竜の王様2
竜の番い
第二章 孵化の音色
19
※ここでの『』の言葉は日本語です
それからのグレンの行動は早かった。
王宮内の一室を気で補強し、子供たちをそこに集めた。
昂也が旅に出てからまだ数日しか経っていないが、子供たちの様子に良くも悪くも変化はないようだ。
特に、症状が酷かったシロガネの肌の鱗はかろうじて顔にはまだ現れていないが、服から出ている手足のそれはざらついて、くす
んだ光を帯びていた。
彼らは竜に変化するし、人間と身体の違いがあることもわかっているつもりだ。しかし、普通なら柔らかく瑞々しい肌を持っているは
ずの子供の肌を覆うそれは、どうしても異様なものに見えてしまった。
「シロガネ」
眠っているかと思い、小さな声で名前を呼ぶ。すると、ピクッと動いた瞼が開き、真っ直ぐな眼差しが昂也に向けられた。
何か、言いたいことがあるのだろうか、じっと見つめるもののシロガネの口から言葉は出てこない。しかし、求めるように腕が僅かに持
ち上げられたのを見て、昂也は小さな身体を抱きしめた。
「痛くないか? みんなで考えて治してやるから、もう少し頑張れ」
「・・・・・」
「聞こえてる?シロガネ」
抱きしめてもそれ以上の反応はなかったが、胸元が僅かに上下する様子を見ると呼吸をしているのがわかって安堵する。
それにしてもと、昂也は周りの子供たちを見回しながら考えた。子供たちの身体に起こった変化は、それまでにないことだったために
悪いものではないかと皆疑っている。昂也自身もそう考えていた。実際、かなり体力も落ちているのだ。
近くには、青嵐と真白もいた。
青嵐は昂也にぴったりと張り付いた状態だが、真白は一人だけ離れた場所で、壁を背に預けて床に座っていた。
相変わらずその目には何も映していない様子だが、不思議なことに真白が同じ部屋にいても子供たちの様子に変化はなかった。
いや、どちらかというと状態が落ち着いて見えるのは、昂也がそう思いたいからだけだろうか。
「・・・・・コーゲン」
「ん?どうした、コーヤ」
コーゲンは豊富な薬草や医療の知識から、グレン直々に子供たちの治療を託された。王宮にいる医師では力不足だとグレンは
きっぱり言い切ったらしい。「背中が痒くなった」と笑っていたが、コーゲンの眼差しは真剣で、きっとグレンに言われなくても率先して
協力しただろうと思う。
「あのさ、これって・・・・・これって悪いことなのかな」
「・・・・・どういうこと?」
「えっと・・・・・うまく言えないけど、竜人って竜に変化する人もいるだろ?その時は当たり前だけど、身体中が鱗になるわけだし、
それって今の状況と同じだと思うんだ」
苦しげな子供たちを見るのは心が痛むが、それでもこれが本当に悪いことなのかという疑問が頭の中を過っていた。
コクヨーたちは最初から真白を不吉な存在と捉えて、多分、それと今回の現象を結びつけて考えていると思う。しかし、昂也は真白
をそんなふうに思えない。だとしたら、今回のことにはもっと別の意味があるのではないかと思うのだ。
そこまで説明した昂也は、じっとコーゲンを見る。知識の豊富な彼なら、何か思いつくことがあるかもしれないと期待した。
「そうだねえ」
コーゲンは何かを考えるように空を見上げたが、直ぐにいつもの読めない笑みを浮かべて言う。
「私も、マシロの存在についてはまったく無知の状態だったから、どうしても異質なものとして見てしまっていたんだが・・・・・コーヤの
意見を聞くと少し考えが変わりそうだ」
「本当っ?」
コーゲンが味方になってくれたら、少なくとも真白の命が今すぐ脅かされることはないはずだ。少し安心した昂也は、腕に抱いたシロ
ガネを寝かせる。ベッドの上だと落ちてしまうかもしれないので、床にふわふわの綿のようなものを敷きつめ、上から布を掛けて即席の
マットベッドにしたのだ。
「コーヤ、後は私たちが」
子供たちの世話は神官たちも手伝ってくれる。その筆頭がコーシだ。
「ありがとう。・・・・・あの、シオンは?」
「今紅蓮さまに呼ばれている」
「・・・・・そっか」
グレンは、罪人であるシオンをどこまで今回の件に関わらせるつもりだろうか。
(でも・・・・・やっぱり心強い)
昂也にとってはいつだって優しかったシオン。彼がグレンを裏切ったのもそれなりの意味があったし、グレンもどこかでそれを認めてい
るから重い罰を与えていないのだと思う。
