幸せな籠の鳥
前編
もう2時間も続いているくだらない会議に、上座に座る男は閉じていた目を開いた。
「寝言は終わったか」
冷んやりとした低い声に、今まで入り乱れて言い合っていた者達は青くなって口を閉ざす。
「私はもう2時間も無駄な時間を費やした。その結果は、誰か、言える者がいるのか?」
「・・・・・」
「無い・・・・・と、いうことか」
「・・・・・無能な人間は要らない・・・・・そう言ったはずだが」
『SKファンド』・・・・・それは今国内でもっとも勢いのあるとされている経営コンサルタント会社だ。
設立した当初は僅かな資金と株の保有だけだったが、強引で大胆なM&A買収を繰り返していき、今や国内でもトップクラ
スの、そして海外でも名の知れた企業に躍り出た。
起業時は2人、それも大学入学したての青年達で始めた事業も、今や数千人の社員を抱える大企業だ。
社長である西園寺久佳(さいおんじ ひさよし)は190近い長身と、怜悧な美貌の主。
専務の小篠幸洋(こしの ゆきひろ)も185は超す人懐こい笑顔の好人物。
そしてもう1人、主要な人物である顧問弁護士の夏目忍(なつめ しのぶ)。180には僅かに届かないものの、艶やかで蠱
惑的な雰囲気を持つ主。
共に今年32歳だ。
圧倒的なカリスマ性と決断力、そして非情なまでの能力主義者である西園寺。
交友関係の広さと、動物的な勘でことごとく利益のある買収先を選ぶ小篠。
彼らの才能によって、会社は今でも確実に成長を続けていた。
「たかが会社の買収1つにどれ程時間を掛ける気だ」
その一方、会社は完全な実力主義なので、結果が出せない者は非常にも切り捨てられていく。
今も次の買収先についての情報収集に思ったより時間が掛かってしまい、とうとう社長である西園寺も参加しての会議となっ
たが、西園寺を前にして緊張してしまっている社員達はなかなか意見がまとまらず、かえって西園寺の怒りを買うことになって
しまった。
「責任者は誰だ」
「・・・・・わ、私です」
「名前は」
「こ、国際課の鈴木です」
このタイミングで名前を聞かれたということは、ある程度の覚悟をしないといけないだろう。
立ち上がった青年の顔色が紙の様に真っ白になっていくのを一瞥した西園寺が口を開きかけた時、静かな会議室の中に内
線の電話の音が響いた。
誰もが硬直して動けない中、小篠が身軽に立ち上がって受話器を取る。
「急ぎじゃないなら後に・・・・・え?」
小篠がチラッと西園寺に視線を向けた。
「分かった。直ぐに社長室に通して」
その言葉に、西園寺も視線を向ける。
わざわざ社長室に通す人物なら相当な大物のはずだが、今日はアポイントメントは入っていなかったはずだ。
「誰だ?」
戻ってきた小篠に問うと、耳元でその名を囁かれる。
その瞬間、西園寺は立ち上がった。
「3日後にもう一度召集する。鈴木、その時にまで形になる成果を示せ」
「は、はい!」
「先に出る」
小篠の苦笑と一同の呆気に取られた顔に見送られ、西園寺は足早に会議室を出た。
「あ!久佳さん!」
「響(ひびき)っ」
社長室のドアを開けた瞬間目に目に飛び込んできたのは鮮やかなパステルカラー。
それは、中にいた人物が着ていた黄色のレインコートの色だ。
シックな色合いの社長室にその黄色は目を奪われるほど目立ち、まるで夜に咲いた向日葵のようだった。
「響、どうしてここに来たんだ?1人か?近衛(このえ)は?」
「ご、ごめんなさい、いきなり来ちゃって」
心配のあまり詰め寄ってしまったことが、響にとっては叱られたのだと思ったのだろう。
つい今まで笑っていた顔がたちまち曇り、今にも泣き出しそうに歪んでしまった。
慌てたのは西園寺で、濡れているレインコートを構わずに小さなその身体を抱きしめた。
「すまない、叱ったわけじゃないんだ」
「う、うん、分かってる。久佳さん、心配してくれただけ」
「響」
「あのね、本当は家で待ってるつもりだったんだよ?でも、ベランダから綺麗な虹が見えて、ああ、久佳さんにも見せてあげた
