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それから時間を掛けること無く、空いた都内の道を通ったバスは亀戸天神社に着いた。
「あ、さっきよりも参拝客は少ないみたい」
「ホントだ。じゃあ、今度はみんな揃って行く?」
「うん、せっかくだしね」
先程は恋人単位での移動だったが、ここは湯島天神よりも見ただけで参拝客が少ないと分かったので、一行は今度はぞろぞろ
と集団で移動することにした。
「でもさあ、合格祈願して全員受かってたら、試験の意味なんて無いような気がするなあ」
明らかに受験生といったような真剣な表情で歩いている者達を見て、太朗がしみじみと言うのに、上杉は内心で答えを言って
しまった。
(だから、神頼みってーのは確実じゃないんだろ)
こうして参拝するのも、自己満足の一つだ。
ただ、今回真琴が発案してくれたように、誰かが誰かを思って行動してくれるのは、自分にとって大きな力になるはずだ。太朗に
もこんなに大勢の思いが後押しをしてくれるのだ、絶対に落ちるわけが無いだろうと上杉は思った。
「そう言えば、太朗君将来の夢ってあるの?」
不意に、静が訊ねてくる。
(そういえば、俺も聞いたことが無かったな)
「へへ、秘密」
「え〜、気になるなあ」
「タロのくせに生意気」
「いいだろっ。どうせ俺は楓みたいに頭がよくないけど、好きなことに対しては頑張れるんだよ!」
「ああ、それ分かるなあ」
太朗の後ろを歩いていた秋月の連れてきた少年がうんうんと頷きながら言う。そういえばこの少年は太朗と同い年だったなと、上
杉は改めて思った。
「あっ、ヒヨもっ?」
「なんか、それ、本当にひよこみたいに聞こえるんだけど」
日和は苦笑しながら言うが、太朗の言い方はからかうのではなく、親愛の情を込めたものだということを感じるので悪い気はしな
かった。
「俺も、好きなことは頑張れるよ。でも、嫌なことには笑えるほど顔を背けちゃうっていうか・・・・・初めから諦めちゃうけど」
「嫌なことって、例えば?」
首を傾げて聞いてくる真琴に、日和はどんな例えを言ったらいいのかなと思う。
一番良いのは、強引に自分に言い寄ってきた秋月のことだろう。年も背景も、自分とはあまりに違い過ぎる男の求愛に、子供の
自分の抵抗はあまりにも他愛無さ過ぎて、今はほとんど諦めてしまっている状態だ。
確かに、当初感じていたほどの恐怖感は無いし、秋月が本当に自分のことを想ってくれていることは分かるのだが、男としての
僅かなプライドが、まだ素直に好きだと言葉に出来なかった。
(・・・・・他の例えって・・・・・ない?)
「・・・・・姉の我が儘、かな」
「お姉さん?日和君、お姉さんいたんだ?」
「双子の姉がいるんですけど、すっごく我が儘で、暴君で。弟の俺は、下僕だって思ってるみたい」
こんなこと、舞(まい)が聞いたらそれこそ烈火のごとく怒り狂うだろうが。
「小さい頃からこき使われたせいか、今はもう何を言われても従うしかないかって諦めの境地になってるんですよ」
「なんとなく分かるなあ」
「え、西原さんも?」
自分の言葉に同意してくれた真琴に、日和は親しみを感じてしまった。
(真琴も兄弟が多いからな)
上が2人に、下が1人の、男ばかりの四兄弟。
ただ、その誰もが真琴のことを溺愛し、大切にしていることを、海藤はよく知っていた。だからこそ、当初は自分との関係を反対し、
当時小学生だった末っ子までも、海藤に対して少しも引けを取らないかのように向かってきたくらいだった。
今も、渋々受け入れてくれているのだろうが、今では海藤も真琴達の兄弟に、いや、真琴の家族皆に愛情を抱いていると思う。
自分にとっては、真琴達の家族が、自分の家族なのだ。
「嫌って言うか・・・・・兄弟には弱いってこと?」
「兄弟いるんですか?」
「上が兄2人と、下が弟1人。なかなか会えないけど、俺にとって大切な家族なんだよね。ただ、時々凄く過保護な所があって、
俺のこと小学生か何かだと思ってるみたいなのが困るんだよねえ」
「・・・・・」
その言葉に、海藤の唇に笑みが浮かぶ。困っていると言いながら、真琴の顔はきっと嬉しそうに綻んでいるだろう。前方を歩い
ていて顔は見えないが、気配だけで十分分かった。
「男ばっかりの兄弟って凄そう・・・・・」
「そんなこともないけど・・・・・」
友春と暁生が呟いている。
「暁生君、兄弟いるの?」
「う、あ、はい、もう高校生の。でも、すごく大人しいから、ほとんど喧嘩もしたこと無くて」
