盛 宴
8
「お疲れ様でした」
「・・・・・」
「今日はありがとうございました」
結局、倉橋が手配しようとした車を断わり、自分の部下の車を呼んだ江坂は、料亭の玄関先で一同の見送りを受けていた。
立場的に自分が一番最初に帰るのは当たり前だったが、慣れていない静は丁寧に礼を述べている。
江坂は静を先に車に乗せると、立っている海藤達を振り返った。
「今日は世話になった」
「・・・・・」
たったその一言・・・・・しかし、江坂にしてみれば思いがけず饒舌な言葉だったといってもいい。
確かに自分をもてなすのは下の人間にすれば当然だが、今回はいきなりの参加であったし、何より静がとても楽しそうだった。
自分以外の人間によってその笑顔がこぼれたのは面白くないが、それでも江坂はそんな静を見たのは嬉しくて・・・・・。
「江坂さんに、あんなに楽しいお友達がいるなんて知りませんでした」
走り出した車の中で静が突然言った言葉に、江坂は本当に苦笑してしまった。
「楽しかったですか?」
「はい!」
「良かった。たまには大勢で食事をするのも楽しいですね」
それは江坂としては単なる社交辞令のつもりだったが、静はよほど今夜のことが楽しかったのか直ぐに勢いよく頷いて言った。
「また、一緒したいです!」
「・・・・・」
(これは、どうなんだろうな)
今夜の出来事が自分達にとってプラスかマイナスか・・・・・なぜか何時も冷静な判断をつける事が出来るはずの江坂もはっきり
はいえなかった。
ただ一つ言えることは、世の中は案外に広かったということ。この自分に対してあれほど無邪気に接してくる相手もいるのかと思
うと悪い気はしない。
「・・・・・そうですね、また一緒に・・・・・」
利害関係が全く無いこういった宴席もたまにはいいかもしれないと、江坂は今度こそ本当の笑みを浮かべていた。
「・・・・・はい、では、お先に失礼します」
遠くで伊崎の声が聞こえた気がして、楓はうっすらと瞼を開いた。
「・・・・・」
「楓さん?そのまま眠っててもいいですよ」
視界に映ったのは狭く暗い場所。あの綺麗な桜も、楽しい仲間達もいない。
「・・・・・どこ?」
「車の中です。もう家に戻ってますよ」
「・・・・・そっか」
(もう、終わったのか)
楽しかったあの時間が知らない間に終わってしまったのかと思うと残念で、楓はそのまま伊崎の胸に凭れ掛った。
「みんなにバイバイ言えなかった・・・・・」
「楓さん」
「連絡先だって・・・・・」
「小早川君の連絡先でしたら教えて頂きましたよ」
「えっ?」
楓は驚いたように身を起こすと、まじまじと伊崎の顔を見つめた。静本人はまだしも、傍にいたあの男が教えさせるとはとても思
えなかったからだ。
その過程を全然覚えていないらしい楓に、伊崎は楽しそうに頬を緩めながら言った。
「苑江君が随分頑張ってましたよ。それで、江坂理事も折れたんです」
「タロが?」
(あの男に向かっていったっていうのか?)