いなって思って、近衛さんに無理にお願いして連れてきてもらったんだ。久佳さん夜遅いから、僕寝ちゃってたら話が出来ない
し、だから、近衛さんは悪くないんだよ?」
「分かった。ただ、あんまり近衛を庇うな。悪くなくても嫉妬してしまう」
「嫉妬?変だよ、それ」
「・・・・・そうか?」
西園寺は苦笑を漏らした。
「あ〜、久佳さんの服濡れちゃった・・・・・ごめんなさい」
「私が勝手に響を抱きしめたんだ。ほら、そんな顔しないで、コートを脱いで座りなさい。今熱いミルクティーを用意させるか
ら」
「ありがと。久佳さんは優しいよね」
「・・・・・」
(響限定にな)
響以外にそんな言葉を言う者はいない。
数分前まで会議室にいた時とはまるで違う西園寺の柔らかい雰囲気と言葉は、この目の前にいる響にしか向けられていない
ということを本人は知らないだろう。
響にとって西園寺は、『少し厳しいがとても優しい保護者』なのだ。
(もう3年か・・・・・)
響がコートを脱ぐのを甲斐甲斐しく手伝いながら、西園寺は自分にとって多大な影響力を持つこの存在と出会った時のこ
とを思い出していた。
−−−
西園寺が高階響(たかしな ひびき)と出会ったのは3年前、響の両親の葬式でだった。
響の両親は小さいながらも会社を経営していたが、その会社の生命線とも言うべき優良な特許の権利を騙された形で他企
業に奪われた。
その企業が西園寺の会社にその特許を売り込み、その会社の胡散臭い噂は聞いていたものの、その特許の価値を考慮し
た西園寺はそれを買い上げたのだ。
瞬く間に経営難になった響の両親は金策に走り回っていたが、その日々の中疲れからなのか事故を起こし、両親は死亡、
車に同乗していた1人息子の響も怪我を負った。
表面的に見れば西園寺の会社にはなんの落ち度も無かったが、顧客から遠まわしに騙した会社の噂を仕入れた小篠の
忠言で、問題が起こる前にと顧問弁護士である夏目を差し向けた。
「身寄りがないそうなので施設に入るようになるでしょうね。可愛らしくて素直だから養子も考えられるでしょうが、もう中学3
年生ということですし・・・・・一度会われますか?」
夏目がなぜそう言ったのか、それは今もって謎だが、それ以上に行こうと思った自分の気持ちも謎だ。
線香だけでもあげればいいかと、訪問客が少なくなるだろう時間を見計らって西園寺は小篠、夏目と共に響の家を訪れた。
仮にも社長と言われた人間が住むにはこじんまりとした家に、たった1人で訪問客に挨拶をする少年がいた。
それが、響だった。
頭と腕に白い包帯を巻いた姿は痛々しかったが、逆に嗜虐的な欲望を刺激するような姿だ。
それは、多分に響の容姿のせいだろう。
中学3年生・・・・・15歳の男といえば、そろそろ心も身体も大人に変化する年頃だろうが、響はまるでまだ子供だった。
大きな目も、丸い頬も、華奢な身体も、成長期などとはまだまだ言えず、どこかポワンと空を見ているような感じだった。
「身寄りは1人もいないのか?」
「ええ。肉親の縁に薄い子のようですね。いたとしても遥かに遠縁で、とても引き取ろうという感じではありません。ただ、社
長夫婦の人柄は良かったらしく、社員や取引先の業者の方が何人か、引き取ろうと言っているらしいのですが」
「・・・・・」
じと見ている視線に気付いたのか、少年がふと顔を上げて視線を寄越した。
「・・・・・?」
見慣れない顔だと思ったのか、軽く首を傾げ、次の瞬間・・・・・。
「・・・・・」
「お、笑ったな。可愛い顔してんじゃん」
軽い口調で言った小篠がまず中に入った。そして、少年に何か言ったのか、少年を連れて戻ってくる。
「こんばんは」
夏目のことは覚えていたのだろう、丁寧に頭を下げて挨拶をしてきた。
「お葬式にまで、わざわざすみません」
「いいえ。こちら、私の雇い主である西園寺です」
「あ、高階響です。夏目さんには葬儀のことにも相談に乗っていただいて助かりました」
「あ・・・・・いや、大丈夫なのか?1人で」
