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三社参りのラストを飾る東郷神社。
前者2社よりもさらに参拝者の数は少なく、先程と同じように一同はゾロゾロと連なって歩く。ここを参拝した後は解散だと聞か
された後なので、自然と年少者達の歩みは遅くなっていた。
「あ、今のうちにさっき買った御守り、太朗君に渡しておいた方がいいかな」
「あ、そうだね」
「終わった後はバタバタするかもしれないし」
「でも、結構たくさんあるから、手じゃ持てないんじゃないかな」
「甘栗を入れてた袋に入れたらいいよな、タロ」
「・・・・・御利益、あるかな」
「あ〜っ、もう、何でも嬉しいよ!みんなの思いが込められてるんだから!」
太朗は半分照れ隠しにそう叫んだ。
数が多いほどいいとは思わないが、それだけ多くの友人達が自分のために祈ってくれたということだ。同じ御守りでも十分嬉しく、
太朗は自分でも買った御守りも一緒に入れておこうかとコートから取り出した。
「あれ?」
その時、太朗の手元に視線を向けた真琴が声を上げた。
「それ、なんか違うみたいだけど・・・・・」
「え?」
「ほら、俺が買った御守りの色と違うでしょう?」
確かに、同じ湯島天神と書かれている御守りだが、色が違う。合格祈願の御守りを買ったのならば同じもののはずなのにと思い
ながら太朗が御守りを手の中で見ていると、横から覗き込んできた楓が急に笑い出した。
「何だ、これ、安産の御守りじゃん!ははは、タロ、お前出産するの?」
「ええっ?」
確かめてみれば、確かに安産の御守りとある。
(あ・・・・・あの時っ)
上杉が馬鹿なことを言って、慌ててしまった自分はろくに御守りの文字など見ないまま手に取っていたのだ。
「・・・・・なんだよ、これ・・・・・」
何だかガクッと疲れてしまい、太朗は深い溜め息をつく。そんな太朗の肩をポンと叩いた静が、いい方に考えたらいいじゃないと
言い出した。
「ほら、案ずるより産むが易しっていうし」
「産むの意味が違うんじゃない?静」
「そう?」
友春の言葉にも静は首を傾げて笑っている。その綺麗な笑顔を見ていれば、太朗は自分が気にする方がおかしいような気がし
た。
「ま、いっか」
これも、縁と思って、この御守りもしっかりと持って行こう。太朗はお願いしますと額にあてて念を込めた後、皆が手渡してくれた御
守りの中にそれも入れた。
「安産の御守りですって。太朗君可愛いわね〜。ねえ、克己もいる?」
「その冗談は笑えませんよ」
前を歩いていた倉橋の耳にも、太朗達の会話は当然聞こえてきた。いや、それは他の保護者達も同じだろう、含み笑いを零
す者や、呆れたような溜め息をつく者などそれぞれだったが、明らかに空気は格段に和らいだものになった。
(太朗君は場を和ませる達人だな)
三社参りの最後。どうやら無事に終わりそうだなと、倉橋自身もホッと一息を付いた後、ふと視線を上げて・・・・・固まった。
「克己?」
「・・・・・初詣・・・・・来られるんですね」
(神頼みなんて、信じるタイプじゃないと思ったのに・・・・・)
「何言ってんのよ、誰か・・・・・あ」
倉橋の視線の先を同じように見た綾辻の表情も一瞬で変わった。まるで流れるように倉橋の前に身体をやり、庇う体勢を取りな
がらも、向かいから歩いてくる人影のために道を譲るつもりはないようだ。
「これは、奇遇だな」
相手も、こちら側の姿は視界に入っていたらしく、一瞬目を細めて綾辻を見つめた後、江坂に向かって軽く頭を下げて言った。
「理事、おめでとうございます。こんな場所でご挨拶をして失礼します」
「お前もここに参りに来るのか、藤永(ふじなが)」
