「午後からのスケジュールは?」
 「は、はい、14時から企画会議、17時にマルサン商事の社長との面会、19時半、三興システムとの会食・・・・・
です」
 分厚い手帳を見ながら答えたいずみは、言い終えた後恐々と尾嶋を見上げた。
 「よろしいです。スケジュールはきちんと覚えているようですね」
 軽く頷かれ、いずみはホッと肩の力を抜く。
しかし、次の瞬間尾嶋の口から出たのは厳しい言葉だった。
 「スケジュールは一週間先まで、まあ、せめて三日先までは暗記しているように。お客様の前で手帳を見るのは無作
法ですからね」
 「・・・・・はい」
 花嫁修業という名の秘書見習い修行は今日でちょうど二週間だ。慣れない事ばかりで毎日気が休まることもない。
尾嶋は声を荒げることはないがスパルタで、『出来ますよね』と、にっこり笑いながら言われ、出来ませんという言葉を口
の中で押し殺している毎日だ。
 社内でも一番忙しいと言われている秘書課の面々は、男女の比率が1:3で、年齢も三十前後と大人の集団だ。
普通なら女同士の争いごとも起きておかしくないのだが、キャリアを積むという向学心旺盛な彼女達は、お互い足を
引っ張るような馬鹿なことはせず、突然現れたいずみをも歓迎してくれた。
 美女に囲まれて羨ましいと前の部署の先輩達にからかわれるが、いずみ本人は覚えることがいっぱいでそんなことは
思いもしなかった。
それに・・・・、
 「いずみ、顔色悪いぞ」
 「うひゃ!」
 突然後ろから抱きしめられ、いずみはひっくり返った声を上げる。
抱きしめてくる腕は力強く、コロンとタバコの入り混じった香りは、最近やっと覚えたものだった。
 「せ、専務!」
 慌てて振り返ろうとするが慧は腕の力を弱めず、チュッと音の出るキスを頬にしてきた。
 「!」
そんな、慧の腕の中でジタバタしているいずみを助けてくれたのは、優しくも厳しい上司だ。
 「専務、セクハラです」
 「許婚だぞ」
 「それでもです。ほら、放してあげて下さい」
 それ以上無理強いをするつもりはなかったのか、慧は笑いながらいずみを解放する。
いずみは慌てて尾嶋の背中に隠れた。
 「可愛い許婚を可愛がるのは就業後にして下さい。まだ決済して頂きたい書類は山ほどあるんですから」
 「分かった。ただし、今夜の会食はキャンセルしてくれ」
 「何か急用でも?」
 「可愛い許婚と食事がしたい」
 「だ、駄目ですよ!以前から決まっている会食なんですから、変更なんて出来ません!ですよね?」
 これ以上からかわれたら、くたくたの心身には酷いダメージになってしまうと、いずみは即効で慧の言葉を否定する。
もちろん尾嶋もそう思っているだろうと同意を求めるが、尾嶋はしばらく慧の顔を見つめた後、小さく溜め息を付いて頷
いた。
 「分かりました。小林部長に行って頂きましょう」
 「尾嶋さんっ?」
 「これ以上焦らすと、更にセクハラが進みますよ」
 「こ、これ以上・・・・・」
 「美味しいものでもご馳走してもらいなさい」
 「う〜」