盛 宴
1
「そろそろ、いい時期だな」
「へ?」
熱い風呂にゆっくりとつかった太朗が濡れた髪をガシガシ拭っていると、ソファに座っていた上杉が楽しそうに呟いているのを聞
きとがめた。
昨日からやっと学校が春休みになり、早速攫われるようにして上杉のマンションに泊まりに来た太朗は、そのままベットの住人と
されてしまった。
久し振りの逢瀬に上杉は心ゆくまで太朗を抱き、太朗は気を失うようにして眠ってしまったのだが、つい先程目が覚めてやっと
動き始めたところだ。
何時も突然何かを思い付き、太朗を驚かせてばかりいる上杉だが、今回も何やら頭に浮かんだらしい。
「何だよ?変なことじゃないよね?」
「俺がお前が喜ぶこと以外の事をすると思うか?」
「・・・・・」
(何時も怒らすじゃん)
口を尖らせた太朗だったが、賢明にも言い返しはしなかった。
今だ太朗はきちんとした服など着ておらす、無防備なのだ。上杉に付け入る隙を与えてしまったら、再びベットに連れ込まれて
しまうかもしれない。
(あ〜いうことも、い、嫌じゃないけど)
苑江太朗(そのえ たろう)は、この春休みを過ごせば今度高校2年生に進学する、まだぎりぎり15歳の少年だ。
そんなごく普通の高校生の太朗が、ふとした切っ掛けで知り合った犬の散歩友達の上杉滋郎(うえすぎ じろう)。
彼が普通の社会人ではなく、最大指定暴力団大東組系羽生会の会長・・・・・いわゆるヤクザだと知った時は知り合ってから
だいぶ日にちも経っており、もはや嫌いになれるはずも無かった。
悪戯好きで、破天荒で、それでも太朗よりずっと大人の上杉は、これでもかというほど太朗を甘やかせてくれる。
その心地良さに、太朗も自分で自覚している以上に溺れているのだ。
「子供はみんな春休みに入ったし、他のは一声掛ければ何とでもなるし」
「いったい、何の話なんだよ?」
1人で話を進めているような上杉の言いたいことは、太朗にはまだ分からなかった。
(遠回しじゃなくてはっきり言ってくれればいいのに)
そんな太朗の焦れた思いを感じたのか、上杉は唇の端を上げながら笑った。
「知り合いの料亭の庭に、見頃な木がわんさかあるんだ」
「木?」
「桜だ」
「桜?」
「花見、したいと思わないか?」
「花見!!」
途端に、太朗の目が輝いた。
確かに犬を散歩させる公園の桜はもう咲き始めていて、綺麗だなあと顔を上げて眺めたばかりだった。
「ホントにっ?」
「夜桜、いいだろう?」
「夜桜?夜の花見?うわっ、俺、初めて!すごい!やった!」
まるで無いはずの尻尾をブンブン振っているような太朗の喜びように、上杉は自分の提案が悪いものではないと確信したらしい。
手を伸ばして弾む太朗の身体を抱きしめると、ワクワクとした表情の太朗が下から視線を向けてきた。
「楓や真琴さんも呼んでいいんだろっ?」
「ああ、俺からも声掛ける」
「じゃあ、さっそくメールを・・・・・」
「その前に、タロ」
「え?」
「楽しい提案をした俺にご褒美は?」
「よ〜し、チュウ!」
今回ばかりは上杉のからかいも全く太朗には通じなかったようで、上杉の唇は大サービスの太朗の突進するようなキスを受けた。
「なんだ、サービスいいな」
「今日だけだよ」
ベ〜と舌を出すと、太朗はへへっと悪戯っぽく笑った。
「・・・・・花見?」
『どうせ楓、暇してるだろ?』
「・・・・・」
確かにそれは間違ってはいないが、楓はお前に言われたくないと口を尖らせた。
せっかく学校が休みになったというのに、伊崎の方の忙しさは相変わらずで、夜少しだけ楓の顔を見るとまだ事務所に戻るとい
う日々を続けているのだ。
学校の友人達とは家の関係であまり深い付き合いはしないようにしていたし、唯一夜遊びの同志ともいえる牧村と付き合うの
は伊崎があまりいい顔をしない。
そんな顔をさせてまで付き合いたいと思うほどに楓の中の牧村は伊崎よりも存在は軽く、結局楓は長い1日をぼんやりと家で
過ごすことが多かったのだ。
日向楓(ひゅうが かえで)は、春から高校3年生になる17歳の少年だ。
絶世といってもいいような完璧な容姿の持ち主である楓は、実は関東でも古く続く暴力団、日向組前組長、日向雅治(ひゅ
うが まさはる)の次男で、現6代目組長雅行(まさゆき)の弟だった。
昔からの極道である日向組は地域の中にいい意味で溶け込んではいるものの、やはり異質な存在であるのは確かだ。
それでも、類稀な楓の容姿は十分武器となって人目を惹き、今ではかなりの信奉者を作ってしまっている。
そんな楓にとっての一番大切な人間は、幼い頃から守役としてずっと側について、今は若頭にまで出世してしまった伊崎恭祐
(いさき きょうすけ)だ。
家柄もよく、本人も大学院にまで進んだほどの伊崎が、なぜヤクザという人目を忍ぶ家業に就いたのか・・・・・それは、全て楓
の為だ。
偶然知り合った幼い楓に心を奪われた伊崎が、今までの全てを捨てて楓の側にいることを望んだということは・・・・・当の楓も今
だ知らない事実だった。
『伊崎さんには、ジローさんから話をするって言ってたよ。俺から言えば断われないだろうってさ』
「・・・・・まあ、そうだろうな」
太朗はこの世界の事をよく知らないだろうが、ヤクザの世界では上の人間の命令は絶対だ。一つの会派の長である上杉の
言葉を、その下の組織である組の若頭である伊崎が断われるはずがない。
