STEP UP !











 いきなり現れた父親を、上杉は苦々しく見つめた。
(いったい、何しに来やがったんだ?)
上杉壱郎(うえすぎ いちろう)。上杉の目から見れば目一杯若作りをしているこの馬鹿野郎は、確か今年55歳になるはずだ。
 中学生の頃から、まるでホストのように女を手玉にとっていたらしいという逸話を持つこの父親は、何と17歳の時に10歳年上
の女を孕ませた。それが、上杉だ。
 認知をし、18歳を待って籍は入れたものの、20歳を迎えて呆気なく別れてしまった2人。
その後、小学校を卒業するまでは母親の元で育った上杉は、中学に進学すると同時に父親に引き取られた。別に母親から虐
待を受けたわけではなく、冷たくされたわけでもなかったが、ひと月に一度だけ会っていた実の父親というものに興味を持って、一
緒に暮らしてみたいと思ったのだ。
 それ以降の上杉の女遍歴は、父親の影響が大と言ってもいいだろう。

 父親は、子供の上杉から見ても《滴るような色気》の持ち主だった。
高校を卒業して直ぐにホストを生業とし、その容姿と抜群の接客術(多分元からの女好きのせいだ)で、たちまちその界隈では
トップになった父親は、客の女からの援助で自分でもホストクラブの経営を始めた。
 今では幾つものホストクラブだけでなく、バーやラブホテルといった事業にも進出していて、実業家といってもいい立場のくせに、
まだ現役のホストとして店に出ている男だ。
 「いい年して、いい加減チャラチャラした格好は止めたらどうだ」
 「え〜?そんなことをしたら泣いてしまう可愛い子達がたくさんいるんだよ」
 「どうせババアだろ」
 「失礼だね、滋郎」
 ズケズケと言う上杉の言葉は大げさではなく本気のものだ。今更父親としてしっかりと・・・・・そんなことは思わないが、それでも
何時女に刺されるかも分からないような立場にいて欲しくも無い。
(どうせ、娯楽でホストやってるようなもんだろうが)
 「・・・・・で、何しに来たんだ?」
 「最近、夜の街でお前の噂を全く聞かなくなったから。まさかその歳でもう枯れちゃったのか、それとも怪我をしたのかって、少し
だけ心配になったんだよ」
そう言いながら、父・・・・・壱郎は流し目のような視線を太朗に向けてきた。
 「まさか、こんなに可愛い恋人を作っていたなんてねえ」
 「こ、こんにちは!あ、あのっ、俺っ、ぼ、僕っ、苑江太朗といいます!」
 「こんにちは、上杉壱郎です」
 「イ、イチロー?」
 「そう。だから、彼が滋郎」
 楽しそうに目元を緩めると、その表情を見た太朗が真っ赤になって後ずさった。・・・・・何だか、面白くない。
(タロまでタラシてどうするんだって)
 「ホントに・・・・・何しに来たんだ、お前」
これ以上太朗を見せたくなくて、上杉は壱郎を脅すように言った。




(この人が・・・・・ジローさんの父ちゃんかあ)
 上杉の口から、彼の両親の話は出たことは無い。いや、まだ生きているらしいということは過去に聞いたことがあったが、その人
となりまで聞いたことは無かった。
 こうして見ていると、上杉と壱郎は似ていない。
男らしく、それでいて子供っぽさを残した上杉と、柔らかで艶っぽく、大人を感じさせる雰囲気の壱郎。剛と柔といった2人が親
子だと言われても、一瞬信じられなかった。
それでも、落ち着いてみると、笑った目元なんかよく似ている。
(俺んちの父ちゃんとは違うよなあ〜。ジローさんの父ちゃんっていったら、もう60近いくらい?うわっ、詐欺っていうか、年齢不詳
過ぎるって〜)
 「何しに来たんだ、お前」
 そんなことを考えていた太朗の耳に、不機嫌丸出しの上杉の声が聞こえた。
その言葉に眉を顰めた太朗は、バシッと上杉の背中をパーで叩く。
 「・・・・・って。何するんだ、タロ」
 「自分の親にそんな言い方ないだろう!ジローさんの噂を聞かなくなったからって、わざわざここまで様子を見に来てくれたんじゃ
ないか!」
 「あのなあ、それは」
 「心配してるんですよねっ?おとーさん!」
 何か言いたそうにしている上杉の腕を掴んだまま太朗が視線を向けると、一瞬目を眇めた壱郎はその通りだと頷いた。
 「自分の子供を心配しない親なんていないよ」
 「そうですよね!」
 「・・・・・太朗君、だっけ。いい子だね、君は」
 「え、あ、そんなこと・・・・・」
自分の父親よりも年上の(見た目はよほど父の方が老けているが)人に褒められ、太朗は照れくさくなって笑ってしまった。




