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小田切が伊崎に案内されて家の座敷にやってきた時、既に今日招待された者達は席についていた。
料亭での宴席ではないので、それぞれの前に膳が置かれているわけではなく、幾つも連なったテーブルの上に鮨やオードブル、フ
ルーツに酒が所狭しと置かれている。
場所を提供したのは日向組だし、これらの料理の手配もしただろうが、呼ばれたそれぞれの長達も様々なものを持ち寄ったのだ
ろう。
酒の種類でそれが良く分かり、小田切はにっこりと自分の上司である上杉に視線を向けた。
「遅れてすみませんでした」
「いったい、何を持って来たんだ?」
プレゼントを用意するとは伝えたが、それが何かまでは言っていない。江坂や海藤に何を贈るつもりなのだと上杉はにやりと口角
を上げた。
「それはまた、宴が盛り上がった時に」
「小田切さん、何のことですか?」
2人の会話を不思議そうに聞いていた太朗が声を掛けてくる。
「後のお楽しみに」
「え〜っ、気になりますよ!」
「ふふ」
きっと太朗は、いや、ここにいる年少組は喜んでくれるだろうが、それはもう少し酒が入った時の方が面白い。
小田切はまだ乾杯もしていない様子を見て、苦い表情をして自分を見ている江坂に向かって言った。
「そろそろ、乾杯をするのはどうでしょうか、江坂総本部長?」
一番最後に来たわりには、場を支配する小田切。
その態度に眉を顰めながらも江坂は酒の入った杯を手にした。それにならってそれぞれが同じように杯を持つ。
酒の強い静は別だが、他の年少者達はほとんどの者が酒に弱いことを知っている。それでも新年の祝い酒は一口でも口を付け
た方が縁起が良いだろう。
この場で一番上の立場である江坂が、ゆっくりと口を開いた。
「今年もここにいる者達が息災であるように、大東組が・・・・・」
そこで、江坂は言葉を止めた。
ここにいるのは大東組の関係者だけではなく、普通の学生達も多い。彼らはそれぞれヤクザの恋人を持っているが、もちろんその
世界には関係が無い。
その上、ここには他組織の者もいるのだ、特定の名前を出すのは止めた方が良いだろう。
「今日は上下関係無く、無礼講でいこう」
こう言っても、それをわきまえている者達ばかりのはずだ。
「おめでとう」
「「「おめでとうございます!」」」
様々な声が乾杯の声を上げ、手にした杯の中身を飲みほした。
「・・・・・は〜っ」
(やっぱり、美味しくない・・・・・)
太朗は眉を顰めてペロッと唇を舐めた。
まだ正式に酒を飲める歳ではないが、20歳を過ぎても自分は絶対に呑み助にはならないと思う。
(水みたいに飲んでるジローさんの方がおかしいんだよな)
そう思いながらチラッと隣を見ると、上杉は早速手酌で酒を注いでいた。
「ジローさん、飲み過ぎないでよ」
「はは、お前じゃないって」
「そう言ってる人が危ないんだよ!」
他にも大勢人がいるのに、上杉だけベロベロになったら太朗の方が恥ずかしい。もちろん、上杉が酒に強いことは知っていたが、
飲める相手がいると何時も以上に量が進むのではないかと心配だった。
「タロ、放っておけばいいだろ」
そんな太朗の隣に楓がやってきて座る。
「そうも言ってられないだろ。俺はジローさんのお目付け役だし」
止められる自信は無いが、小まめに注意だけはしておきたい。
そんな風に思いながら顔を上げた太朗は、視線の先で銚子を持って回る雅行の姿が目に入った。
「なんだか、悪かったな」
「え?」
「雅行さん、気を遣ってるだろ?」
「まあ、上役に当たる連中がいるんだし。でも、兄さんは結構楽しんでるから」
「そうなんだ?」
思い掛けない言葉を聞いた気がして、太朗は思わずそう言ってしまった。
確かに組織の中でも重要なポジションにいる人物や力のある者がいる宴席は、接待する側の雅行には気を遣うことの方が多い
だろう。
しかし、そんな彼らの力を吸収しようという気慨のある兄は、けして卑屈な思いは無く動いていると思う。
「雅行さん、さっき俺にも笑い掛けてくれたしな」
にこにこ笑って言う太朗の頭を、楓は軽く小突いた。
「兄さんはお前を気に入ってるんだよ」
「ホントッ?」
「嬉しいわけ?」
