STEP UP !



プロローグ








 最大指定暴力団、大東組系羽生会の会長である上杉滋郎(うえすぎ じろう)が真面目にデスクに座って書類を眺めている
姿を見て、その部下であり、実質羽生会の全てを取り仕切っている会計監査役の小田切裕(おだぎり ゆたか)は、わざとらしく
窓の外を見つめながら言った。
 「あなたが言われないうちから仕事をしているなんて・・・・・雨が降るかもしれませんね」
 「・・・・・どういう嫌味だ、それは」
 「これまでの自分の行いを考えてみてください」
 そう言われて、上杉は直ぐに反論は出来なかった。
デキる部下(本人には言いたくないが)がいるせいか、ついつい仕事をサボりがちな上杉。それは、仕事よりももっと大切なものが
あるからだ。
それが、 苑江太朗(そのえ たろう)。この春、無事高校3年生に進学した少年だ。
身体は小柄ながら元気一杯で、学校ではみんなに可愛がられているマスコット的な存在だが、その実性格は男っぽく、一本筋
が通っている。
 女に不自由していなかった上杉が高校生の、それも男に本気になるとは今でも時々不思議に思うが、かといって太朗が傍に
いない自分というものを今更想像が出来なかった。
理由なんて要らない、上杉にとって太朗が特別な存在だということはもう揺るがないのだ。
 「今日は太朗君と食事に行かれるんでしょう?そのままお泊りですか?」
 「当然だな」
 「未成年と淫行するのはあまり感心しませんがね。それに・・・・・」
 小田切が更に嫌味を言い掛けた時、上杉の携帯が鳴った。
助かったとばかりにさっさと携帯を手にした上杉は、その番号を見て男らしく整った顔を思わず綻ばせた。
 「どうした、タロ。もう俺に会いたくなったのか?」
 『ジローさん、ピンチ、ピンチ!!父ちゃんにバレちゃった!!』
 「・・・・・はあ?」
いきなり響いた大声に、上杉は思わず携帯から耳を離す。
 「・・・・・で、どういうことだ?」
 『父ちゃんがね、今日家族で遊びに行こうって言い出してさ、俺、結構悩んだんだけど、ジローさんとの約束が先だったろ?そ
れで、父ちゃんに約束があるからって言ったんだ』
 「・・・・・」
(おいおい、そこは悩むんじゃなくって、直ぐに恋人を取るのが当然だろうが)
 その言葉だけでも、太朗のファザコン振りが窺えて、上杉としては面白くなかった。
 『それで、父ちゃんがどうしてだってゴネ始めて、そしたら、母ちゃんが彼女とデートだって言っちゃって、それで、誰と付き合ってる
んだって話になって・・・・・』
 「・・・・・で、その彼女が俺だってばれたのか?」
思わず呟いてしまったその隣で、小田切がぷっと吹き出すのが分かった。
 「やっぱり、し慣れないことをしたら何かがあるみたいですね」




 「あっ、降ります、降ります!!」
 大きな声を上げて、運転手に苦笑をされながらもバスから降りた太朗は焦っていた。もう、本当にピンチだと思っていた。
そして、そんな状況になってしまったらもう頼るのは上杉しか思い当たらなくて(そもそもの元凶なのだが)、太朗は上杉のいる羽
生会の事務所に急いで向かう。
(なんで、こんなことになっちゃったんだよ〜!)
 珍しく土曜日が休みになった父が動物園に誘ってくれた。
その言葉に、太朗は思わず頷きそうになった。高校生にもなってと人に言ったら笑われてしまうかもしれないが、苑江家の動物好
きは遺伝なのだ。
 だが、上杉との約束を優先した太朗は、上手く理由を誤魔化すことが出来なくて、その助け舟かもしれないが、

 「太朗には可愛い恋人がいるのよ。そっちの方が優先するのも仕方ないでしょう」

と、母の佐緒里(さおり)が言ってしまい、とうとう恋人の存在がバレてしまった。もちろん、この時点で、相手が男だとか、父とほと
んど変わらない歳だとかは何とか口を閉ざしたが、バレてしまうのも時間の問題だ。
大好きな父に、嘘は付けなかった。
 「どうしよ〜〜〜!ジローさん〜!」
 とにかく、上杉に相談しなければならない。
口から出まかせで誤魔化すにしても、本当のことを言うにしても、太朗は2人にとって大切なことを自分1人で決めることはとても
出来なかった。




