竜の王様2

竜の番い





第二章 
孵化の音色



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※ここでの『』の言葉は日本語です





 「グレンッ?」
 いきなり真白に向かって手をかざすように上げたグレンを見て、昂也は焦ってその名を叫んだ。
自分の今の説明では、何も伝わらなかったのだろうか。グレンが手を上げたのを見て真白に何か危害を加えるのではと思ったが、意
外にもグレンから静かな眼差しを向けられた。
 「少し、視るだけだ」
 「み、見る?」
 何をと聞いても、それからグレンは口を閉ざして真っ直ぐに真白を見続ける。
 「落ちついて、コーヤ」
オロオロするしかない昂也に、コーゲンが側に来て言った。
 「今、あいつはマシロの力を視ているんだよ」
 「力を見る?」
 「あいつにはそれができるんだ」
 「・・・・・」
 真白の力。当然のことながら、昂也にはまったく見当がつかない。見た限りでも、反対に守られるべき存在でしかないと思うのだが、
グレンは、いや、自分以外の者たちはどうしても真白の中の見えない力を疑っている。
 確かに、コクヨーを傷つけたのかもしれないが、それはコクヨーが真白を手にかけようとしたせいで、敵意がなければ何もするはずが
ないと昂也自身は信じていた。
 それは、先ほどからグレンに対して説明したつもりなのだが、やはりというかまったく伝わってはいないらしい。悔しい気持ち以上に、
もしもグレンが真白を要注意人物としてしまったらどうなるのか。昂也は半分泣きそうになっていた。
 「ん?」
 その時、スオーの小さな声が聞こえた。
 「コーヤ」
続いて名前を呼ばれたが、昂也の視線は真白とグレンから離れることができない。
 「なに?」
ただ返事だけすると、
 「青嵐が目覚めた」
そう告げられ、昂也は反射的に振り向いた。
 「青嵐っ?」
 呼吸はしているものの、真白を止めるために(昂也にはそう感じた)泣き叫んで以来眠り続けていた青嵐が目覚めた。
 「青嵐っ?」
昂也は急いでスオーのもとに行って青嵐の顔を覗きこむ。青白い顔色はそのままだったが、しっかりとした眼差しでこちらを見返してい
た。
 「コーヤ」
 「うんっ?」
 「・・・・・」
 「青嵐?」
 まだまだ言葉を自由に操れない青嵐だったが、それでも昂也に対してはいつも一生懸命訴えるように話してくれていた。それなのに
今は無表情で次の言葉を言おうとしない。
 やがて、青嵐はスオーの腕の中でむずかり、スオーが下に下ろしてやると自分の足で立った。ざっと全身に視線を走らせたが、どう
やら身体に異常が出た様子はない。わかっていたつもりでも、改めて安心した。
 昂也はその場に屈みこみ、青嵐と視線を合わせた。
 「青嵐」
もう一度名前を呼ぶと、青嵐は手を伸ばして昂也の首に抱きついてくる。
ひんやりとしたその身体には子供体温などという言葉はまったく似つかわしくなくて、無性に悲しくなって昂也は強くその身体を抱きし
めた。自分の体温を少しでも青嵐にあげたかった。
 「・・・・・あれ」
 すると、しばらくして微かな声が耳に届いた。
聞こえているよと、さらに強く抱きしめてやると、今度はもう少し大きな声で青嵐は言った。
 「あれ、いらない」
 「え?」
 一瞬、何のことかわからなくて、昂也は思わず青嵐の身体を離してその顔を見る。
 「青嵐、今・・・・・」
 「きらい」
 「・・・・・」
その言葉は、どうやら真白に向けられているらしい。
元々、青嵐の自分に対する依存が強いのはわかっていたつもりだ。この世界では《角持ち》は特別な存在で、昂也以外なかなか青
嵐と積極的に関わろうとする者はいない。同じくらいの歳の子供がいればまた違うのかもしれないが、少子化のせいか子供自体が周
りにいなくて、結果的にどうしても甘やかしてしまっていた。
 そのせいで、青嵐が我儘を言うのは子供らしいと微笑ましく思うものの、今の状況では困ったことに変わりない。特に、真白は青嵐
と同じ《角持ち》である可能性が高いのだ。できれば、仲良くなって欲しい。
 「青嵐、そんなこと言うんじゃないぞ。真白とは仲良く・・・・・」
 「いやだ」
 「青嵐」
 「だって、あれはもうひとりのぼくだもん。ぼくは、ぼくひとりでいいの」
 「もう一人の、青嵐?」
 それは、同じ種族というのか、それとも同じ力を持っているという意味なのか。
昂也にはわからなくて、その言葉の真意を一生懸命探ろうとした。




