９
「お前、絶対私のこと嫌いだろう」
「まさか。想定外のことでしたので」
「・・・・・嘘っぽい」
書類に目を通しながらも愚痴を零す慧に、尾嶋は何時もの冷静な口調で言い返す。
「いずみもせっかくノリノリだったのに」
「な・・・・・っ！」
「そうだったんですか？」
「違います！」
いずみは慌てて反論したが、昨夜のことを思い出したのかたちまち真っ赤になった。
昨夜、これからというときに掛かってきた電話。慧は無視して行為を続けようとしたが、鳴り止まない呼び出し音を気に
したいずみが電話に出るように言った。
相手は尾嶋で、緊急に会社に来るようにとの事だった。
もちろん慧は頑強に反論したが、数十億円の契約の為と言われて、渋々会社に戻っていった。
マンションに１人残されたいずみもろくに眠ることが出来ないまま、一見して寝不足な顔で出社したのだ。
「ほんとに、お前は気が効かない」
なおもブツブツ言っている慧にうんざりしたのか、尾嶋は大げさに溜め息をついてみせた。
「大体、あなたがヘタレなんですよ。松原君をモノにする機会は何度もあったはずなのに、いまだ何もしてないなんて、
鈍過ぎです」
「何もってことはないぞ。キスはしたし、それ以上も・・・・・」
「あわわわっ、なっ、何言ってるんですか！」
２人の会話にいたたまれなくなったいずみは慌てて止めるが、その顔は首筋まで赤く染まっている。
そんないずみを可愛いなあと内心思いながらも、慧は書類を見る目とチェックする手は止めないまま、口は全く違うこと
を言い始めた。
「大体、私は働き過ぎだ。少しは休暇も取った方がいいと思わないか？」
「若いうちは休みなく働けと、会長がおっしゃったんじゃありませんか？」
「じいさんとは時代が違うだろう。いずみ」
急に名前を呼ばれ、いずみはコーヒーを入れに行こうとした足を止めた。
「はい」
「お前も、休み欲しいだろ？」
「え、え〜と・・・・・俺、あ、私と専務とでは立場が違いますから。私みたいな新入社員は少々休んでも支障がない
でしょうが、専務は簡単に休まれたら困ります・・・・・よね？」
最後は確認するように尾嶋に視線を向けると、よく出来ましたという風に優しく笑って頷いてくれた。
「新入社員の方がよっぽどしっかりしてますよ」
「・・・・・」
「ほら、期限は正午までなんですから、ちゃっちゃとやる」
「はい、はい」
慧と尾嶋の会話は、時々どちらの立場が上なのか分からなくなる。
尾嶋は確かに慧をたてているが言いたいことは言っていて、慧も我がままを通しているようで結局は尾嶋の言葉を受け
入れることが多い。
自らヘッドハンティングしただけ２人の関係は強固なんだなと、いずみは少し羨ましく思った。
「そういえば、今度系列会社がホテルをオープンすることになりまして、そのレセプションパーティーの招待状が届いて
います」
「ふ〜ん。どこだ？」
慧はあまり興味なさそうに聞くが、尾嶋はフッと笑っていずみに視線を向けた。
（な、何？）
「沖縄です」
「えっ？」
途端に顔を上げる慧に、尾嶋は今度こそ笑いながら言った。
「土日を含んで二泊三日でスケジュールを押さえています。・・・・・もちろん、秘書の松原君も一緒に」
「お、俺も？」
イスからバッと立ち上がった慧は、思わずといったように尾嶋の肩を抱き寄せて耳元で言った。
「お前、たち悪いぞ」
「それでも、婚前旅行にはいい場所ではありませんか？」
「・・・・・くそっ、条件は何だ？」
「私と、私の家族も同行させて頂きます。もちろん代金はきちんとお支払いしますが、あのホテルはなかなか予約出
来ないところだと聞いているので」
「よし！決まりだな！」
慧は固まったように動かないいずみの腰を抱き寄せ、尾嶋がいるのも構わずに濃厚なキスを仕掛けた。
「！う・・・・・んっ！」
いきなりのキスにとっさに拒否することも出来ず、いずみは口腔内に慧の舌を受け入れてしまった。ねっとりと丁寧に、
口腔内を隅々まで愛撫され、腰が抜けてしまったいずみを慧はしっかりと抱きかかえる。
「セクハラですよ」
呆れたような尾嶋の言葉も全く耳に入らず、慧は嬉しそうにいずみの顔を見つめた。
「いずみ、今度こそ最後までするぞ」
「！」
恥ずかしいことを大きな声で言う慧に、いずみは反論しようと口を開きかける。
しかし本当に嬉しそうな慧の顔を見ているうちに、いずみの顔にも自然に笑みが浮かんできた。
心底望まれていると知って、嫌な気持ちになどなれない。
（・・・・・とにかく、楽しもう）
自分達がどんな風に変わるのかは分からないが、自分から受け入れていこうと思えば気分も変わる。
いずみは徐々にワクワクしてきた気分を自覚しながらも、まずは慧にきちんと仕事をさせようとふらついていた足を踏ん
張り、慧の身体を押しのけてきっぱりと言った。
「専務、仕事して下さい」
立派な自分の後継者に、尾嶋は満足げに頷いた。
ｅｎｄ
