昔日への思慕



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 「おはようございます」
 チェックアウトギリギリの時間にロビーに下りた真琴は、既に待ってくれていた倉橋と綾辻に頭を下げた。
 「すみません、お待たせして」
 「いいえ」
 「気分はどーお?マコちゃん。二日酔いになってない?」
 「なってませんよ」
からかうように言ってくる綾辻に苦笑を返すと、その隣では倉橋が海藤に向かって頭を下げていた。
 「昨夜は醜態を晒してしまいまして・・・・・申し訳ありません」
 「俺は別に何もしていない。綾辻の方が手が掛かったんじゃないのか?」
 「・・・・・綾辻の方には、今朝礼を言いました」
 「・・・・・」
(倉橋さんも昨夜酔ったのかあ)
 今朝目が覚めた時、真琴は自分を見つめる海藤の優しい目と視線がぶつかった。
昨夜のことを全て覚えているというわけではなかったが、全く忘れているというわけでもなく、真琴は身体中に残っている快感の
余韻に顔を赤くしてしまった。
倉橋が何時潰れたのかは全く覚えてはいないが、真面目な性格だけにきっと落ち込んでいるのだろうと真琴は気の毒に思って
しまうが、そんな真琴の肩をポンポンと叩いた綾辻は、顔から笑顔を消さないまま囁いた。
 「昨日は社長に可愛がってもらった?」
 「あ、綾辻さんっ?」
 「まだ目が潤んでるし、お肌もうっすらピンク色だし。たっぷり可愛がってもらったのかなあ、なんて」
 「そ、そんなこと・・・・・」
 あるわけはないとは言えないので、真琴はもごもごと口の中で言い訳を言うが、綾辻は最初から真琴の答えを期待していた
わけではないようだ。
 「昨日は面白かったわね〜。またみんなで飲みに行きましょうよ」
 「あ、はい」
楽しかったということは事実なので、真琴は今度ははっきりと頷いた。



 空港で搭乗時間を待ちながら、海藤はこの慌しかった数日を思い返した。
父親の狙撃という、あまり想像していなかった出来事で九州までやってきて、傍迷惑な喧嘩を売られ、その結果真琴を危険
な目に遭わせてしまった。
倉橋の機転で怪我を負う事はなかったが、真琴の中でこの出来事が暗い染みになったことは確かだろう。
一般人の、それもまだ大学生の真琴。本来ならば手を離してやることが真琴の幸せだと分かってはいるが、海藤はもはやこの
温もりを手放すことは出来なかった。
 「あー!!」
 「・・・・・」
 突然、隣に座っていた真琴が立ち上がり、海藤の思考はそこで途切れてしまった。
 「どうした?」
 「お、お土産、忘れた・・・・・」
 「土産?」
 「バイトを代わってもらったし、海藤さんのお父さんの容態も安心出来るものだから、お礼に何か買って帰ろうと思って・・・・・」
多分、貴之の容態がもっと深刻なものだったら土産などといっている場合ではないが、思いの外元気な様子を目で見て気持
ち的にも安心したのだろう。
だからこそ、バイト先の人間への土産をと思ったのかもしれない。
人に気を遣う真琴らしいと海藤は苦笑した。
 「空港でも何か売ってるだろう?」
 「そ、そうですよね、何がいいかな」
 鞄から財布を取り出そうとした真琴に、海藤は自分の内ポケットから財布を出そうとしたが、それに気付いた真琴は慌てて
首を横に振る。
 「これは俺の付き合いですから、自分で出します」
 「・・・・・」
 「急いで買ってきますから!」
空港内の土産物店に向かって走る真琴の後ろ姿を見て、海藤は視線を綾辻に向ける。
直ぐに立ち上がって真琴の後を追いかける綾辻を見送りながら、海藤は行き場をなくした手で財布の代わりに煙草を取り出
した。
(もっと、甘えてくれてもいいんだが・・・・・)



 「そうね〜、大勢で分けるならやっぱりお菓子ね。私は《ひよこ》なんか好きよ。お尻からガブッと食べちゃうの」
 「《ひよこ》かあ・・・・・」
 売店の中で、福岡だけではない近県の名産物を前に迷っていた真琴に、綾辻は味見用のケースからお菓子を摘みながら
助言してくれた。
 「《博多とおりもん》なんかも美味しいわよ」
 「じゃあ、それにします。あ、後・・・・・」
 手に持った菓子の箱の上に、真琴は辛子明太子と辛子高菜を乗せた。
 「マコちゃん、これ好きなの?」
 「前に、親戚がお土産にってくれたんです。東京でも売ってるけど、やっぱり本場のものの方が美味しい気がして・・・・・気の
せいかもしれないけど」
 「へえ」
綾辻は少し考えるように、真琴が手にしたものを見つめる。
 「辛いものも好きなのねえ」
 「甘いものも好きですよ。酸っぱいものと苦いものが苦手です。子供舌なんですよ」
 「ふふ、そっか」
 「じゃあ、ちょっとレジに行ってきます」



 真琴がその場から離れると、綾辻は直ぐに携帯を取り出してある番号を呼び出した。
 「・・・・・あ、私、ユウよ。あのね、頼みがあるんだけど、福岡で美味しい明太子屋さん知ってる?何軒かあるならそれでもい
いんだけど、そこの明太子定期的に送って欲しいのよね。・・・・・もちろん、金額なんて関係ないわよ」
東京ではなかなか食べられないという本場の味を、定期的に届けてやったらきっと真琴は喜ぶだろう。
それがわざわざ福岡から送られてきたものだと言わないで、都内の店で買ったといえば遠慮も小さくなるだろうと思う。
 「あ、それと、焼酎。例のやつ、また送ってね」
 相手からの返事はもちろん快諾で、綾辻は気分がいいまま電話を切る。
この相手は信用が出来るので、きっと美味しいものが送られてくるだろう。
(社長もこれぐらいマコちゃんを甘やかしたいだろうし)
たった数万円の贅沢など、海藤からすれば全然物足りないだろうが。
 「お待たせしました!」
 そこへ、真琴が両手に紙袋を持って駈け寄ってきた。
 「はい、綾辻さん」
 「え?」
にこにこ笑いながら真琴が差し出したのは小さな紙袋だ。
 「私に?」
 「レジの近くにあったから。可愛くて買ったんです」
 「・・・・・あら、かわい」
包みから出てきたのは、携帯ストラップ・・・・・ゲゲゲの鬼太朗のキャラクター、目玉のおやじの明太子バージョンだ。
 「俺と海藤さんは加トちゃんの温泉バージョンをお揃いで買って、倉橋さんにはキティちゃんの明太子バージョンなんです。可
愛いでしょう?」
綾辻はプッと吹きだした。これを見た時のあの2人の反応が楽しみだ。
 「さてと、戻りましょう」
 「はい」
(克己、どんな顔するかな)
綾辻はまるで新しい悪さを思いついたかのようにワクワクしながら真琴の肩を抱くと、2人を待っている者達のもとへと足早に歩
き始めた。





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