「静の所と、楓君の所はお兄さんがいるんだっけ」
「俺も、弟が欲しかったなあ」
静が羨ましそうに言った。
(まあ、あんな情けない兄弟はいらないだろうがな)
江坂は内心そう毒づいた。
何度か会ったことのある静の兄は、容姿こそ見れないほどではないものの、その性格や仕事の手腕は凡庸だった。まだ、自分の
息子を利用して事業を拡大していった父親の方が商才はあるだろう・・・・・やり方は納得のいくものではないが。
「弟がいたら、すっごく可愛がるのに」
「・・・・・」
(そんなことは許さない)
そうでなくても、今の家族を気遣うことさえ面白くないというのに、弟という存在などが出てきたらそれこそ静の愛情が幾分かそち
ら側に流れてしまうだろう。
恋人と、家族。もちろんその愛情の意味も違うことは江坂も分かってはいるものの、それでも嫌だと思うのだから仕方が無い。
「うん、弟って可愛いですよ?」
キャンキャンと煩い子犬が、さらに静の気持ちをかきたてるようなことを言いだした。
(神妙にしていればいいものを・・・・・)
今回はこの子犬の合格祈願が主な目的らしいが、江坂は半分以上引きずられるように来ているだけだ。
これ以上余計なことを静に言うなと睨みをきかすものの、鈍感なのか、それともおおらか過ぎるのか・・・・・全く自分の気配を感じ
ることも無いようで。
「俺の弟もすっごく可愛いもん、そりゃ、生意気だって言うけど」
「いいなあ、弟。俺も甘えてもらいたいなあ」
「・・・・・」
本当に羨ましそうに言う静の声を聞き、江坂はマンションに帰れば嫌というほど自分が静に甘えてやろうと思ってしまった。もち
ろん、弟などではなく、恋人として、だ。
「いいなあ」
楢崎は暁生の言葉に目を細めた。
(まだ、守りたいものが欲しいのか?)
母1人で自分達兄弟を育ててもらっているという意識の強い暁生。弟のこともとても大事にしていた。
楢崎からすれば、まだ自分も子供だと言える暁生が、2人もの将来を背負わなくてもいいと思うのに、まだこれ以上に庇護すべき
存在を欲しがるとは・・・・・与える愛情、貰う愛情に飢えているのだろうか?
「・・・・・」
(俺には、年が違い過ぎて分からない)
暁生が何を考えているのか、欲しがっているのか、楢崎は正直言って分からない。今までの経験から考えての行動ならば出来
るのだが、こんなにも幼い恋人・・・・・そう、同性の恋人を持ったのは暁生が初めてなので、楢崎自身が未だに手探りな恋愛をし
ているのも同じだった。
幼いながら、暁生は何時も楢崎を誘ってくる。露骨な言葉は言わないものの、眼差しで、態度で、早く全てを奪って欲しいと訴
えてくれているが、楢崎は暁生の全てを奪うのが怖かった。
大人の欲望で、素直で綺麗な身体や心を汚してしまうのが怖い。
必然的に、どうしても子供扱いをしてしまい、そんな自分を打ち消したくて、自分よりの年少の存在を欲しているのだろうかとも
考えてしまった。
(・・・・・潮時かもしれないな)
そろそろ、本当に自分から一歩踏み出さなければならないだろう。楢崎はそう思いながら、前を歩く暁生の後ろ姿を見つめてい
た。
気を使わない友人達といるせいか、楓の頬には何時になく笑みが浮かぶ時間が長い。
だからか、周りの視線も必要以上に多い気がして、伊崎はマフラーで顔を隠してやりたいと本気で思ってしまった。
(全く、変なふうに自覚はあるんだが・・・・・)
自分が見られる存在だと分かっているし、同性でも性の対象にされていると分かってはいるらしいが、自分ならば必ず逃げられ
ると思っているから始末が悪かった。
確かに、夜の街で遊んでいた時、かなり危ない目にも遭ってきたらしいが、伊崎が実際に抱くまで楓は童貞であり、バージンで
もあった。
本人はそれが自分の実力だと思っているのかもしれないが、それは遊び仲間の牧村の存在も大きかっただろうし、日向組とい
う名前も大きいはずだ。
「楓の兄ちゃんはすっごく優しいし、カッコいいよな」
「当たり前だろ、俺の兄さんだし」
「いいなあ〜っ」
「・・・・・やらないから」
(やらないというより、組長自身が楓さんを離さないだろうな)
他人ももちろん、親兄弟から組員達まで、誰もが楓の外見に・・・・・いや、その性格も知った上で大切にしている。
あまりにライバルが多過ぎて、顔ではポーカーフェイスを保っているつもりの伊崎も、時々楓の愛情を確かめるように激しいセック
スをしてしまう。
