toshiya side







 「・・・・・早かったか・・・・・」
 今まさに呼び出した携帯電話の液晶に映る名前を見つめながら、沢渡は彼らしくない気弱な溜め息をついた。



 沢渡俊也には、杉野和沙という出来立てほやほやな愛しい恋人がいた。
同性同士という、少しイレギュラーな所はあったが、和沙はこれまで沢渡が付き合ってきた女達とは比べ物にならない程
可愛く、大切な存在だった。
 容姿の可愛らしさも目を惹く点だが、それ以上に沢渡が惚れこんでいるのはその性格だ。
驚くほど引っ込み思案で、卑怯なぐらい臆病なその少年を、沢渡は全てを食らいたいほど愛していた。
 知り合った時は高校生だった和沙も、今は大学に進学し、学校の中では数人の仲の良い友人も出来たらしい。
少し悔しい気もするが、和沙の世界が広がるのは沢渡にとっても嬉しいことだった。


 奥手だった和沙も、辛抱強く慣らしたおかげか、キスは慣れてきたようだった。
触れるだけの優しいキスはもちろん、舌を絡める大人のキスも、戸惑いは残っているようだったが嫌がる素振りは見せなく
なった。
それに・・・・・沢渡は錯覚したのだ。
もう一歩踏み出すことが出来る・・・・・と。


 一週間前のデートの帰り、家まで和沙を送った沢渡は別れ際にキスをした。
拒むことなく受け入れ、応えようとする和沙の表情に煽られた沢渡は、そっとその手を和沙の腰に滑らせた。
自分の手では片手でも掴めそうな小さな尻を掴み、もう片方の手で胸を探る。
もちろん女のような豊かな胸は無いものの、滑らかで瑞々しいその手触りだけで心が弾んだ。
 しかし・・・・・。
 「・・・・・っ」
覗き込んだ和沙の顔は紙のように真っ白になっていて、ギュッと閉じられた目じりからは涙が零れた。
戸惑い・・・・・というものではなく、明らかに恐怖を感じているその表情に、沢渡はとてもそれ以上手を進めることなど出
来なかった。



 あれから数日、今日は前から約束していたデートの日だった。
どう言おう、どんな顔をしようと悩んでいた沢渡だったが、突然入った打ち合わせの為に予定を変更せざるをえなかった。
今日は車で会社に来ているので、待ち合わせの場所に遅れていくより、会社まで来てもらった方が少しでも早く会える
とメールを送った。
電話で声を聞くには・・・・・もう少し覚悟が必要だったからだ。
 「何?彼女?」
 沢渡が携帯を閉じると同時に、同僚の中尾夕美がからかうように声を掛けてくる。
同期入社の中尾は美人と評判ながらも性格は男勝りで、営業成績も男と同等に争うほどの有能な社員だった。

 「マッチョが好きなのよ。沢渡みたいなやさ男は、好みの範疇外」

そう言い切る中尾とはかなり親しく付き合い、一緒に酒も飲みに行く関係だ。
見た目は美男美女カップルなので当初はかなり噂になったが、2年前に中尾が登山家と電撃結婚し、その披露宴でま
るで熊のような新郎を見た社員の口から、2人が全くの友人関係だったことが証明された。
 「・・・・・残業なんてついてないよ」
 「あんたが鈍いからよ。さっさと他の人間に押し付ければよかったのに」
 「だよな〜」
 「なに、最近ぼーっとしてるじゃない。本当にフラレたの?」
 「縁起でもないこと言うなよ」
 沢渡は苦笑しながら内線を回し、受付に自分の客が来ることを伝えた。
 「・・・・・男の子?」
 「ああ」
 「男装した女の子だったりして」



 面白半分か、それとも同情してくれたのか、中尾が手伝ってくれたので思ったよりも早くに仕事が終わった。
受付から和沙が来たことを教えられて15分。それ程待たせなくて良かったとホッとする。
 帰宅するという中尾と一緒にエレベーターに乗り、1階ロビーで扉が開いた瞬間、直ぐに和沙の姿に気付いた。
周りがスーツばかりの中に、ポツンと浮いたようなシンプルなシャツとジーンズ姿の和沙はかなり目立っている。
飾り気が無いだけに和沙の繊細な美貌は際立ち、チラチラとその姿を見る者は少なくなかった。
 沢渡は自分の存在を見せ付けるように、わざと大きな声を出して言った。
 「悪い!待たせたな、和沙!」
振り向いた和沙のホッとしたような顔はとても可愛かった。
どんなに気まずくても、やっぱり会うことにして良かったと思った沢渡だったが、和沙の顔が見るまに曇っていくのに気付き、
どうしたのかと眉を顰める。
 「この子が約束している相手?本当に男の子だったのね」
 それまで中尾の存在を忘れていた沢渡は、あっと気付いたように振り返った。
 「だからそう言ったろ」



