江坂凌二の誕生日編。














 最初の年は、その日を知らなかった。
それから彼を好きになり、色んなことを知って、大切なその日を知ることが出来た。
 しかし、なぜか彼は自分の大切な日に無頓着で、静が何を言っても笑って気にしないで下さいという。
ただの知り合いならばそれでもかまわないかもしれないが、仮にも自分達は恋人同士だ。
 それに、来年には自分も一応大学を卒業する。彼と同じ大人と呼ばれる存在になる最後のその日は、絶対に何かをしたいと
思っていた。




 その相談相手として、彼の一番近くにいる存在に訊ねてみた。
彼はいったい何をしたら喜んでくれるのか。
欲しいものは何なのか。
 しかし、その人は困ったように笑い、それはたった一つしかないですよ言う。

 「あなたが傍にいて下さることです。あの人にとって、あなたといるその時間だけが、心が休まる大切な時間だと思うので」
 「橘さん・・・・・」
 「それに、こんな風に言ってはおかしいかもしれませんが、あの人にとって自分の誕生日というものはそれほど意味はないん
です。特に虐げられてきたというわけではないでしょうが、なんというか・・・・・興味がないんでしょうね」

なんだか、とても信じることが出来ないような言葉だった。
誰もがというのは違うかもしれないが、それでも人は一度や二度は誰かに誕生日を祝ってもらったものではないだろうか。
 江坂はそれなりの家柄の出身のようで教育やしつけもちゃんとされたのが言動の端々で分かるが、そんな育ちの中でも誕生
日への拘りは構築されなかったようだ。

 「ですから、どうかあなたが本部長の意識を変えて下さい。その日が特別なのだと、祝いたい気持ちがあるのだと」

 もちろん、そのつもりだ。
静の誕生日には何時も素晴らしいプレゼントと優しい言葉をくれるのに、自身の誕生日はどうでもいいなどと思って欲しくない。
 万が一、彼・・・・・江坂にとって誕生日がどうでもいい1日だとしても、静にとってはそうではない。
12月26日をどう過ごそうか、静はクリスマスプレゼントを選ぶ以上に、真剣に考えてしまった。








 隣の温かな存在が僅かに身じろいだのを感じる。
今日は日曜日なのでまだゆっくり眠ってもいいのだと言おうとした江坂は、そのままチュッとキスをされてしまい、目を見張ってし
まった。
 「静さん?」
 「おはようございます、凌二さん」
 目覚めたばかりにしてはにこやかな静の表情に、江坂もつられるように笑みを浮かべた。
 「おはようございます。ですが、まだ起きるのは早いですよ?」
日曜日なんですからゆっくりとと告げる前に、上半身を起こした静が江坂の肩を軽くベッドに押さえ付ける真似をしてくる。
 「朝食の準備は俺がしますから」
 「え?」
 「凌二さんはもう少しゆっくりしていて下さい」
 呼びに来るまで起きてきたら駄目だと言われ、静はそのまま寝室から出ていった。
 「・・・・・なんだ?」
いったい、静になにがあったのか、考えても全く分からない。江坂自身も料理は得意ではなかったが、朝食は出来るだけ自分で
作るようにしていた。静のためだと思えば全く苦痛でもなかったし、静もそれを受け入れてくれているのだと思っていたが、今日に
限って自分が作るというなど・・・・・。
(今日は何かあったか・・・・・?)
 クリスマスなどのイベントが終わり、今日はごく普通の日曜日だ。
自分も仕事は無いし、静も予定は入っていなかったはずだ。
 「・・・・・」
 どうにも静の行動の意味が分からなかったが、ここでじっとしていてくれと言われたからには動くことは出来ない。
どんな些細な約束でも静と交わしたものは守りたいのだが・・・・・江坂は何だか落ち着かない気分だった。




(・・・・・そのままの姿勢だ)
 まさか、朝食を作っている間中この体勢だったとは思わないが、江坂はベッドに上半身を起こしたまま当惑した表情を向けてき
た。
(不思議なんだろうな)
 何時もとは違った行動を取る静のことを不思議に思っているのだろうが、今ここで種明かしをするわけにはいかない。
今日という日を江坂の中で特別にするためにも、まだまだ静はやりたいことが山ほどあった。




