盛 宴











 夜風で桜の枝がゆっくりと揺れる。
その度に散った花びらが空に舞うのを、真琴はうっとりとした視線で見つめていた。
 「絵みたい・・・・・」
実際は描写出来ないほど美しく動いている綺麗な絵を、こんなに間近で見れるとは思わなかった。
 「真琴、大丈夫か?」
 真琴が酔っていると思っているのだろう、海藤は気遣わしそうに言いながら顔を覗き込んでくる。
そんな海藤を振り返った真琴は・・・・・不意にクスクスと笑いながらゆっくりと手を伸ばした。
 「花びら、付いてる」
 「・・・・・」
 「可愛い、海藤さん」
舞い落ちる花びらを髪やスーツに飾っている海藤を見ていると、急に愛しくて可愛くてたまらなくなった。自分よりはるかに大人の
海藤にそう思うなど、やはり自分は酔っているのかも知れない。
 「今日は、ありがとうございました。とっても、楽しかった」
 「誘ったのは俺じゃない」
 「でも、こうして時間を空けてくれたし、一緒にお弁当も作ってくれたし。海藤さんと一緒に色んなことをするのが、凄く楽しかっ
たあ」
 「・・・・・酔ってるな」
苦笑を漏らした海藤が、そっと真琴の肩を抱き寄せる。
 「そんな可愛い顔は、2人きりの時に見せてくれ」
 「かわいい?」
 「ああ、可愛い」
 「ふふ」
何時もなら恥ずかしくてたまらない言葉が、今日はとても嬉しくて仕方がない。
真琴は人前にも構わずに背伸びをして海藤にキスしようとしたが・・・・・。
 「まころさ〜ん!来て来て〜!」
 「ふぇ?」
 後ろから、弾んだ声で太朗が呼んでいる。
真琴はパッと海藤から離れると、フワフワとした足取りで呼ばれた方向へと向かった。
 「・・・・・」
後に残された海藤の顔が、珍しく照れたような苦笑を浮かべたことに気付かないままに・・・・・。



 「連絡先、おしぇえてくれるって!」
 所々呂律が回っていないことなど全く気にすることも無く、太朗は何と江坂の腕に強引にしがみ付いていた。
 「おいっ、タロッ」
さすがの上杉もまずいと思ったのか、直ぐに太朗の身体を江坂から引き離そうとするが、そうされればますます離されないように
と太朗はギュウッと掴む手の力を強くした。
(お前な〜)
 上杉は溜め息を付いて江坂を振り向いた。
 「申し訳ありません」
 「・・・・・」
 「可愛いですよね、太朗君」
 直ぐ隣にいた静が、笑いながら江坂を見上げると、無表情に太朗を見下ろしていた江坂の頬にも僅かな笑みが浮かんだ。
 「ええ」
 「江坂理事」
 「子供のすることだ、咎めはしない」
はっきりと江坂がそう言った事で、上杉も内心深い溜め息を付いた。
一度言ったことを翻すような人物ではないと知っているので、太朗が何かされるという事はないだろうと確信出来たからだ。
それでもこのままの格好はと、上杉は多少強引に太朗の腕を掴み上げた。
 「痛!痛いよ!」
 「言う事をきかないからだろ」
 「だってっ、俺、コバさんの連絡先、知りたいんだもん!この人がいいっていったらっていうから、お願いしてただけだもん!」
 「・・・・・お願いには見えなかったな」
 「お願いだもん!!」
 酔った子供は自分の言葉を否定されるとますます手に負えなくなってきてしまう。
上杉自身は連絡先くらいケチケチせずに教えてやれよと思うのだが、かなりこの青年に執着しているらしい江坂の思いとしてはそ
れさえも簡単なものではないようだ。
 どうしたもんかと更なる溜め息が洩れそうになった上杉だが、救いの手を差し出してくれたのは当の青年、静だった。
 「ねえ、江坂さん、携帯教えてもいいですよね?」
 「静さん」
 「俺、今日凄く楽しかった!また、こんな時間があったら嬉しいって思って!」
 「・・・・・彼らと一緒にいる方が楽しいんですか」
それは静の正直な感想だろうが、静とは常に2人きりの濃密な時間を過ごしたい江坂にとってはあまり面白くない言葉だったの
だろう、たちまちその表情が冷たく凍り付いていくのが上杉の目にも分かった。
しかし。
 「江坂さんと一緒に、こうしてワイワイ出来るのが楽しいんです!江坂さんと2人でいるのも嬉しいけど、今日みたいに江坂さん
のお友達と一緒にいたら、普段見ない江坂さんの顔も見れてドキドキするし」
 「・・・・・」
 「・・・・・」
(オトモダチッて・・・・・意味は違うんだがなあ)
思わずそう突っ込みたくなった上杉だが、次の瞬間江坂の顔に浮かんだ本当に笑みに思わず口を噤んでしまった。
 「分かりました。私と一緒に、また彼らと会うのならいいでしょう」
 「はい!太朗君、太朗君、番号教えるから紙ない?」
 「・・・・・ばんごー?」
 「タロ、おい、寝るなよ」
 騒ぎの元凶のはずの太朗は、お腹が一杯になっていたせいかウトウトと目を閉じたり開いたりと忙しい。
 「番号、教えてくれるらしいぞ」
 「ばんごー・・・・・あ、番号?」
やっと我に返った太朗は、直ぐに少し離れた場所に立っている真琴に向かって大声で叫んだ。
 「まころさ〜ん!来て来て〜!」