 本来なら、太朗の父親のことで善後策を練らなければならないというのに、いきなり現れてしまった自分の父親・・・・・壱郎の
ことを先に何とかしなければならない。
上杉は面白くないと思いながらも、太朗と(ついでに)壱郎も連れて事務所へと戻った。
 「やあ、裕君、久し振りだね」
 「これは・・・・・珍しい方がいらっしゃった」
 さすがの小田切も、上杉と太朗の後に続いて現れた壱郎を見て一瞬笑みを止めたが、直ぐに楽しそうな笑顔を浮かべると、
どうぞとソファへと導いた。
この部屋の主である上杉の意見など全く聞かないところが小田切らしいが、この父親の相手は小田切に任せておけばいいかも
しれない。そう思い、上杉は太朗を自分の隣へと呼び寄せようとしたが・・・・・。
 「えっと・・・・・《Earthly Paradise Company》・・・・・パラ、パラ・・・・・」
 直ぐに名前が読めずに焦る太朗を笑いながら見ていた壱郎は、さりげなくその肩を抱き寄せると頬に頬が触れるほどに顔を近
づけて丁寧に説明を始めた。
 「地上の楽園会社。困ったことがあったら何時でも来なさい。滋郎の大切な恋人ならどんな力にもなってあげるよ」
 「ありがとうございます!」
 「ストップ」
 上杉は太朗が持っている名刺を取り上げ、壱郎の腕の中から太朗の身体を強引に自分の方へと引き寄せる。
こんな子供の太朗にまでフェロモンをばら撒かなくてもいいのにと舌をうった。
 「高校生に余計な名刺を与えるな」
 「失礼だねえ。プライベートナンバーも入っているレア物だよ?欲しがっている人間は多いんだけどなあ」
 確かにそれは事実かもしれない。たかがホストではなく、ホストもしている実業家といえば、近付きたいと思う人間も多いだろう。
しかし、そんな人間と太朗を一緒にはして欲しくなかった。ごく普通の家庭で育った健全な精神の持ち主である太朗は、私利
私欲で誰かにおもねることは絶対にない。
 「こいつの問題は全部俺が引き受けるから、お前が出る幕はねえって」
 それに、太朗の恋人は自分だ。太朗の問題に、他の人間の手は借りたくなかった。
 「ジローさんってば、その言葉遣い・・・・・っ」
直ぐに太朗が何か言い掛けたが、その前に小田切がやんわりと口を挟んでくる。
 「そうですよ、会長。幾ら血だけだとはいえ、あなたのDNA上の親なんですから」
 「言うねえ、裕君は」
 「あなたも全て許してくださるから」
視線を交わし、笑い合う2人を見て、上杉は肩をすくめてしまった。見た目も年齢不詳で、雰囲気も掴めない2人が笑い合って
いる姿はさすがに・・・・・怖い。
 「・・・・・」
(どっちもどっちだって)
 壱郎と最後に直接会ったのは5年ほど前だ。既に羽生会を立ち上げていた上杉の隣には、数ヶ月前から本部から送り込まれ
ていた小田切の姿があった。
 その時はまだ、上杉自身小田切を御しきれてはおらず、衝突することもままあったが・・・・・そんな時、数度、多分2、3回くら
いだろうが、事務所に訪れた壱郎と顔を合わせたはずだ。
(あの時も・・・・・確か、こんな感じだったな)
 「ケーキでも買って来れば良かったな、こんな可愛い子がいるんなら。太朗君、ケーキ好き?」
 壱郎がホスト特有の笑みを向ければ。
 「は、はいっ、好きです!」
 「太朗君はクリーム系が好きなんですよね?」
小田切がさりげなく口を挟んでくる。
 「クリームも好きですっ」
 「・・・・・」
(この雰囲気を全く感じ取ってねえな、こいつ)
 「裕君、何かある?」
 「もちろん、今日は太朗君が来られると思いまして」
 「用意がいいねえ。僕のものもあると嬉しいけど」
 そう言った壱郎が、お茶の用意にと立ち上がりかけた小田切の手を不意に掴んだ。
お互いに力仕事などしたことのない手。そんな小田切の手を、まるでくすぐるように指先で撫でる壱郎。
 「会長の物を用意しますよ。甘いもの、お嫌いでしたよね?」
最初の言葉は壱郎に、次の言葉は上杉へと向けられている。
目を丸くしている太朗の目を片手で目隠しをするようにしながら、上杉は自分の方に向けられている4つの目に向かって呆れた
ように言った。
 「勝手にしろ」
それ以外、言うことは無かった。