どんなに忙しくても、伊崎は時間をやり繰りしなければならないのだ。
(・・・・・でも、恭祐最近少しも俺の相手してくれないし)
せっかくの休みをこのままぼんやりと過ごすなんて考えられない。
『あ、真琴さんも誘うから』
「マコさんも?」
『楽しそうだろ?』
「・・・・・うん、そうだな」
喧嘩仲間のような太朗と、ホンワカと温かい気持ちになれる真琴と、またあの賑やかな時間を過ごす・・・・・そう考え始めると、
楓の気持ちもどんどん弾んできた。
「よし!行くぞ!」
『そうこなくっちゃ!詳しい時間とか場所は、ジローさんが伊崎さんに知らせると思うから』
『月夜の酒盛りもいいだろう?』
いきなり掛かってきた上杉からの電話を思い出し、マンションのエレベーターに乗り込んだ海藤の口元には苦笑が浮かんでい
た。
都合を聞くというよりも、時間も場所も既に決められた段階で、後は出席のイエスという言葉を聞くだけという感じだった。
あの上杉の、強引だが全てを計算した気遣いのある言動には降参するしかない。
「お帰りなさい!」
ドアを開けた瞬間に笑顔で出迎えてくれた真琴をギュッと抱きしめると、海藤は直ぐに上杉の言葉を伝えた。
「花見をするらしい」
「花見?」
海藤の急な言葉に、真琴はキョトンとして聞き返した。
「上杉さんが決めた」
「上杉さんがって・・・・・じゃあ、楓君や太朗君も一緒ってことですか?」
「ああ。夜桜だ、初めてじゃないか?」
「うんっ、初めてです!」
ごく普通の大学生の西原真琴(にしはら まこと)と、最大指定暴力団大東組系開成会会長、海藤貴士(かいどう たかし)
が今のような熱い恋人同士になるには様々な紆余曲折があった。
それでも、2人がこうして一緒にいるということが、すべての答えとなっている。
「そうかあ、2人とも春休みになったんですよね。久し振りだなあ、会うの」
電話やメールで連絡を取っているが、実際に会うのは久し振りな感じがする。自分とは全く違う性格の2人と話すのは楽しく、
色々な刺激にもなるのだ。
「夜桜かあ。どこの公園ですか?」
「料亭だ」
「料亭?あ、じゃあ、食事は・・・・・」
「弁当は持参、だ、そうだ」
「じ、持参?」
『お前の料理の腕前は聞いてるぞ。期待してるからな』
「全部、上杉さんがセッティングしてくれるらしいが、料理とおやつは各自持っていくことになるらしい」
「うわ・・・・・」
「それとも、ちゃんとした物を・・・・・」
「楽しそう!」
真琴はガバッと海藤に抱きついた。
「みんなに海藤さんの料理を食べてもらうんだ!すごいっ、楽しみ!」
「・・・・・いいのか?」
「もちろんですよ!海藤さんは?海藤さんはどう思います?」
「・・・・・楽しみだ」
こうして、真琴の楽しそうな顔を見ているだけで、海藤の心の中にも楽しみが大きく膨らんできた。
もちろん、愛しい真琴と一緒だというのが一番大きいが、上杉と飲むのも色んな視野の話が出来て面白い。
「お前も手伝ってくれるか?」
「はい!」
真琴と知り合ってから、人付き合いの下手なはずの自分の周りにも、色々な人間が集まってくれるようになってきた。
自分の世界を広く広げてくれた真琴に感謝したい気分だ。
「今年の桜は早いらしい。予定は今週末だぞ」
「今週末っ?わっ、急いで買い物に行かないと!」
急に慌しくなってきた感じがして真琴は海藤と顔を合わせるが、よく考えれば料理を作るのはほとんど海藤で、真琴は何を買っ
ていいのかさえ分からない状態だ。
「海藤さん、時間、時間空けて下さいねっ?」
「ああ」
2人は顔を見合わせると、思わず笑い合ってしまった。
「へ〜、花見、ですか」
『もちろん、綾辻さんも倉橋さんも出席して頂けますよね?』
「もちろんっ。そんな楽しい集まりを見逃すなんて出来ませんよ」
深夜、いきなり掛かってきた、羽生会幹部、小田切裕(おだぎり ゆたか)からの電話に、開成会幹部の綾辻勇蔵は(あやつ
じ ゆうぞう)はひっそりと笑った。
『詳しいことはメールを送りますから』
「伊崎さんのOKはもらったんですか?」
『太朗君が楓君のOKを貰ったらしいですからね。伊崎が反対出来るはずがないでしょう』
「はは、違いない」
楓至上主義の伊崎が反対することなど考えられず、多分引っ張られるように参加するだろう伊崎の姿が目に浮かぶようだ。
『今回は夜桜ですからねえ。倉橋さんの色っぽい姿が見れるかもしれませんね』
「・・・・・あんまり、からかわないでくださいよ?」
『さて・・・・・どうしましょう』
悪戯好きで知能犯の小田切をかわすのは、さすがの綾辻も容易なことではない。
どうするか・・・・・ふと、綾辻は思いついたように言った。
「小田切さんも連れてきたらどうです?確か、大人しい大型犬・・・・・ですよね?」
『ふふ』
「会ってみたいなあ、小田切さんにそんな声を出させる人に」
『まだ人に見せたくないんですよ、躾が途中なもので』
どこまで本気か、小田切はそう言って笑い続ける。
さすがにこの人には敵わないなと思いながら、綾辻も近々行われる夜の宴を楽しみに思っていた。
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たまに、みんな揃った話を書きたくなるんですよね(笑)。
始まりはやっぱりジローさんからでした。