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「まあまあ、そう言わずに、私達の気持ちですから」
「私・・・・・達?」
続く言葉にますます大きな不信感を覚えたのか、江坂は一向に手を動かそうとしない。それは海藤も同様で、傍で見ていた静
はどうしようかと考えた。
(せっかく、祝ってくれようとしているんだし・・・・・)
「お、俺達で開けてみない?」
それは隣の真琴も同じ思いだったらしい。
テーブルの上に存在感を見せ付けるように置かれた白い箱を前にそう言ったので、静もうんと頷いた。
どうやら江坂は小田切の気持ちに不信を抱いているようだが、いくら彼でも大勢の人達がいる前で変なことは考えていないはず
だ。
それに・・・・・。
(いったい何が入ってるんだろ・・・・・)
その中身の方に興味が湧いてたまらなかった。直径が50センチほどもある白い四角い箱には、それぞれ赤と青のリボンが綺麗
に飾られていて、見掛けだけはいかにもお祝いというふうだった。
「何だろ」
「うん」
太朗達も気になるのか近くに寄って覗き込んでくる。
静は一度真琴と視線を合わせてからリボンを解き、せーのと箱を開けた。
「りょうちゃん、おめでとう・・・・・?」
「たかしくん、おめでとう・・・・・」
静と真琴の声に、一同は一瞬押し黙り、その手元にある2つの大きな物体・・・・・白いクリームに覆われ、赤いイチゴで飾り付
けられた、いわゆる誕生日ケーキをじっと見つめる。
普通、板チョコに書かれてるのは、せいぜい小学生までの子供の名前だろうが、今そこに書いてあるのは30もとうに越した男
達の名前だ。
ロウソクが無いだけまし・・・・・そう思うのは単なる慰めかもしれない、江坂も海藤も、ただ無言でそれを見下ろしていた。
「・・・・・絶対、からかうためだな」
ぽつりと楓が言った。
「え〜、でも、良いじゃん、ケーキでっかいし!」
太朗は素直にいいなと言い、食べがいがあるじゃんと続けた。
「ヒヨはそう思わない?」
「俺は・・・・・っていうか、俺達までならまだいいけど、あの2人にはちょっときついんじゃない?ねえ」
日和が前にいる友春に言うと、
「・・・・・確かに、少し恥ずかしいかも」
と、苦笑した。
「アッキーは?」
「え?お、俺?俺だったら・・・・・楢崎さんにあげる・・・・・かなあ」
厳つい風貌の楢崎には、こんな可愛らしいケーキは似合わないかもとブツブツ言っている。
しかし、こんな風に話しているのは年少者達だけで、他の男達は内心気の毒と思っているのか何も言わない。
そんな中、低い声が座敷の中に響いた。
「小田切、これはどういうつもりだ?」
ある程度のことならば、正月の無礼講として何とか見逃すことは出来るが、このいかにもなケーキを前にしたら馬鹿にされてい
るとしか思えない。
「どういうとは、私達の祝いの気持ちですが」
「・・・・・お前以外にも加担した者がいるのか?」
「は〜い、私、私!」
部屋の中の温度がどんどん低下していくというのに、呑気に手を上げたのは綾辻だ。
やはりというか、この2人がどんな悪巧みをしたかなどと今更かもしれないが、簡単にありがとうと言うわけにはいかない。
江坂が眼鏡の奥の目を細めた時だった。
「失礼します」
部屋の中の緊迫感を知らない組員が外から声を掛けてくる。
「お連れ様がいらっしゃいましたが」
「・・・・・」
その言葉に、誰もが内心首を傾げた。ここにはもう皆揃っていて、誰か遅れてくる者がいるはずが無い。
「あの・・・・・?」
一向に返答が無いので、組員の声が迷ったような響きを帯びる。
「連れて来なさい」
誰が来たのか分からないが、こんな場所にノコノコ刺客が来るとは思えない。もしそうだとしても、返り討ちにしてやると今こみ
上げてきた怒りをはぐらかされてしまった江坂は、冷酷な笑みを口元に浮かべた。
「失礼します」
初めて訪れる日向組の座敷に案内され、襖を開いてもらって一礼すると、途端にどよめいた様子に思わず頬に笑みが浮かん