 「どうした?大人しいな」
 何時も以上に口数の少ない和沙を、沢渡は車を運転しながらも気遣わしそうに見ながら声を掛けた。
それでも、和沙は何かを考え込んでいるかのようにじっと俯いて黙っている。
何度か名前を呼んでも返事をしない和沙に、業を煮やした沢渡は路側帯に車を停めた。
 「和沙っ」
 「あ・・・・・」
 少し強く和沙の名前を呼ぶと、ハッとしたように顔を上げる。
しかし、次の瞬間ギュッと目を閉じてしまった和沙を見て、沢渡はどれだけ自分が和沙を怖がらせたのかを悟り、思い切
り後悔してしまった。
(俺がこんな顔をさせてどうする・・・・・っ)
 沢渡は和沙を強く抱きしめたいのを我慢し、怖がらせないようにそっと腕を回した。
 「どうした?そんな泣きそうな顔をして。言いたいことがあったら言ってくれないと分からない」
(怖かったと・・・・・嫌だったと、ちゃんと言って欲しい)
出来るだけ優しく促した沢渡の耳に届いたのは、和沙の思い掛けない言葉だった。



 「さ、沢渡さんの会社・・・・・綺麗な女の人、いっぱいいますよね?」

 「僕より・・・・・あの人達の方が・・・・・」

 「僕なんか、ちょっと触られたぐらいで怖がってるし、でも、あの人なら・・・・・」


 それは沢渡を非難するような言葉ではなかった。
むしろ・・・・・。
 「ち、ちょっと、待ってくれ、和沙。まさか・・・・・嫉妬してるのか?」
 その瞬間、和沙の顔は首筋まで真っ赤になってしまう。
(嫉妬・・・・・してくれたのか・・・・・)
直前までの自分の考えが全く見当違いだと分かった瞬間、沢渡は嬉しくなって笑ってしまった。
和沙は嫌がって身体を離そうと身を捩るが、ここでその身体を離すほど沢渡も大人ではない。
愛しいと思う相手から可愛らしい嫉妬をされて、嬉しくて舞い上がっているのだ。

 「笑ってごめん。でも、嬉しかったんだよ、和沙が嫉妬してくれて」

 「好きな子に妬きもちやかれたら、誰だって嬉しいよ。」

 「少なくとも、俺は嬉しい。和沙がちゃんと俺の事を好きだっていう証拠だから」

 何度も何度もそう繰り返し、怯えるその身体を抱きしめた。
多分、和沙にとってはこれが初めての嫉妬だろう。優しい彼は、自分がそんな感情を抱いたと思うだけで恥ずかしく居た
たまれないと思っているに違いなかった。
しかし、和沙から与えられるそれは、沢渡にとっては睦言と同じなのだ。
 「・・・・・本当に・・・・・嫌だなって、思いませんか?」
 ようやく、小さな声でそう言った和沙に、沢渡はわざと軽い口調で答えてやった。
 「全然。和沙は俺の恋人なんだから、どんどん遠慮しないで嫉妬してください」
それは持ってもいい感情なのだと。
好き合っている者同士ならば当たり前なのだと、初めての恋愛に途惑う和沙に教えてやる。
 やっと、微かに笑った和沙に、沢渡は恋人の特権のように行った。
 「ほら、キスをしよう、和沙。妬きもちをやいた後は、仲直りのキスをするものだぞ」
 「・・・・・はい」
 理由を付けてやれば、素直な和沙はその通りに行動する。
ずるいとは思うが、それも自分を恋人に選んだからだと諦めてもらわなければならない。
 「・・・・・ふ・・・・・んぅ」
和沙のキスは、自分が一から教えた通りのやり方だ。唇の合わせ方や、舌の絡め方、互いの唾液を交換するところまで、
優秀な恋人は教えた通りに返してきた。
(勘弁してくれ・・・・・)
 これ以上、好きにさせないで欲しいと思う。
今でさえ沢渡は和沙相手には今までの恋愛の手管が通用せずに、情けないほど手探りな状態になっているのだ。
 「今度は、俺からお返し」
 そんな自分の気持ちを誤魔化すように、沢渡は今度は自分の方から和沙には到底太刀打ち出来ない濃厚なキス
を与える。
うっとりと目を閉じた和沙が自分の背をキュッと強く抱きしめてきた時、沢渡は下半身にゾクッとした快感を感じた。
(・・・・・嘘だろ・・・・・)
 キスだけで勃つなど、まるで中学生にでもなった気分だ。
(俺の方が・・・・・合わせられてるのか)
和沙に大人の恋愛を教えているつもりが、自分の方が初々しい初恋の気分を教えられているのかも知れない。
これ程多大な影響力を持つ恋人に、沢渡は内心完敗だと苦笑を零した。




愛しい恋人の全てを手に入れるのは・・・・・まだしばらくは先かもしれない。




                                                                  end