 上杉は時計を見上げた。そろそろ太朗が事務所の近くまで来るはずだ。
(・・・・・ったく、家を出たら直ぐに電話しろって)
焦りまくっている太朗に迎えに行くと言っても、既にバスを待っているからこのまま行くと言われてしまった。
上杉としては、太朗が来るまでイライラして待っているしか出来ないのがもどかしく、それを分からない太朗が恨めしかった。
 「出る」
 「・・・・・ああ、もうそろそろですね」
 小田切は止めることなく頷いた。
太朗からの電話を切った後、小田切には大体のこと(太朗が言った範囲)は伝えた。この男の知恵がこの先必要になるかと思っ
たからだが、その結果、余計な弱みを掴まれたのは面白くない。
 「・・・・・他にも、何も無かったらいいんですけどね」
 「縁起でもないこと言うな」
真面目に仕事をしていたからといって、早々悪いことが起きてはたまらない。上杉は舌を打つと、無言のまま部屋を出た。




 バス停からそう遠くない羽生会の事務所に向かって走っていた太朗は、ふと、少し前にも同じようなことがあったなと思い出して
いた。
いや、あの時はこんな風に走ってはいないし、気持ちも全く違ったが・・・・・。
(あの時は事務所の近くで、ジローさんが女の人、あ、元奥さんと、子供達と一緒にいて・・・・・)
 そんなに長い時間ではなかったが、太朗にとってはそれまでの人生の中で一番色んなことを考えた時間だった。
 「・・・・・まさか、また・・・・・」
こんな風に、自分から上杉の事務所に赴くことは少なく(一緒にというのは多いが)、なんだかちょっとだけ・・・・・嫌な感じがする。
走っていた太朗の足は自然とゆっくりになり、やがて、角を曲がれば事務所のビルが見えるという場所まで来た時、完全に止まっ
てしまった。
(・・・・・まさか、ね)
 また、あんな心臓が痛くなるような光景を見てしまうのだろうか・・・・・そう思いながら、太朗はそっと顔だけを覗かせる。
 「あ」
事務所前には、上杉が立っていた。何度も腕時計を見て、左右に視線を走らせている。自分を待ってくれているのだと分かり、
太郎は嬉しくなって慌てて大声で叫んだ。
 「ジローさん!」
 「タロッ?」
 上杉は直ぐに視線を向けて、太朗の大好きな笑顔を浮かべてくれる。
だが、
 「あっ」
 いきなり、上杉の立っている前に派手な赤いスポーツカーが止まり、中から1人の男が降りてきた。
その瞬間、上杉の目が驚きに見開かれ、その男はそのまま上杉を抱きしめる。いったい何が起きたのか、太朗は瞬時に理解出
来なかったが、直ぐに駆け寄ると、
 「ジローさんを放せ!チカン〜!!」
そう叫びながら、男の膝裏を蹴った。
 威力はそれほど無かったかもしれないが、男の手は上杉から放れた。
太朗は直ぐに上杉の腕を引っ張り、自分の身体の後ろに隠す。もちろん、標準よりも大柄な上杉が太朗の背中に隠れるはず
が無いが、もしかしたら上杉を狙っている暴漢かもしれないと思うと、太朗は足が震えながらも守らなければならないと思った。
 「あ、あんたっ、何者だ!」
 「・・・・・タロ、時代劇じゃないって」
 後ろで上杉がそう言うが、太朗は目の前の男しか見えなかった。
歳は、40・・・・・後半か。上杉ほどではないが長身で、中年太りとは縁遠いほどに痩せている。
少し長めの髪に耳にはピアス、掛けていたサングラスを外すと、切れ長の瞳が太朗へと真っ直ぐに向けられていた。
 男は始めは驚いたような表情をしていたが、直ぐに面白そうに頬を緩めて太朗に笑みを向けてきた。少し薄めの唇がゆっくりと
笑みの形になると、何だか大人の色気を感じさせる。
笑うと、目尻に笑い皺が出来て、なんだか・・・・・ドキッとしてしまった。
 「可愛いね、滋郎、この子は?」
 「・・・・・俺の恋人」
 「・・・・・へえ、驚いたな。お前がこんな子供を・・・・・ねえ」
 「ちょ、ちょっと、ジローさん、何なんだよっ」
 自分の頭上で交わされる言葉の意味が分からなくて、太朗は焦れたように上杉の腕を引っ張る。上杉ははあ〜と溜め息をつ
くと、嫌そうな表情のまま口を開いた。
 「・・・・・俺の親父」
 「おや・・・・・えっ?お父さんっ?」
 「ああ。いい年して現役のホストをしてる、馬鹿親父だ」