でしまった。
「みなさん、明けましておめでとうございます」
いっせいに向けられる視線に少しも動揺することもなく、橘(たちばな)は中にいる全員に向かって丁寧にもう一度頭を下げる。
新年頭の挨拶はとても重要だからだ。
「・・・・・どういうことだ、橘」
そんな自分に、江坂が先ず声を掛けてきた。あからさまな怒りを含んでいるようには聞こえない声だったが、それでも多分かな
り不満に思っていることだろう。
「お前も小田切の共犯者か?」
どうやらタイミングはかなり良かったらしい。
江坂が元々小田切を快く思っていないことは知っていたし、橘も自分と小田切の関係を詳しく彼に伝えているわけではない。
江坂にとって邪魔な存在であればそれでも距離をおいただろうが、小田切ほどの男とは繋がりを持っていた方が後々江坂にとっ
ても得だと橘は確信していた。
さらに、橘個人も小田切の思考に共感できる所もあり、結構親しくしている方だと思う。
ずっと彼の傍に付いているので、今江坂がどんな思いで自分を見ているのかよく分かっているが、それを恐れるということはない。
彼が私心で部下をどうこうする男ではないということもまた、知っているからだ。
(それに、新年早々、多少は笑いもあっていいものだし)
「小田切さんに相談を受けまして。総本部長になったあなたと、理事になった海藤会長を祝いたいと」
「・・・・・これが祝いだと?」
橘はチラッとテーブルの上のケーキに視線を向ける。
「おめでとうと書かれていますが?」
「・・・・・」
「ああ、でもローソクが無かったですね。良かった、持ってきて」
手にした小さな包みの中から2本のローソクを取り出した橘は、そのままケーキの上にそれを立てた。
江坂は、もしかしたら海藤も自分達がふざけていると思ったかもしれないが、自分も小田切も別にからかうつもりはない。本当に
祝いたいと思い、それを形にしたのが小田切なだけだ。
(まあ、少々子供じみているかもしれないが)
「・・・・・」
やがて、江坂があからさまな溜め息をつく。
「・・・・・お前と小田切が近い存在だとは知らなかった」
「近いでしょうか?」
小田切よりも遥かに常識人だという自覚があった橘は、僅かな皺を眉間に作った。
バースディケーキのようなものを出されたのには驚いたものの、嫌だという感覚は海藤には無かった。
もちろん当惑するところもあるが、綾辻の言動で少々免疫が付いているのかもしれない。
「たかしくんだって・・・・・可愛い」
隣にいる真琴がそう呟くのが聞こえた。ここにいる者の中で一番自分にとって害のあることをしない真琴がそう言うのだ。海藤は
何だかおかしさがこみ上げてしまい、フッと笑みを零す。
「せめて、《さん》付けにして欲しかったが」
「でも、全然変じゃないですよ?」
「そうか?」
コクンと頷いた真琴を見た海藤は、まだ眉を顰めている江坂に視線を向ける。
「総本部長」
「・・・・・なんだ」
「ローソクの火、一緒に消しますか?」
そう言った途端、虚を突かれたような表情をする江坂の代わりに、その隣にいた静が弾んだ声で答えた。
「俺も一緒にいいですか?」
「静さん・・・・・」
「せっかくなんだし」
恋人の言葉に後押しをされたのか、江坂は憮然とした表情ながらも顎を引く。
それを見た橘がそれぞれのローソクに火をつけた。
「それでは、このロウソクの数が増えることを願いまして」
橘の声と同時にローソクを吹き消す。歓声が沸いて、いったい何の祝い事なんだと海藤は笑った。
ケーキを切り分け、それも綺麗に皆(主に太朗と楓)の腹に収まった頃、そろそろお開きにするかという流れになった。
「今日は世話になった」
一番最初に迎えの車がやったきた江坂は、玄関先で皆の見送りを受けた。立場的には門前の、それも車に乗る時まで見送られ
るのは普通だろうが、今日は正月、それもプライベートな集まりだったのでここでいいと告げたのだ。
「本日はありがとうございました。気の利いたもてなしが出来無かったと思いますが・・・・・」
