TOKEN OF LOVE




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『』の中は日本語です。




 突然のアレッシオの我が儘にも嫌な顔をせず対応してくれた有重に、友春は本当にすみませんと頭を下げた。
アレッシオは、これはサービスされる側の当然の権利と言うが、ごく一般的な日本人の感覚を持つ友春にとっては、規格外のことを
頼むのに平静な顔ではいられなかった。
 それと同時に、昨夜、自分が有重の前でどんな痴態を見せたのか。その詳細は覚えていなかったが、何があったのかは忘れては
いなかった。
 本当はこうして彼と向き合っているだけでも恥ずかしいのだが、アレッシオも、そして有重も、まるで何もなかったかのような態度で
いて、自分1人だけが動揺しているのもおかしい。
 真っ直ぐ視線は合わせられなかったが、友春は出来る限り普通にしていようと思った。
 「本当に構いませんよ。カッサーノ様には・・・・・本当に色々と学ばせていただきましたし」
有重はそう言いながら、チラッとアレッシオに視線を向ける。一瞬、険悪な雰囲気になるかと思ったが、朝から上機嫌のアレッシオは
有重の言動を全く気にしていない様子だった。
 「・・・・・」
 その横顔を見ていた有重が、再び友春に視線を戻す。
 「宿はいかがでしたか?」
 「と、とても良かったです。お湯も、食事も、全部素晴らしくて」
それはけしてお世辞ではなく、友春が心から思った言葉だったので有重もふっと目を細めて笑った。
 「それは、ありがとうございます」
 「次はぜひ、両親が来るように勧めますね」
 本来なら父が来るはずだったのだ。次は絶対に来て楽しんでもらおうと思いながらそう言うと、それまで黙っていたアレッシオが声を
掛けてきた。
 「トモ、もういいだろう」
 「え?」
 「・・・・・カッサーノ様」
 有重はアレッシオのいる方へと身体の向き変え、頭を下げた。
 「このたびはご宿泊、ありがとうございました」
 「・・・・・いや」
 「・・・・・」
 「・・・・・」
それ以上は会話は続かない。友春がどうしようかと困惑したが、その間にアレッシオはすっと立ち上がった。
 「帰るぞ、トモ」
 「ケ、ケイ」
 迷う友春の腕を掴み、そのまま立ち上がらせたアレッシオは、まだ正座をしている有重を見下ろす。
 「エントランスまで送ってもらおうか」
 「はい」
傲慢な態度に、不遜な物言い。
それでも有重は表情を変えずに立ち上がった。




