TRAP













 「どうした、可愛い顔して」
 羽生会事務所に着き、そのまま上杉の部屋へと案内された太朗は、ドアを開けるなり笑いながらそういった上杉の姿になぜだか
ホッと安心した。
頭の中で色んなことを考えたが、結局自分の気持ちがどちらに向いているのか、ここに立つと再確認させられる。
 「・・・・・変なこと言うなよ、ジーローさん」
 それでも、一応一言は言い返すと、上杉は目を細めてさらに深く笑い、そのまま椅子から立ち上がって入口に立ったままの太朗
を抱きしめてきた。
 コロンと煙草が入り混じった慣れた香り。そのまま自分からも逞しい背中に抱きつくと、耳元でクッと笑みが聞こえた。
その震えが、自分にも伝わってきて、なんだか笑えてしまう。
(くっ付いてると安心なんて・・・・・俺もまだ子供だよな)
 「どうした?いつもならセクハラだって殴る所だろ?まあ、俺は甘えてもらって嬉しいがな」
 今、自分がどんな気持ちでいるのかきっと上杉は分かっているだろうに、わざとそんな言い方をするのが意地悪な彼らしい。
ただ、それが単なる意地悪でないということも、今まで一緒にいた時間で分かっているつもりだ。
どんなことでも、それがたとえ悪いことであってもちゃんと自分の口で言えと言われている。太朗は気持ちを落ち着けるように大きく
息をついた。
 何のためにここまできたのか、それをちゃんと考えなければ。
 「・・・・・馬鹿じゃないの」
 「そうか?」
 「・・・・・違う、馬鹿じゃないよ」
 「なんだ、えらく優しいじゃないか」
さっきの自分の電話は明らかにおかしくて、上杉も何かしらの違和感を感じていたはずだ。それなのに何も言わず、反対に太朗の
心を和ませるようにからかってくるのは大人の優しさだろう。
(・・・・・甘えちゃってるのかも)
 随分大人になったつもりでいても、上杉の前ではやはり自分はまだまだ子供だ。いや、子供のままでいさせてもらっているんだな
と思いながら、太朗はさらにギュッと上杉に抱きついた。

 我に返ると、随分恥ずかしいことをしたような気がする。
あの後、ドアがノックされる音に慌てて上杉を突き放した太朗は、にこやかな笑みを浮かべながら紅茶とケーキを持ってきてくれた
小田切に頭を下げた。
 「こ、こんにちはっ、小田切さん」
 「いらっしゃい、太朗君」
 「タロ、邪魔だから出て行けって言っていいぞ」
 上杉はそう言いながら太朗の腕を掴むと、さっさとソファに座り込む。その勢いに釣られて腰を下ろすことになってしまった太郎は、
勝手なことを言う上杉を睨んだ。
 「ジローさん!」
 「お前が何も言わないと、こいつは何時まで経っても出て行かないぞ」
 茶の用意をしても部屋から出て行かない小田切を横目に上杉はそう言い放つが、カップが3つだということは元々小田切もここ
にいるつもりなのだろうと思った。
今から話すことは少し恥ずかしいことだが、冷静に考えると上杉よりも的確なアドバイスをくれそうな気もする。
 「太朗君、私は邪魔ですか?」
 「い、いいえっ、いてください!」
 少し目を伏せながら言われてしまうと、何だか自分が凄く悪者になってしまった気がした。
焦った太朗が前のソファを指し示すと、小田切は直ぐににっこり笑って優雅に腰を下ろした。
 「ほら、そう言ってくださいますので」