(・・・・・俺の方こそ、煩悩を振り払わないといけないかもな)
伊崎はそう思い、きちんと願わなければと思ってしまった。
(来てくれて直ぐに連れ出して・・・・・悪かったかも)
友春は自分の後ろを歩いてくるアレッシオをチラチラと見つめた。
先年のクリスマスに自分の方からイタリアに会いに行ったので、まさか年明け早々、アレッシオが日本に来てくれるとは正直思わ
なかったのだ。
アレッシオの顔を見て、嫌だとは思わない。それでも、この集団の中に彼を招き入れてしまったことは少し考えなければいけない
かもしれない。
「・・・・・」
「・・・・・」
何度目かに振り返った時、アレッシオと視線が合った。僅かに笑みを浮かべるように目を細めてくれて、友春は慌てて前を向い
てしまう。
(な、何、ドキドキしているんだろう・・・・・)
「友春?気分悪い?」
俯いてしまった友春に静が心配そうに声を掛けてくれる。それに首を横に振りながら、友春は背中がとても熱く感じていた。
多少混んではいたものの、皆並んで鈴を振り、賽銭を投げて一心に祈っている。
もちろん、太朗の合格祈願だろうが、せっかくの初詣だ、それ以外の願いごともしているに違いなかった。
(綾辻さんが、もっとちゃんと仕事をしてくれるように)
現に、自分もこんな風に祈っている。
(それと・・・・・この1年も、傍にいてくれるように・・・・・)
「何をお祈りしているんですか?」
「・・・・・っ」
いきなり耳元で囁かれ、倉橋はびくっと肩を揺らしてしまう。そんな自分を楽しそうに見ているのは小田切で、訊ねるまでも無く、
彼には自分の頭の中が見えているのではないかと思ってしまった。
「・・・・・皆の健康です」
「皆・・・・・もちろん、綾辻さんも含まれていますよね」
「あなたもですよ」
精一杯切り返してみたが、小田切は柔らかな笑みを浮かべたまま、ありがとうございますと言い返してくる。
「私も、あなたのことをお願いしましたよ」
「・・・・・」
(訊ねた方が・・・・・いいの、か?)
どうしようかと迷っていると、不意に後ろから肩を抱き寄せられた。その手の感触だけで誰かと分かり、倉橋は内心ほっと安堵して
しまう。
「もうっ、克己のことは私がお願いしているからいいのにぃ〜」
「ああ、それはすみませんでしたね」
「こうなったら、私もあなたのワンちゃん達のことをお願いしようかしら。飼い主さんに可愛がられますよ〜にって」
「数が多過ぎて、神様が聞き届けて下さいますかね」
「・・・・・」
(何のことを言っているんだろう?)
この2人の会話は謎掛けのようなものが多くて、倉橋にはよく分からないことがほとんどだ。いや、知らない方がいいような気がし
て、倉橋はにっこりと笑い合う2人の傍からすっと離れた。
「じゃあ、次が三社参りの最後、東郷神社に行くわよ〜。一応、皆さんの車はそこで待機してもらっているから、お参りした後は
現地解散ということにしましたからね」
「なんだ、綾辻、お前も分かってんじゃねーか」
上杉が声に出して言い、他の保護者達も内心その手筈に納得したが。
「え〜っ、せっかく皆こうして会えたのに〜」
「滅多にないのにねえ」
「夕飯一緒に食べられないんだ」
「何だか寂しいな」
「うん」
「本当に解散?」
「・・・・・」
年少者達は、せっかくの楽しい時間がもう少しで終わってしまうことが寂しくて仕方が無いらしい。口々に小さな不満を訴えるもの
の、自分の恋人の気持ちも考えてか、表立って反対の声は上げてこなかった。
「まあ、また集まればいいだろ、皆都内に住んでいるんだし」
「ケイは違うじゃん」
上杉の提案に、太朗があっさりと答える。あまりに当たり前な答えにさすがに上杉が一瞬言葉に詰まったが、口から生まれてき
たような小田切がやんわりと説明をした。
「カッサーノ氏は友春さんの呼び出しには即座に反応してくれますよ。ああ、でもイタリアからですから、せめて2日前には連絡を
しておかないといけませんね」
「あ、そっか。うん、2日前ですね」
そういう問題ではない・・・・・そう思ったのはアレッシオだけではなかったが、単純な太朗は即座に納得したらしく、揺れるバスの
中を移動して、アレッシオの面前に立つとにこやかに言う。
「ケイ、ちゃんとアドレス教えて。登録しておかなくっちゃいけないし」
「・・・・・」
その瞬間、誰もが太朗のことを凄いと感じてしまった。
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