そんな彼の助けを得て、今度こそ真白の正体も、子供たちの異変の原因もわかるようになればいい。
すると、ドアがノックされてソージュが姿を現した。部屋の中を見回り、最後に真白に視線を向けたままで言う。
「コーヤ、紅蓮さまがお呼びだ。青嵐と、そちらも・・・・・一緒にと」
「うん、わかった」
昂也は直ぐに青嵐に手を伸ばしかけたが、真白を抱き上げると手がふさがってしまう。
「青嵐、俺の服掴んで歩けるか?」
青嵐は昂也の顔を見上げ、首を横に振った。
「やだ」
「青嵐」
「抱っこ」
もしかしたら、青嵐は真白に嫉妬しているのだろうか。今の状況では強く駄目とも言えず、昂也はコーゲンを振り返った。
「ごめん、コーゲン」
「いいよ。マシロは私が連れて行こう」
「ありがとう」
昂也はそう言って、じっと自分を見る青嵐を抱き上げた。
コーヤの気遣わしげな視線と、紅蓮の射るような眼差しを感じながら、江幻は淡々とマシロの身体を視ていく。
山の中とは違い、きちんとした器具や助手役の医師もいるので、随分詳しい体調はわかった。
色素のない髪や肌、目の色から栄養不足を疑ったが、詳しく見れば見るほど、どこもかしこも細いし、小さくて、生気のない目を向
けられると柄にもなく胸が締め付けられるような気がする。
ただ、こちらの声は聞こえているようで、声帯にも異常は見当たらなかった。どうしてまともに話そうとしないのか理由はわからない。
ここにきて、江幻は自分の知識がいかに稚拙かを思い知ったような気がした。
一通り調べた江幻が手を止めると、直ぐにコーヤが尋ねてくる。
「どうだったっ?」
「・・・・・体調面は問題はなさそうだ」
自分の言葉に安堵したらしいコーヤは、優しい眼差しをマシロに向けた。
(まったく・・・・・)
出会って間がないというのに、どうしてこんなにコーヤはマシロを信じることができるのか。側にいるだけでも不気味な雰囲気は肌で
伝わるのに、コーヤは守るべき者としてマシロを見ている。
(庇護欲をそそる・・・・・かなあ)
江幻は紅蓮を振り返った。
「お前には視える?」
「・・・・・視えない」
「私にもだ。蘇芳も黒蓉も視えないと言った」
角が折れていたとしても、《角持ち》だとしたらその力の片鱗は絶対に感じられるはずだ。しかし、どう深く視ても、マシロにはまったく
なんの気も視えない。紅蓮もそう言うのだから見たては間違いなかった。
「折れた《角持ち》の話を聞いたことは?」
「ない。完全体の青嵐が現れたこと自体、元々奇跡のようなものだ」
「確かに。私も生きている間に《角持ち》を見るなんて思わなかったよ」
軽い口調で答えると、紅蓮が厳しい声で言った。
「これは《角持ち》か?」
「・・・・・」
「江幻」
「わからない」
「・・・・・わからない?お前が?」
「私も万能ではないよ、紅蓮。この世には予想もできないことが起きる場合がある。コーヤがこの竜人界に留まることを決意してくれ
たこともそうだし、青嵐がこの世界を壊すのを思い留まってくれたこともそう」
(・・・・・ん?だとしたら、マシロは吉報だということか?)
江幻にとって思いがけないことは、これまで確実に良い方向へと向かっている。それで考えればマシロも竜人界にとって良い徴にな
る可能性もあり得るという考え方もあった。
江幻はマシロの服を整えてやった。マシロはなすがままで抵抗することもなかったが、直ぐに駆け寄ったコーヤが腕の中に抱くとそ
の顔をじっと見上げている。まるで、母親を確認する子供のようだ。
しかし。
「コーヤ」
コーヤにとっての子供はマシロだけでなく、青嵐も直ぐにその腰にしがみ付いている。相変わらずの様子を横眼で見ながら、江幻は
紅蓮に歩み寄った。
紅蓮は腕組をして、先ほどからマシロに視線を向けたままでいる。まとう気を確かめるのと同時に、少しでも怪しい素振りがないか
どうかをつぶさに観察しているのだ。
この竜人界を背負っている立場の紅蓮は、コーヤのように感情で動くことは許されない。見た目が幼い子供であっても、その存在
が悪と確定したならば、迷いなくその命を絶つことができる男だ。
(・・・・・いや、これでも十分優しくなったようだけど)
以前の紅蓮なら、少しでも怪しい存在は即座に抹殺したはずだ。それを、こんなふうに手を掛けて調べ、確実に白黒をつけてからの
処分を考えるなど、コーヤと出会ってから紅蓮は確実に変わっている。それを好ましい変化だと思うほどには、江幻も紅蓮に対して
の気持ちが軟化したのは昂也の影響だ。