女じゃないのにと言っても、そこがいいんだと力説してくる。
「雅行さんカッコイイし!」
外見的にはいい男だろう上杉(性格はかなり難がある)を恋人に持つ太朗だが、兄の雅行のことをかなり気に入ってくれている
らしい。
兄のことが自慢で大好きな楓にとって、それは少々面映ゆいが嬉しいことだった。
隣で、太朗と楓が楽しそうに話している。
全然声を落としていないのでその内容ははっきりと分かるが、ここでも太朗の強面好きは発揮されているようだ。
(こいつの美的センスは・・・・・まあ、好みはいいがな)
外見など関係無く、太朗は自身の父親や雅行のように、男らしく、強い人物に憧れているとよく言っている。
それから考えたら上杉はあまり好みのタイプではないということなのだが、それでもこうして選んでくれているということはそれだけ
自分のことを好きだということだろう。
「・・・・・」
「なんですか、いやらしい笑いなんか浮かべて」
気が向いたのか酌をしようと隣に座った小田切が声を掛けてくる。
「なんだ、いやらしい笑いって」
「その笑いです」
「・・・・・」
(お前の笑いよりはましだろう)
本当はそう言いたかったが、自身の保身のために上杉は口を噤んだ。
「えっ、ホントッ?」
真琴は暁生の言葉に思わず声を弾ませた。
「どうしたの?」
その声に不思議そうに聞き返してきた相手に、真琴は少し声を顰めて言った。
「暁生君、クリスマスは楢崎さんと過ごしたんだって」
「えっ、本当にっ?」
自分と同じような反応を示した静に、暁生は真っ赤な顔をして俯いてしまった。
暁生と親子ほど違う年齢の恋人、楢崎が、なかなか本当の意味での恋人になれなかったことは真琴達も知っていた。
2人共そんなプライベートなことをペラペラと口に出すような性格ではないが、言葉の端々にその様子が感じられたのだ。
それからも、忙しい楢崎とはなかなかデートらしいデートも出来ないと聞いていたのだが、そんな楢崎がきちんとクリスマスのイベ
ントをしたらしい。
あのイベント事には全く興味のなさそうな楢崎がそんなことをしたということ自体に驚き、嬉しそうな暁生の様子に自分の方も何だ
か幸せな気分になった。
「プレゼント、何貰ったの?」
「え、えっと・・・・・」
「真琴、それって聞くもんじゃないよ」
「でも、気になるし〜」
「内緒にしておきたいよね、暁生君」
静の言葉に、暁生は耳まで赤くなる。
「な、内緒です」
「・・・・・」
(まさか、楢崎さんに聞くわけにもいかないし・・・・・)
あの厳つい顔をした、大人の男の人が好きな相手にどんなものを贈るのか、真琴はなんだか気になって仕方が無かった。
本当は静も真琴と共に暁生を問い詰めたかったが、これ以上突っ込んで聞いてしまうと逃げられてしまいそうだ。
(想像するだけでも楽しいしな)
「真琴は?」
「え?」
「海藤さんから何を貰った?」
暁生から矛先を真琴に変えると、今まで暁生を問い詰めていた真琴がうろたえた。
「お、俺?俺は・・・・・いいじゃない」
「ほら、やっぱり言うのは恥ずかしいだろう?」
「は、恥ずかしいってわけじゃないけどっ」
「けど?」
さらに追い詰めると、真琴は自身の頬も赤く染める。
「・・・・・静って、案外意地悪」
恋人同士のイベントは、2人だけの秘密にしておいた方がいいということを真琴も分かっただろう。静も、江坂からのプレゼントは
自慢したい反面、秘密にしたいと思っている。
(でも、酔っちゃったら口を開くかなあ)
その時はその時で楽しめばいいかと、静はのんびりと考えていた。
まだ新年会は始まったばかりだが、先に決めた席順はすっかり崩れている。
年少者達はそれぞれが固まっていて食べながら話をしているし、反対に年長者達は日本酒から洋酒に移っていた。
招待された反面、日向組としても客をもてなさなければならない伊崎は氷やグラスの用意を始めたが・・・・・。
「手伝います」
すっと、手を差し出してきたのは倉橋だった。
「いいえ、倉橋さんはゆっくり・・・・・」
「落ち着かないので」
「落ち着かない?」
「貧乏性なんでしょうか」
言っている言葉とは裏腹に少しも表情の変化は無いが、倉橋の誠実な行動に伊崎はありがとうと告げる。
一応組からも世話をする気の利いた組員を用意しているが、倉橋が手伝ってくれるとかなりの戦力になるはずだ。