 昨夜と今朝にかけて、じっくりと味わった友春の身体。
もちろん、それだけで足りるわけはないが、ずっと持っていた飢餓感はいくらか薄れてきた気がしていた。
 その気持ちの変化の中には、友春を欲する男を1人、目の前で突き放したという高揚感もあるのかもしれない。
(こんなホテルの跡継ぎだ、それ程馬鹿じゃないだろう)
あれだけ釘をさしているのだから大丈夫だとは思う。それに、セックス(まではいかなかったが)する姿を有重に見られた友春は、羞
恥のために好き好んでこの男の傍には行かないはずだ。
 何かあれば付けているガードが始末してくれることを疑わないアレッシオは、エントランスホールで女将と有重の見送りを受けた。
 「くれぐれもお父様によろしくお伝え下さい」
 「はい、お世話になりました」
 「カッサーノ様も、お気をつけて」
 「ああ」
そのまま連れ立って外に出ると、目の前にはシルバーのベンツが停まっていた。
 「・・・・・え?」
 最寄の駅までタクシーで行くつもりだった友春はその車に首をかしげ、キョロキョロと周りを見回している。
 「ケイ、まだタクシーが・・・・・」
友春が最後まで言葉を発することは出来なかった。
助手席から背広を着た男が1人降りてきて、アレッシオの前で腰を折ったのだ。
 「お疲れ様です、カッサーノ様」
 「ケ、ケイ?」
 「カイドーの手の者か」
 「はい。このまま東京にお送りするようにと申し付かっています。行く先はカッサーノ様のご希望の場所に」
 「分かった」
 直通で空港と言わない所が気に入った。
共に東京に帰る友春とのしばしの別れを惜しむ可能性を考えたのだろうが、そんなふうにさりげない気遣いをされるとこちらも気分
が良い。
(さすがエサカの部下というところか)
 「トモ、ここまで来る時は全てお前に任せたが、これから先は私の意向に沿ってもらおう」
 「え、あ、あの・・・・・」
 「世話になったな」
 そう言いおいたアレッシオは一瞥も残すことなく、先に友春を車に乗せてから、続いて己も後部座席へと乗り込む。
同乗者はいるものの、自分にとっては空気と同じだ。これからもうしばらくは友春と2人きりだと思うと、アレッシオの口元には笑みが
浮かんで消えなかった。
 「カッサーノ様」
 そんなアレッシオに、前方との仕切りを解放した助手席の男が声を掛けてくる。
 「総本部長がご挨拶をと」
 「・・・・・」
差し出された携帯電話を一瞬見た後、アレッシオはそれを受け取った。
 「私だ」
 【お時間をとっていただいて申し訳ありません】
 電話の向こうから、殊勝な言葉が返ってくる。しかし、そこに自身を卑下している響きはない。
アレッシオを立場が上の存在だと認識しながらも、自身のプライドを押し殺さない強気な男の面影を思い出し、アレッシオは友春
との時間を邪魔されたが思わず笑ってしまった。
 「いいや、おかげで良い休日だった」
 【それは良かった。今回は残念ですが、次回に日本にいらした時はぜひお会いしたいですよ】
 「私もだ。お前と話すのは楽しいからな、エサカ」
 アレッシオが名前を出すと、隣に座っていた友春があっと声を上げた。
 「ぼ、僕も、お礼を・・・・・」
どうしたと視線を向けると、友春が小声で訴えてくる。どうやら昨日の電車のことを言っているようだが、それならば自分から江坂に
伝えようと思った。
 「トモがチケットのことで礼を言っている」
 【それには及びません。もっと良い席を用意したかったのですが】
 「いいや、面白かったぞ。普段は車の移動が多いからな。それに、トモとならばどこにいようと私にとってはパラダイスだ」
 「・・・・・っ」
 カッと耳を赤くして俯く友春の横顔に笑うと、多分こちらの様子が分かったのか電話の向こうの江坂も笑う気配がした。
 【これ以上お邪魔はしません、どうぞごゆっくり】
 「・・・・・Grazie」
 【Prego】
礼を言ったアレッシオに、なんでもないように答える江坂。その関係が心地良かった。




 アレッシオが電話を切り、再び運転席との仕切りが現れると、車の中はまるで2人きりになったかのように静かな空間になった。
(僕もお礼、言った方が良かったと思うんだけど・・・・・)
せっかく掛かってきた江坂の電話は、アレッシオが早々に切ってしまった。改めてこちらから連絡を取るのも緊張するので、家に戻っ
てから江坂の恋人で親友でもある静に電話をしようと決める。
 「トモ」
 「え?」
 「今回はとても良い旅行だった。ありがとう」
 「ケイ・・・・・」
 そんなアレッシオの真摯な言葉に、友春は緊張や照れ、そして恥ずかしさも一度に感じてしまい、急に隣にいるアレッシオの体
温を生々しく感じてしまった。
少しだけ距離を取ろうと尻を動かそうとしたが、今朝の露天風呂でのセックスのせいで鈍い痛みが襲ってウッと動きが止まる。
 「トモ」
 「あ、えと」
 今の行動をどう説明しようか焦る友春の腰を軽々と抱き寄せると、アレッシオはこめかみに唇を寄せた。
 「辛いのならじっとしていろ」
 「ケイ・・・・・」
 「ここでは2人きりだ、離れる必要はないだろう?」
確かに、防音も完全だろうこの空間では、アレッシオと2人きりだと言ってもいい。それでも、自分の恥ずかしいという思いはそう簡
単には消せなかった。
 ただ、アレッシオの手から逃げるつもりもなく、友春は何とか顔を逸らして俯くしかない。
 「トモ」
そんな友春に、アレッシオが言った。
 「今年中に、一度イタリアに来れないか」
 「・・・・・イタリアに?」
 「それまでにリフォームをしておこう」
 「え・・・・・?」
 アレッシオの言葉に、友春は思わす顔を上げてしまった。
 「ケイ、今の・・・・・」
 「屋敷の中にお前の部屋を用意しておく。来年、お前が大学を卒業したら一緒に暮らすんだ、今から用意しておかなければな
らないだろう」
大学卒業、そして・・・・・アレッシオと暮らす。
ぼんやりと頭の片隅にあった未来の一つの絵が、風船のように急激に膨らんだ気がした。
 「お前が一番心地良い空間を作るために、自分で一度確かめた方がいいだろう?」
 「ま、待ってください、僕はまだ・・・・・っ」
 「ナツも楽しみにしている」
 「・・・・・」
(ま、って・・・・・、僕、まだ・・・・・)
 来年に迫った大学卒業後、自分がどうするのか友春はまだ決めかねていた。
就職か、実家の手伝いか。ただ、どれにも本腰を入れることが出来なかったのは、確かにイタリアに行くという選択があったからとい
うのは否定しない。
ただ、直ぐに行くとも言い切れない気持ちもあって、友春はアレッシオの碧の瞳をじっと見つめてしまった。