「青嵐と離した方がいいか?」
「・・・・・どうだろう。個体同士では反発しあっている様子はないよ。ただそこに、コーヤがいれば別なだけだ」
「コーヤが?」
「どちらにせよ、青嵐もマシロもコーヤが見つけた。二人からコーヤを離すことはできないし、そうなると必然的に二人も一緒にするし
かないだろうね」
王宮の中には、能力者もかなりの数がいる。そう簡単に危険なことは起きない・・・・・はずだ。
(ただ、相手が《角持ち》だから厄介だけど)
「紫苑は?」
「間もなく来る。あれも、神官長として様々な文献を読んでいるし、長老たちの話も訊いている。お前の知識と照らし合わせれば、
何かわかることもあるかもしれない」
「そう願いたいね」
希望を込めて言った時、待ちかねた男が姿を現した。
折れた《角持ち》、マシロの話を聞かせた時、紫苑は驚いたように目を見張り、コーヤが抱くその姿を凝視していた。その様子に、
紫苑もまた、この存在のことを知らなかったのだとわかる。
もしかしたらと僅かな願いをこめていたが、どうやらそれは甘い考えだったようだ。
だが、一方で紅蓮はこれが紫苑を表舞台へと引き戻す良い機会になったと考えていた。王への反逆という、普通なら極刑に処さな
ければならない紫苑を何とか理由をつけて軟禁状態にしていたのも、その能力を惜しいと思う以上に、幼いころから共に育った時間
を失いたくないと思っていたからだ。
「紫苑、こののち江幻と共に、マシロの正体を探って報告を上げろ」
「私が、ですか?ですが、私は罪人という立場で・・・・・」
「竜人界の危機だ。その力、惜しまず使え」
「紅蓮さま・・・・・」
敏い男は、紅蓮の言葉の裏の意味を読み取ったらしい。何かに耐えるような表情をしたのち、すっと力強い眼差しを向けてくる。
頼もしい側近の目だ。
「・・・・・竜人界のため、紅蓮さまのために、どうかこの力を使わせてください」
「頼む」
紫苑は頷き、振り返ってコーヤに近づいた。
「シオン・・・・・」
コーヤの縋るような目を見て、紫苑が穏やかに微笑むのがわかった。最初にコーヤの世話をしていたせいか、この二人の関係は始
めから良好だ。当初は人間などに現を抜かしてと腹立たしい思いだったが、今はその時とはまったく違う思いに胸を焼かれる気が
する。だが、今はそんな気持など後回しだ。
「コーヤ、その子を渡していただけますか?」
「マシロを?」
「マシロ、と、言うんですか?もしかして、あなたが付けた名前?」
「うん」
「そう。良い名前ですね」
「・・・・・うん!」
部屋に入った時から不安に満ちていたコーヤの表情が、紫苑の一言で明るく輝いた。
「マシロ、悪いことしてないから!シオン、マシロを助けてよっ」
「力になりたいと思っていますよ。さあ」
紫苑が再度促し、コーヤはマシロの身体を手渡す。紫苑に抱かれてもマシロはおとなしくその腕の中にいて、じっと生気のない目を
空に向けていた。
そんなマシロの顔を見下ろした紫苑が目を眇める。どうやらその気を探っているらしい。
「私たちには視えなかった」
紅蓮が言うと、しばらくして紫苑が頷いた。
「確かに、青嵐のような力はもちろん、民の持つものほどの力もないようですね」
「だが、それはコクヨーを傷つけた。あれの腕を持っていった」
「黒蓉の・・・・・」
紫苑の声に緊張感が漲る。
そして、ようやく顔を上げて紅蓮に言った。
「何か・・・・・力を表に出す切っ掛けがあるのかもしれません」
「切っ掛け?」
「江幻、意図的に力を封印し、ある切っ掛けでそれを解放するということは可能か?」
思いがけない紫苑の言葉に紅蓮が驚いていると、江幻も少し驚いた表情をしてから頷く。
「それは有りうるかもしれない。だが、そうなるとマシロの潜在意識を探っていかなければならないな。随分難しい仕事になりそうだ」
二人の間で話は通じたらしく、早速どうするかという具体的な話しをし始めた。すると、紫苑の腕の中から逃れようとしたのか、マシ
ロが身体を捩って小さく呻く。
「どう・・・・・」
「真白っ?」
紫苑がその顔を覗きこむと同時にコーヤが手を差し出すと、マシロの小さな腕がコーヤに向かって伸びた。
どうやらコーヤとマシロを引き離すのは無理だという江幻の言葉は真実らしいと、紅蓮は改めて謎の存在であるマシロを見つめた。
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