「ええ、こういう世界に身を置いていると、神様に願うことは色々ありましてね」
大東組傘下、横浜、清竜会(せいりゅうかい)会長、藤永清巳(ふじながきよみ)はそう言うと、再び視線を綾辻に向け、続いて
自分の方へと艶やかな笑みを向けてきた。
「相変わらず、仲が良さそうでいいな、倉橋」
「藤永会長・・・・・」
「・・・・・会長、皆さんまだ御参りがお済でないようです。お引止めしては」
「ああ、そうだな」
助け舟を出してくれたのは、清竜会若頭の相羽裕貴(あいば ゆうき)だ。まだ若いというのに随分有能らしい相羽は、精悍な
容貌の好青年といった感じで、とてもヤクザの組の若頭には見えなかった。
「それでは、皆さん、また」
相羽以外には供はいなかったらしく、藤永は他の者達にも軽くにっこりと笑みを向けて、そのまま境内の外へと歩いていく。
息を詰めて見送った倉橋は、ポンッと背中を叩かれて初めて息をついた。
自分と藤永の関係を、倉橋がはっきりと知っているとは思わなかった。いや、多分、感じてはいるだろうが、綾辻は全てを言うつ
もりは無かったし、倉橋も聞くことはないだろう。
それでも苦手意識というのは相当強いらしく、倉橋の頬は目に見えて強張っていた。
(それにしても、こんなところで会うなんて)
藤永の性格からして、神頼みなどしないと思っていたが、自分があの頃から随分変わったように、藤永の内面も変わってきている
のだろうか。
(どっちにしても、傍迷惑な人だけど)
若頭の相羽はよく付いているなと思う。もしかしたら何か弱みを握られているのかも・・・・・そう想像すれば何だか当たっているよ
うな気がして、綾辻は元旦からのニアミスに溜め息を付くしかなかった。
「親しいんですか?藤永会長と」
そんな中、小田切が話し掛けてきた。
「・・・・・少しだけ」
へえと、小田切は頷いた。
「色々噂を聞きますが、あの歳で綺麗ですねえ」
「あら、小田切さんも負けてないわよ」
「私は内面が容姿に反映しているだけですよ」
「・・・・・へえ」
(疲れる人がここにもいたか)
藤永よりも会う機会が多い小田切。もちろんその頭も性格も面白いとは思うものの、ふとした時に簡単に敵側に回ってしまうのだ
から始末に悪い。
(2人が顔をつき合わせて話をしたらどうなるのかしら)
小田切と藤永。あまりにも毒の強い麗人が2人、顔を突き合わしているところなど想像も出来ないなと、綾辻は今は笑って誤
魔化すしかないかと思った。
多少のアクシデントはあったものの、東郷神社でも無事参拝は終わり、一同は名残惜しいと思いながらも神社の入口へと向
かって歩いていた。
「綾辻、車の用意は」
江坂の言葉に、綾辻は直ぐに来ていますと答えてくる。それに頷いた江坂は、まだ話し足りないという風情の静に声を掛けた。
「静さん」
「あ、はい」
江坂が名前を呼ぶと、静は太朗の手をギュッと握り締め、頑張ってと言う。
「絶対に大丈夫だから」
「ありがとう、頑張ります!」
「うん。じゃあ、みんな、お先に。また連絡しようね」
多少面白くない思いもしたが、これで初詣も済んだし、後はマンションでゆっくりと出来る。今日のために年越しでのセックスは出
来なかったが、今からならば時間など気にせずに過ごせるだろう。
「今日はありがとうございました。ほら、タロ」
「ありがとうございました!俺っ、頑張ります!」
張り切って言う太朗を、上杉が穏やかな眼差しで見つめている。いい加減なこの男でも、恋人に対してはこんな目が出来るの
だなと、江坂は頷きながら太朗に言った。
「私まで引っ張り出したんだ。落ちたらそれなりの覚悟をしているように」
現状が分からないままここまで時間を過ごしてきたが、どうやらここで解散をするようだ。
アレッシオは友春の肩を抱き寄せると、その耳元で囁く。
