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大東組系羽生会会長、上杉滋郎(うえすぎじろう)は、目の前でまじまじと自分を見つめる2人の少年の顔を笑いを抑えて見
つめた。
少年というよりはもう、青年といった方が良いのだろう。どちらももう大学生になったものの、最初のイメージが強烈すぎなので
どうしても子供という意識が抜けないが、そう言えば確実に2人共怒り出すのは目に見えている。
「・・・・・で?」
「だから〜っ、ジローさんにはみんなへの連絡役を頼みたくって!」
「何度も言わすなよ。それとも歳のせいで耳が遠くなってんの?」
片方はどんな我が儘も文句も可愛いとしか思えない愛しい恋人だが、もう片方はどんなに美しくてもその言動は到底許せな
い相手だ。
「あいにく、俺はまだまだ若くてな。なんなら、その身体で試してみるか?」
「・・・・・っ」
「ジローさん!」
どうやら生意気な青年の顔をゆがめるほどの衝撃を与えることが出来たが、大切な恋人まで怒らせる羽目になったのは少々
まずかったかもしれない。
(とりあえず・・・・・)
「分かった、分かった。お前達の言う通りに動こう」
「・・・・・当たり前。せいぜい役に立ってよ」
「・・・・・伊崎(いさき)はよくお前の相手をしてるな。感心するよ」
この青年の保護者であり、恋人でもある日向組の若頭である伊崎は有能な男だと思っていたが、こんな小僧に手玉に取られ
ているなどとは呆れてしまう。
有能な男だとは思っていたが、恋人の趣味はあまり良くないようだ。
「恭祐(きょうすけ)はあんたと違っていい男だからな」
負けん気が強いのだけは褒めてやってもいいかもしれない。
「・・・・・」
(顔と性格は反比例するもんだ)
そして、新しい年が明けた。
大学4年生の西原真琴(にしはら まこと)は恋人である開成会会長、海藤貴士(かいどう たかし)とその幹部である綾辻勇
蔵(あやつじ ゆうぞう)、倉橋克己(くらはし かつみ)と共に、日向組本家へやってきた。
建物は古いが、都内でかなり広い屋敷を有している日向組の次男、現組長の雅行(まさゆき)の弟である楓(かえで)に、今
日は新年会の招待を受けたのだ。
「こんにちは!」
「マコさん!」
直ぐに玄関先まで走って出迎えてくれた楓に、真琴は満面の笑顔を向けた。
「明けましておめでとうございます。今日は招待してくれてありがとう」
「ううん、来てくれて嬉しいですっ」
綺麗な笑顔を向けてくれる楓は、初めて会った時よりも随分大人になったが、その眩しいほどの容貌はますます増しているよ
うな気がする。
それでも、相変わらず自分には甘えてくれているのが嬉しくて、真琴はにこっと笑みを向けた。
「海藤理事」
そんな時、楓の向こうから大柄な男が姿を現す。
楓には全く似ていない厳つい容貌をしたその男は玄関先に正座をすると、そのまま海藤に向かって丁寧に頭を下げた。
「新年明けましておめでとうございます」
「おめでとう。元旦から邪魔をしてすまない」
男・・・・・日向組の組長である雅行よりも階級が上の海藤は、雅行の丁寧な挨拶にそう答える。
「いいえ、わざわざ御足労頂いて、こちらの方こそ申し訳ありません」
今回はあくまでもプライベートなのだが、真面目な雅行は硬い挨拶を省くことが出来ないのだろう。
それが分かっているらしい海藤はもう一度雅行を労うと、真琴の背中を押すようにして靴を脱いだ。
「ま〜た、お世話になっちゃいますね〜、日向組長」
「・・・・・ああ、よろしく頼む」
海藤とのやり取りを笑みを含んだ顔で見ていた綾辻が声をかけると、雅行は少しだけ口元を引き攣らせてそう返してくる。
雅行のような生真面目な男は綾辻のようなタイプが苦手らしいが、綾辻はこんなタイプが大好きだった。
(だって、イジリ甲斐があるんだもの)
きっと、後から来るであろうある人物もそう思っていると思う。
「日向組長、今日はお世話になります。酒と鮨を持って来させましたので、組員の方々に海藤会長からの年賀の印としてふ
るまらせて下さい」
後ろから倉橋が硬い口調でそう告げる。
すると、雅行はありがとうと、自分には見せなかった笑みを倉橋に向けた。どうやら生真面目な倉橋は気に入っているらしい。
「ほら、克己、行くわよ」
それが深い意味など無いと分かっていても、綾辻は見せ付けるように倉橋の腕を掴んだ。
それから5分もしない間に、再び日向家の門前に外車が止まった。
下りてきたのはどこかエキゾチックな容貌の男と、大人しい雰囲気の青年だ。
「・・・・・また、ここか」
男・・・・・イタリアマフィア、カッサーノ家の首領、アレッシオ・ケイ・カッサーノは眉根を寄せている。