 「お待たせしました」
 それから30分もしないうちに静が寝室に戻ってきた。
そして、再び江坂の唇に触れるだけのキスをすると、そのままベッドヘッドに置いてあった眼鏡を取ってくれた。
 「静さん」
 「ほら、熱いうちに食べてくれないと」
 理由を訊ねようとした江坂の言葉を遮り、静は手を引いてキッチンに向かった。
 「・・・・・」
トーストにハムエッグにサラダ。江坂が作っても同じような感じになってしまうだろうが、静が作ってくれたと考えるだけで嬉しさが
こみ上げてくる気がする。
 「コーヒーも沸かしたてなんですよ」
 そう言ってカップにコーヒーを注いでくれた静は、なんとそのまま息を吹きかけて冷ましてくれた。
 「静さん、そんなことまでしなくてもいいんですよ」
 「でも、凌二さん、猫舌でしょう?本当は沸かしたてを飲んで欲しいけど、火傷されても嫌だし」
 「・・・・・」
コーヒーカップから立ち上っている湯気が、静が息を吹きかけるたびに少なくなっていくのが分かる。
こんなことをされるなど、もしかしたら初めてかもしれない。
(親でさえ、ここまでしてくれたことは無かったな)
 「はい」
 やがて、満足したのか静がカップを差し出してくる。ほど良い熱さになったそれを指先で感じ取った江坂は、ありがとうござます
と笑みを向けた。

 その後、せめて片付けは自分がすると申し出たのだが、静はゆっくりしててくれと言って江坂をリビングへと追いやった。
何もすることがないというのも何だか手持無沙汰で、江坂はどうするかと思いながらリビングからじっとキッチンを見る。
 「・・・・・」
 エプロンをしながら洗い物をしている静は妙に楽しそうで、そこに江坂が口を出すのは何だか悪い気がした。
 「凌二さん、後で出掛けませんか?」
 「行きたい所があるんですか?」
江坂が聞き返すと、静は少し言い淀んだ。
 「行きたい所って・・・・・まあ」
 「・・・・・」
 「付いて来てもらえますか?」
 もちろん、嫌なはずがない。大体、自分がこうして傍にいるのに静だけを出掛けさせるつもりはなかった。
欲を言えば、どこに行くのかを言ってもらえれば相応の手筈を整えられるのだが、今日はどうも朝から調子が狂ってしまってい
る。
(静さんのいきたい所か)




 とにかく、江坂には何もさせないまま片付けを終えると、静は連れだって街に出た。
 「どこに行くんですか?」
 「ん〜」
忙しい江坂にはゆっくりする時間がない。少しでも時間があると、それを静のために使うのがほとんどで、自身のために動くこと
は静が知る限りは無かった。
 「あ、あそこ!」
 「・・・・・書店、ですか?」
 「そう!」
 意外に読書家の江坂は、書店が嫌いではないと橘から聞いた。
ここで江坂にとっていい本と出合えればなと思いながら、静はちょっと上に行ってきますと言い残して江坂と別れた。




 ジャンルごとに階が分かれている大きな書店に入った静は、さっさと上の階に行こうとする。
付いて行こうとした江坂に、少し選ぶのに時間が掛かるかもしれないから待っていてくれと言い残し、静はさっさと行ってしまっ
た。
 先に釘を指された形なので後を追うことも出来ず、江坂は仕方なく自分の好むジャンルの棚に向かった。
 「・・・・・そういえば、久し振りだな」
こうして自ら書店に赴くなどどのくらいぶりだろうか。
ふと気付けば、自分の好きな作家の小説が出ていたし、興味のあるビジネス本もあった。
(ついでだしな)
 静がどのくらい時間が掛かるか分からないが、好きなものをさっさと買ってから様子を見に行っても十分かもしれない。
そう考えて幾つかの本を買い求めた江坂が改めて上の階に向かおうと足を向けた時だった。
 「・・・・・静さん?」
 レジからあまり離れていない場所に静が立っていた。
 「終わったんですか?」
 「買いたいものが無くって」
 「では、他の書店に行きましょうか」
 「ううん、いいです。そんなに欲しいって思ったものじゃないし。次に行きましょうか」
歩きたいという静の希望を聞き、江坂は待たせていた車の運転手にしばらく待っていろと告げる。
 「次はどこに行かれるんですか?」
 「次は・・・・・」
 こうして2人で歩いていると、何だかデートのようだなと思ってしまった。そんな初々しい関係でもないのにすることは新鮮で、
江坂は自分の肘に手を掛ける静に笑みを向けた。




 結局、静自身は何も買い物はしなかった。
行った場所は書店と、江坂が珍しくシリーズ物を見たと言っていた映画の新作が上映されていた映画館と、道で見掛けた屋台
だ。
 「・・・・・」
(6時か)
 時間は午後6時を回った。
指定した時間は午後6時。今いる場所から車で帰っても30分は掛かるので、ちょうどいい時間だ。
 「凌二さん、帰りましょうか」




