盛 宴
2
『バナナはおやつに入ると思う?』
「・・・・・」
『なあ、聞いてる?楓』
「・・・・・お前は小学生か?」
もう午後11時を過ぎた頃、やっと伊崎が部屋に顔を見せた。
明日の花見の事を話し、それによって(それが主な原因だが)詰まってしまった仕事を片付ける為に再び事務所に戻ろうとする
伊崎を引き止めた瞬間、その電話は掛かってきた。
1人だったら、それこそ歓迎してもいいはずの太朗からの電話。しかし、今は目の前に伊崎がいるのだ。
「そんなの、お前の飼い主に聞けばいいだろ」
『飼い主?何、それ』
「あの、俺様な男だよ。俺の恭祐を顎で使うゴーマン男」
『ジ、ジローさんは傲慢じゃないだろ!』
「俺は名前言ってないけど」
ふふんと言い返すと、太朗は唸りながら口を噤んだ。言い返さないところを見ると、太朗自身も多少は上杉に対してそう思う
ところがあるのだろう。
(俺の恭祐とは正反対だ)
何時でも控えめで、常に楓の意向に沿おうとしようとする伊崎。しかし、どこかでそれを物足りないと思っている自分がいることも
確かなのだが。
電話の向こうは黙ったままだ。
楓は声の調子を緩めた。
「好きなもの持ってくればいいだろ。おやつってそういう意味なんじゃないのか?」
『・・・・・そうかな』
「学校じゃないんだからさ。俺も、バナナ好きだし」
『楓』
「な?」
『うん』
電話の向こうの声が明るくなってきた。
太朗を苛めるのは楽しいが、落ち込ませるつもりは無い。
『分かった!明日楽しみにしてろよ!』
最後は元気よく切れた電話に苦笑していると、じっとその様子を見ていた伊崎が穏やかに口を開いた。
「苑江君ですか?」
「ああ、あいつ、しょっちゅうくだらない電話してくるんだ」
「でも、楽しそうですよ」
「・・・・・うん、そうだな・・・・・一緒にいると楽しいし」
一つ年下で、生意気なガキんちょで、本来なら楓とは接点が無いはずの太朗。
しかし、その恋人が傲慢なヤクザの会長だったということで、この世界の住人である楓と出会うことになった。
太朗と真琴は、今の楓にとっては、普通の世界と自分を繋げてくれる大事な存在となっている。
伊崎も、太朗や真琴と付き合うことは歓迎しているらしく、整った綺麗な顔には穏やかな笑みが浮かんでいた。
「明日、晴れるといいですね」
「日頃の行いがいいんだ、晴れないはずが無いだろう」
自信満々に言う楓に苦笑し、伊崎はそっと唇を合わせるだけのキスを楓の唇に落とした。
「すごい!」
キッチンのテーブルの上に並べられた様々な食材を見て、真琴はわあ〜と感嘆の声を上げた。
今日はバイトがあったので帰りが遅く、海藤の買い物に付いていけなかったのを残念に思っていたのだが、バイト先まで迎えに
来てくれた綾辻がそのまま24時間営業のスーパーに連れて行ってくれた。
「付け合せのサクランボ、忘れたんですって。買い物頼まれたのよ」
「サクランボを?」
「お駄賃に、マコちゃんの好きなミカンの缶詰も買っていいらしいわよ」
時々、シロップのように甘いミカンの缶詰が食べたくなり、こっそりと食べていたはずがどうして分かったのか・・・・・真琴は恥ずか
しくなりながらも素直に頷いた。
きっと、今朝バイトの為に買い物に付き合えないと嘆いていた真琴の為に、海藤はわざと買い忘れをしてくれたのだろう。
「綾辻さんも食べたいもの買ってもいいですよ?迎えに来てくれたお礼」
「ふふ、じゃあ、遠慮なく」
そう言いながら綾辻が選んだのは十円のチロルチョコで、甘やかされてるなあと苦笑が零れた。
「ただいまあ!」
そんなふうに、意気揚々と帰ってきた真琴の目に映ったのは、何時ものカフェエプロンをし、シャツの袖を肘まで捲り上げて料
理の下ごしらえを始めていた海藤の姿だった。
「すごい、すごい!海藤さん1人でっ?」
「申し訳ありません、私では戦力にならないので」
申し訳なさそうに頭を下げる倉橋も、海藤から借りたのかエプロンはしているもののもっぱら洗い物係りのようだ。
濡れた手で軽く落ちた髪をかき上げる姿に、真琴の後ろから顔を覗かせた綾辻が口笛を吹いた。
「克己、色っぽ〜い」
「・・・・・下品ですよ、綾辻」
「だって〜」
「口を出す暇があるなら手伝いなさい。下ごしらえしておかないと、明日が大変なんですよ」
「そっか、そうですよね。俺も手を洗って手伝います!」
十人近くの人数に、来るのは皆男だ。食べる量も半端ではないだろう。
弁当は持参といったからには、用意をしている可能性はゼロで、他の面々がとても料理を作れる感じではないだけに、海藤の
負担はかなりのもののはずだ。
春休みで暇な自分とは違い、毎日仕事をして、その後でこうして準備をしている海藤の負担を考えると、真琴も自分が出来
ることは何でもしようと思った。
「あ、綾辻さんもエプロン」
「は〜い」
「・・・・・なんか」
(ドラマみたい・・・・・)
スーツの上着を脱いだ姿で、カフェエプロンをしている3人の姿はまるでドラマのように絵になっている。立っているだけでカッコ
いい人達もいるのだと、真琴ははあ〜と溜め息をついた。
(俺だけ見てるなんて、贅沢な気分だなあ)
「真琴、買い物は?」