 「告白ですか」
 「は、はい」
 小田切はチラッと上杉の顔を見る。表面上は平静を保っているが、きっと内心ではかなりヤキモキしているかもしれない。
(まあ、多少はそういう目にあった方がいいだろうけど)
昔からその顔と身体、そして性格も合わせてモテていた上杉は告白されるということに特に感慨はないはずだ。
断っても向こうから寄ってきて、その中で極上の女だけを摘み食いしてきた・・・・・同じ男としたら随分羨ましい性遍歴ともいえる。
 もちろん、太朗と付き合いだしてからはそんな女達に見向きもしない上杉は、一方で太朗に対しても安心していただろうと思っ
た。
見掛けによらず、性格は男らしく豪胆な太朗だが、女はやはり見た目を重視する。男らしいというよりは可愛らしい容姿をしてい
た太朗は、女の恋愛対象外だと端から問題にしていなかっただろうが、知り合って3年、身長はまだ低い方だが太朗の容姿も随
分大人に近付いてきた。
この外見ならば、性格も込みでモテても当たり前だ。
 「ああ、でも前に確か告白されたことがありませんでした?」
 まだ高校生だった太朗が告白されたと自分に相談しに来たのは何時だったか。
試しに付き合ってみたらどうかと言った小田切に、太朗はきっぱりと答えた。

 「・・・・・俺、出来ません」
 「告白してもらったことは、本当に嬉しいけど・・・・・俺が好きなのはジローさんだし、そんな気持ちで付き合うのも彼女に悪いし」

懐かしいと思うほどに昔だったかなと確認しながら聞いてみると、太朗は焦ったように顔の前で両手を振った。
 「あ、あの時は、相手は直ぐに逃げちゃったし、その後捜しても見付からなくって・・・・・」
 「そうだったんですか」
 「・・・・・ジローさんに、こんなこと言うのも変だって思うけど・・・・・」
 「いいんじゃねえか」
 「え?」
 「会長」
 恋人である上杉に対して申し訳ないと思う太朗の気持ちを軽く考えるのはどうかと小田切は視線を向けたが、上杉は先ほどま
での不機嫌さを綺麗に隠して太朗に笑みを向けていた。
 「お前がそれだけいい男になったってことだろ」
 「え?」
 「俺も、恋人がモテないよりは、女の1人や2人に告白されるぐらいの魅力がある方がいいな」
 「・・・・・」
(また・・・・・。そんな強がりを言っていると、言葉が現実になることもあるのに)
 上杉が太朗に対して余裕を見せたいのが分かる小田切が、綻びそうになる口元をごまかすためにカップを口に運ぶ。
こんなことを言っても、実際それが目の前で行われたら、この男は大人気なく太郎が自分の恋人であるということを相手に対して
見せ付けるだろう。
 太朗にとって良かったのは、その告白が上杉の目の届かない大学内だったということだ。
 「・・・・・怒んないの?」
そんな上杉の気持ちをまだまだ推し量れない子供の太朗は、上目遣いに上杉を見ている。そんな顔をしたら食われますよと注意
をする前に、上杉はクシャッと太朗の髪をかき撫でた。
 「どうして?別にお前が告白されたくらいで俺達が別れることも無いだろ?」
 「う、うん」
 「それに、俺はお前を誰にもやるつもりはないし。その女には気の毒だが、諦めろと言うだけだな」
 「・・・・・っ」
 「・・・・・」
(なんだか・・・・・)
 事務所に来た時の太朗の真剣な表情を見たらもっと大事が起きたかと思っていたが、結局は何時ものノロケの時間になってし
まうようだ。
小田切は肩透かしに合ったような気がして、ゆっくりとカップを下ろす。このままここにいれば、バカップルの濃厚なラブシーンを見せ
付けられてしまうかもしれない。