 「やってる、やってる」
 綾辻は見事に空になった重を片付けながら笑みを零した。
太朗は会うたびに何かをやらかして楽しませてくれるが、今回はあの江坂にまで絡んでとうとう彼に笑顔を浮かべさせたのだ、凄
いとしか言いようがなかった。
 「上杉会長も大変ね」
あの太朗を御するのは並ではないだろうと呟くと、傍でこちらも宗岡が片付けているのを見ていた小田切が笑う。
 「彼は刺激的な日常があった方がいいんですよ」
 「テンション的には似たもの同士?」
 「そういう事です」
 ゴミなどはそのままにしていても店の者が片付けてくれるだろう(それなりの貸切料を払っている)が、何事もきちんとした性格の
倉橋は率先して瓶などを片付けているし、公務員の宗岡もキビキビと動いている。
綾辻はのんびりと残った菓子などを4等分に分けながら、じっと宗岡を見つめている小田切に言った。
 「相当可愛いみたい」
 「・・・・・そうですか?」
 「今日のご褒美は考えているんですか?」
 「・・・・・これから旅行です」
 「これから?」
 さすがに綾辻は声を上げた。
もう午後9時になろうとする時間、どこに行くのかは分からないが、それでも上杉達を送ったりしていれば日付は確実に変わってし
まうだろう。
 「大丈夫なんですか?」
ちらっと宗岡に視線を向けながら言うと、小田切は楽しそうな笑みを浮かべたまま口を開いた。
 「何時も休み返上で働いているんです、たまには有給を頂かないと」
 「それって、小田切さんのこと?」
 「あれも一緒です」
 「・・・・・へえ」
(惚れてる方が負けってことか)
 警察でも目をつけられているであろうヤクザの面々と同席するだけでも大変なことだったろうに、この後も小田切のサプライズが
待っているのだ、気の毒としか思えなかった。