「お前の友人のために時間を費やしたんだ。今度はお前が私のために時間をくれる番だろう」
「・・・・・っ」
その途端、友春は怯えたような眼差しで自分を見た。いったい、どんな想像をしているのかは分からないが、愛しい恋人相手に
無茶なことをするはずがない。
ただ、会わなかった数日間の飢えは深刻だったし、今回は滞在時間がとても短いので、友春を補給するのに、何時も以上に濃
厚で淫らな時間を過ごさなければならないのは確かだ。
嫌だとは言わない友春に満足したアレッシオは、今回の主役らしい太朗を振り返った。
「お前には勝たなければならないイベントがあるらしいが、人に頼るのではなく自分を信じていればいい。お前ほどの度胸が良い
者ならば、必ず勝ち進めるだろう」
「は、はい」
「トモ」
「た、太朗君、頑張って、応援しているからっ」
「ありがとう、友春さん」
太朗の言葉を背中に聞きながら、アレッシオは自分の車へと向かう。
部下が開けてくれた後部座席に先に友春を乗せると、アレッシオはその隣へと腰を下ろし、待ちきれなくて友春の唇を奪った。
「私達もここで失礼しようか」
秋月の言葉に日和は頷いた。今日、来る寸前まで何を話そうか、どんな表情を作ればいいのかと迷っていたが、実際に会え
ばそんなことを考える暇も無く時間は過ぎた。
自分で思っているよりも、どうやら彼らと過ごす時間は心地良いようだ。
「太朗君、来年は一緒に大学生なんだよな」
「あ、ヒヨもか」
「今度、合格祝いも一緒にしよう、俺、連絡待ってるから」
「うん!」
手を振り合い、別れた日和の表情は晴れ晴れとしていた。
「・・・・・なんだか、ずるいな」
「え?」
「俺なんか、お前にそんな表情を向けてもらったことがない」
「だって、太朗君とは同学年だし・・・・・秋月さんに対するのとはやっぱり違いますよ」
分かってると言い返してくる秋月の表情は、何時もより随分子供っぽく見える。何だかおかしくて、可愛いなと思えてくるのが不思
議だ。
(お正月だし、ね)
せっかくだから秋月にも機嫌よくしてもらいたいなと思った日和は、自分から秋月の腕に手を回して腕を組む。少し驚いた表情
になった秋月に向かい、日和はにこっと笑って見せた。
「タロ、浪人なんかしたら兄さんに会わせないからな」
どんな脅しなんだと周りのものは思っただろうが、伊崎には楓が本当に太朗のことを心配していることが分かった。
素直でない楓には、これが精一杯のエールなのだろう。
「え〜っ、絶対に会う!」
「じゃあ、合格の報告に来いよ」
「・・・・・そうする」
「よし」
楓は笑う。綺麗な、本当に美しいとしか表現が出来ないような微笑を浮かべながら、いきなり太朗を強く抱きしめた。
「しっかりしろよっ、タロ!」
「おう!」
口喧嘩ばかりしているような2人だが、本当に仲がいいのだ。
特殊な世界の中で生きる楓に、こんなにも普通で、それなのに眩しいほどに明るい太朗を引き合わせてくれた真琴に、伊崎は今
更ながら深く感謝をした。
何とか無事に終わった初詣に、海藤も内心安堵していた。
今回は自分と真琴だけではなく、他にもそれなりの地位の者が揃っていたので、周りが気になって仕方がなかったのだ。
「社長、私達も」
「ああ」
倉橋に促された海藤は、真琴の名前を呼んだ。楓を見送っていた真琴は直ぐに引き返してくると、太朗の手を両手で握って笑
いかけている。
「太朗君」
「今日はありがとう、マコさん。俺、絶対に合格するから!」
「うん、信じてる」
ここまで来れば、後は学力というよりも気力がものをいうだろうし、上杉を手玉に取っている太朗ならばその心配はないだろうと思
えた。
「しっかりな」
海藤が言葉を添えると、太朗は深々と頭を下げてきた。