「いや、十分楽しませてもらった。・・・・・最後は余計だったかもしれないが」
そう言って小田切を見るものの、あの男にはそれくらいの嫌味は全く通じないらしい。
「今度はお花見ですね。また一緒に楽しみましょう」
そして、反対にそんな約束を取り付けようとしてくる。即座に断ろうとした江坂だったが、隣にいた静が楽しそうにぜひと答えてし
まった。このせいで、多分予定は確実にスケジュールに取り込まれるだろう。
「どうぞ」
今はにこやかに車に誘う忠実な部下の意外な素顔を知ってしまった江坂は、整然と頭を下げる一同を一瞥すると黙って車に乗
り込んだ。
「バイバイ、静」
友春が友人に別れを告げたので、アレッシオは早速その腰を抱いた。
「ケ、ケイッ?」
「これからの時間は私が貰う」
今のこの時間が無駄だったとは思わないが、やはり友春と2人だけで濃密な時間を過ごしたいという気持ちは消えない。
いや、むしろここまで待った事を褒めてもらいたいくらいだ。
「ケイ、あのっ」
「トモ」
「・・・・・っ」
「行くぞ」
真っ直ぐに見つめれば、友春の顔がジワジワと赤くなるのが分かる。この場所でもこんなに可愛らしいのだ、早く2人だけの空
間に浸りたいと、アレッシオは先を急ぐように歩く。
友春はそんなアレッシオの手を振りほどこうとはせずに後をついてきて、きっと同じことを思っているのだろうと思うとそれだけで
気分が高揚した。
次に車がやってきたのは海藤だ。
「楓君、今日はありがとう」
真琴の言葉に楓は綺麗な笑顔を浮かべて次の約束をねだっている。気が強いという印象だったが、真琴の前ではまるで飼いな
らされた猫のようだ。
「真琴」
雅行との挨拶も終わった海藤が名前を呼ぶと、真琴は友人達と次々と言葉を交わして駆け寄ってきた。
「楽しめたか?」
「すっごく!海藤さんは?」
「・・・・・楽しかった」
ケーキに関しては少し驚いたが、今年も賑やかで明るい年が明けた気がする。
昨年は大東組の理事になったり、真琴とのことに関しても様々な問題があったが、今日この日に2人一緒にいられるということ自
体が今の幸せを証明してくれるようだ。
「あれ?倉橋さん達は?」
「今日はこのまま帰っていいと言っておいた。色々とあるだろうしな」
「?」
首を傾げる真琴を目を細めて見つめながら、海藤は真琴の肩を抱き寄せた。
綾辻はまだ片付けを手伝い続けている倉橋の腕を掴む。
「克己、後は日向組の皆さんに任せた方がいいわよ」
「ですが・・・・・」
「招いた側の顔もあるでしょう?」
倉橋がこういったことに知らん顔を出来る性格ではないことは十分分かっていたが、これ以上は返って日向組の方が気を遣う
だろう。
倉橋も言葉にしない綾辻の思いをくみ取ったのか、まだ少し躊躇う素振りを見せながらも手を止める。
「ねえ、このままもう一度初詣に行かない?」
「何を言っているんですか、私達は会長を最後までちゃんと送り届けるまでが役目ですよ」
「分かってるって。でも、その後はフリーでしょう?」
「・・・・・」
意味深にそっと指先に触れると倉橋は直ぐに身を翻したが、駄目だと拒絶されなかったということはOKだということなのだろう。
綾辻は勝手にそう決めつけると、どこに行こうか今から緩む顔を何とか隠した。
江坂と海藤が帰るのを見送った秋月も帰ることにした。
今日ここに来る直前まで今回の招待を辞退した方が良かったのではないかと思っていたが、こんなにも楽しそうな日和の顔を見
るとそんな思いは消えていたし、何より自身も心中が穏やかに過ごせた気がする。
(・・・・・たまにはいいものかもな)
「日和」
「え?」
「・・・・・いや」
今自分は何を言おうとしたのだろうか。秋月はそんなことを考えながら日和の手を取る。
彼と出会ってから広がった世界は秋月にとっても思いがけなく意味の深いことばかりで、ありがとうという言葉が自然に出そうに
なった自分に苦笑が零れた。
最後にようやく腰を上げた上杉は雅行に笑い掛けた。
「なんだか、騒ぐだけ騒いで迷惑を掛けたな」
