TRAP





プロローグ







 朝一の講義があったので慌てて大学にやってきたものの、構内に入る前にあった掲示板をチラッと覗いて、その講義自体が休
講になったことを知った。担当教授が風邪をひいたらしい。
 「・・・・・なんだよ~」
(昨日から分かってたら、ジローとトメの散歩、もう少しゆっくり出来たのに~)
 清く、正しく、強い公務員になるために一つの講義も落とせない今、そんなことも言っていられないというのは十分分かっている。
それでも、苑江太朗(そのえ たろう)は、恨めしい思いでじっと張り紙を見つめてしまった。




 去年の春から無事大学に通うようになった太朗は、自分でもごく普通の男子大学生だと思っている。
ただ、少しだけ変わっていることといえば、今付き合っている相手が自分と同じ男・・・・・それも、20も離れている相手だということ
だ。
 偶然出会って、なぜか構われて。
年も、性格も全然違うのに、どんどん惹かれていった。
 その相手が普通の職業ではなく、世間一般では嫌われるヤクザの、それも一番偉い会長という立場だと知った時は本当に驚
いたが、その時にはもう、嫌いになる時間は無くなってしまった。

 両親にもちゃんと挨拶をしてくれ、父は諦めたのか、それともいずれ別れると思っているのか、今は静観してくれている。
その気持ちが嬉しかったし、父には悪いとは思うが、絶対に恋人とは別れるつもりは無い。
 大人のくせに悪戯好きで、飄々としていて、凄くエッチで。
それでも、何時でも太朗のことを考えて行動してくれて、とても頼りになる。
 上杉滋郎(うえすぎ じろう)。少々古めかしい名前には似合わない、とてもカッコイイ大人の彼に、少しでも追いついて、ちゃん
と隣に並び立ちたい。
そのためにも、太朗は今自分が出来ること、大学の勉強を精一杯頑張らなければと思っていた。




 ぽっかりと時間が空いてしまったが、昼前には他の講義が一つある。
家に帰るのも時間が掛かるし、このまま大学に残っていた方がいいかもしれないと、太朗は図書室に向かうことにした。空いた時
間に別の教科のレポートを進めようと思ったのだ。
(夕方、ジローさんに会えるかな)
 少しずつ時間がずれ、上杉に会える時間が出来た。そう思えば、この休講も良かったと思えるなと考えながら構内に入ろうとし
た太朗は、
 「あのっ」
 「え?」
いきなり背後から声を掛けられた。
振り向くと、そこには1人の女の子が立っている。綺麗な栗色に染めた髪をクルクルに巻き、ワンピースを着ていた。
同じ講義を取っている友人の女の子達はかなり短いスカートをはいたり、バッチリと化粧もしているのに対し、なんだかすごく大人
しく見える。
 しかし、その顔には覚えがなかった。
 「えっと、俺?」
 「苑江太朗君でしょう?」
 「そうだけど・・・・・君は?」
知らない相手が自分のフルネームを知っている。何だか背中がザワザワとする感覚がしながら、太朗はじっと相手を見た。
 「私、染谷由梨(そめや ゆり)といいます」
 「・・・・・染谷さん?」
(やっぱり、聞いたことないけど)
 名前を聞いてもまるでピンと来ない。
 「俺に何か用?」
 「私、この間のゼミのコンパに、友達に誘われて参加したんです」
 「ゼミのって・・・・・二週間前の?」
 「ええ」
大学に入学して間もなく、コンパなど酒の出る席には出来るだけ出るなと上杉に言われていた。特に酒が好きなわけではないが
どうしてだと訊ねると、

 「俺が妬くからだ」

と、案外真面目な顔をして言われた記憶がある。
新しい友人達とワイワイ騒ぐのは楽しいが、女の子と知り合いたいわけでもないので、太朗は夜のコンパの誘いはほとんど断って
いたが、あの日は人数合わせで無理矢理参加をさせられ、酒を飲めない太朗は何とか一次会で抜けた。
すると、その直ぐ後になぜか上杉にその飲み会のことが知られて、浮気をしたなと散々啼かされたことまで思い出してしまった。
(う、うわっ、なんでこんなことまで~っ)
 確かにあの席には女の子も多くいたが、どうやら太朗は始めから恋愛対象には見られないようで、反対に弟に対するように皆か
ら世話をされた。情けないが、変な雰囲気ではなかったなという思いがあったが、あの中に今目の前にいる染谷がいたと言われて
もまったく見覚えはない。
 いくら上杉と付き合っているとはいえ、太朗はゲイではなかった。小さくて可愛い女の子はいいなと自然に思えるし、守ってやりた
いとも思うのに、参加した女の子に覚えが無いというのも少々問題ではないか。
 「ごめん、全然覚えてないんだけど」
 どういう言い方をしようかと考えたものの、結局ストレートに言って謝った。
そんな太朗に、染谷はいいえと小さく笑う。
 「覚えていて貰えるとは思わなかったし、でも、どうしても言っておきたくて」
 「言ってって・・・・・」
 「私、あなたのことが好きなんです」
 「・・・・・へ?」
思い掛けない女の子からの愛の告白に、太朗は情けない声を出すことしか出来なかった。