「ちゃんと買ってきましたよ、おまけのミカンも!」
笑いながら答えた真琴に、海藤も目を細めて口元を和らげた。
「少し遅くなるぞ」
「全然いいですよ!」
「よし、じゃあ頼むか」
「団子忘れた!」
「団子?まだ買う気なの?」
母の佐緒里に呆れたように言われた太朗は、どうしようかとテーブルの上を見つめた。
真琴も楓も果物が好きだと聞いているので、太朗は自分の小遣いで買える範囲のものをと張り切って買い物に行ったのだ。
外で食べるということも考えると、切ったり皮を剥いたりしない方がいいかとも思い・・・・・結果、買ったのはバナナにミカンに、少
し高かったが思い切ったイチゴ。
しかし、肝心の団子を忘れてしまった。
「どうしようかなあ」
「別にいいじゃない、お月見じゃないんだし」
「そうだけどさあ。なんか、月を見る時は団子がいるだろう?」
「明日買えばいいでしょう?」
確かにそうなのだが、前の日にきちんと用意が出来ていないと何だかムズムズしてしまうのだ。
(楓や真琴さんは何を用意してるんだろ)
上杉が言うには、意外にも海藤はかなりの料理の腕らしく、今回の料理のほとんどは海藤が用意するだろうとのことだった。
きっと、2人揃って台所に立っているだろう姿を想像すると羨ましく思うが、実際に自分と上杉が・・・・と、思うととても想像がつ
かない。
「この間の子達も来るんでしょ?」
「うん」
バレンタインにチョコを作りに来た真琴と楓の事を佐緒里も覚えているらしく、楽しそうねと笑って言う。
「チーズケーキ、持ってく?」
「え〜、母ちゃんが作ったら意味ないじゃん」
「あんたも手伝ったらいいでしょ?」
「出来ないよ」
「粉をふるうぐらいは出来るじゃない」
重ねてそう言われると、それぐらいの手伝いでも構わないかもと思い始めた。要は、《持参》ということが重要で、誰が作ったのか
は二の次だ。
(全然手伝わないってわけじゃないしな)
「・・・・・そっか。うん、じゃあ、作ってもらおうかなあ、母ちゃんのケーキ、美味しいし」
「しっかり手伝ってよ」
太朗はへへっと笑いながら、バナナを1本摘み食いした。
シャワーを浴びた小田切は、ドアを開けた所で待っていた大柄な男の姿を見て、内心ほくそ笑みながらも顎を引いた。
「寒い」
一言言うと、男は慌てたようにタオルで濡れた小田切の身体を丁寧に拭き始めた。
男が何を言いたいのか・・・・・小田切は十分分かっている。それでも何も言わないのは、男の方からのアクションを待っている
為だ。
「・・・・・裕さん」
「ん?」
「明日、出掛けるんですよね」
「言っただろう?子供のお守があるって」
「あ、いや、それは聞いたけど・・・・・」
「・・・・・」
(はっきり言わないと分からないぞ)
男が言いたいことは分かる。
久し振りに週末に身体が開くということで、もう2週間も前に旅行に行こうという約束をしてあったのだ。
割合に自由がきく小田切とは違い、一応公務員である男の休みは直ぐの直ぐに取れるというわけではない。
「何が言いたいんだ?」
「・・・・・いえ、何でもないです」
「・・・・・」
結局何も言うことが出来ず、男は小田切の身体にバスローブを着せ、丁寧に紐を結んでいる。
(出会った時は、まだ強引だったのにな)
苛めるのは楽しいが、卑屈にさせたいわけではない。
小田切は遠慮気味に自分の腰を抱く男にチラッと視線を向けると、どうしてやろうかと思いを巡らしていた。
泊まって下さいと言う真琴の言葉を丁寧に断わって、倉橋と綾辻がマンションを辞した頃には既に日付が変わっていた。
地下駐車場に止めていた車の前まで来ると、綾辻は当然のように助手席のドアを開けて倉橋に言った。
「どーぞ」
「・・・・・」
「今からタクシーを拾うのも大変よ?」
「・・・・・お願いします」
諦めたような顔をして車に乗り込む倉橋を見届けると、綾辻は慣れたように車を走らせ始める。
「楽しみねえ、明日」
「ええ」
「晴れるといいけど」
「天気は晴天だと言ってましたが」
堅い、倉橋らしい返答に、綾辻の顔が笑み崩れた。
「日頃の行いがいいものね〜」
「・・・・・誰のですか?」
「もちろん、ワ・タ・シ」
「・・・・・」
くだらない会話も、倉橋が相手だと弾む気がするのがおかしい。
それでも綾辻は少しでも長く倉橋と話していたくて、わざと遠回りの道を選んでいく。
「・・・・・」
車の窓の外を流れる景色で、倉橋もそのことを分かっているだろう。それでも・・・・・文句を言うことはなく、車を止めろとも言わ
ない・・・・・それが、今の2人の距離なのだろう。
「克己」
「はい」
「・・・・・後で、送ったお礼くれる?」
「あなたが強引に乗せたんでしょう」
「いいじゃない」
「・・・・・」
「ね?」
礼は、もちろんマウスツーマウスのキスだ。
嫌だと言わないのが倉橋の答えだと、綾辻は口元に悪戯っぽい笑みを浮かべた。
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お花見前夜です。
それぞれ準備は念入りに行われているようですね(笑)。
小田切さんの番犬も、少しだけ顔を見せてくれました。