「こ、ここですか?」
 「焼き鳥は嫌いか?」
 「そんなことないです!大好きです!」
 慧がいずみを連れて行ってくれたのは都心の焼き鳥屋だった。しかし、普通の焼き鳥屋とは少し違い、おしゃれな外
観の個室もある、高級な店のようだった。
堅苦しいマナーなど関係ないと分かったいずみはあからさまにホッとし、打って変わってウキウキとしたようにメニューを開
いている。
そんないずみを見ているのが楽しい慧は、どんどんと珍しい料理を運ばせた。
 「た、食べても、いいんですか?」
 「もちろん。腹がパンクするまで食ったらいい」
 「そ、そんなには食べませんよ!」
 思わず言い返したが、直ぐに美味しそうな匂いに惹かれて『いただきます』ときちんと手を合わせた後、いずみは早速
焼きたての焼き鳥を頬張り始めた。
(口いっぱい頬張って・・・・・リスだな)
 ただ抱く為だけの女や仕事相手との食事とは違い、何の見返りのないいずみとの食事がこんなに楽しいものだとは
思わなかった。
(仮にも許婚だからかな)
 そろそろ社内でも慧が婚約したようだという噂が広がり始めた。さすがに相手がいずみとは分からないようだが、それで
も次期社長である慧が誰を選んだのか、誰もが興味深々のようだ。
将来の為、慧は社内の女子社員には手を出さないようにしていたが、外に何人いるか分からないセックスフレンド達に
は次々と別れを告げている。
 誰もが簡単に別れてくれるわけではなく、社長夫人の座を狙っていた野心の強い女達は、今だ未練がましく連絡を
取ってきているが、今の慧は体の快楽だけに溺れるつもりはない。
いずみの出現はイレギュラーなものだったが、今の自分の生活を変えるのには良い切っ掛けだった。
 「仕事はどうだ?」
 冷酒を傾けながら聞く慧に、頬に一杯焼き鳥を詰め込んでいたいずみは慌てて答えた。
 「ふぃふぃふぁ、ふぁふぁふぃふぃふぇふ」
 「・・・・・?」
通じていないのが分かり、いずみは慌てて口の中のものを飲み込んだ。
 「みんな、優しいです」
 「私には優しくないがな」
 「失敗しても、ちゃんと解るまで教えてくれるし、特に尾嶋さんには迷惑ばかり掛けちゃって・・・・・」
 「・・・・・」
 「でも、尊敬する尾嶋さんに少しでも近付きたいし、頑張るつもりです!」
 当初、秘書になることに強行に抵抗していた姿からは考えられないほど、目の前のいずみは意欲的で生き生きして
いる。
上司としては嬉しいことなのだが、慧はなぜか面白くなかった。
 「あ、このつくね、おいしい♪」
 新しい皿に手を伸ばすいずみをじっと見つめながら、慧は少し声を落として言った。
 「随分、尾嶋を気に入ってるんだな」
 「気に入ってるなんて、尾嶋さんに悪いです。ただ俺が勝手に憧れているだけですよ。頭いいし、優しいし、カッコイイ
し」
 「・・・・・私は?」
 「え?」
 「私と尾嶋、どちらがいい男だ?」
 「ど、どちらって・・・・・」
 突然の問いに、いずみは口ごもってしまった。
尾嶋はいずみが入社以来憧れていた存在で、今更その思いが変わる事はない。
一方慧は勤めている会社の御曹司という立場上あまりに遠い存在で、改めて評価などしたことはなかった。
 「・・・・・」
 いずみはチラッと、上目づかいに慧を見つめる。
直ぐに慧の名前を言わないいずみに拗ねたのか、慧は眉を顰めたままそっぽを向いて酒を飲んでいた。
(・・・・・子供っぽい)
いずみにとっては遥かに大人の存在だった慧の、大人気ない仕草。
いずみの頬に自然と笑みが浮かんできた。
 「専務です。専務の方がカッコイイ」
 「・・・・・迷ったくせに」
 「へへ」
 口ではそう言いながら、慧の横顔は酒のせいではなく赤い。
いずみは初めて慧を身近に感じて嬉しくなり、慧が照れ隠しに叱るまでずっと笑い続けた。