 意識を集中して、相手の中を視る。
攻撃、防御、癒し。能力者には様々な力があるが王族のみに代々伝わっている力の中には《視る》というものがある。相手がどんな
能力に秀でているのかを視る力だ。
 しかし、どんなにマシロの中を探っても、力の片鱗も見えなかった。あれほど強い能力者である黒蓉に致命傷になるかもしれない
傷を負わせた者とはとても思えない。
 「・・・・・」
(折れた、《角持ち》・・・・・)
 自分が生きている間に《角持ち》が出現するということだけでも信じられないほど幸運なことなのに、もう一人、同じ存在があるなん
てとても考えられない。角が折れた状態がどうなのかもこれまで読んだ文献にはなく、目の前にいるのが幸運の子か、それとも凶星
を背負っているのか判断がつかなかった。
 紅蓮は手を下ろした。これ以上視ても同じ結果だ。それならば、別な角度から考えなければ。
 「江幻」
紅蓮の行動を黙って見ていた江幻は、名を呼ぶとこちらに視線を向けて言った。
 「わからない?」
 この男ならば自分の視る力のことを知っていてもおかしくない。紅蓮はその言葉に確信して頷く。
 「そう」
 「お前は」
 「残念ながら、私もわからない。折れた《角持ち》なんて・・・・・多分、これまで現れたことがないんじゃないかな」
江幻の言葉に、紅蓮も同じ意見だ。多分、マシロというこの子供は、竜人界に初めて現れた存在だ。どう扱うかで、竜人界の今後
が変わってしまうような気がする。
 「お前が調べられるか」
 「ん〜」
 「・・・・・私の言葉通りに動くのが嫌か」
 「そんなことよりも・・・・・あれ」
 江幻は自身の背後を振り返った。
 「コーヤがマシロを調べることを許してくれるかどうかな」
 「・・・・・」
 「自分が見つけたからか、コーヤはマシロにかなり思い入れがあるよ。身体に傷つけたりしないと言っても、隅々まで暴き、実験体
のように扱われるかもしれない彼を、自身の手の中から離さないと言いそうだけど」
 「・・・・・どうしてコーヤがそれほどあれに入れ込む?」
 「さあ・・・・・人間の思いは私にはわからないよ」
 「・・・・・」
コーヤの思いを言いわけに、自分は手を出さないとでも言いたげだ。
今までならば何を殊勝なことをと一笑に付しただろうが・・・・・今の紅蓮にコーヤという名前は重たい響きを持つ。コーヤが嫌がること、
泣くようなことは、出来るならばしたくない。
(しかし、このまま何もせずこの存在を見逃すことはできん)
 今、竜人界に起きている異変の要因が何か。明らかに異質な存在のこのマシロを抜きに考えることはあまりにも愚かだ。
自分の中の思いと、竜王としての立場を考え、紅蓮は眉間に深い皺を刻んだ。