「・・・・・あいつ、怖いもの知らずだな」
「何も知らないということは本当に強いということかもしれませんね」
「・・・・・」
「・・・・・新しい友人が出来たみたいで、良かったですね、楓さん」
「・・・・・うん」
楓は素直に頷いた。
確かに、あの男はあまり好きではないが、出会った静は楓の心にじんわりと入り込んできた。真琴や太朗と出会った時に感じた
ように、きっと静とも長い付き合いになるような気がする。
(・・・・・面白いな)
面白くて、楽しい。
楓はクスクスと笑いながら、再び伊崎に寄りかかる。
「楓さん?」
「酔ってるんだ。黙ってクッション代わりになってろ」
「・・・・・はい」
ゴロゴロと猫のように素直に甘えられるのは酔った時くらいだ。
楓はその時間を十分満喫しようと、伊崎の胸元に深く顔を埋めた。
「面白かったわね、マコちゃん」
「はい、楽しかった」
車の後部座席に座っていた真琴は、助手席から振り返って言う綾辻に笑いながら頷いた。
綾辻の言った通り、今日は自分の予想以上に楽しかった。太朗と楓と、そこに突然現われた静。
口数は少なかったが、静は見かけの硬い人形のような容貌とは裏腹の、素直で柔らかい性格の青年だった。真琴の感性にも
ピッタリと嵌まった相手らしく、海藤も彼との付き合いに口を挟もうとは思わなかった。
「小早川君とも出会えたし」
「ケイ番ゲット出来たのは太朗君のおかげね。あの子、会うたびに逞しく強くなってて、あの上杉会長が振り回されているんだ
もの・・・・・ふふ」
綾辻は思わずといったように笑み零れた。
普通の高校生のはずなのに、ヤクザの組の会長を振り回しているのだ、痛快この上ないのだろう。
海藤も今夜の太朗の姿を思い出すと唇の端を上げた。
「会長の手料理も美味しかったし」
「・・・・・付け加えたように言うな」
「本当のことですよ〜」
「・・・・・」
「でも、会長も意外に思われたんじゃありません?今夜の江坂理事」
「・・・・・」
「噂では聞いていましたが・・・・・あれほど入れ込んでいるなんて少し驚きました。あの人、どちらかというとそんな人間的な感
情があるとは思えなかったし」
「綾辻っ」
「なによ〜、克己、あんただってそう思わなかった?」
綾辻と倉橋の話を聞きながら、海藤も江坂の事を考えた。
確かに海藤の認識でも、江坂は人間の情という不確かなものなど信じない石、というよりは石さえも砕くダイヤモンドのような硬
質な男だった。
そんな男でも、たった1人の相手を手に入れた途端、あんな風に変われるものなのか?
「・・・・・」
(いや、確かにそうかもしれない)
海藤は自分の隣に座っている真琴を見下ろした。一生人を信じられないと思っていた自分でさえ、真琴と出会った途端、世界
が変わったのだから・・・・・。
「真琴」
「はい?」
真琴は海藤を振り返る。
何の邪気もない、本当に信頼している・・・・・愛情のこもった目。この目を向けてもらえる幸運を、きっと江坂も感じているのだろ
うと思った。
「酔いは醒めたか?」
「え〜、酔ってないですよ〜」
「本当に?」
「だって、ちゃんと海藤さんの姿見えてるもん」
その声の調子が酔っているのだと言っても、多分真琴は断固として否定するだろう。
(これぐらいなら大丈夫か)
楽しい酒だ、きっと明日には残らないだろう。
海藤は苦笑を零すと、そのまま真琴の肩を抱き寄せた。
バックミラーで幸せそうな2人を見つめていた綾辻は、車を運転している倉橋の耳元に唇を寄せてそっと囁く。
「克己、この後飲まない?」
「・・・・・嫌です」
「本当に嫌?」
「・・・・・」
「ねえ、克己。もう少しだけ・・・・・一緒にいましょうよ」
その返事は・・・・・綾辻しか知らない。
「・・・・・ったく、オオトラめ」
半分呆れたように、そして残りの半分は楽しそうに言った上杉の言葉を敏感に聞き取った太朗は、なにおと思わず立ち上がろ
うとしたのだろう。
しかし。
「・・・・・って!」
そこはもう車の中で、低い天井に直ぐ頭をぶつけてしまった太朗は、半分泣きべそをかきながら頭を押さえて再びシートに腰を下
ろしてしまった。
「何してんだ」
「なに?ここ・・・・・桜、無い?」
「とっくに車の中だぞ」