 いったい、静は何がしたかったのだろうか。
今日行った場所はどちらかというと江坂にとって偶然にも実りのあった場所ばかりで、静にとって意味があったとは思えなかった。
 「・・・・・待って下さい」
 納得が行かない思いを抱いたままマンションに戻った江坂は、部屋の中の気配に静を押し止めた。
人の気配は無いが、何だか気になる気配がする。
 「大丈夫ですから」
 しかし、静はまったく気にしないように部屋の中に入っていき、慌てて後を追った江坂は、
 「これは・・・・・」
キッチンのテーブルに並べられたフランス料理に目を見張った。
 「まだ準備をしてもらったばかりだから温かいですよ」
 「・・・・・どういうことですか?」
眉間に皺を寄せた江坂が訊ねると、静は真正面に向き合ってから笑い掛けてきた。
 「誕生日、おめでとうございます、凌二さん」
 「・・・・・誕生日?」
(静さんの誕生日はまだ先だったはずだが・・・・・)
 そう言われてもなかなかピンとこなかった江坂に、静は笑いながら携帯を取り出して見せる。そこに出ていた日付は12月26日、
確か・・・・・自分の誕生日だった。
 「・・・・・では、朝から?」
 何時もと違った静の行動の理由がようやく分かった。いや、そう考えると、街でのことも全て納得が出来る。
今日静が行った場所は全て江坂のことを考えた上での場所ばかりで、朝食の時に甘やかしてくれたのもそのためだったのだ。
(・・・・・参った)
自分にとっては全く価値の無い日だというのに、静はここまで考えてくれた。そのことが申し訳ないと思う反面、嬉しいと感じる自
分がいる。
誕生日が嬉しいという子供の気持ちが今更ながら分かり、江坂はさすがに照れ臭い思いで静を抱きしめた。
 「ありがとうございます」
 心からの感謝の思いでそう伝えると、静の手が背中に回って来る。
 「本当は、ちゃんと誕生日パーティーみたいなのをしたかったけど、今回だけは2人きりが良いなって思って」
外食よりも、家で2人でゆっくりとしたかったと続けた。
 「勝手に、家に人を入れてごめんなさい。でも、橘さんが立ち会ってくれたはずだから」
 「橘もグルなんですか」
 だから、様々な情報を知ったのだろうと分かったが、橘を叱る思いは生まれなかった。
きっと橘も、江坂を思う静の気持ちにうたれて力を貸したのだろう。
 「ケーキも用意したかったけど、凌二さんが恥ずかしがるかなって考えて」
 「だから、この大量のタイヤキ・・・・・」
小さいものだが、いったいどれだけ買うのだと呆れたのだが、どうやら自分の歳の数ほどはあるらしい。
嬉しいが、それほど甘いものが食べられない自分には全て食べるのは無理そうだ。
 「俺も手伝いますから」
 「そうして下さい」
 ローソクの数ではなく、タイヤキの数が歳を表すとは、静ぐらいしか思いつかないと思う。高価な装飾品を押し付けられるよりも
ずっと嬉しく、何だか今日が特別な日なのだと強く思えた。

 「今日はいっぱい甘えて下さい」
 笑いながら言う静に、江坂は少し考えてから何でもいいんですかと問い掛けた。
 「もちろんです」
 「・・・・・じゃあ」
抱きしめた腕の中、耳元に唇を寄せて囁くと、静の身体がピクンと震えるのが分かった。
 「え、えっと・・・・・」
 「駄目ですか?」
 どうやら、今日は己の我が儘が通る日らしい。江坂は気弱に問い掛けながらも、頬は笑みに緩んでしまう。
 「・・・・・」
 「静さん」
 「・・・・・いいですよ」
 「本当に?」
まさか、本当にOKしてもらえるとは思わなかった江坂は確認するように聞き返したが、決意した静は男らしく頷いてくれた。
 「だって、今日は凌二さんの誕生日なんだし」
 「誕生日・・・・・ですか」
 今まで、自分の誕生日などたいした意味など無いと思っていた。
静を愛するようになって、その生まれた日を愛おしいと思うようになったが、自分の誕生日にこんなに温かい気分になれるとは思っ
てもみなかった。
 「・・・・・悪くないですね、誕生日も」
 そう呟くと、静がさらに強く抱きついてくる。
それが愛おしくて、江坂は目を閉じて腕の中の温かな存在を確かめるように抱きしめた。








 愛する人の誕生日。
少しはその意味の大切さを分かってもらえたような気がするが、払った代償はかなり大きかったなと、翌日静は大きな溜め息をつ
いてしまった。





                                                                     end




                                                                     夜編

江坂さんの誕生日話。初めてですね。
その夜のことは、いずれ書ければなと思います。