帰宅早々、兄に喧嘩を吹っかける弟を広海は呆れたように見た。
(大地の奴、どうせ兄貴に負けるのに)
初めから陽一に対して両手を上げて降伏している広海とは違い、大地はなぜか事あるごとに陽一に対抗心を燃やしてい
た。広海からすれば、どうせ結果は分かっているのに(必ず口で陽一が勝つ)、なぜ大地が陽一に反抗するのか分からな
かった。
今も、陽一に暑苦しく抱きしめられているのは自分の方で、大地に何の被害もないし、助けだって求めていない。
「おい、大地、帰って早々吠え立てるなよ」
「ヒロミ、お前何ヨーイチに抱かれてんだよ?幾つのつもりだ」
「何ぃっ?」
何だか自分のブラコンを言われたような気がして、広海は途端に陽一の胸を両手で強く押して引き離すと、そのまま大地
の襟首を掴んで(身長差があるので視線は下から)睨み上げた。
「大地!お前弟のクセに生意気なんだよ!」
広海の身体が自分の腕の中から離れて行くのを見た陽一は、広海から見えない位置で眉を顰める。
(大地め・・・・・)
せっかく可愛い広海を可愛がっていたのに、横から邪魔をされて内心舌打ちをしたくなるほどに腹立たしかった。
なぜか、同じ弟でも広海のように可愛いと思えない自分よりも育ちきった末の弟は、こうして広海の事に関しては常よりも
更に食えない存在になる。
もちろん、長男という最強の位置であるし、自分に対する広海の妄信的ともいえる思いには確信があるのでそちらは問題
は無いものの、やはり横から取られたような思いは残る。
現に・・・・・。
(・・・・・なんだ、あの得意そうな顔)
まるで子犬のように大地に食って掛かっている広海を悠然と見下ろしていた大地の、チラッと陽一に向けた顔はどうだと
いわんばかりに得意げだ。
頭を小突いてやりたいがそれをぐっと我慢して、陽一は長男の余裕で大地に言った。
「おい、ジャレてないで着替えて来い、もう直ぐ飯が出来るぞ」
同族嫌悪・・・・・いや、あんな奴と同族とは思いたくないが、広海に関しては明らかに敵対する関係にある長兄を負かし
たと、大地は表面上は何時もの鉄面皮ながら上機嫌でバスルームから出てきた。
(でも、さっきヨーイチの奴、どんな理由でヒロミを抱きしめてたんだ?)
帰るなり、広海を抱きしめている陽一の姿を見て直ぐに臨戦態勢になったのだが、その理由は今もって分かっていなかっ
た。
まあ、夕食時にその話題は出るだろうが・・・・・。
(しょうもないことだったら、ヒロミの奴を一発はたくか)
「色別のリレーの選手?」
「あー、もうサイテーだろ」
陽一の作った夕食を口一杯頬張りながら、広海は食事中珍しく話し掛けてきた大地に今日決まった最低な出来事を
話してやった。
それまで無言のまま飯をかき込んでいた大地は、さすがに驚いたような表情になって手を止めた。
「立候補したわけじゃ・・・・・」
「あるわけねーだろっ、そんなメンドーくせーの!」
広海自身、運動すること自体嫌いな方ではない。
小学生から中学2年生になるまでサッカーをずっと続けていたし、やむ終えない理由でそのサッカーを止めた後も、身体を
動かすことを億劫だと思ったことは無かった。
しかし、それはあくまでも身体を動かすことが嫌いなわけではないということで、団体競技、それも学校の行事である体育
祭で何度も練習を重ねなくてはならないというようなものを好きというわけではない。
「・・・・・そうか、リレーの選手」
妙に納得したように呟いた大地は、再び食事を再開し始めた。
年に似合わないその落ち着いた態度が妙に引っ掛かるが、広海が文句を言う前に既に食事を終えていた陽一が茶を飲
みながら穏やかに言った。
「広海は頑張るんだよな?」
「兄貴」
「絶対、応援に行くから」
「え〜っ?」
(こ、高校生の弟の体育祭に、わざわざ家族が来るかあ?)
それはリレーで走る以前の問題だ。
母親がいる時は仕方ないと諦めていたことでも、今両親が海外出張で(母親は同行して)不在の今、広海はまさか体育
祭に家族が来るとは思わなかった。
「いーよっ、兄貴!」
「ん?」
「今時の高校生の体育祭に家族が来るなんて変だろっ!」
「どこが?家族仲良くていいじゃないか」
絶世の美貌でにっこりと笑う陽一。
シンパや他の人間ならばうっとりと見惚れてしまうような笑顔(もちろん広海も陽一の笑顔は好きだが)、今はその笑顔に
丸め込まれている場合ではない。
「とにかく、来なくていーから!」
優雅に茶を飲みながら、陽一は広海の叫びを楽しく聞いていた。
広海が自分の申し出を嫌がるのは当然予想出来たことだし、自分に置き換えたとしても遠慮したいとは思う。
(でも、広海は別なんだよな)
広海のどんな瞬間も見ておきたいと思っている自分が超の付くブラコンだととうに自覚している陽一は、その文句も軽く聞
き流しながらチラッと大地の方に視線を向けた。
(こいつはどうする気だろうな)
今年中学3年生(とてもそうは思えないほど大人びている)ながら、今だに部活動を止めていない大地。
こいつもきっと広海の体育祭を見に行くんだろうなと陽一は見当をつけていた。受験だからとか、部活がある体とか、大地
にとってもそれらは広海と比べると小さなものだろう。
「ちょっとっ、聞いてるのかよっ、兄貴!」
「聞いてる」
「じゃあ、分かってくれたっ?」
「お前の言い分は分かった。でも、俺の気持ちは変わらないから」
「兄貴〜!」
「美味しい弁当を作ってやるからな」
「・・・・・」
ようやく、何を言っても無駄だと分かったのか、広海はたちまち眉を下げ・・・・・そのままストンと椅子に座り込んだ。その情
けなさそうな顔さえ陽一にとっては可愛くて仕方が無い。
「・・・・・」
広海は、もう何も話す気力が無いようで。
「・・・・・」
大地は、知りたいことが分かって取り合えず満足をし。
「・・・・・」
陽一はそんな弟2人を交互に見ながら、美味しい茶をまたコクリと飲んでほうっと息をついた。
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