せっかくの新年は最愛の恋人、高塚友春(たかつか ともはる)と2人きりで過ごしたいのに、友春が新年の祝いに呼ばれたか
らと半ば引っ張られるようにここまで来た。
友春が友人達と楽しそうにしている様子を見るのは楽しいが、きっとここには煩い者達も来ているに違いない。
「ケイも、みんなと会うの久しぶりですよね?」
「・・・・・そうだな」
特に友人でもないので感慨は無いつもりだが、確かに血族や仕事関係者以外の中では、こんなにコンスタントに会う者達はそ
れほど多くないかもしれない。
「それほど長くはいないぞ」
「はい」
本当に分かって返事をしているのかどうか、友春は既にもうわくわくとした表情で門の中を見ている。
さすがに今から引き返そうということは出来ず、アレッシオは小さく息をついて友春の腰を抱いた。
弐織組(にしきぐみ)系東京紅陣会(とうきょうこうじんかい)若頭、秋月甲斐(あきづき かい)は車の中から屋敷を見た。
(また来るとはな)
敵対している・・・・・と、いうわけではないものの、どちらかといえば弐織組の目の上のたんこぶである大東組系の人間と親しく
するのは慎んだ方がいいはずだ。
あくまでもプライベートでの親交だとは言っても、若い者はともかく、頭の堅い古株の連中は妙な詮索をしてくる。
(俺が大東組に鞍替えするとか、変な噂を信じられてもな)
「下りないんですか?」
そんなしがらみを感じる秋月とは違い、あくまでも友人の家に遊びに来たという感覚の恋人、沢木日和(さわき ひより)は、
不思議そうにじっとこちらを見てきた。
「・・・・・本当に俺も呼ばれたのか?」
「だって、太朗がそう言ったし」
「・・・・・」
「秋月さんだって、お酒を飲める人と大勢で飲んだ方が楽しいでしょう?」
「・・・・・」
(俺はお前と2人の方がずっと楽しいんだが)
それでも、もう自分達の姿は出迎えの組員に見られている。ここで引き返す方が後々の遺恨になるかもしれないと、秋月は諦
めてドアを開けろと言った。
「着いた!」
ドアを開けてもらう前に自分から外に飛び出した苑江太朗(そのえ たろう)は、ゆっくりと姿を現す上杉に早く早くと手招きをし
た。
今回は自分と楓が主催のようなもので、去年の春にそれぞれ理事になった海藤と大東組総本部長になった江坂凌二(えさか
りょうじ)の、遅ればせながらの昇進祝いも兼ねた新年会をすることにしたのだ。
忙しい彼らのスケジュールを合わせるには正月のような大きな休みしかなく、楓は兄の雅行に会場の提供を頼んで、太朗は恋
人の上杉に連絡係・・・・海藤や江坂、それにアレッシオや秋月に連絡を取ってくれと頼んだ。
前者の2人はともかく、後者の2人に関しては来てもらえるのかどうか心配だったが、それぞれの恋人で自分の友人でもある
友春や日和も後押しをしてくれて、何とか今日皆が集まる手筈が出来た。
「アッキー、早く!」
「う、うん」
もちろん、年上の友人である日野暁生(ひの あきお)も呼んだ。
「タロ、そんなに慌てなくてもいいだろ」
「だって、もう6分で約束の時間なんだよっ?俺達が最後になったら嫌だしっ」
こちらが海藤と江坂を祝ってやる立場なのだ、後から登場するのはカッコ悪い。上杉もそのことは分かってくれるはずなのに、
「別に気にすることないのにな」
などと、呑気に言い放っていた。
「気にしてよ!ねえっ、ナラさん」
「まあ、時間に遅れることはしない方がいいですね」
「ほらっ」
上杉よりも年上の、頼りになる羽生会の幹部、楢崎久司(ならざき ひさし)の同意に、太朗はほらみろと胸を張る。
上杉はチラッと楢崎を見、その後太朗を見てからハイハイと苦笑しながら後部座席から出てきた。
まるで自分が主役のようにゆったり、堂々とした様子だが、それが嫌味にならないのだから少々悔しい。
(俺がここまでなるのにはもう少し掛かっちゃうよな)
あいも変わらない主人の様子に呆れた眼差しを向けるものの、さすがに正月元旦から小言を言うつもりはなかった。
楢崎は太朗から少し離れた所に立っている暁生の髪をくしゃっと撫でる。
途端に嬉しそうな笑みを向けてくる暁生に、楢崎も目を細めた。
親子ほど年は離れているものの、一応恋人同士という関係なので、初詣を2人でゆっくりとしようなどと思ったが、自分は上杉
から、そして暁生は太朗からそれぞれ今日の集まりに誘われ、結局こうして邪魔をすることになった。
いくらプライベートだと言っても、大東組の総本部長に理事、それに各会派の長も集まる場所に、自分などがいてもいいのかと
恐縮するが、上杉にはそんな考えは全く無いらしい。
(暁生が楽しんでくれたらいいか)