 「コーヤ、あれ、いらないよね?」
 「青嵐・・・・・」
 青嵐の言葉に、昂也はくしゃっと顔を顰める。青嵐の感情が偏っているのはわかっているつもりだったが、今生きてここにいる真白
をそんなふうに言うなんて信じられなかった。
 ちゃんと説明しなければいけない。そう思うのに、なんと言っていいのかわからない。昂也は揺れる思いのまま視線を彷徨わせてし
まい、それはいつしかグレンへと向けられていた。
 「・・・・・」
 昂也の視線をしっかりと捕えたグレンが、いきなり真白を片手で抱えると再びこちらにやってきた。昂也は無意識に目の前にいる青
嵐を抱き寄せて二人が近づいてくるのをただ見ることしかできない。
 「コーヤ」
 やがて、グレンが切り出した。
 「これを、このまま放置するわけにはいかぬ」
言われると思ったせいか、衝撃は思ったよりなかった。しかし、だからと言ってグレンの言葉をそのまま受け入れるつもりはない。
真白のことを調べなければならないのなら、その方法が問題だ。
 「俺も、立ち会うからっ」
 「・・・・・」
 「真白を連れ帰ったのは俺だしっ、責任があると思うっ」
 どう責任をとるのかと言われたらすぐには答えられないが、それでも、真白の味方が誰もいない中、始めから悪い考えを持って調べ
られたらそれこそ絶対真白のためにならない。何の力もなく、権限だってないのは十分わかっているが、それでも何かあったらすぐに
抱きしめられるくらい近くにいてやりたかった。
 昂也は必死にグレンの目を見上げる。以前は感情がなくて、怖いほどに鮮やかな赤い目を見るのが怖かったが、今は少しだがその
中に温かさを読み取ることができる。今だってグレンは、即座に却下と言いたいだろうに、昂也のことを考えてすぐには退けられないと
迷っているのがわかるのだ。
 「グレンッ」
 この世界の王として、感情だけでは動けないグレン。これ以上無理強いするのもいけないと思いながら、昂也は僅かでも可能性を
探るためにその名を呼んだ。
 「・・・・・わかった」
 「・・・・・え?」
 唐突な言葉に、昂也は一瞬反応が遅れた。
 「お前の立会いを許そう。ただし、こちらの指示には従ってもらう」
 「あ、あの、グレン」
 「折れているとはいえ、大切な《角持ち》だ。慎重に判断する」
 「それって・・・・・」
急展開にどう反応していいのかわからない昂也を余所に、グレンの中では既に今後の段取りが決まっているらしい。背後に佇んでい
るハクメイに視線を向け、落ちついた声で言った。
 「手筈を」
 「はい」
 ハクメイもまったく躊躇う様子を見せず、一礼して部屋から出ようとする。すると、そんなハクメイをグレンが呼び止めた。
 「紫苑も呼べ」
 「!」
まさか、シオンの名前が出てくるとは。いや、それだけ本気でグレンは真白の正体を探ろうとしているのだ。
 とりあえずは真白の身が無事だと理解した昂也は大きく息をつく。もちろん、これですべてが解決したわけではなく、この先もっと大
変な事実がわかるかもしれないが、事態が前に進んでいるのは確かだと思う。
 昂也はすぐ側で自分の服を掴む青嵐を見下ろす。
 「協力、してくれるよな?」
もしかしたら、この中で一番真白のことを知っているかもしれない青嵐。いや、たとえ知らないとしても、確実に近い存在のはずだ。
その青嵐が力を貸してくれたら、きっと真白のことがわかるのも早いのではないか。
 昂也の言葉に、青嵐はじっと真白を見ているだけだ。とても友好的とは思えない視線に気づき、昂也はその場に膝をついた。
 「頼むよ、青嵐」
 「・・・・・」
 「真白、おいで」
自分の声が聞こえているかどうか。聞こえていても、ちゃんとこちらに来てくれるかどうかもわからなかったが、真白は少しだけ間を置
いてからゆっくりとこちらに来てくれた。嬉しくなった昂也は手の届く場所まで真白が来てくれたのと同時に抱き寄せる。もちろん、もう
一方の手で青嵐も引き寄せた。
 「大丈夫だから」
 情けないが、この言葉に確信は持てない。しかし、守りたいと思う気持ちだけは本当だ。
 「コーヤ」
名前を呼ばれて顔を上げると、コーゲンが見下ろしていた。
 「私たちもいるよ」
 「コーゲン・・・・・」
 「一人で抱え込むな」
 「・・・・・スオー・・・・・ありがと」
(そうだよな、俺は一人じゃないんだ)
 始めから、コーゲンとスオーは昂也に対して友好的で、いつだって力を貸してくれていた。きっと、真白のことも一緒にちゃんと考えて
くれる。いや、この二人だけではない、グレンだって言ってくれたではないか。

 「折れているとはいえ、大切な《角持ち》だ。慎重に判断する」

その言葉を、信じよう。