 「申し訳ありません、手伝って頂いて」
 丁寧に礼を言う相手に、宗岡は恐縮したように頭を下げた。
 「い、いえ、俺もご馳走になったし」
 「でも、お客様なのに・・・・・」
 「本当に、いいんです」
(参った、凄く律儀な人なんだ・・・・・)
 綺麗でストイックなその相手は、歳から言えば小田切よりも少し若いくらいだろうか。それでも見るからに年下の自分に対して
も丁寧に対するところを見ると、ヤクザの世界にも色々なタイプがいるんだなと思う。
白バイ勤務の時に対するヤクザは、下っ端が多いせいかいきがって乱暴で、対応するのもうんざりする人間が多かったが、小田
切と出会ってヤクザの世界にもこんなに頭が良い、綺麗な人間もいることを知った。
そのギャップにやられ、小田切と関係を持ち、今の状態になっていることをイイコトではないと思いながらも・・・・・後悔はしていな
い。
 そして、今夜初めて会ったこの倉橋という男も、見た目や言動は大企業のエリートサラリーマンか、もしくは弁護士のように見え
るのにヤクザなのかと、宗岡は改めてその世界の奥深さを知った気がしていた。
 「仕事は、小田切さんの下ですか?」
 「え?」
 「色々大変でしょう。頑張ってください」
 「あ、ありがとうございます」
 あくまでも自分を小田切の部下と思っているのか、倉橋は小さな笑みを向けて励ましてくれる。
その顔を見ていると、何だか騙しているのが申し訳ない気がした。
 「あ、あの」
何を言おうというのか・・・・・自分でも分からないままに口を開きかけた宗岡の後頭部を、ガンッと激しい衝撃が襲った。
 「いてっ!」
 「手が止まってる」
 にっこり笑いながら立っていたのは、刺しイカの入っているプラスチックの容器を手にした小田切だった。
 「瓶で叩かないだけ感謝しろ。ほら、働く」
 「はいっ」
小田切の言葉には逆らえない。
そんなすり込みが入っている宗岡は、倉橋にペコッと頭を下げると再び手を動かし始めた。



(・・・・・気の毒に)
 倉橋はゴミ袋にどんどんゴミを放り込んでいく宗岡をじっと見つめながらそう思ったが、まさかそれを面と向かっていう事も出来な
かった。
 「結構お似合いかもね」
 「・・・・・どこを見てそう思うんですか」
 「だって、彼幸せそうじゃない?克己といる私みたいに」
 「・・・・・」
 綾辻の馬鹿馬鹿しい発言は慣れているが、倉橋はとても宗岡が幸せそうには見えなかった。
例えるならば、蟻地獄に嵌ってしまった哀れな・・・・・。
(哀れな何だろう?犬なんか無理だし、昆虫にしてはガタイがいいし・・・・・)
 「克己?」
 「あ、はい?」
 「可愛い顔して何考えてるの?私にも教えてよ」
 「・・・・・教えることは無いですよ」
とにかく、早く片付けて皆を無事に送り出すまで、倉橋の緊張が解けることは無かった。



 「番号、聞かなくていいんですか?」
 ずっと自分の首にかじり付いている楓の耳元で伊崎は囁くが、楓は微かな応えを返すだけだ。
触れている頬も腕も、そして密着している身体も熱く、楓の酔いはまだ醒めていないのだろう。
 「どの位飲んだんですか?」
 「冷たくて、甘かった」
 「楓さん」
 「桜の花が、綺麗だった」
たどたどしく説明する楓は何時もの凛とした強さは鳴りを潜め、ただ可愛らしい幼い表情をさらけ出している。
(こんな顔をするなんて、一体どれだけ・・・・・)
 「きょーすけ」
 「はい?」
 「今夜は、一緒に寝るぞ」
 「え?」
 「帰ったら、仕事になんて戻るな。俺の部屋で、俺と一緒に寝るんだ!」
 「・・・・・」
 まさか・・・・・と思うが、この後事務所に戻ろうと思っていた自分の気持ちを読んだのだろうか・・・・・いや、それはきっと楓の願
望なのだろう。
ずっと傍にいて欲しいと、酔っていても素直に言えない楓に、伊崎は苦笑しながらも頷いた。
 「分かりました。今日はずっと一緒にいましょう」
 「・・・・・ほんと、か?」
 「ええ」
 「きょーすけ」
ゴロゴロと、まるで猫が擦り寄ってくるように伊崎に頬を摺り寄せる楓を、伊崎もギュッと強く抱きしめる。
周りにはまだいろんな目があるが、それさえも今の楓を目の前にすれば気にする方が馬鹿らしい。
 「だいすき、きょーすけ」
 「・・・・・」
伊崎は頬を緩め、そのまま楓が満足するまでその身体を離さなかった。






                                       






お花見7話です。
そろそろお開きの時間になってしまいました。タロの捨て身の攻撃で、静の連絡先も皆ゲット出来たようです(笑)。
次回、最終回。それぞれの帰路の話。