大力の渦流
プロローグ
若干33歳・・・・・経営コンサルタント会社の社長という表向きの肩書きの他に、もう一つ、広域指定暴力団大東組
の傘下、開成会の会長という立場の海藤貴士は(かいどう たかし)は、上座に座っている男に深々と頭を下げる。
滅多に顔を出すことがないその男が、今の関東随一、そして日本でも有数の広域指定暴力団、大東組の最高権力
者、7代目現組長の永友治(ながとも おさむ)だ。
今年56歳になる彼が、5年前に組長に昇進して以降、大東組内ではかなりの変革が行われた。
それまでの年功序列から実力主義へ、暴力よりも経済力を重視するというように、今の世の中を生き抜いていく為の変
化で、当初は反意を抱いていた下の組織の者達も、その改革が成功したことによって永友の力は組織の中で揺ぎ無い
ものになっていた。
白髪交じりの髪を綺麗に撫で付けた永友は、一見どこかの重役のように上品な見かけだが、彼の怒った姿は修羅の
ごとく恐ろしいという噂だった。
大東組は現在千葉県に本拠地を置いている。
その大東組の本家で、今日は重要な話が行われていた。
(お歴々勢揃いだな・・・・・)
目の前の永友の両端に1人ずつ、部屋の左右にも数人の男達がずらりと並んでいる。
その中には伯父の元大東組系開成会会長である菱沼辰雄(ひしぬま たつお)の盟友である現大東組総本部長、本
宮宗佑(もとみや そうすけ)や、36歳という最年少の理事、江坂凌二(えさか りょうじ)の姿もある。
しかし、ここではあくまでも彼らは海藤よりもはるか上の地位の人間で、気安く目線さえ合わす事は無かった。
「今回の理事選は、この3人で争ってもらう」
重々しい声が響いた。
「自薦、東京、竹島会(たけしまかい)、木佐貫庸一(きさぬき よういち)」
「はい」
鋭い目付きの、45歳の男が頭を下げた。
袴姿の木佐貫は、武闘派で鳴らしている人物だ。正統派なヤクザという雰囲気に、周りも納得いったように頷いている。
「他薦、後見人は大東組、檜山明弘(ひやま あきひろ)理事、横浜、清竜会(せいりゅうかい)、藤永清巳(ふじなが
きよみ)」
「はい」
続いて、39歳の茶髪に耳にピアスの穴が開いている男が頭を下げる。
藤永は3代目という立場で、海藤と同じ経済ヤクザだ。
オシャレなレンガ色のスーツを嫌味なく着こなして、緊張した風も無く落ち着いている。
後見人の檜山は、大東組では若頭補佐の1人だ。
「同じく他薦、後見人は大東組総本部長、本宮宗佑、東京、開成会、海藤貴士」
「はい」
本宮の名前に周りがざわめくが、スーツ姿の海藤は少しも顔色を変えないまま頭を下げた。
この反応は既に予想済みだ。
「以上三名、2週間後の本選まで悔いなく戦うように。ただし、戦争を仕掛けることは厳禁だ、いいな」
「「「はい」」」
「では、今この時より理事選を開始する」
病気治療の為に退いた者の為、急に空席となった大東組の理事のポスト。
それを埋める為の選挙が行われることが通達されたのは1ヶ月前だった。
もちろん海藤もそれを知っていたが、自分とは次元の違う話だと思っていたのだが・・・・・海藤の能力を高く評価している
本宮が何時の間にか推薦してくれた。
大東組の実質のNo.3である本宮の推薦で、海藤の立場はかなり優位らしいが・・・・・。
「海藤」
「総本部長」
組長が席を外すと、本宮が海藤の傍にやってきた。
「今回のこと、受けてくれて感謝している」
「・・・・・私のような者を推薦頂き、こちらこそありがたく思っています」
「失礼します」
そんな2人に声を掛けてきたのは、候補の1人、藤永清巳だった。
先に海藤と話していた本宮に頭を下げると、そのまま海藤に視線を向ける。
「藤永会長・・・・・今回はよろしくお願いします」
同じ一つの組を持っているが、藤永の方が年上なので海藤はきちんと礼を取る。これをしないばかりに後々問題が起こ
るというようなこともままあるからだ。
ただ、同じ様に経済を主として活躍している藤永とは会うことが多く、彼がそんな細かなしきたりを気にするような男ではな
いということはよく知っていた。
「今回はよろしくな」
「胸を貸して頂きます」
「何言ってんだ、今回はお前の席だともっぱらの評判だぜ」
それが心からそう思っているのか、それとも嫌味なのか分からない口調だった。
「まあ、せっかく推薦してくれた檜山補佐の顔もあるからな。多少本気は出させてもらう」
「・・・・・はい」
「それにしても、今回の選挙には上杉も出てくるとは思ったんだが・・・・・本当に面倒なことが嫌いな奴なんだな」
「私に立場があれば推薦していたでしょうが」
「嫌がる顔が目に浮かぶな」
藤永はクッと唇を上げた。
本来なら自分より年上で、かなりの実力も持っている羽生会会長、上杉滋郎(うえすぎ じろう)。目をかけられていると
いう証拠に、大東組直属の有能な男、小田切裕(おだぎり ゆたか)が付けられているほどだ。
しかし、本人は面倒臭いことを好まず、今回も上手く指名から逃げたようだった。
「綾辻は元気か?」
「・・・・・はい」
「たまには遊びに来る様に言ってくれ。会長に黙って引き抜きなんかしないってな」
「・・・・・」
「じゃあ。本部長、失礼します」
自分の言いたいことを言ったらしい藤永は、そのまま檜山の方へ歩いて行った。
本来は自分を推薦してくれた檜山に先に礼を言うのが筋なのだろうが、藤永にとっては先に海藤と話すことに意味があっ
たのかもしれなかった。
「相変わらずだな、あいつは」
その後ろ姿を見送った本宮が呆れたように呟いた。
「あいつ、まだ綾辻を欲しがってるのか?今更あいつがお前のところを出るわけが無いだろうに」
「・・・・・昔のことです」
過去のことを知る人間はそんなに多くはいない。
しかし、本宮はその中でもかなり細部まで当時のことを知っている人物なので、海藤も誤魔化すことなく答えるしかなかっ
た。
「まあ、期間は二週間だ。頑張ってくれ」
「はい」
「それと・・・・・俺が言う事じゃないかもしれんが、あの子の身辺も気をつけてやれ」
「・・・・・はい」
他の人間に言われるまでもない。
今の自分にとって何が一番大切なのかを知っているつもりの海藤は心の中で強く決意しながら、針のような鋭い周りの
視線に揺らぐことなく立っていた。
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