翌日不機嫌な顔のまま教室に入ってきた広海の姿を見て、小林は茅野家で何があったのか全て分かった気がした。
「茅野、陽一さん来るって?」
「・・・・・」
「やっぱりなあ。こういうイベントごとのチェックは凄いよねえ」
中学の時も、卒業したはずの陽一はちゃんと広海の体育祭に現れた。
普通、高校生にもなって、弟の体育祭にやって来る者は本当に限られていると思うが、中学を卒業し、同じ空間にいら
れない陽一にとって、こういうイベントが広海の日常を知る唯一の機会なので、弟(次男限定)を溺愛する陽一には少し
も苦にならないのだろう。
(そのせいで、中学時代はうちのガッコ、凄い人出だったけど)
その大部分が陽一目当てだったが、何割かは広海が目当てだったことは・・・・・ごくレアな情報だ。
「あー、もうっ!」
小林がそんなことを考えている間に、広海はイライラとした様子で自分のイスに座った。嫌なのに、どうしても拒否出来
ない。そんなジレンマがよく見える。
「兄貴、何か用事が出来ればいいのに〜っ」
「そう上手くいくかなあ」
「・・・・・小林ぃ、人事だと思って楽しんでるだろ」
「だって、人事だもん」
(それに、陽一さんがいたとしても、俺は茅野にくっ付いてるし)
こういう時こそ中学からの親友だという位置を大いに使わせてもらわなければと思いながら、小林はクシャッと広海の髪
をかき撫でた。
「うざったい!」
学園の王子様と噂される小林も、どうやら広海の毒舌には勝てないようだ。
こんな光景も自分の中の日常になったなと思いながら、椎名は今耳に入ってきた話を頭の中で反芻していた。
(茅野のお兄さん、相当ブラコンっぽいな)
会ったことはないが、話を聞いただけでもそう感じる。しかし、それも分かるような気がした。こんな弟がいれば楽しいかも
と思わせてくれるほどに、広海は面白くて、どこか・・・・・可愛い。
目付きが悪い男子高校生をそう形容するのはおかしいかもしれないが、椎名から見れば広海はとても子供っぽく(悪い意
味ではない)て、見ていて微笑ましいのだ。
「どうしたんだ?茅野」
「しーな・・・・・」
少しだけ甘えたような声で名前を呼ばれ、くすぐったい気分に苦笑する。
「俺、体育祭当日休みたい」
「リレーが嫌なの?」
昨日もリレー選手に決まった時、盛大に文句を言っていた。
それでも変更はしないという担任の強い言葉に渋々勢いをおさめていたが、やはり日にちを置いても嫌だという思いは消
えなかったのだろうか?
「違う」
「じゃあ?」
「・・・・・俺、こう見えてもナイーブなんだよ」
「?」
それだけでは意味が分からなくて小林を振り向けば、長身の王子様は肩を竦めて笑っていた。
「・・・・・」
(ずるい、な)
中学からの親友である小林は、自分がまだ知らない広海の色んな顔を見ている。まだ親友というにはおこがましいかも
しれないが、椎名は早く自分も広海の感情の機微を読み取りたいなと思った。
「おっはよー!!」
「おはよう、新田」
「おはよう」
「・・・・・」
直ぐににこやかにあいさつをしてくれた小林と椎名。しかし、広海は机に突っ伏したまま顔も上げてくれない。
「何だよ、茅野ぉ〜、挨拶ぐらいしてくれよなっ」
「・・・・・はよ」
背中から圧し掛かって訴えれば言葉が返って来たものの、本当ならば、
「新田っ、重いって!ちっさいくせに、やっぱり男だよな〜」
と、全開に暴言を吐きまくってくれるはずだった。
広海の言葉は一々胸に突き刺さるくらいに鋭いが、その中は相手への愛情がちゃんとあると思っている。だから、新田は
広海の少々乱暴な口調も全く気にすることはなかったが、今日はどう見ても元気が無いと感じた。
「茅野、何かあった?」
広海にのしかかったまま、傍にいた小林と椎名を交互に見ながら訊ねたが、椎名は分からないと首を横に振る。
それならと小林を見れば、
「俺の口からはちょっと、ね」
などと、意味深な返事をしてきた。
(ズルイよなあ、小林め)
広海のことを何でも知っているくせに、まだ自分達にはその情報をちゃんと見せてくれない。
シャットアウトをしているわけではないのに、ピリピリと感じる疎外感。それを誤魔化すように、新田は広海の耳たぶをパク
ンと噛んだ。
「!!」
いきなり耳を噛まれた広海は、声無き声を上げてバッと顔を上げる。
「なっ、なにっ、何をっ」
「・・・・・茅野、顔真っ赤」
「はあ〜っ?」
「耳、弱いんだな」
にんまりと楽しそうに笑う新田は、楽しい秘密を知ったとでもいうような人相の悪い笑顔で、広海は顔が引き攣る思いがし
たものの、それでも自分の弱点を堂々と晒すつもりはなかった。
(大人、大人の対応だ)
「・・・・・朝っぱらから、変な真似するなよ」
全く影響が無かったように誤魔化したつもりだが。
「ふ〜ん、変な真似ねえ」
「・・・・・何だよ」
「何でもな〜い」
へへっと笑いながら、新田は自分の席へ向かった。
「後でね、茅野」
椎名も軽く手を振りながら言って、
「・・・・・まあ、色々と気にするなよ?」
一番自分のことを知っているはずの小林はポンと肩を叩いて行ってしまう。残された広海は自分の顔の赤さを自覚して、く
そっと呟きながら顔を片手で隠した。
(・・・・・ついてないよな)
何だか、昨日から負の空気がまとわりついているような気がする。このままでは、体育祭までこの気持ちを引きずりかね
ない。
いい加減に気持ちを切り替えなければと思った広海は、軽く髪をかきむしると顔を上げた。
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