「お」
 「あ」
 元旦の総本家大東組の関東事務所に年始の挨拶に訪れた開成会会長、海藤貴士は、そこに見覚えのある男を見
付けて頭を下げた。
 「おめでとうございます」
 「おお、おめでとさん。早いじゃねえか、海藤」
 「上杉さんこそ」
 「面倒なことは早く済ませるに限る」
そう堂々と言い放って笑う上杉は、そこが例え本部であっても関係が無いらしい。
その自由奔放さに微かに笑った海藤は、その後ろに控えている小田切にも目線で会釈した。



 この世界では、年始も大切な義理事だ。
上納金をかなりの額納めている海藤もまだまだ若輩者として、自分よりも年上の、しかし能力的にはかなり劣る者達の
挨拶が終わるのをじっと待っていた。
3、4時間待つのは当たり前で、その間海藤は何時も人の輪から少し離れた場所で供の人間と(今日は倉橋だ)いるの
だが、今回はたまたま羽生会会長の上杉滋郎と鉢合わせをした。
 ここ数年は幹部の小田切に義理事のほとんどを任せきっていたらしい上杉だが、最近はかなり真面目に仕事をしてい
るようだ。
その原因がなんなのかは、上杉の組の者なら皆知っている。
そして、この海藤もその1人だった。



 女のように・・・・・と、いう言葉は似合わないが、端正に整った海藤の容貌をじっと見ていた上杉は、ふと思い立ったよう
に口を開いた。
 「お前、暇か?」
唐突なその言葉に、海藤は僅かにだが眉を顰めた。
 「何か?」
 「実は、明日初詣の約束があるんだが、2人というのは寂しいと思ってな。ほら、前にお前に言っただろ?一緒に酒でも
飲もうって。新年会をやるってのはどうだ?」
 まるっきりの思い付きだった。
ただ、海藤という男が付き合っているという相手がどんな人物なのか、会ってみたいと思ったのだ。
 「確か、大学生だったよな?なら、今は休みだろ?実家に帰ってるのか?」
矢継ぎ早の上杉の言葉に、海藤は少し間を置いて答えた。
 「・・・・・いえ、こちらにいますが」
 「そっか」
(嫌なら誤魔化せばいいのに、変に真面目な奴)
 上杉は内心苦笑を漏らす。
自分の言っていることは明らかに無茶なことなのに、真面目な海藤は否と言わない。
それが分かっているからこそ切り出したという姑息な自分の手段はおいておくが。
 「未成年だったら、あんまり夜遅くは無理だな」
 「上杉さん」
 「会長」
 お目付け役でもある小田切がさすがに抑えようとするが、上杉は全く堪えることはない。
どこがいいだろうと考えながら視線を彷徨わせていると、ふと視線の端に新しい獲物を見つけた。
 「おいっ、伊崎!」
 「・・・・・上杉会長、海藤会長、明けましておめでとうございます」
 静かに歩み寄って頭を下げたのは、日向組の新しい若頭である伊崎恭祐だった。
この中では上杉と同じ歳だが、立場的には海藤や上杉の方が断然上で、自然と伊崎の態度は目上の者に対するもの
になる。
 「新組長はどうした?」
 「幹部の皆さんに挨拶をさせて頂いています」
 「お前は一緒じゃなくて良かったのか?」
 「私は所用があって少し失礼させて頂いたところで、直ぐに戻ります」
 「そっか・・・・・あ、そう言えばお前んとこの次男坊、えらい美人だそうだな」
 「・・・・・楓さんは男性ですが」
 日向組前組長の次男で、新組長の弟になる人物は、この世界でもかなりの有名人だった。
まだ幼い頃からその美貌を謳われたその少年は、年に1度か2度、組長である父親に連れられてこの関東事務所に姿
を見せていた。
そして、ただ何をするでもなく、にっこりと笑って幹部連に挨拶をするだけなのだが、日向組が弱小と言われる組なのに本
部の恩恵を受けているのはそのおかげだとも言われていた。
 上杉は実際にその少年には会ったことはなかったが、誰もがあれほどの美貌の主はいないと噂する人物を一目見てみ
たいと常々思っていたので、この好機を逃がす手はないと思った。
 「明日、新年会するんだけどな」
 「は?」
いきなり切り出した上杉に、伊崎は訝しげに眉を顰めた。
 「その次男坊も招待してやる」



(何の目的だ?)
 伊崎は目の前でニヤッと笑みを浮かべている上杉を、警戒心を最大にして睨み返した。
大きな義理事でも、滅多に顔を合わせることがない上杉が、こんな風に自分に話し掛けてくること自体珍しいことだ。
(まさか、楓さんを・・・・・)
 楓の存在がこの世界でもかなり浸透していることは知っていた。
本人はあくまでただの高校生だと思っているようだが、暗黙の内にその美貌は日向組の最大の武器にもなっているのだ。
そんな楓を色々な意味で欲しがっている人間は多く、少し前も洸和会がちょっかいをかけてきた。
 女関係が激しいという上杉までまさか・・・・・そう思った伊崎に、上杉が更に話を続けた。
 「心配すんな、手を出したりしねえって」
 「・・・・・」
 「俺には可愛い子犬がいるんだよ」
 「・・・・・子犬、ですか?」
 「海藤も連れがいるし、俺も連れて行く。後、お前んとこの美人の坊ちゃんが来れば新年から眼福だ」
 既に上杉の中では決定事項なのだろう。
伊崎の返事を聞く前に、上杉は後ろに控えている小田切に言った。
 「おい、子供の喜びそうな店、探しておけ」
 「・・・・・はい」
小田切は仕方なさそうに返事をすると、伊崎を気の毒そうに見つめた。
 「申し訳ないですね。この人は一度決めると、人の迷惑なんて全然考えないんですよ」
 「おい」
 「海藤会長も、数時間だけお付き合い願いますか?」
この場で、嫌だと拒否出来る人間などいないだろう。
海藤と伊崎は深い溜め息をついた。