「・・・・・」
「・・・・・」
伊崎も倉橋も率先して話す方ではないが、生まれる沈黙が心苦しいというわけでもない。
お互い苦労性という共通点もあるので(その種類は違うが)、ふと視線があった時、伊崎は思わず口元を緩めてしまった。
視線を向けた先で、伊崎と倉橋が色々な準備をしている。
それに気づいた楢崎は直ぐに腰を上げて2人に近付いた。
「手伝おう」
「楢崎さん」
「いいえ、ここは私達で十分ですから」
伊崎は直ぐにそう言ったが、楢崎は苦笑を浮かべて手を伸ばす。
「日向組の若頭をパシリには使えん」
年齢は楢崎が上、そして組の規模も羽生会の方が上なので、実質楢崎は伊崎よりも力があると認識されるだろう。
しかし、羽生会の幹部である自分の立場と、日向組の若頭である伊崎は、やはり役が違うのだ。上下関係を大事にする、い
わば古臭い自分は、いくら無礼講といってものんびりと座って酒を飲んでいるわけにはいかなかった。
「上杉会長からもいい酒を持って来て頂きました」
あまり強く遠慮しない方がいいと思ったのか、伊崎は楢崎の手助けを受け入れながらそう言う。
「酒好きだからな」
「うちの組長もですよ。江坂総本部長や海藤理事はそれほど飲みませんね」
「うちの会長も強いんですが、このメンバーでは雰囲気を楽しんでいるんでしょう」
何時もは人形のように表情が無い倉橋も、海藤のことに限っては笑みを浮かべる。それほど慕っているのだなと思うと、楢崎の胸
の中も温かくなった。
どうやら、秋月の機嫌はあまり良くないらしい。
日和はどうしようかなとチラチラ隣を見るが、まさかもう帰ろうというわけには行かなかった。
「ヒヨ!」
そんな自分に、太朗が声を掛けてくれる。腰を浮かせた日和は、直ぐにあっと秋月を振り返った。
「行ってこい」
「え、で、でも」
「別に、怒りはしないから」
本当にそうだろうかと考えるが、秋月の表情は先程とあまり変わらない。やはり自分は傍にいた方がいいのではないかと思ったが、
「ヒヨ、どうしたんだよ?」
なかなか移動してこない日和の傍に太朗がやってきた。そして、臆することなく秋月に向かって言う。
「ヒヨを借りてもいいですか?」
「・・・・・」
全く、反対されることを考えていないような真っ直ぐな眼差し。秋月がどう答えるかと思ったが、なんだか諦めたような笑みを頬に
浮かべた。
「いいぞ」
太朗の勇気に折れたのか、それともようやく自分も楽しもうと思ってくれたのか分からないが、それでも雰囲気が柔らかくなったのは
確かだ。その変化に日和も安心した。
(やっぱり太朗って凄いなあ)
「あっ、友春さんも連れていこっと」
「太朗っ」
ちょこちょこと向かいにいる人物に駆け寄っていく太朗を慌てて止めようとしたが、その声はどうやら届かなかったらしい。
アレッシオはワインを一口飲むとふんと鼻をならす。
(及第点の物は用意しているようだが)
これが飲めないものだったらそのまま席を立っていたかもしれないと思いながら、アレッシオは片手で隣に座る友春の腰を抱いて離
さなかった。離したら、そのままあの子供達のもとに行くのは分かりきっている。
「ケイ、あの」
「ん?」
友春が何を言いたいのか分かっていたが、アレッシオはわざと聞き返してみせた。そうすると、友春が口ごもるのが分かっていた
からだ。意地悪かもしれないが、傍から友春を離したくない想いの方が強い。
「ケイ!」
その時、別の声が自分の名を呼んだ。その名を呼ぶことを何時の間にか許していた形になっているので、そのことに対しての怒り
は湧かないものの、この雰囲気の中によくも入ってくるなと思った。
「・・・・・」
「友春さんを借りていいっ?」
「・・・・・ターロ」
「なに?」
「先ずは挨拶が先ではないか?」
今日は顔を合わせてまだ面と向かって言葉を交わしていない。別に怒りを抱いてはいないが、このまま友春を連れ去って行こうとす
る相手を多少は困らせたい思いがあった。
しかし、
「あー・・・・・えっと・・・・・ハロー?」
「・・・・・」
さすがというか、この子供は全く言動が読めない。
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