 デスクの上に置いてあった携帯が鳴った。
軽快なポップスの音は上杉の趣味ではなかったが、

 「あ、俺、この歌好きなんだ!」

そう言って笑った年下の恋人の笑顔が眩しくて、柄にもなく着信をその歌にした。これを聞くたびに恋人が側にいるような気持ちに
なれるからだ。
 「どうした?」
 自然と、電話に出る声も甘くなる。
きっと、変な声を出すなと怒られるだろうと楽しみに思っていたのだが、返ってきた返事は少し元気が無いものだった。
 【・・・・・ジローさん、今日、行ってもいい?】
 「何かあったのか?」
 上杉は眉を顰める。
 【ん~・・・・・後、一時間くらいしたら着くと思うから、後で】
 「おい、タロ」
引き止めても、電話は呆気なく切れてしまった。
 「・・・・・」
(何があった?)
 太朗には護衛を付けている。特殊な生業の自分と付き合っているので、その身の安全を図るためにも本人には告げずに上杉は
その身辺を警戒していた。その護衛からも、別段変わった連絡は無かったのだが。




 最大指定暴力団、大東組系羽生会の会長である上杉滋郎(うえすぎ じろう)が太朗と初めて会ったのは、太朗がまだ高校1
年生になったばかりの頃だった。
 コロコロ表情の変わる、見るからに元気な子供。側で見ているのが楽しくて、彼の真っ直ぐな視線を向けられたくて、上杉は自
分でもしつこいと思うほどに彼に構い、強引に自分のものにした。
 それまでも、遊んでこなかったとは言わない。いい女も抱いてきたし、一応バツ一だ。
その上、ヤクザで、同性というハンデだらけの自分の求愛を受け入れてくれた太朗を、上杉は一生離さないつもりで彼の両親にも
会ったし、自身の父にも太朗を会わせた。
きっと、太朗となら死ぬまで笑って共にいられると思う。そんな風に思うほど、上杉は太朗に溺れていた。




 今の電話の太朗は明らかにおかしかった。
上杉は少し考えた後、太朗に付けている護衛に連絡を取ってみようと携帯をもう一度開く。
すると、そこにタイミングよくノックする音が聞こえ、入室の許可を与える前にドアが開いた。
 「・・・・・何の用だ、小田切」
 「おや、ご機嫌が悪いようですね」
 「・・・・・」
明らかなことをわざわざ口に出して言うのが性格が悪い証拠だ。この男は本当に人をおちょくるのが好きだなと思いながら、上杉
は携帯をデスクの上に放り投げた。
 「そんな怖い顔で睨まないでください。私のか弱い心臓に悪いでしょう」
 笑いながらそう言う男は、とてもか弱いという言葉が似合うようには見えない。いや、外見だけは中性的な美貌を誇る羽生会の
会計監査、小田切裕(おだぎり ゆたか)は、一応手に書類を持っていた。
 「それ置いて行け」
 「まあ、これもそうなんですけど」
 持ってきたらしい仕事はちゃっかりと上杉の目の前に置いたが、小田切は部屋を出て行こうとはしなかった。何があったのか、当
然話してもらえるだろうと思っていることがまる分かりだ。
(こいつに話したらろくなことが無い)
 そうでなくても自分から問題を引き起こすような男だ、今の太朗の様子を話して聞かせればたちまち目を輝かせるに違いない。
そう思った上杉はそのまま口を引き結んだ。
 「・・・・・」
 「いったい何があったのか教えてくれないんですか?」
 「お前に言ったって仕方が無いだろ」
 「本当にそう思っています?」
 そう言った小田切の視線が、デスクの上の携帯に向けられる。
 「・・・・・太朗君、ですか?」
 「・・・・・」
(勘が良過ぎるだろ)
せめて、一応仕事のことですかと聞いて欲しいが、自分がこんなにも感情を露わにしてしまうのは太朗のことだと小田切にはバレ
ている。
隠してもしかたがなく、上杉はああと言葉短く答えた。
 「だが、あいつも何があったとまでは言わなかった。一応今から来るらしいし、絶対に吐かせるつもりだが」
 「・・・・・そんなことで、太朗君が素直に話すでしょうか?」
 「・・・・・」
肩を竦める上杉に、小田切は微笑みかけた。




(どうすればいいんだろ・・・・・)
 思い掛けない告白を受けてしまった太朗は、せっかく好きだと言ってくれた相手の前から逃げ出すようにその場を去ってしまった。
それから出た講義は何だか上の空で・・・・・いくら応えることが出来なかったとしても他にやりようがあっただろうと、バスに乗ってくる
間もじっと考えていた。
 「・・・・・」
 顔を上げると、目の前には羽生会の事務所ビルが見えてきた。
(おかしかったって思ってるよな・・・・・多分)
我ながら変な電話の切り方をしてしまったなと思ったが、あの時はただ誰かの、いや、上杉の声を聞いて安心したかった。
 「・・・・・好きとか、ホント、びっくり・・・・・」
 目と目を合わせ、あんなにはっきりと告白をされたのは初めてだ。嫌われるよりは遥かに好かれる方が嬉しいものの、その思いに
は絶対に応えることなど出来ない。
 「・・・・・」
目の前のビルで、きっと自分が現れるのを待ってくれているだろう上杉のことを考えると、太朗は相談したくて来たものの、あの告白
のことを言うのは不味いのではないかと唐突に思ってしまった。
 それでも、ここまで来たからには引き返すことなどとても出来ない。太朗は深い溜め息をつくと、重い足取りで再びビルへと歩き出
した。






                                 






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