 「新年会・・・・・ですか?」
 帰宅早々、海藤が切り出した話に、その世界の人間とは全く縁の無いはずの自分がどうしてと、西原真琴は首を傾
げた。
海藤にしても真琴までとは思ったが、以前話を聞いた上杉の恋人のこともあり、一度くらいはと諦めの心境でもあった。
 「新年会は俺達がするんだが、その間向こうの連れの面倒を見て欲しい。高校生らしいんだ」
 「こ、高校生?」
(高校生が恋人?)
 「そ、それって・・・・・」
 「ちなみに、男だ」
 「え・・・・・」
 「後、日向楓も来るぞ」
 「え?楓君も?」
 真琴の脳裏に鮮やかに浮かび上がった綺麗な少年の面影。
夏に偶然食事を共にしたその少年は、生意気な態度とは裏腹にとても素直な少年だった。
 「そっか・・・・・楓君も来るのか」
 「どうだ、真琴」
 「行きます、楽しみだな」
にっこり笑って言う真琴に、海藤は苦笑を浮かべながらその身体を抱きしめた。



 「なんで俺がそんな会ったこともない男とご飯食べなきゃいけないんだよ」
 ベットに腰掛けた状態の日向楓は、目の前に立つ伊崎をじろりと睨んだ。
それでなくても新年早々、伊崎はおめでとうという挨拶だけを残して、組長である兄に付いて年始の挨拶に明け暮れて
いた。
幾ら昨夜から一緒のベットで過ごしたとはいえ、初詣も行けなかったと楓は朝からずっと不機嫌な上、戻ってくるなり勝手
に決めた予定を言うのでますます気分は下降線だ。
 「羽生会の上杉会長が、ぜひ楓さんに会いたいと」
 「・・・・・恭祐、お前、他の男が俺に会いたいと聞いて、素直にはいと言ったのか?」
 「・・・・・」
 「俺に何があってもいいんだ?」
 「楓さん、俺は」
 「恋人失格」
 きっぱりと言い切って顔を背けた楓に、伊崎はその足元に跪いて下から顔を覗き込んだ。
 「楓さんに承諾もなしに話を受けたのは申し訳なく思いますが、上杉会長の他にも海藤会長も西原さんを連れて来ら
れると聞いて・・・・・」
 「西原?あの人も来るんだ?」
 「はい。他にはお呼びにならないようですし」
 「・・・・・」
(マコさんも来るのか)
夏に知り合って以来、時折メールを交換している仲の真琴を思い浮かべ、楓の心が揺らいだ。
格別変わった出来事ではなく、ごく普通の日常を見せてくれる真琴のおっとりとした空気を気に入っている楓は、ちらっと
伊崎に視線を戻した。
 「・・・・・他にオヤジ連中はいないんだな?」
 「はい」
 「・・・・・仕方ないな。お前の顔を潰すわけにはいかないし」
 「楓さん」
 「お前、もっと俺を大切にしろよ?恭祐にとっての一番は?」
 「楓さんですよ」
 「当然」
嫣然と言い放った楓に、伊崎は宥めるようにキスをした。



 「え〜、新年会?俺との初詣は?」
 『それも当然含んでるぞ。明日はお前は丸々俺のもんだ』
 「ジローさん横暴!」
 太朗は電話に向かって叫んだが。
 『俺はお前との約束、守ったろ?』
 「だって・・・・・」
元旦は家族と過ごしたいという太朗の言葉を、上杉は渋々ながらも受け入れてくれたのは確かだ。
心だけでなく、身体もきちんと結ばれた恋人としては、少しそっけなさすぎの年越しだった。
(だって、去年まではそうだったんだし・・・・・)
恋人が出来たからと、いきなり気持ちを切り替えることが出来なかった太朗だが、少しは申し訳ないなと思っていたのだ。
(だから、明日は一緒にいるって言ったのに・・・・・)
 『すっごい美人が見れるぞ』
 「え?」
 『向こうが連れてくるんだよ。お前と同じ高校生だし、話は合うんじゃないか?』
 「で、でも、知らない人にいきなり会うなんて・・・・・」
 『明日、朝から迎えに行くぞ。新年会は夕方からだが、お前にはたっぷり付き合ってもらわないとな』
 「ジ、ジローさん!」
 『愛してるぞ、タロ。明日楽しみにしてる』
 太朗の話をきちんと聞かないまま、上杉は笑いながらそう言って電話を切ってしまった。
太朗は呆然と携帯を見下ろす。
 「・・・・・ぼーぎゃくぶじんだよ・・・・・」
我が道をいく上杉を止めることは誰にも出来なかった。