いずみにとっては、日常の中の、少しだけ変わった出来事だったかも知れないが、助けてもらった当人にとっては大き
な出来事だ。
それが命に関わることであればなおさらで、慧の祖父俊栄はどうしてもいずみに感謝の形を表したかったらしい。
 「いずみのことは直ぐに分かったらしいんだが、礼を言って、それで終わりになるのが惜しくなったらしいんだ」
 部下からの報告で、俊栄は直ぐにいずみの家を訪ねた。そしてその途中でまた、いずみが老人の手を引いて横断
歩道を渡っている姿を見つけたのだ。
 「今時珍しい子だって、その瞬間いずみに惚れたらしい。後40歳若かったら、お前に譲らなかったって言われた」
 「で、でも、それって、珍しいことじゃないですよ?俺はただ、一日一善のつもりだっただけで・・・・・」
 「珍しいことじゃなくても、自分を助けてくれた相手の手は忘れないものだ」
 「で、でも・・・・・」
 いずみの存在を知ってから、月に一度か二度、俊栄はいずみに会いに行っていた。会うといっても、こっそり様子を見
るだけの、一歩間違えばストーカーともいえる行動だが、可愛げのない孫の代わりのようにいずみを見守っているのが
楽しかったのだ。
 普通の家庭の、ごく普通な少年であったいずみだが、人一倍お人好しな性格だった。道案内や、荷物を持つ、乗り
物で席を譲る、倒れた自転車をおこすなど、一つ一つはほんの些細なことなのだが、いずみはそれが普通のことのよう
に身体を動かしている。
無償というものの尊さを知っている俊栄にとって、いずみは貴重な眩しい存在になっていった。
 「二度目は一年半程前、丁度就職活動をしていた頃だと思う」
 何時ものようにいずみに会いに行った俊栄は、初々しいスーツ姿のいずみを見て話してみたいと思ってしまった。
車を降り、先を歩くいずみに追いつこうと赤信号になったのにも構わず交差点に入り・・・・・。
 「あ!轢かれそうになったおじいさんっ?」
 「面目ない。まったく、夢中になったら回りに目がいかない人でね」
 あの日面接に急いでいたいずみは、急に鳴り響いたクラクションの音に思わず振り返った。
そこには止まっている軽トラと、尻もちを付いている老人がいた。
とっさに駆けつけたいずみは、言い合いを始めていた運転手と老人の間に割って入り、興奮気味の老人の身体を支
えるようにして道の端によけた。
 「すごく元気のいい人で・・・・・でも、あのおじいさんが、前に病院について行った人と同じ人なんて・・・・・思えない」
 「まあ、格好も違ってただろうし」
 「高そうなスーツ着て、おじいさんだけど若々しい感じで、あの人が・・・・・。でも、ほんとにそれくらいで俺を許婚にって
決めたんですか?冗談じゃ・・・・・」
 「まあ、私もそれぐらいでと思ったのは確かだ。じいさんも、いずみを気に入っているのは確かだろうが、結婚うんぬんは
冗談だったかもしれない。私の女遊びに灸をすえるつもりだったかもしれないが・・・・・まあ、じいさんも文句は言わない
だろう、許婚に惚れたことは」
 「で、でも・・・・・」
 「遊びの女達は全部切った。今は誓って、いずみだけだ」
 「・・・・・俺、男ですよ?」
 「知ってる」
 「あ、跡継ぎとか、絶対に無理だしっ」
 「私の兄弟の子供達がいる。素質がいい一族の子供でも構わんし」
 「か、家族の人が反対します!」
 「元々じいさんはOK、両親は女遊びが過ぎるのを心配して1人に絞るならいいと言ってくれてるし、兄弟も自由にす
ればいいと言ってる。みんないずみの事は知ってて、喜んでくれてる」
 「あと、あと・・・・・」
 「他に何がある?」
 そう言われて、いずみは拒否する理由が思い当たらなくなってしまった。男でもいい、跡継ぎは考えなくていい、家族
の問題もクリアとなれば、後はいずみの気持ちの問題だけだ。
 「いずみ、今直ぐじゃなくていいから、真剣に考えてくれ、私とのことを」
 「せ、専務」
 「慧でいい。そう呼んでみてくれないか?」
 「さ・・・・・慧・・・・・さん?」
 「・・・・いいな」
 慧は盛り上がった気持ちのままいずみを抱きしめる。
そして、その耳元で誘うように囁いた。
 「いずみ、抱かせて」
 「え、えっ?」
 たった今、直ぐではなく考えてくれと言った口で、もういずみに決断を迫ってくる。
(み、耳元で止めてよ〜)
甘えるように、誘惑するように、慧は武器の一つである声を使って、ウブないずみを絡め取る。
 「ねえ、いずみ」
 「う〜」
そのままソファに押し倒され、いずみは下から慧を見上げる形になった。
 「お、男同士・・・・・」
 「大丈夫」
自信たっぷりに言うと、慧はゆっくりといずみのネクタイを解き、シャツのボタンを外し始める。
(ど、どうしよ〜)
 ギュッと目を閉じたいずみは慧の指の感触だけを敏感に感じ、その指先が剥き出しになった乳首に触れた瞬間、
 「あっ」
自分でも驚くほど濡れた声が零れて、いずみは恥ずかしくて泣きそうになってしまうが、慧は嬉しそうに笑ってなおも愛
撫を続ける。
 「いずみ・・・・・」
囁きながら慧が唇を合わせようとした瞬間、


    ジリジリジリジリジリーーー


無機質な携帯電話の音が鳴り響いた。