「海藤さんもありがとうございます!俺っ、もう落ちる気なんか全然無くなっちゃいました!」
前向きな太朗の言葉に、海藤はふっと口元を綻ばせる。真琴ではないが、本当にこの少年と話していると明るく温かい気分に
なる。真琴がそんな正の気を集め、自分に引き合わせてくれているのだろうなと思い、海藤は頷きながら上杉を見た。
「支えてやってください」
「任せろ」
どんな結果になろうと、例え残念な結果になろうと、上杉が傍にいたら大丈夫だろう。
「頑張って!タロ君!ほらっ、激励のちゅー!」
「ちょっとっ・・・・・苑江君、努力は必ず実を結びます。頑張ってください」
綾辻や倉橋の言葉にも素直に頷く太朗を見ながら、海藤は真琴の肩を抱き寄せた。
「・・・・・帰っちゃったな」
一同が車に乗って立ち去った後、その場には羽生会の面々が残った。上杉は楢崎に視線を向けると、帰ってもいいぞと言う。
「しかし」
「せっかくの正月だろ。一緒に過ごしてやれ」
「・・・・・」
「そうですよ。会長と太朗君は私がしっかりと送って行きますから」
それが心配なのだと言いたいのだが、楢崎は賢明にも口を閉ざす。すると、暁生が太朗に向かって拳を握り締めるようにしながら
言った。
「頑張れっ、絶対大丈夫だからっ」
「ありがと、アッキー。一緒に合格祝いしような」
「うん!」
「ナラさんも、今日はありがとうございました!」
「・・・・・いえ」
幼いと思う暁生よりも、更に年少の太朗。しかしその生命力はこちらが圧倒されるほどで、楢崎は心配はしていない。
きっと良い結果が出るだろうが、それまで上杉の方が気が気ではないだろうなと思うと、自然に苦笑が零れてしまった。
「あ〜・・・・・終わったあ」
「そんなに御守り貰って、どうするんだ?」
「もちろん、全部持って行くに決まってるだろ!パワーが込められているんだから!」
太朗ほどの前向きな性格であっても、やはり大学受験というものはそれなりに緊張するのかと改めて思う。そして、今日この機
会を作ってくれた歳若い太朗の友人達に、上杉は本当に感謝した。
もちろん、誰よりも太朗のことを思う自分は、九州の大宰府にだって行って御守りを買ってくることは出来るが、太朗に必要なの
はそんなブランドではなく、人の気持ちだ。
(ま、何年浪人しようが、俺が面倒見るけどな)
そう言えば、きっと太朗は反発するだろうが、上杉の実際の心境はそんなものだ。大学生であろうが、浪人生であろうが、太朗
が太朗に変わりない。
「う〜、頑張らないとな〜」
「ああ」
「絶対合格するからっ」
「合格祝い、考えとけよ」
「お祝い?そんなの、おめでとうって言ってくれたらいいんだよ。それが嬉しいし・・・・・あっ、また皆で集まるのも楽しいかも!」
欲の無い太朗らしい返事は予想していたが、上杉は今から考えておかなければなと思う。保険のように色々考えているが、結
局上杉も太朗が落ちることなど考えていなかった。
「太朗君、せっかくなんだから色々ねだるといいですよ。この人、車くらいしか趣味がないので、貯金もありますしね」
「小田切〜」
「豪華クルージングなんてどうです?ああ。もちろん私もお供に・・・・・」
「来なくていい!」
(タロと2人でいる時に、お前に邪魔されてたまるものか)
「本当に、仲がいいよね〜、ジローさんと小田切さん」
どこがだと文句を言おうとして太朗を見た上杉だったが、その膝の上にしっかりと握られている甘栗の袋の中の御守りの影に視
線が行くと、何だか自分までも幸せな気分になってしまって、結局、犬も同行させてやると笑いながら答えていた。
end
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