気は伝わるのか参りに来る人間はそれなりに多いと言っていた。
「今日は暑いよな〜。滝で涼む?」
「ば〜か、勉強だ」
「・・・・・だよなあ」
どうにかしてサボる口実を考える昂也だが、意外に真面目な龍巳はそれに引きずられるようなことはない。
いや、どうやら成績次第で小遣いが決まっているらしいので、それなりに切迫した事情があるのかもしれないが。
「・・・・・ふぁあ〜」
昂也は大きな欠伸をした。
どうも、夢見が悪かった。
何時もならいい夢はもちろん、悪い夢は特に目が覚めれば忘れてしまいがちなのに、今日に限っては鮮明にその画像が頭の中に浮
かんでいる。
(あれ・・・・・蛇じゃないよな。もっと大きくって、人が乗れそうな感じだったし・・・・・恐竜?)
「じゃ、ないか」
暗闇の中。巨大な長い身体と、紅く光る目が印象的だった。
でも、その正体が何なのか、昂也の知識の中には全くないように思える。
「・・・・・」
考え込みながら歩いていた昂也は、前を歩いていた龍巳が急に止まったことに気が付かなくて、どのままどんっとその背中に鼻からぶ
つかってしまった。
「いって〜、どうしたんだよ?」
「・・・・・光ってないか?あそこ」
「へ?」
龍巳の視線を追ってみると、それは森の鳥居のずっと奥、2人が良く遊んでいる滝壺の方角だった。
「・・・・・ホントだ」
龍巳が言った通り、その方角が光っているのが昂也の目でも分かった。
まだ昼間なのにあんなに光って見えるとは・・・・・。
「行ってみよう!」
昂也の好奇心が刺激され、反射的に龍巳の腕を取ってその光の方向へ早足で歩き始めた。
「コウ、止めとこう」
「え〜、何か面白そうじゃん」
「なんか、やな予感がする」
「トーエンはジジ臭いんだよ!行ってみたら案外何でもないことだって」
先程まで感じていた眠気はすっかり取れてしまい、昂也はウキウキと楽しそうに笑った。
「うわっ!!」
「!」
不思議な光景だった。
見慣れているはずの滝壺。5メートル四方のそれが、水の中から輝いているのだ。
「・・・・・金があったりして」
「まさか」
龍巳はじっと水中を覗いてみた。
水深は2メートルもなく、澄んだ水の中は何時もなら底まで見えるはずだった。それが、今日はこの眩しい光のせいで底が全く分から
ない。
「潜ってみようか」
昔から探検遊びが好きだった昂也は、こういった不思議な出来事に目がなかった。
何時もの滝壺ならば龍巳も止めようとは思わなかったが、今日はなぜか嫌な予感ばかりがしてしまう。
「・・・・・戻ろう、コウ」
「えーっ?」
「とにかく、ここはいったん戻って・・・・・!」
そう言いながら龍巳が昂也の腕を掴もうとした時、今まで輝きながらも静かだった滝壺の水が突然吹き上げた。
「うわっ!」
「コウ!」
「トー・・・・・っ」
光と、水で、龍巳はしばらく目が開けられなかった。
直ぐ傍にいるはずの昂也の声も、気配も感じない。
「コウ!!」
それでも、昂也の名を叫び続けた龍巳は、目の裏に感じていた光と水の衝撃が無くなったと同時に目を開いた。
「・・・・・っ」
あれだけの水の量がふき出したというのに、周りの木々や岩は少しも濡れておらず。
滝壺も少しの波も立っていない。
そして・・・・・。
「だれ・・・・・だ?」
そこにいるはずの昂也の姿は無く、まるで入れ替わるかのように倒れていたのは、不思議な服を着た銀色の髪の人間だった。
呆然としたのは一瞬だった。
龍巳は直ぐに倒れている人間を抱き起こす。
「おいっ、しっかりしろっ」
(女・・・・・いや、男か?)
薄い絹のような服だった。
まるで昔の中国の人間が着ていたもののように、踵まである長い上衣を腰の帯の様な紐で止め、下は長いズボンのようなものをはい
ている。
肌は透き通るほどに白く、小さな唇だけが赤かった。
その容貌は少女めいたように可愛らしかったが、抱き上げている身体はただ柔らかいだけではなくしなやかなもので、どうやら相手が少
年らしいということが分かった。
「おいっ」
とにかく、彼には目を覚ましてもらわなければならない。
ここに突然現われた意味と、素性。なにより、昂也がどこに行ってしまったのか訊ねたかった。
いや。
(もしかしたらこの中に・・・・・)
もしかして滝壺の中に落ちてしまっているのか・・・・・そう思い直した龍巳が少年の身体を横たわらせて滝壺の中に飛び込もうとし
た時、
「・・・・・ん・・・・・」
僅かな応えがして、少年が身じろいだ。
反射的に振り向いた龍巳は、
「!」
ゆっくりと開いた少年の瞳が、美しい碧色だということに気付いた。
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