楢崎は幼い恋人のことを考えると途端に甘くなってしまう自身の思考に呆れながらも、そっとその背を押した。
「行こうか?」
「あ、はいっ」
太朗と上杉の言い合いを気にしていたらしい暁生も、楢崎の言葉に直ぐに頷く。
(後は小田切か)
なぜか少し遅れて行くと言った彼が何を考えているのか少し不安に思うものの、それを振り払うようにして楢崎は上杉達を促し
た。
そして、また日向組の前に高級外車が止まる。しかし、今までと違うのはその護衛の多さだ。
車を守るように前後数台走っていた車から素早く下りてきた地味なスーツを着た厳つい風貌の男達は、まるで自身の身体を盾
にするように1台の車を囲った。
知らせを受けたのか、時間を置くこと無く門の中から姿を現したこの家の長、雅行が頭を下げる中、ようやく中心にある車の後
部座席が開いた。
「お疲れ様です」
「・・・・・新年早々、邪魔をするな」
「いいえ、うちの愚弟がなにやら勝手に手配をしまして・・・・・総本部長は新年からお忙しい身だと言い聞かせたのですが」
「いや。年初めから高齢のお歴々の顔を見るよりは、気を使わない宴席の方がいい」
高級ブランドのスーツの上にコートを羽織った江坂は眼鏡の奥の目元を僅かに弛ませる。
誠実な雅行の言葉は江坂にとっては好ましく、今回のことで彼を叱咤するつもりは毛頭なかった。
(問題は、あの煩い子供達だ)
本家で最低限の行事に出席しなければならないことは分かっていたが、早々にそれを済ませると最愛の恋人、小早川静(こ
ばやかわ しずか)と2人きりで過ごそうと思っていたのだ。
そこに入ってきた突然の予定は江坂の一言で却下できるものではあったが、なにぶん静が友人を大切にする性格なので渋々
共にここまで来てしまった。
多少不本意な思いはあるものの、参加する面子はそれほど江坂が面倒だと思う相手はいない。ただ・・・・・。
「凌二さん?」
車の中から名前を呼ばれた江坂は直ぐに視線を移すと笑みを向けた。
「どうぞ」
ごく自然にエスコートする自分を、育ちが良いせいか全く臆することなく自然体に受け入れる静。江坂に手を取られて車を下り
た静は目の前にいた雅行に頭を下げた。
「明けましておめでとうございます」
「・・・・・おめでとうございます」
「みんな来ていますか?」
「ええ、揃われています」
その返答に、思わずといったように頬を綻ばせる静は、本当に友人達と会うのが楽しみだったらしい。
年に数回の集まりも、静にこの笑顔を浮かばせるためには仕方が無いのかもしれないと思った江坂は、大きく開かれた門をくぐ
ろうと静の腰に手を添えた。
大東組にとって今一番大切な相手を迎え入れた雅行は、無意識のうちに大きな溜め息をついた。
広さだけは自慢できるものの、古いこの屋敷のセキュリティはかなり危うい。もちろん江坂をはじめ他の組の人間も警備の者を
寄越してくれているが、何かあったら全て雅行の責任になってしまうので何をするにも緊張してしまう。
「もう皆揃ったはずだ。後の警備を頼むぞ」
「はいっ」
「伊崎、一応確認してくれ」
今回の新年会では一応ゲストとして名前があがっている伊崎だが、日向組の若頭としてしなければならないことが山ほどある。
手始めに屋敷の警備の再確認をしようとした伊崎は、新たに現れた車に眉を顰めた。
(もう皆揃っているはずだ)
招待客は今頃本家の座敷に通されていると思いながら、伊崎は最大限の警戒をしながらじっと車を見る。
(・・・・・止まった)
車は日向家の門の前で止まった。
助手席から下りてきた男は明らかに自分達と同じ世界の男で、男が開けた後部座席から姿を現したのは・・・・・。
「お・・・・・だぎり、さん」
「わざわざ出迎えて下さったんですか、伊崎さん」
艶やかな笑みを浮かべながら出てきた羽生会会計監査、小田切裕(おだぎり ゆたか)は、少し目を見張った伊崎に目を細め
る。
それだけで彼の周りの空気がぐっと濃密になった気がしたが、その空気の種類がどんなものかまで考えたくなかった。
「皆さんお揃いですか?」
「は、い」
「ちょっと、プレゼントを用意していたもので遅くなったんですが間に合ってよかった。一緒に行きましょうか」
「小田切さん」
「ああ、荷物を運ぶので手を貸してもらえますか?」
その間も、まるで自分の家のようにふるまいながら、小田切はさっさと話を進める。
(いったい何を・・・・・)
車の中から持ち出された少し大きめの2つの箱の中身を考えると頭が痛いが、伊崎は出来るだけ自分の感情を揺らさないように
小田切を屋敷の中に案内した。
そして、新年会の宴が幕を開けた。
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