そう声を掛けた西園寺に、小篠と夏目が顔に出さなかったが内心驚いて見ていた。
利害関係の無い、いや、そもそも他人にそんな労りの言葉を掛ける西園寺というものを今まで見たことが無かったからだ。
「はい、皆さん良くしてくれて・・・・・それに、あんまり突然だったし、バタバタして泣くどころでもなくて」
そんな西園寺を知らない少年は、葬式とは思えないほどにっこりと笑う。
その透明にも見えた小さな笑みが、西園寺の氷のような心に一筋のヒビを入れた。
それからの西園寺の行動は驚くほど早かった。
夏目に全ての書類を揃えさせ、少々強引な手も使って、本来なら縁もゆかりも無い少年・・・・・高階響を引き取った。
さすがに養子縁組まではいっきにいかなかったが、響の後見人として、響の両親が残した借金も全て肩代わりしてやった。
「やめて下さい、西園寺さん。僕、お返し出来ないのに・・・・・」
何もかも、全てを引き受けてくれた西園寺に、響はそう言って何とか辞退しようとした。
家を売っても借金は残るが、それは自分が働いて少しずつでも返していこうと思っていたのだ。
そんな響に、
「何時か返してくれればいい。無利子無期限だ。それに、お前は先ず身体を治すことに専念しろ」
「・・・・・」
事故によって響が失ったのは両親だけではない。
打撲だと思っていた右手がほとんど動かなくなっているのに気付いたのは、葬式が終わってしばらく経ってからだ。
右利きだった響はかなり困ったが、そのフォローを根気強くしたのは西園寺だった。
食事も着替えも風呂も、時間が許す限り西園寺が手伝い、やがてぎこちないながらも響が左手でこなす様になるまで一緒
にいた。
周りの誰もが、なぜそこまでするのかと疑問に思ったが、それは西園寺自身も分からないことだった。
ただ、あのまま響を見捨てることなど出来ず、また自分以外の人間が響を支えようとすることが面白くなかったのだ。
かなり歳が離れているが、響の言動は西園寺にとって全てが微笑ましく新しい発見ばかりで、それまで節操なく関係を持っ
ていた女達とも自然と縁を切った。
それほど自然に自分の中に入り込んできた響を愛するのは、西園寺にとってそれほど不思議なことではない。
歳も、性別も、家柄など、そのどれもが西園寺の想いの妨げになることはなかったが、たった一つ、両親が死んでからずっと、
響が泣いたことがない・・・・・ただそれだけが気になっていた。
そして、響が西園寺を信頼し、好意を寄せるのにも、時間は掛からなかった。
今年響は無事高校3年生になり、もう数ヶ月もすれば卒業だ。
進路の話はあまりしてくれないが、西園寺はこの先も響の面倒を見ることを当たり前だと思っている。
このまま卒業し、進学をしてのんびりとした生活を送らせてやりたかった。
後は響に養子縁組の話をし、名実共に自分のものとするつもりだ。
西園寺は、もはや響を手放すことなど全く考えられなかった。
−−−
秘書に運ばせた響が一番好きなミルクティー。
猫舌の響が何度も息を吹きかける仕草は見ているだけで楽しい。
「あ、今日はもう一つ、早く久佳さんに知らせたいことがあって」
「ん?」
家に帰るまで待ちきれないほど良い知らせなのかと、西園寺の頬にも柔らかな笑みが浮かぶ。
響は左手で持っていたカップを下ろし、ぺこっと頭を下げながら言った。
「就職先が決まったんだ。卒業したらそこの寮に入って、毎月少しずつでも久佳さんに借りたお金、返すね」
「!」
それは西園寺が全く考えてもいなかった言葉だった。
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リクエストで只今1位の「受けだけに甘い冷徹社長攻め×ロリな小動物系受け」・・・・・のつもりです。
まだまだ序章といった感じですね。一応、前・中・後編のつもりです。
ロリっぽくといった感じに書かれてありましたが、受け君は18歳。でも少し子供っぽいってことにしました。
まるで昼ドラのように目まぐるしく展開しそうです(笑)