「・・・・・車・・・・・」
ブツブツ呟いている太朗は、きっと頭の中で今の状態を理解しきれていないのだろう。
静に聞いたが、太郎は口当たりのよい甘酒を気に入ったようで、一気に3杯も飲んだらしい。上杉にしたらそれこそジュースと同
じ甘酒も、免疫のない太朗にすればテキーラを一気飲みしたようなものだろうか。
「まあ、酔ったタロも可愛いんだがな」
「んあ〜?」
「・・・・・もう少し色っぽくてもいいけどな」
(あの子らとは全然違うしな〜)
桜の木の下、頬を染めた真琴は、普段普通の青年に見えるだけにかえって酷く色気を感じた。
伊崎に抱きついた楓は、気紛れな美猫のように艶かしかった。
しかし・・・・・同じ様に酔っていても、太朗はやはり太朗だ。
「タロ、キス出来るか?」
「き・・・・す?」
「色っぽくねだってみろよ」
車の中でそんな事を言うなど、普段の太朗なら手も足も出てくることは間違いがないはずだった。
ただ、今夜の太朗は違う。
「ちゅーか。いいよ!」
太朗はそう叫ぶと、いきなり上杉の両頬を掴んでブチュッと唇を合わせてきた。
(・・・・・お)
ぶつかるだけで直ぐに離れると思っていた太朗のキスは・・・・・思い掛けなく上杉の唇を舌で割って入るディープなキスを仕掛け
てきたのだ。
「・・・・・んっ」
上杉が教えた通りの、上杉好みのキス。それを忠実に守って、太朗は本来は官能的なはずの口付けを、一生懸命上杉に与
えた。
「・・・・・」
「ふぁっ」
車の中にいるのは運転手だけで、彼は何も見ないし何も聞かない。
その密室の中で上杉が遠慮するはずもなく、上杉は少し強く太朗の顎を掴むとそのまま太朗の口腔内を思う存分堪能した。
「・・・・・っ」
しばらくして・・・・・離れた2人の唇の間には、混じり合った唾液が繋がっていた。
「タロ・・・・・今夜も泊まっていけ」
耳元で甘く囁くと、太朗はくすぐったそうに笑いながらも素直に頷く。
上杉にとっての宴は、まだ終わりそうにはなかった。
宗岡はちらっと小田切の横顔を見るが、何を言っていいのか分からないまま口を開くことは出来なかった。
(裕さん・・・・・どこ行くんだ?)
上司に当たる上杉と料亭の前で別れた小田切は、そのまま待っていたらしいタクシーに宗岡と共に乗り込んだ。何の説明も無
いままなので、宗岡は尻が落ち着かない。
休みは明日の夕方までで、夜にはもう准勤務として待機していなければならないのだ。
(もう帰って休まないと・・・・・)
はあ〜と溜め息をついた宗岡は、ふと窓の外を見て思わず声を上げた。
「高速っ?」
タクシーは何時の間にか高速に乗っていた。このままどこに行くのか・・・・・宗岡は思わず目を閉じたままシートに背を預けている
小田切に詰め寄った。
「裕さんっ、どこ行くんですかっ?」
「・・・・・伊東」
「伊東って・・・・・」
「静岡の伊東だ」
「えっ?」
思い掛けない場所に、宗岡は思わず声を上げてしまった。
「い、今から?」
「宿はもう取っている。後は私達が行けばいいだけだ」
「でっ、でっ、でもっ、俺、明日は・・・・・」
「ご褒美、いらないのか?」
何の、とは言わないが、それが今夜の宗岡の働きに対するものにだということは分かる。いや、本来は今朝から行くはずだった旅
行をキャンセルしたことに対する小田切なりの詫びなのか・・・・・。
「裕さん・・・・・」
「露天風呂でも、部屋風呂でも、一晩中好きなだけ相手をしてやろう。・・・・・どうする?」
選択は任すという小田切に、宗岡は一瞬のうちに温泉と明日の仕事を天秤に掛けた。
結果は・・・・・考えるまでも無い。
「・・・・・」
ギュッと自分の手を握り締めてくる宗岡の手の力に、小田切は口元に鮮やかな微笑を浮かべた。
賑やかだった宴は終わり、それぞれの日常が戻る。
それはお互いにとって、何にも変えがたい、大切な日々・・・・・。
end
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お花見完結です。
何だか、書くたびに長くなってしまうコラボですが、楽しいんだから仕方ないです(笑)。
それぞれのカップルとも、それぞれ落ち着きました。・・・・・良かった、終わって(汗)。