 直ぐに頷くとは思わなかったが、それでも困惑したような瞳を向けられるのは少し寂しかった。
あれほど濃厚なセックスをしても、友春の全てを手に入れたと思っても、実は自分の気持ちの方がより強いのだと思い知らされてし
まう。
(私のことを好きだと言ってくれたんだ)
 友春の言葉を嘘だとは思わないが、それは人生を全て懸けられるほどの思いではないのか。
 「トモ」
 「・・・・・ケイ、僕は・・・・・」
 「大学を卒業したら、私のもとに来てくれるのだろう?」
朝目覚める時も、夜眠る時も、愛しい相手にキスが出来る生活を送れる。今、アレッシオが友春と離れて暮らしているのは、確
実にそうなる日が来ると信じていたからだ。
 この先後何年も、友春の気持ちが育つのを待つことなど出来ない。
もう、1人で過ごす夜は、辛い。
 「私は二度と間違いを犯したくない。お前の意思を無視してイタリアに連れ去ることは、今の関係をまた以前のように後退させる
だけだと思っている」
 「・・・・・」
 「それでも、お前が今ここで頷いてくれなければ、このまま空港に行き、お前をイタリアに連れて行く。お前が泣いても叫んでも、私
の腕の中から逃がさない」
 「ケ・・・・・イ」
 「トモ、どうか私にそんな愚かな真似をさせないでほしい。お前の口からイタリアに行くと、どうか・・・・・」
 何時しか、アレッシオの言葉は懇願の響きを含んでいた。
イタリアマフィア、カッサーノ家の首領である自分が、たった1人の青年に愛を乞う。こんな姿をファミリーの人間が見れば嘲笑うかも
しれないが、アレッシオはこの世でただ1人、友春に対してならば跪けるし、頭も下げることが出来る。
プライドなど、この愛に比べれば砂粒ほどの大きさもない。
 「トモ・・・・・」
 どんな答えを出すのだろう。その言葉を求めているというのに、アレッシオは怖くて仕方がなかった。
聞きたいのに、聞きたくなくて、友春の肩に顔を埋める。友春のまとう香りが鼻をくすぐり、何だか目頭が熱くなるような気がした。
 「トモ・・・・・」










 どのくらい経っただろうか。
友春を逃がさないように腰を抱いていた手に、そっと温かな手が重ねられた。
 「・・・・・僕も、何かさせてください」
 「ト、モ?」
 「あの、家の中で・・・・・守られるだけじゃ、いやです。僕は、男だから・・・・・」
 「・・・・・トモ」
 俯いたアレッシオの口元に、うっすらと笑みが浮かんだ。
それは、多分友春にとって最大の譲歩なのだろう。もちろん、友春が望むのならば籠の鳥にはさせない。ただし・・・・・。
(その首に、見えない首輪をしよう)
周りが、どんなに息苦しい生活なのだと思ってもいい、友春自身がそれが自由なのだと思えるように工作することなどアレッシオに
とっては造作もないことだ。
 ただの人の良い男などではない、それが、友春にはけして見せない、カッサーノ家の頂点に立つ男の顔だった。
 「約束しよう」
一番必要だったのは、友春自身の口から、イタリアに行くと言わせることだった。アレッシオに強引に腕を引かれたのではなく、友春
からも手を差し出した・・・・・それがはっきりしていればいい。
(お前自身が、私と共にいることを選択したんだ)
 「愛している、トモ。早く、お前と暮らしたい」
 「ケイ・・・・・」
 まだ、迷いが見える黒い瞳に笑いかけながら、アレッシオはゆっくりと唇を重ねる。
一瞬、友春の身体が震えたのが手の平に伝わったが、アレッシオは気付かなかった振りをして甘い唇を味わった。




 愛しい、愛しい人が、ようやくこの腕の中に戻ってくる。
それまで後もう少し、この孤独の中に浸りながら、いずれくる甘美な日々を夢見てアレッシオは柔らかな身体を強く抱きしめた。





                                                                      end