「いいえ、いい年明けを迎えられました」
「そう言ってもらって安心した。おい、タロ」
太朗はまだ楓と話している。何時も一緒にいるくせに、まだ時間が足りないのだろうか。まさか子狸と子猫のじゃれあいに妬きも
ちを焼くことも無く、上杉は来い来いと犬のように太朗を手招きする。
それに少し怒ったように頬を膨らませるくせに、直ぐにやってくる太朗が可愛かった。
「またな、楓!」
「今度は泊りに来いよ」
それに応えようとする太朗の口をわざと塞ぐと、楓がムッとしたように睨んでくる。
「俺、太朗と話してるんだけど」
「今日はもういい加減俺に返してくれてもいいだろ?」
「・・・・・ムカつく」
「上等。だが、こいつは俺のもんだしな。この先は恋人同士の時間・・・・・そうだろ、タロ?」
口を塞いだまま、耳元で囁いてやると太朗の目が丸くなる。そして、見る間に顔が赤くなるのが面白くて、上杉はついでのように
後ろからパクッと耳を噛んだ。腕の中でピクッと震える身体は、やはり自分だけのものらしい。
(全く、あの人は・・・・・)
ただの友人同士に妬くのもおかしいのだが、それだけ太朗のことを思っているのだとしたら口を出すのも悪いだろうか。
それよりもと、楢崎は大人しく自分の隣にいる暁生を見下ろした。どうやら今日の集まりは暁生にとっても楽しい時間になったらし
い。
「暁生」
「はい?」
「この後、どこか行くか?」
思い掛けない言葉だったのか、暁生は目を見張った。しかし、多分この後自分の仕事は無いだろうし、それならば何時もはあま
り時間を取ってやれない暁生の喜ぶことをしてやりたい。
「何でも言っていいぞ」
お年玉だと告げると、暁生は嬉しそうに笑った。この顔こそが楢崎にとってのお年玉のようなものだった。
「本日は大変お世話になりました」
上杉達が車に向かう後ろ姿を目の端で追いながら、小田切はにっこりと雅行に笑い掛けた。若干相手の頬が引き攣ったのが
分かったが、それくらいのことは気にならない。
「日向組長、何かお困りのことがあったら何時でも声を掛けて下さいね。たいていのことなら何とかしますから」
「あ・・・・・あ、分かった」
「それでは」
楽しい新年会になって小田切も満足だ。
(後は・・・・・駄犬に何かお土産でも買って帰ってやろうか)
今頃マンションで小田切の帰りをジリジリしながら待っているだろう男のことを考えたが、思えば男にとっての一番の土産は自分
自身かもしれない。
「・・・・・せいぜい、甘やかしてやるとしよう」
反対に圧し掛かって来られそうだが、それはそれで楽しいだろう。
最後の車を見送った伊崎は、ようやく安堵の息をついた。
新年早々大きな仕事をやり遂げた気分だったが、そう思う間もなくグイッと腕を取られる。
「楓さん?」
「初詣に行くぞ」
「今からですか?」
「今から!」
いいのだろうかと雅行を振り返ったが、さすがに疲れたらしい雅行はそれを反対する気力もないらしい。
「・・・・・遅くなるなよ」
それでも、一応それだけ言う雅行にはいと答えた伊崎は、自分をじっと見上げてくる楓に微笑みかけた。
「では、行きましょうか」
ここからが2人の正月だ。伊崎は満足げにすり寄ってくる楓にさらに笑みを深くして、自ら運転するために車のキーを取りに行くこ
とにした。
「・・・・・終わったか」
まさかとは思うが、これが毎年の恒例行事になってしまわないかということを考え、いやいやと必死で打ち消す。
有能な男達と会話をするのは勉強にはなるが、それにも限度というものがある。これだけ濃い者達が集まっては気疲れは相当な
もので、雅行は今は早く横になりたいと思ってしまった。
(・・・・・くそっ、楓と初詣に行くのは明日にするか)
可愛い弟とのんびり過ごすのは1日延ばしたが、まさかその弟が足腰立たずにベッドの住人になるということなど、未来の読め
ない雅行が分かるはずもなかった。
end
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