 「・・・・・はぁ〜、良かった」
 太朗の頭が肩口にゆっくりと押し付けられる。
小田切がいる前ではなかなか甘える太朗ではないが、どうやら本当にこの話をすること自体、太朗にとっては負担になっていたよう
だ。
 「ジローさんに秘密を作りたくなかったけど、どういえばいいのかずっと迷っていて・・・・・。告白されたって言ったら、なんだか自慢し
てるみたいだろ?」
 「そうか?」
 自慢してもおかしくないが、もしも太朗が嬉しげに報告して来ていたら自分の今の感情も変わっていたかと思うと、この反応でよ
かったのかもしれないと思い直した。
太朗の魅力は自分が一番知っていたらいいのだ。
(その女も、さっさと他の男を見付けたらいいんだが)
 「タロ」
 「あの子の告白の仕方が少し変わっていたから、余計気になったのかなあ」
 全てを話して気分が楽になったのか、太朗はん〜っとソファに深く座り直し、小田切が入れてきた紅茶を口にしようとする。
しかし、どんな相手に告白をされたのかと少し気になって訊ねようとした上杉は、ふと零れた太朗のその言葉を聞きとがめた。
 「変わった告白ってなんだ?」
 「変わったっていうか・・・・・好きだって言ってくれた後で、あなたの秘密も込みでって」
その場面を思い返しながら太朗が言った言葉に、上杉はしんなりと眉を顰めた。
 「・・・・・秘密?」
 愛の告白にしては少し物騒な言葉のように聞こえる。
好きな相手のことを何でも知りたいと思うのは分かるし、そんな中で意図しないことも色々分かる可能性もあるが、この馬鹿正直
な太朗には秘密というようなものがあるはずは無い。
(・・・・・いや、俺か?)
 もしかしたら、その女は太朗と上杉の関係のことを言っているのかもしれないと直感的に思った。
今ではゲイという言葉もそれ程奇異なものではなくなったが、一般的に考えたらまだまだ少数だ。一見、いかにも好青年な太朗が
同性愛者だと世間にバレてしまったら・・・・・それこそ、公務員を目指す太朗のマイナスになるかもしれない。
 どうやら、自分に秘密などないと思っている太朗は、まったくその言葉を気にしてはいないようだが・・・・・。
 「・・・・・他には?」
 「俺、焦って、直ぐに講義があるからって逃げ出しちゃって・・・・・ジローさん?」
 「ん?」
 「やっぱり、怒ってるんだ」
 「はあ?」
 「あなたの顔が怖いんですよ」
太朗が答える前にそう言った小田切が、ねえと太朗に相槌をうった。

 そこからは、なぜか小田切が太朗の相手を始めた。
柔らかな口調で最近の大学生活の話を難なく聞きだした小田切は、まるでついでというように太朗に告白した女の名前や外見を
聞き、さらには、
 「こんな人は放っておいて、太朗君、実は最近組員の1人が犬を飼い始めましてね。躾け方が分からないって言っているんです
がアドバイスをお願いできますか?」
 そう言って、1人の組員を内線で呼び出した。
 「どうせ、夕食は一緒にとるんでしょう?」
分かりきった確認に、上杉はああと頷く。
 「では、その間太朗君を貸してもらってもいいですね?」
 「おい」
 「太朗君、お願いします」
 「はい。あの、犬ってどんな種類なんですか?」
 素直な太朗が組員と楽しそうに犬の話をしながら部屋を出て行くのを苦々しく見送った上杉は、勝手に話を進めた小田切をじ
ろりと睨む。
 だが、そんな上杉の視線などいっさい気にしない小田切は、借りますよと言って勝手にデスクに座り、勝手にパソコンを弄り始め
た。
 「おい」
 「あなただって、少しおかしいと思ったんでしょう?」
 「・・・・・」
 「もしかしたら、その子は太朗君を通じて、あなたにその言葉を伝えたかったのかもしれません。まあ、多少意味合いは違います
が、太朗君が私たちに伝えてくれたのは事実ですしね」
そう言った小田切は顔を上げた。
 「馬鹿な大人の考え過ぎかもしれませんが、砂粒ほどの不安は早いうちに吹き飛ばしていた方が安心でしょう?」
 「・・・・・だな」
 しばらく、カタカタとキーボードを打つ音だけが部屋に響く。そして、それからどの位経っただろうか、
 「・・・・・やはり」
呟く小田切の声に、ソファで腕組みをしたまま目を閉じていた上杉が顔を向けた。
 「何が分かった?」
 「太朗君の大学のデーターベースに入って調べました。染谷由梨という学生は在籍していません」
 「・・・・・ふん、幽霊か」
 「性質がいいのか、悪いのか。少々本格的に調べましょうか」
それがどういう意味を持つのか、上杉は再びパソコンに向き直った小田切をじっと見つめた。